東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

父の日に贈り贈られ。。。

2011-06-19 14:47:17 | 日記
 今日は父の日だ。
アメリカではニクソン大統領の頃から祝日に制定されたらしいが、日本ではいまひとつインパクトのない記念日だ。

少なくても私が子どもの頃には「母の日」だけで「父の日」はなかったように思っていたが、、、
1950年代にはそうしたものがアメリカからどっと一気に流れ込んできて、、、知る人ぞ知るだったらしい。
一般的になったのは1980年代から、、、ごく最近のことのようだ。

「母の日」はカーネーションを贈るのが一般的だが、
「父の日」には赤いバラを贈る(今日まで知らなかったが…)らしい。

亡くなった父親には白バラを供えるというのが「父の日」制定に尽力したドット夫人からの‘しきたり’という。

商業主義に乗せられてせっせとプレゼントを贈るのはイヤだと思っていた私も結婚してから30年、
最初は家内に言われて渋々(笑)やっていたが、今ではごく自然に5月は「母の日」、6月は「父の日」として
東京の両親にお祝いをする。

父親には毎年、名前入りの扇子を贈ることにしている。
それまで色々な種類を家内が大阪から宅急便などで送っていたが、ここ数年はリクエストにより、
(あれこれ迷わないでいいように親父の配慮かとも思うが?)扇子一辺倒である。
齢80を超えても歌舞伎やトレッキングを楽しみ、「老いてなお盛ん(笑)」。。。
アクティブで枯れていない親父はそれなりにスゴイな~と思う。。

離れているのでなかなかゆっくり会うこともないのだが、2月の息子の結婚式以来になるので、
ぼちぼち上京しようかな~とも思っている。

子育てが終わってから何十年も生きる生物は少ない。人間はその比率からいえば非常に稀な存在だ。
自分の次の世代(子供)をもうけて種の保存という生物最大の命題をクリアした後、、、
その次の世代(孫)のそのまた次の世代(曾孫)の誕生を見届けてもなお、生き続けるのには、
きっと我々には想像もつかないような使命が進化の過程で生じたのだろう…と思いたい。

そんな私も今年は人の親の親になった…
娘夫婦から「父の日」にプレゼントを貰うような立場になって数年が経ち、、、
今年からは息子夫婦(多分に嫁のHちゃんの配慮とは思うが…)にもお祝いをしてもらい喜びもひとしおである。
子どもに何かしてもらう・・・親として、これはもう理屈抜きに嬉しいものだ。

子どものいない夫婦は自由な時間もたくさんあってそれなりに楽しいことも多かったと思うが、
世の中は足し算、引き算で成り立っているんだな~と幸せを噛みしめている父親が、
私を含めて今日はたくさんいるはずだ。。。めでたし、めでたし、である。