伊勢に行きたい 伊勢路が見たい たとえ一生に一度でも♪
と伊勢音頭で唄われる伊勢神宮。あるいは伊勢神宮への道。
伊勢参りへの旅路が江戸時代の庶民にとっての最高の楽しみでした。
60年に一度「おかげ年」(伊勢神宮で遷宮のあった翌年)というものがあり、庶民たちが集団で伊勢参りに向かいました。おかげ参りといいます。
これが全国的に大ブレイク。
どのくらいブレイクしたかというと、お金を持たない低~い身分の人でも「ふっ」といなくなっては旅行の集団に混ざってしまう。
奉公人が仕事中に「ふっ」と居なくなっては旅行の集団に混ざってしまう。
これがいわゆる「ぬけ参り」ですが、非常に多かったようですね。
お金や米を道行く人から分けてもらうためのひしゃくと、野宿用のむしろを手渡されればどんな人でも伊勢参りができちゃうのです。
あと「お伊勢講」ってやつもありましたね。
講のメンバーでお金を出し合い、くじ引きをします。くじにあたった人が「講」を代表してお参りに行くそうです。当たった人は次にはくじを引く権利がなくなるため、いずれはその講のメンバー全員が伊勢に行くことができる仕組みだったという。
伊勢参りが大流行?そんなにお参りに行くのが楽しいのか?
・・・と、現代のわたしたちには簡単には理解できないことなのかもしれないです。
しかしそれを掘り下げていくうちに、あー、こりゃ道楽だなと(^^;わかってくるのです。
ワタシも最近になって、「伊勢参り」がおまけであることがわかってきました。
この川柳を知ってからです。
伊勢参り 大神宮にも ちょっと寄り
「伊勢参り」という名目で旅立つわけですが、主な目的は「物見遊山」です。
宿場宿場で名物を食べたり、男だけの旅路だったら宿場ごとに飯盛り女と遊んだり(・・・はないか。宿場ごとに遊んでたらあっという間に旅費がなくなりますがな(^^;)、名所と名高いところにはどんどん寄り道したりとか。
そういえば「東海道中膝栗毛」の野次さん喜多さんも伊勢参り目的で愉快な旅をしてました。
なんだ、
結局ワタシと似たようなものじゃん(^^;
今まで「伊勢参り する気もないのに 伊勢路行く」自分にちょっぴり罪悪感がありました。
信仰のためではなく、見学のためなのです。信仰をもって行く人たちに失礼じゃないかと・・・。
しかし違うのです。ワタシの旅は昔の人の軌跡。
昔の人と同じような思いで歩きたいわけなのです。
だったらおんなじだー・・・と落ち着きました。
というわけで、堂々と行こうではないか、伊勢路の続き!
で、12月のはじめに歩き始めた伊勢街道。
初回は四日市から鈴鹿駅の近くで終わりました。
2回目のワタシは一日20キロを目標に計画したのです。
しかも
箱根越え(32キロ)をした翌日に!・・・無謀です。
箱根を歩き終えたワタシはその足で、普通列車に乗って名古屋までやってきました。
当然庶民の旅ですから交通費をおさえるために18きっぷなのです。
なぜ名古屋にしたかというと、普通列車で無理なくいけそうな所、三重県にアクセスしやすい所だからでした。
何せ小田原─箱根─三島を何時に歩き終えるのか全く予想できなかったのです。
もしかしたら午後6時ぐらいになるのかもしれない。そーすると普通列車で行けそうなのは・・・と考えて名古屋にしました。(宿泊先は23時までの門限付き)
しかし、午後4時台に三島を出発できたので名古屋に着いたのは午後9時近く。意外と早かったです。
チェックインしてから荷物を整理したり、着替えがなくなるから洗濯したり、足にできたマメを安全ピンでつぶしたり Σ(゜д゜lll)している間に、あっという間に就寝時間でした。
翌日2011/12/31。世間は大晦日です。
ホテルの朝食までしっかり摂って7時過ぎに出発です(^^)
鈴鹿駅の続きから歩きました。
今日は羽目を外して「名物甘味の旅」をしちゃおうかと、最初から企んでおります。
「うっかり八兵衛 伊勢路を行く」をテーマに歩きます。
目指せ、
白子の「おはらぎ」!!
「御はら木」「大はら木」「小原木」・・・と様々な字がお店によってあてられてます。
クレープのような丸い薄皮にあんこが包まれて、ぺたんと二つ折りにされているお菓子です。
・・・と動機不純のまま歩きます。実は足、ものすごく痛いです。びっこ引きながら歩いてます。
何が痛いって脚も足も痛い。あちこちから筋肉痛やら謎の痛みやら皮膚の痛みが「ギャーー」と悲鳴を上げているのです。
でも朝のウチは元気に歩いてます。
さて、さすが伊勢街道。何にもないと思いきや、あらゆるところに道標があります。
ぜったい迷わないようになっているのです。これも民家の前にちゃんとどかされずに存在してます。
↑右 さんぐう道 と書かれています。
しかし、問題なのは歩く人です。この道標に書いてある文字が読めません(^_^;)
読み書きができないわけではないのだ。昔の達筆な字ではワタシは読めないのだ。
ワタシは決して歴史好きというわけじゃないのだ。←最近あやしくなってきたが
古文書みたいな字で書かれたって読めないモンは読めない。
なにが言いたいかというと
道しるべ 桐井の前では ただの石 。
・・・
迷うのです!。
地図を持っていても迷うのです!こんなんでよく東海道を制覇できたものだと、自分でも感心しきりです。
さて、大晦日の伊勢街道です。翌日は元旦。伊勢神宮はものすごい人出でありましょう。
そのような時にここを歩いているのは自分ぐらいなものです(^_^;)
肥田町、北玉垣町と歩きます。・・・あまり人に出会いません。
やがて東玉垣町に入り、人がわりといるところに来ました。
弥都加伎神社でした。
町内の人か氏子さんたちが集まって掃除やら支度やらしておりました。
なので邪魔しないで早々に立ち去ることに。
ところで弥都加伎神社。「みずがきじんじゃ」と読むそうです。知らなければワタシは絶対に読めません。
↓これは弥都加伎神社への道しるべ
伊勢街道でよく見かける「山ノ神」を祀ってあるもの。
さてさて、先述のように、脚が痛いワタシです。
広い道を地下歩道で渡るときにそれはモノスゴく実感します。
下りがキツいのです、昨日の筋肉痛で(T_T)
地下道へ降りていくときに「うぅ・・・」とうめき声をあげながら下ります。
しかし、反対に上りのときは元気です。だんだんハイになっていき、
「あははははー♪」
と笑って走りながら地上に出るワタシの姿は・・・・誰にも見られてなくて幸いでした(^^;
箱根の西坂のダメージは予想以上だったのでした。
しかもその後しっかり道まで間違え・・・メンタルダメージも・・・別にない!(゜∀゜)
軌道修正して歩きます。
北の端の地蔵堂↓
東海道を歩いていても、村の北の端に地蔵堂が建てられていることがよくありました。
「北の地蔵堂」というネーミングはあちこちに見られます。・・・今度調べてみようかな。
↑ああ・・・街道らしくていい雰囲気(うっとり)と一枚撮った写真ですな。
↑高札場跡もちゃんとありました。
さて、この辺りは白子です(^^)
おはらぎ買うだ~♪
とりあえず買った「おはらぎ」はこれ↓
年末の忙しい盛りの和菓子屋さんで、菓子
単品を買い求める、鬼のような客ですな。
他の和菓子屋さんでも↓こんなの買ってます♪
買ってからリュックにしまいこむので、葉っぱの包みがヨレヨレになってます。
最初は伊勢街道沿いの「おはらぎ」を全部買い込もうとしていたのですが、だんだん甘いものを食べたくなくなり・・・結局「おはらぎ」は最初に出会う「美鈴屋製菓舗」の「御はら木」を買ったのみとなりました。
さて、この後足が本格的に痛くなってきました。同時に気も遠くなっていき、あまり記憶が定かではありません。
しかもこの先、道があっち曲がりこっち曲がり・・・とダンジョン化していきます。
道しるべはあるものの、「ワタシは・・・どこ・・・?」状態になってます。
写真だけ並べてますが・・・かなり意識がもうろうとしていたと思います。足の裏の皮が剥けているかのような痛さです。
↑きれいだな・・・は憶えているのですが、どこかはさっぱり憶えておらず。
河芸の辺りで、「今日はもうリタイヤ」と足が言っていたので、最寄り駅に向かって歩きました。
1日20キロの目標はならず・・・15キロいきませんでした。
江姫ゆかりの「上野城」近く、「近鉄 豊津上野駅」でこの日の歩きはお終いにしました。そのまま津駅へ。
当初のこの日の目標は「津」駅まで歩くことで、津駅近辺にホテルを予約していたので、まっすぐホテルへ行くのでした。
世は大晦日で大盛り上がり。
ワタシはホテルの一室で夕方から大いびき。←寝てたのか
その後むっくり起き上がり、
津ぎょうざを求めて津駅近辺を徘徊するも、大晦日のためどこも閉店。
そのままホテルに帰って再び就寝しようとすると、すぐ隣から「ゴオォォォォン・・・」と除夜の鐘が鳴り始めました。
隣はお寺だったのです。そういえば夕方も時の鐘が鳴っていました。
こんな大晦日も、なかなかいいものです。
この日歩いたルートは以下のURLです(^^)地図をクリックしてください