今日も快食、快眠、快便!

「快食、快眠、快便」を座右の銘として実行すべく、その達成度と日々の記録やあれこれ。

愚痴るの続き

2019-10-31 10:34:29 | 愚痴


性格って生まれつきなのかな。
不遇の人生でも明るく前向きな人もいるし、恵まれた家庭で愛情深く育っても性格の悪い人はいる。
母のあの性格も持って生まれたものなのかとも思うけど、少なからず母の生い立ちに起因するところはあると思う。

またも長文になりそうなので興味のない人はスルーしてください。

母の母、つまり私の祖母は日本橋で大きな質屋の次女として生まれた。
跡取り息子がいなかったからか、長女(祖母の姉)が婿養子を取った。
祖母は当時許嫁のいる身だったが、なんと14歳の時に姉の夫にレイプされてしまったのだ
それで祖母はお嫁に行かれなくなったとか。
母いわく、質屋の資金繰りに困った祖父が祖母のお嫁入りの際に用意していた持参金に手を付けてしまったので祖母はお嫁に行かれなくなったと言うのだが、義妹の持参金だけじゃなく体まで手を付けるなんて許しがたい男のクズだ

以後、姉妹なのに正妻と愛人という立場で一つ屋根の下に住んでいたが、どちらにも不幸だったろうしすごく辛くて地獄の日々だったに違いない
だけど大正時代の初めにお嬢だった14歳のかよわき乙女が家を出て1人で生きていくなんて、当時は無理だったと思う。

祖母は母と実母(関係が複雑すぎて訳わからないわね 笑)の2人の娘を産んだけど、祖母の姉である正妻は母の上に4人の男の子を産み、実母の下に女の子を1人産んでいる。
コレ聞いただけでもかなりひどい
正妻は一番下の女の子を出産後まもなく亡くなり、結局祖母が後妻となり、姉の4人の息子と乳飲み子の女の子、そして自分の子ども2人の計7人を育てることになったのだが、息子たちからは祖母が祖父を誘惑して自分達の母親を死に追いやったと思われ、相当恨まれいじめられたようだ。
まるで韓国の愛憎ドラマみたい~
実母の死後、従前戸籍を取った際に知ったのだが、祖母が後妻として入籍したのは正妻の死後すぐじゃなくて何年も後のことだった。
まじまじ確認してないのではっきりわからないけど、8年くらい経ってたと思う。
そんな仕打ちの祖父に対して何だか無性に腹が立った

クズ男の祖父は、実際別宅である愛人の家で死んだ。
余談だけど、私が幼稚園の頃「おじいちゃんが死んだ」ということで連れていかれたのは母の実家ではなく愛人の家だった。
それは鮮明に覚えている。
どこまで祖母を愚弄すれば気が済むのか、結局祖母は義理の息子達に追い出される形で結婚後の母や実母のところに転がり込むように世話になっていたっけ。

で、母なのだが、男の子ばかりのところに初めて生まれた女の子だったので、祖父から大層可愛がられ、顔も祖母の姉に似ていたので兄達からも可愛がられたようだ。
一方実母は2番目の女の子だし、祖母似だったから姉である母とはかなり差別化されたらしい。
母はよく祖父から「お前は台所に入らなくてよい。女中が台所仕事をするような家に嫁げ」と言われていたから結婚前に一度も台所に立ったことがないということを自慢げに話す。
たしかに母の実家には家政婦さんもいたらしいが、家族が多かったので家事のほとんどは祖母がやっていて、実母もよく台所に立たされたと言っていた。

子どもの頃、母は時々兄達の部屋に呼ばれてお菓子をもらったり兄達の仲間に入れてもらっていたのだが、実母は呼ばれることがなかったのだとか。
実母はその話を私にした時「呼ばれるのは自分だけで、なぜ妹は呼ばれないのだろう。次は一緒に連れていこう」と思わなかったのかなと不思議がっていたけれど、後に実母が母にその時の話をしたら、「え?あんたいなかったっけ?全然気がつかなかった」と言われたとか。
またある時、夜中に祖母が部屋を抜け出すので、実母がこっそり後をつけると裏の神社の境内で祖母が泣いていたことが何度かあった、と。
ひと部屋に祖母と娘2人の3人で寝ていたが、母は全く気づかず、自分の母親が夜中に人目を忍んで泣いているなんて考えたこともなかったようだ。
妹が家事を手伝っていたことや、実は家計が苦しくて祖母が御用聞きに支払いを延ばしてもらっていたことも全く知らなかった

母は可愛がられていたとはいえ、兄達や一番下の妹とは違う「日陰の身」であることは無意識のうちにも感じ取っていたと思う。
だから自分の存在価値というものを認めてもらうことが唯一の生き残り術だったのではないか。
それは本能的なものだから、母親や妹にまで意識が及ばず、とにかく自分が気に入られるためにはどうすればいいかだけを考えてきた結果、自分オンリーな性格が形成されたと思われる。

祖母の事情を考えると決して卑屈になる必要はないけれど、でも普通お父さんを恨むよね。
昔の事とはいえ、そんな複雑な家庭環境はなかなかないもんね。
母の祖父への恨み節は聞いたことがないけど、母はそんなドラマチックな生い立ちを自分のこととして認めたくなかったのかな。
だから母は祖父から自分だけ特別に優遇されたことを喜んでいるし、疎開時に学校に多額の寄付をして周囲から一目置かれたことや、6畳ほどの広さの檻にシェパードを飼っていて訓練費用が大学費用くらいかかった話を今でも自慢げに話す。

自分の存在を認めさせる術として「人より優位に立つ
それが母の目標であり幸せになっちゃったんだろうね。

そんなだから今も昔も友達が1人もいないし、家族からも疎まれている。
母もある意味クズ男の被害者だからかわいそうな気もするけど、やっぱり優しい気持ちにはなれない私。

そして愚痴るの続きの続きにツヅク。
(まだあるんかい 笑)

 

 ハッピーハロウィーン

 

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4 コメント

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そうだったんですねえ~ (hirorin)
2019-10-31 14:07:20
妻妾同居で、その妻妾が実の姉妹。で、本妻になったのは死後何年もたってからって、今のご時世なら完全アウトです。
淀川長治もそんな環境だったみたいですね。
確かに、幼少期の環境はとても大切ですが、なんとも言えないですね。

昔はその手の話、多かったですね。
私の父は正妻の子供ですが、父には異母兄弟がたくさんいて。認知されてるから、同じ苗字でした。父の異母妹は一時、私も一緒に住んでたんですよ。
高校受験や手続きは私の母が世話してました。

当時、父の父(私の祖父)は別に妾宅があって、祖父が入院した時は、正妻である祖母とお妾さんが交代で付き添いしてました。
私もよく妾宅に遊びに行ってましたよ。
優しいおばちゃんで可愛がってもらってたけど、大人になって知ってびっくりしました。
何と、お妾さんはうちの父と同い年だったんですよ。

祖父は確かに明治時代の男性としては、背も180あり写真見てもイケメンでしたが。一体、生涯に何人の女性と?って思いました。

しかし、カフェオレさんのお母さんのお父さん=祖父、ひどすぎですね。

ほんまに女性に人権のない時代でしたね。
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 (カフェオレ)
2019-10-31 15:03:47
hirorinさん

えーっ、hirorinさんのお父様のご実家でもそんな歴史が
hirorinさんのおじいちゃまも相当なやり手だったとは

妾がいるのは男の甲斐性だとか、連れ合いの死後、その兄弟姉妹が後添えになるとか、昔はそういう話がフツーにありましたね。
自分はそれがフツーじゃない時代に生まれてよかったと思うけど、改めて昔の女性の大変さを痛感します。
返信する
うちも (あいす)
2019-11-01 15:51:59
父には異母兄弟がいました。
十代で女中さんに産ませてしまったらしいです。

正妻とか妾とかもてるのも経済力がないとできないですから
そういうお家は 近所のお宅より「格」がある家だったのではないでしょうか。

「〇〇さんの家のきれいなお嬢さん」と言われてたとか・・・


私自身にも感じますが
人は劣等感があると 持っている唯一のプライドにしがみついてしまいますね。

返信する
時代 (カフェオレ)
2019-11-02 10:26:42
あいすさん

時代とは言え、みなさん意外とご家族に複雑な関係があったんですね~。

たしかに、うちの母はコンプレックスを努力で跳ね返すタイプじゃないから、結局のところプライドにしがみついているわけだ。
かくゆう私も人のことは言えないけど…
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