東京大阪ラプソディー

私が生まれ育った故郷「東京」の友人たちへ、また私の「大阪」での生活を知る心優しき人たちに、徒然なるままに綴っています。

エコな生き方を江戸時代に学ぶ

2011-06-11 17:02:34 | 日記
やっと今朝、厳密に言えば1日遅れだったが、今月号の記事を出稿できた。

〆切日が近くなるとお伺いと言うよりは催促の電話が印刷屋からかかってくる…
「また隣で飲んでいるんですか?」みたいな内容だ。
一生懸命やってる最中にそう言われ、本当に隣へ移動しながら「よく分かったね~」
って言ったこともあったな~(笑)
もっと大雑把にはいかないものか?大雑把はエコにも通じるんやで~(笑)

日本では明治6年に今日の太陽暦が採用されるまで、ずっと月の満ち欠けを基準にした太陰暦が使われていたが、
全国ばらばらな暦を使っていたのを改めたのは、犬公方として有名な五代将軍の綱吉。
全国統一の太陰暦を使うようにしたと学校で習った記憶がある。
「生類憐みの令」は天下の悪法と言われたが、まともなこともしていたんやな~と・・・

太陰暦は月の満ち欠け(29.5日)を1ヶ月とし、その12倍で1年としていたため太陽暦と比べると1年間が
約11日少ない354日になってしまう。そこで19年間に7回、12ヶ月にプラス閏月(うるうつき)を足し、
13ヶ月の年を作った。
坂本龍馬が京都・近江屋で暗殺された翌年の慶応4年(明治元年)には、4月が2回あった。
4月の翌月は閏4月となっていたらしい。1年13ヶ月はピンと来ないが、当時の人はよく思いついたもんだ。

時間にしても江戸時代は、日の出から日没までを6等分したものを1刻(とき)と言い、日没から日の出までの
夜間をやはり6等分して1刻と言った。昼と夜が同じ長さの春分の日や秋分の日であれば、昼夜1刻は同じ間隔だが、
それ以外の時は1刻の長さは昼と夜では長さが違っていた。おおらかで大雑把なのである。
夏は長く働き、冬は短い労働時間だったのだろう。
江戸時代の人たちは1年で帳尻が合えば良いという具合で(素晴らしい!)、それを気にする人もいなかったのかもね。

最近、節電の効果を上げるために夏時間を採用する企業が増えているらしいけど、、、日の出とともに働き、
日の入りとともに仕事を終えるという実にエコな考えが江戸時代の人々には既に浸透していたんや。。。
それが自然っていうもんやで!夜更かしせなでけん仕事は体にも悪いし余計な電力も使うし~

食べ物もエコ!

ネオンサインもない江戸時代のエコな寿司屋の屋台でぃ!

っていうことで…日没にはまだ間はあるが、ぼちぼち仕事もおしめぇだ、、
江戸の人を倣って今宵はちょっくら出かけてくるぜ!