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2021/12/31歩き 身延道3回目

2022-07-16 | 旧街道あるき
まだまだ過去の歩き録です(2021/12/31)
【長いです! 閲覧注意! 区切る気もありません(^^;】

やってきました年末年始休暇!!(の時の話です)
最新の街道歩きだというのに半年以上前の記憶(^^;
まあね……まあまあ・・・いつものことです。

どこか歩きに行こうと決めていた私は、途絶えていた身延道の続きを歩くことにきめました。
【当初の予定】
JRに乗って、朝7時ぐらいに興津駅で降り、そこからしずてつジャストラインバスに乗って(時刻表チェック済み!)、
前回の上倉バス停まで行って・・・。
そこから歩き始める、はずだった
そう・・・世間から離れている私は忘れていたのだ。

年末年始は休日ダイヤ!!
午前7時、JR興津駅のバス停で、その事実を受け入れられずに何分間か立ち尽くしている哀れなオバハン・・・・
次のバスまでは1時間半。

いやいや、気を取り直してどこかで休憩をと思うも、興津周辺はコンビニしかない(カフェコーナー無い)。
迷った末JRで草薙まで戻り、コンビニのカフェコーナーで一旦休憩&体勢立て直し、バスの時間に間に合うようにもう一度興津駅まで戻ります。
で、そこからの移動が長距離なので、とりあえず但沼(かつての宿場か間の宿か、調査不足)までバスで移動
但沼車庫前が終点なのでとりあえず下車。
そこで乗換えて再びバスで上倉まで移動。

の、ハズだった。
只沼車庫前で降りたワタシが、その先が
年末年始は運休ということを知るまでは
_| ̄|○

しばらくフリーズした後、前回とほぼ同じルートを歩くことにしました(^^)
2回目の歩きをほぼムダにしたようなもの。

いや、歩き旅に無駄なんてない。今回は今回で新しい発見があるはず!
と気を取り直し
まずは開いてる「産直プラザふれっぴー」というマートに入って饅頭を買う(^^;
長く歩くには饅頭が一番なのです
※寂しいことにお店は今年3月に閉店になってた😢

前回とダブっているところを歩くので、最初はひたすらちゃっちゃと歩くつもり!
しかし前回休憩したサービスエリアの近くにさしかかったとき、トイレに行きたくなったのでとりあえず行く。
▼ネオパーサ清水に行く道の途中で

このネオパーサ清水というのは結構な山の上にあるので、トイレのために往復するのはかなり体力を使う😅
そうまでしてトイレに行く必要があるかと聞かれれば、ある
身延道は、トイレ箇所が皆無と思って間違いないから!
行けるときに行っておけという身体の声にしたがうのである
▼ネオパーサ清水の動画があったから貼り付けとく


そしてトイレ休憩&おまんじゅうタイムをし、さっさと山を下りて前回の歩き終わり地点にたどりつかないと!
今日中に帰宅ができないかもしれないのです
バスが動いていないということは、途中で歩くのをやめたくなっても、バスに乗れないのでやめられないのです!!
だから、今日は歩きの終点をJR身延線:十島駅に設定しました

十島の地図 - NAVITIME

NAVITIME


清水から富士宮を通って山梨県南巨摩郡まで
い・・・行けるのか?(;゚ロ゚)
しかし、もう歩き始めているので行くしかないのです
次の宿場は宍原です。
歩いても歩いても次の宿場には全然届かない

▲川はいいよね~
但沼から富士見峠までの道は川をあっちこっち渡り歩く道です。
今でこそ川には橋がかけられているので苦労はしませんが、昔は着物の裾をたくし上げてバシャバシャと渡らなくてはならなかったから、身延道は非常に苦労する道だったそうです。

ゆるい峠を越えます。
富士見峠と呼ばれる峠です。
峠の下りにさしかかると、見えてくるのです。

雲が上にかかってる

▲雲・・・まあいいや(^^;
富士山の雲はあきらめて、峠を下ります。

▲江戸時代からの古い道と、一番新しい新東名が並ぶ
椎茸栽培してる~♪と謎のテンションで取ってしまった写真


▲工場と、富士!

誰も通らない脇道、散歩の人と農家の人は使っていそうです。
旧道歩きの人がどんどん歩かないと道は死んでしまう。

▲あるとホッとする道しるべ
身延道は、間の宿も宿場も、もうほとんどが存在していません。
ちと寂しくなっちゃいますね。



▲田舎道に来ると、妙に懐かしくなりますね(^^)



やっと宍原あたりです(^^)


集落のあたりをてくてく歩いてたら、軽トラに乗った地元の親子さん(お母さん70-80、息子さん40台~50台くらい)に声をかけられた
「何処を歩くの?」「一人で歩いてるの?」
と。ひとりで行くことと、身延道を辿りながら歩いていること、山梨まで行くことを伝えると、まずはビックリされる😅
で、息子さんが今の本道と旧道に分かれるところを分かりやすく教えてくれた。
「もう少し行くと身延道の看板があるんて、そこを左に入るんだよ。
 こないだ地元のみんなで整備したばっかだからね、歩けると思うよ😊」という力強い助言がありました🎵
お礼を言って別れ、その場所までとりあえず歩く。

あ・・・ちと嫌な予感😅

【長峰三里】
およそ三里(12km)に渡る尾根道。この山が国境(県境)まで水がないので「水なし山」とも呼ばれている。
12キロ山道・・・。やめようかなぁちとコワイ。
でもせっかく教えてくれたし、整備したって言ってるから歩けるはずだし
行くかやめるか・・・んーーー・・・行く・・・!
ここから先はあまりにも険しい道で、山登りの準備をしてこなかったのでとにかく身軽にするためにカメラもしまいます。
何キロか歩くと道すらない。ちびりそうなくらいにコワイ。
崖を、木と木の間に貼ってくれてあるロープを頼りに落ちないようにしながら注意深くすすみます。
そのうちに整備された道も終わり、道なき道となります。
ほぼ念仏のように何かを唱えながら進む山道😅
そのうち、やっと林道らしき所に出ます

▲ちょこっと看板立ってますよね?そこからワタシはこの道に出てきたのです

▲林道に降りたのもつかの間、容赦なくワタシを誘い込む山道😢
 この看板から右の脇道へ入れと言っているのです😱
道、無くない?
まあ、いいです。さっきよりきっとマシ。
と、けもの道再びで、またしばらく撮影すらできないほどのビビりが発動します。

で、なんやかんやで「ぎゃーーーー」と心の中で絶叫しながら山道を通り抜け、何とか普通の国道にたどり着きます。
なんというか・・・頭が真っ白です😅


▲富士宮市との境です❗
しばらく国道52号線を歩きます(ちょっと道を間違えたかもしれない)。

もう脚は限界に達しています。が、山梨の「万沢町」という宿場だったところにつくまでは何とかがんばらねば。

お昼も取らずに饅頭だけでなんとか歩き続けてしまった。
もちろんお店なんぞないので😅ホントに昔の旅人そのものである。

ひもじい思いをしながら庶民は、ない銭を振り絞るかのように信仰の旅に出た。
人によってその思いはそれぞれ違うのだろう。
「腹減ったぁー」と私のように呟きながら、それでも歩かねばならなかったろう。

などといろいろ考えているうちに、つきました、山梨県南巨摩郡万沢町❗





このとき、山梨県知事(はっきり言ってコロナ脳)がかなり差別的な発言をしていた時期なのですが、万沢町の人々はマスクなんぞ全くしない、いい町の住人でした。
素晴らしすぎる世界!!山梨大好き!


▲いいね、街道っぽいね😊


▲モロ、宿場の名残の町です!!
と感動して写真を撮っていたら、80台ぐらいの女性に
「山のぼってきたの?」と声をかけられました。
私はマスクしないので、警戒されると思いきや女性も素顔で、かなり近くまで来てくれている。
正直、嬉しい🤩
「身延道を歩いてるんです。清水から歩いてきました。
 良いところですね、旧宿場町の雰囲気がありますね~」
と話すと、ニコニコしてたくさん話をしてくれた。
一期一会、本当に良い出会いと別れを繰り返す歩き旅。
しかもこの間、脚の疲れが癒えるのです。すごいね、人の力って。

そして何とか身延線の十島駅にたどり着き




その日のうちに自宅に着いたのでしたー\(^O^)/
足は完全に爪が4本血豆だらけになり、その一週間後ぐらいに爪が取れてしまったほどのダメージでした。
歩いた距離は30キロぐらいと思っていたのに、22キロ😅


▼道の途中で面白い物発見した動画もアップしちゃう
 昔は川を渡り歩いていたので、街道は川のなかでもある。
 そんな歩いて渡っていたところにある題目搭です。

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