増田カイロプラクティックの事務スタッフブログ

増田カイロプラクティックセンターの事務(雑務?)スタッフが発信する近況レポート。きまぐれ更新♪

藁科街道ちょっと歩き→洞慶院

2016-11-03 | 旧街道あるき
10月末に、どうしても散歩したくなった私は、下調べもしないで
「ふらっと旧藁科街道」歩きをしてみました。

とりあえず新静岡駅に降り立ち…どっちへ行くのだっけ?(^^;
しかも、昔はよく行った方面だったのに、年を取るとどうもダメである。
すっかり方向音痴。
無計画だと、タブレットのナビに助けてもらう回数が増えるので困ります。

結果的に歩いたところはこんなかんじ。

・・・たったの9km。

適当に歩いて安西橋を目指します。
適当にも、昔からのメインストリートをなるべく選びます。

安西橋渡ります。


安倍川ーー♪
そして木枯らしの森が見えます。
子どもの頃さんざん行った木枯らしの森ですが、歴史的にも有名だったと知ったのは、旧街道を歩き始めてからです。
清少納言が枕草子に書いているとか(諸説有り)、小野小町が歌を詠んだとか。
「人知れぬ 思い駿河の 国にこそ 身をこがらしの 森はありけり」小野小町
へぇぇ…なんか、熱い恋の歌・・・なのであろう(^^;

ほかにも古の歌人たちが歌にしたらしいです。
しかし木枯らしの森へは・・・今は行く気になりませんでしたのでパス。
興味ある人は川を渡っていきましょう。水の少ないところを選べばたどり着けます。
長靴がいいですヨ。
夏にゴムじょんじょん(ゴム草履)でもいいですけどね。

安西橋を渡り終え、まっすぐ行こうとした私を、
「旧街道歩き脳」がふと引き留めました。
たまにあるのですが、なんとなく脳内で
「まて、旧街道はこっちだよ」と教えてくれる
ときがあるのです。
いよいよ私もアブナイ人です(^^;あ、今更か

実際タブレット地図で見ると確かに「藁科街道」としっかり記してあった。

脇道に見えるけれど、こっちがメイン。

山崎の町並みをぐるっとまわって、また国道362号線に戻る。
またしばらく歩き、マックスバリュ羽鳥店を過ぎようとすると
「旧街道はいかにもこっち」という別れ道が目に付く。
自分の勘をたよりに、住宅街を歩き進むとありました。

街道沿いにこそある「道しるべ」。
しかも洞慶院への追分。
なのでここを曲がっていきます。

市街地からそんなに離れてはいないのですが、とっても懐かしい感じの町並みが続きます。
住宅街となっていても気持ちよく歩けます。
・・・ちょっと奇異な目で見られるときもありますが(^^;

順調に歩いて、あっという間につきました。
洞慶院。

梅の名所として有名です。
梅園からお寺まで、杉並木の参道があります。

風情がありますね。

お寺の門の前には小川をまたいで大きな四本杉があります。
その小川にかかる石橋も、やはり風情があります。

紅葉の時期にはきっと綺麗なのでしょう。

見学し終わって降りてきたときに、この石橋の近くの階段でみごとに滑ってコケました。

苔むした石段はアブナイです(@_@;
皆様もお気をつけください。

こけて左手を捻挫してしばらく動けなかったのですが、
痛みがマヒしているうちに農園カフェに行って
苺スムージーを飲んできました。
美味かったです
(ケガを早く治すために、その後は甘いものを断ちました・・・)

2013年12月30日 中山道はじめ(2)

2014-01-23 | 旧街道あるき
ヨロヨロと歩いていたワタシですが、ここで東京の友人が飛び入りで中山道歩きに参戦することに決まりました。
朝、東京駅に着いた時点で半年以上ぶりにメールで「今、東京駅」と送信したところ、家事を終えてから参加してくれることになったのでした。
こんな年末にさぞかし忙しいと思って連絡するのを遠慮してたのに・・・ヒマだったのかもしんない。
というよりは、足の不具合を抱えるワタシを心配してきてくれたのです(違うかもしれないがそういうことにしておこう)。
巣鴨あたりで合流する予定になりました。

そんなやり取りをメールで交わしながら、マイペースにヒョコヒョコびっこ引きながら東大前を通ります。


カシャカシャ撮影していたら、そこを通りがかった他の人も撮影をしはじめて、東大の守衛さんが
「どうぞ、中はご自由に入れますよ-」
と、旅の者を温かく東大の構内に招いてくれましたが、あいにく先を急ぐ旅ゆえ、ワタシは通り過ぎることに。

東大は元々加賀藩のお屋敷でした。
すんごく広い敷地です。さっすが加賀藩です。
赤門は11代将軍家斉の娘溶姫が、加賀藩13代藩主前田斉泰に嫁ぐときに建てられました。
それが今も現役で大学の門として使われているとは・・・何とも粋な話です。

それからちょいと歩くと、本郷の追分です。
ここで中山道と日光街道の脇道「日光御成街道(にっこうおなりかいどう)」と分かれます。

そんでもってここは一里塚が建っていたところです。

もう足が悲鳴を上げ始めているというのに、まだ一里しか進んでいないことに気づく_| ̄|○
とにかくヒョコヒョコと足を進めます。
本郷の通りをひたすら進んでいると、なんとか友人と合流。
ここからは、さながら弥次喜多道中となりました。

巣鴨駅を通り過ぎると、こんな説明板が。
中山道には種屋さんが多いのですが、その理由が書かれていました。
旅人が弁当を食べるのに、農家の軒先を使わせて貰うことがありました。
その農家が作っている野菜を見ると、自分の故郷では見かけたことのない野菜があるのです。
旅人はその野菜を故郷で栽培したいので、農家の人に種を譲ってもらいました。
そうして種を販売することを副業とする農家が増えていき、中山道は「タネ屋街道」と言ってもいいほど種苗店が増えたのだとか。



さて、巣鴨商店街に入る前にあるのが、
江戸六地蔵
のうちの一つ、「真性寺」です。
東海道・奥州街道・甲州街道・中山道・水戸街道・千葉街道という六つの街道沿いの、江戸の出入り口に一体ずつ大きな地蔵菩薩の像が建てられました。
ただし6番目、千葉街道沿いの永代寺には現存していないのだそうです。


中山道は「おばあちゃん達の原宿」とも称される巣鴨商店街に入ります。


多くの人が休日となっていますから、大賑わいです。


もちろん、とげぬき地蔵でおなじみの高岩寺にも立ち寄りました。
んが、煙でゲホゲホになってしまってワタシはパス(^^;


参拝に来た人々を、煙に届かないところから遠巻きに見るワタシ・・・。




吉良上野介の家臣、小林平八郎の墓がある慈眼寺(近くにあるらしい)の説明。
ワタシは前々から忠臣蔵に疑問を持っているので、吉良様びいきである。
ドラマの中で小林平八郎がどう扱われているか知らない(ものすごく勇敢に戦った家臣として描かれていると噂に聞くのだが、なんせ観たことない)が、赤穂浪士に捕らえられ、吉良上野介の居所を言えと迫られ「下々の者ゆえ、存じません」と答えたために即刻首をはねられてしまった、運のない家臣です。同じシチュエーションでもジョークで乗り切った家臣もいる・・・。
でも寝込みを襲われた吉良邸側の家臣としては精一杯時間稼ぎのためにがんばりました。
時間稼げなかったけど(T-T)


さて、なおも巣鴨商店街をすすみます。
途中に杖を売っているお店があったので本気で購入しようかと見ていたら、友人にちょっぴり笑われたのでヤセ我慢。

く、くそぅ…

そして巣鴨郵便局前のポストにおわす、このお方は・・・・





すがもん

各地いろんなイメージキャラクターだらけで、さすがにおぼえらんないです。
しかしこのキャラクターグッズのラインナップを見ると「さすが巣鴨!」と感動します。
赤パン・・・(^^;


大して歩いていないのに腹だけは減るというワタシは、この辺りから「お腹すいた」を連発。
食事 鮮」という定食屋に入ります(^^)

三色どーーん!!これで880円は安い!(三色丼はおそらくその日によってネタがちがう)
歩いているときにあまり米の飯は入れたくないのだが、あまりにウマソーなのと空腹には勝てませんでした。
かなりボリュームがあります。美味でした♪ごちそうさま。

この辺りには庚申塚があります。(写真なしです)
かなり有名な庚申塚なので、庚申待ちの日にはさぞかし賑やかだったことがうかがい知れます。
庚申待ちというのは、庚申信仰の行事といえばいいのかな。庚申講ともいいます。
道教の三尸説(さんしせつ)に基づいた民間信仰です。
・・・
う……庚申待ちに関して説明しようとすると、どの言葉も解説が要るじゃんか。
【三尸】人は生まれながらに、体内に三つの「虫」を持っている。(道士の姿の「上尸」、獣の姿の「中尸」、牛頭に人の身体を持つ「下尸」。いずれも二寸足らず)
庚申の日(60日に1度。年間6回)に眠るとこの三尸が身体から出ていき、宿主の悪い行いを天帝(閻魔大王の場合もある)に告げ口してしまい、寿命を縮められたりえんま帳に書かれてしまう。
【庚申待ち】よって庚申の日は眠らずに過ごせるよう、なるべく寄り集まって夜を徹して過ごす。これが庚申待ち、あるいは庚申講。
酒が持ち込まれ、宴会状態になることが多かったようですが、本来はカフェインのあるお茶を飲んで、太鼓を叩いたり賑やかにして過ごすという宴会です。
庚申塔や庚申塚は、三年間(18回)庚申講を行いつづけた記念に建てられることが多かったそうです。

・・・あ、誰も付いてきてないデショ(^^;
これは板橋区の庚申塔↓


そういえば、いつの間にか板橋宿に突入です。
この辺り、かなり足が痛んできたのでヨユーがなさ過ぎです。
写真も撮らずにひたすら突き進んでおります(ただし足取りはものすごく重い)

板橋宿不動通り商店街のイメージキャラクターはウサギの「ラッピー」だそうです。ハッピーとかけた名前なのだそうだ。幸せウサギのラッピー♪・・・といったところであろうか(^^;
今でも商店街の名前に「板橋宿」と入っているのが好感もてます。




←板橋
どうでもいい感が漂い続ける写真(^^;

板橋を渡って少し歩けば「縁切り榎」です。

ここにはかつて大きな榎があって、その下を通ると縁遠くなるとおそれられていたようです。
それを利用するかのように、その大榎の皮を剥いで煎じて飲むと別れたい相手と別れることができる、と評判になりました。
今は何代目かの榎が立っています。
つい鈴なりになって掛けられている絵馬たちをちょっと見てしまいました(^^;
すると病魔と別れたい人や、いやがらせをする人間と離れたい人などの切なる願いが書かれていて、桐井はちょっぴり切なくなりました。
また、真剣にお参りしている人がいらっしゃったので、写真は遠慮しました。
ここでトイレ休憩。トイレから出れば写真撮れるかなーと思っていたのですが、真剣にお参りしている人はそんなにアッサリ帰りませんので、無粋な旅人たちは遠慮しました。
縁談に関係ないワタシを含むこの2人は縁切り榎をおそれなかったが、重ね々々の無礼な行動をお許しください・・・。

こうして旅をしていると、東京はかなり昔のものを大切に残している土地ということがわかります。
東海道とはちがって少ーしマイナーな道であることも手伝って、運良く残っていたりするのです。
一里塚さえも残っています↓(志村の一里塚)


しかも道の両脇です!!(@_@;)コーフンしすぎである
つい鼻息荒くなってしまいました。
しかしここで足が限界。休憩5分。

やっぱり巣鴨で杖買うべきだったよ・・・_| ̄|○

この後ちょっぴり坂道に入ります。

といっても下り坂です。ちょっぴり急坂ですが、住宅街です。
ここからは昔は「右富士」が見られたらしいです。富士山ビューポイントですね♪
中山道ではいつも左に富士山が見えていたのに、ここでは角度の違いで道の右手に富士山が見える。
「中山道で右に富士山が見られるとは!」と有名になったポイントであるのですね。
東海道ではいつも右に富士山が見られるため、「左富士」が有名です。
この清水坂。昔は難所だったらしいですが、現在はらくに坂を下れます(上りも同じ)。
ただし、ワタシには今は難所です・・・。せめて荒川は越えたいので、限界越えてますがなんとか歩きます。

どうにかこーにか戸田の渡し付近(板橋側)です。


これは板碑といい、石で作られた卒塔婆なのだそうです。
卒塔婆らしく薄っぺらいのです。親の供養や、自分の後生供養を目的に作られたらしく、この辺りで見つかったものを集めて祀ってあります。

さて、びっこひきながら荒川を越えるのです。


越えてから、ついに友人から歩くのストップ命令が下されました。
自分ではなかなか諦めきれずに止められませんでした・・・スマン。

しかし荒川を越えた今、最寄り駅の「戸田公園駅」まではまだ歩かねばならずですね・・・
・・・ふぅ~・・・

夕焼けに染まり始めた戸田の町に見とれている場合ではなかった(^^;

やっとこせ戸田公園駅に到着です。
ここからゴール予定だった浦和駅までいかなくてはならないのだが、乗換につぐ乗換と聞き・・・
_| ̄|○←状態になるワタシ

だけど戸田公園駅ホームから遙か遠くに見える富士山を撮るなど、
ちょっぴり余裕ヾ(゜ω゜)ノ゛←オイ
健脚な恰好をしているために優先席には座れず、とりあえず武蔵浦和駅まで行き、ワタシの足の状態を見定めた友人の案によりタクシーで予約したホテルまで行くことにしました。
ホテルまで送ってくれた心優しき友に感謝しつつ、中山道の一日目を終えました。
心からありがとうございます。

浦和宿どころか蕨宿までも到達できなかったが、最初から「無理しない旅」だったので、こんな時もあります。(十分無理してしまったかもしれないが)
もし次の日も歩けそうなら、続きを歩いてから静岡に戻ろうと思って浦和のホテルを取ったのですが、それはさすがに無理でした。
中山道の二日目はいつになるやら・・・。
東海道のときは毎週木曜日が来る度に歩いていたときもありましたが、さすがに今は体力的に無理というのは自覚してます。
まぁ、ボチボチ行きます。

歩いた距離は以下の通り(18キロ+α)でした。
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2013年12月30日 中山道はじめ(1)

2014-01-16 | 旧街道あるき
2013年の自分のプライベート目標は「中山道はじめる!」だったのになかなか始められずに年末へ突入してしまいました。
なので年末年始休暇の1日目を使って最後のあがき。
何が何でも中山道を2013年中に始める
これを強行突破でした(^^;

当初立てた目標としては
日本橋~板橋宿~蕨宿~浦和宿(約24キロ)
いつも連休の時の歩きは30キロ以上歩くので、だいぶ控えめに、楽勝なくらいの距離を組んだ・・・
つもりでしたが、
ちょいと10月から踵の不具合がありまして(歩き過ぎと、自分で色々無理しすぎだったらしい)。
もちろん身体の声(「何事も今は無理すんな!」と怒られ中)なので、そこはおとなしく聴かなくてはならないわけでして。
「果たして歩けるのか?」「大都会で立ち往生かも・・・」
と、ドキドキな感じで始まった連休一日目なのでした。
まずは年末恒例、18きっぷで目的地まで東海道本線の旅。
(←東海道線車窓から。朝日の昇る前の海@神奈川県)
当然、5:05東静岡駅発の、始発列車に乗り込みます。
上りは東静岡駅があるので楽ちんです♪
(西に行くときの始発は5:01静岡駅発なので自宅出発が4:20、有料自転車置き場も開いていないので苦労する)

8時30ぐらいに東京駅到着。お腹が空いたので駅構内で朝ご飯の予定だったのですが、どこも行列なのでやめて歩くことにする・・・が、駅構内でトイレやらウロウロしていたので、30分のロス(^^;
まずは、目指せ、日本橋!
ワタシという人間は都会が苦手なので東京は全く土地勘がない。
おまけに方向音痴である<(`^´)>←威張んな
よって東京駅から日本橋まで歩くのにまず苦労する。
うろうろ・・・・うろうろ・・・・ヨロヨロ・・・

←あった!!

無事に辿りついた!(TдT)←ちと迷った

・・・って、まだスタート地点ですから!

初っぱなからこれでよいものだろうか・・・

日本橋は五街道の出発点です!・・・て、あれ?自分は五街道ちゃんと言えるのだろうか。
東海道、中山道、奥州街道・・・・甲州街道(あやしくなってきた)・・・・日光街道!!
・・・あってる?(^^; ↓正解はこちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/五街道
で、とりあえず日本橋をウロウロ見学です。



しまった、遊びすぎた!
とっとと中山道始めなくてはいけなかった。

歩き始めるとまずは
おなじみ三越デパート!
松阪の豪商、三井家の越後屋は江戸時代すでにトップブランド。粋な人は「越後屋」で仕立てる
「現金掛け値なし」の画期的な商法!
※掛け値というのは、今でいう「ボーナス払い」のような、年二回の集金で商品を売るため、回収不能になったり少ししか集金できなかったりというリスクがあった。よってそのリスクを回避するために実際の金額より高く値段を設定すること。
越後屋はその場で現金取引するため、その上乗せ分を設定しなくて済むので普通より安価で商取引ができる。

急いでいる人はその場ですぐに着物を仕立てられる「仕立て売り」、一反ではなく客に応じて反物の一部を売る「切り売り」もして評判を得ていました。
このあと、カフェを見つけてちと休憩(お腹空いてた)。
東京駅は大混雑でしたが、道ばたにあるカフェはどこもガラ空きでした。
とりあえずちょっとお腹に入れたらまた歩き始めます。


あさひ銀行前にある「十軒店跡」の説明板

五代将軍綱吉が、京都の雛人形師10人を江戸に招いて、その人数分の長屋を与えたのが始まり。
人形を売る店が十軒あり、大賑わいだったが明治以降急速に衰えてしまったとのこと。
・・・と書きながら、増田先生に教えて貰ったこの地図を開く↓
東京時代MAP―大江戸編 (Time trip map-現代地図と歴史地図を重ねた新発想の地図-)
新創社
光村推古書院
おぉぉ、ホントだ、十軒店が古い地図のほうには描かれている!(@_@;)



おつぎは今川橋跡
銅板に刻まれているので、こう日が当たったり影ができたりしていてはまったく読めませんね(^^;

今川橋由来碑
今川橋が神田堀(別名神田八丁堀・龍閑川)に架設されたのは天和年間(1681-83)との記録があります。橋名の由来は、当時の名主今川氏の尽力により架けられたのでその名が残りました。この橋は日本橋から中山道に通ずる重要な橋でもありました。
神田堀は現在の千代田区神田・中央区日本橋地域の境を流れ、その役割は非常に大きく当時の運輸手段の主流でもありました。
昭和25年(1950)龍閑川は埋め立てられ三百年近く慣れ親しんだ今川橋も撤去され、現在はその面影もありません。
左図の絵図は江戸次第末期頃の界隈風景です。この橋辺には陶磁器をあきなう商家が立ち並び、大層賑わったといいます。
平成四年四月吉日
と書かれていたのです。
東京も江戸だった頃の遺構があちこちにあって大変楽しいです(^^)♪


ここにも坂の説明がありました。
淡路坂
この坂を淡路坂といいます。この坂には、相生坂、大坂、一口坂などの別名もあります。坂上には太田姫稲荷、道を挟んで鈴木淡路守の屋敷があり、これが町名・坂名の由来といわれます。一口坂は、太田姫稲荷が一口稲荷と称したためです。

昌平橋を渡って
湯島聖堂を通り過ぎて

神田明神に、ヒョコヒョコと立ち寄ります。

なんとなく平将門びいきなので(^^;


しかし、年末でごったがえしていたのですぐに出てきてしまいました。
写真を見るとガラ空きのように見えますが、ワタシがカメラを構えているところに限って人がたくさんウロウロしていたので、いたたまれなくなって出てきたというのが正しいところですが(^^;
年末はどこも忙しいからねー。
混雑が苦手な人は年末年始は特に、神社仏閣は気をつけないとイケマセン。
老舗の甘酒屋「天野屋」で、娘へのお土産をゲット。
甘酒飲みたいけれど踵が痛くなるのはカンベンなので我慢です。

このあたりで既に疲れて休憩が多くなってきました。
写真も「どうでもいい」感がただよってますね。露光とか、アングルとか、まったく考える余裕がないという。

果たして自分は、この日のうちに浦和宿へは辿り着けるのかっ?

次回へつづく(^^;

連休いただきまーす♪

2013-10-29 | 旧街道あるき
今日は半日(夕方まで勤務のこと)。
明日、明後日は休診とさせていただいております。

こんな時、いつもワタシは歩き旅。

今回はですねー・・・・・






決算終わってないので歩きに行きません!(T-T)

あぅ~~セミナー期間中&毎週水曜日にがんばって居残りしたけど終わらなかったです
(寝オチが悪いのでは?という、自己分析もあります)


ワタシのもくろみとして、今回のこの連休が来るまでに決算を終了させて、
いきなり歩きに行く!
・・・という密やかな野望が何とな~くあったのですが、自分の仕事の遅さのためにシャボン玉のようにはじけて消えました。

で、その分JAZZライブ行って、ハジケて発散させていたのですよね、ぇぇ。


今歩きたいのはどこかというと、色々あります。

 ●久能街道を伝馬町から清水まで制覇する
 ●中山道始めたくてウズウズ
 ●どうせだから前回の続きで、水口から京都まで歩く、又はその先の大阪まで行って、東海道五十七次を完成させる
 ●身延道なんぞも気になってみる

ちなみに前回9月の連休は、まだ夏で消耗した体力が戻ってこなかったために歩くのをやめ、娘とともに
 大津 重要文化財の旅~台風18号の爪痕を残す大津を歩く~
だったのですが、気が向いたら写真とともに、そのうちアップします。

さーて、休憩終わり!
お仕事に戻りまーす♪

久能山東照宮 参道にみちしるべが!

2013-08-01 | 旧街道あるき
静岡法人会の特別会報・・・でいいのかな、
久能山東照宮表参道みちしるべ
プロジェクト報告書

というパンフレットが、法人会から届きました。
静岡法人会の人たちが「久能山東照宮の参道」である1159段の石段、そして門前市も活気づけようという計画があったことを、このパンフレットで初めて知りました。
・・・すみません。寄付を募っていたかもしれないのですが、いつも会報をろくに読まずにいるので気づきませんでした(^^;
久能山と久能街道を溺愛する桐井としては、大興奮!!(*゜∀゜)=3

これは参道を盛り上げるために、
「210/1159段」「280/1159段」「340/1159段」・・・・「1,068/1159段」と、
【今ここ】レベルを表示してくれる、ありがたい道しるべプレートを石段の手すり部分に設置してくれたのです。

やるじゃん!静岡法人会!!

私はスキを見てはすぐ久能山に行きたがります。

↑2011年7月久能街道(静岡市葵区伝馬町→久能街道→久能山東照宮)

  
  
←↑ 5月下旬 
小鹿→大谷街道
→久能街道→久能山東照宮の旅


  
 
↑7月中旬 自転車で久能山まで行き、のぼって下りてくるだけの散歩

「道しるべはいつから設置されているのだろう、ついこの間、5月と7月中旬に登ったときは気づかなかったなぁ・・・」
と思いながらパンフレットを見ていると、既に3月末には既に設置されていたことが書かれていました。

あ、あれぇ?
二回とも気づいてないって事じゃん、ワタシ_| ̄|○

これは、もう一度確かめてみなくてはいけません!!
というわけで、先日体力的に余裕があったときに行きました。
(患者様は暑いこの時期、このような無理をしてはイケマセン)

大谷のキミサワ・グラッテから始め、旧久能街道を歩きました(←大馬鹿者ですのでくれぐれもマネしないでください)
ワタシの夏の装備はただ者ではありません。
帽子はこれ↓
モンベル クール デタッチャブル サンブロックバイザー カラー/サイズ:BASM
モンベル
モンベル

アームカバーは以下を参照
https://www.sasawashi.com/onlineshop/products/detail.php?product_id=94
そしてクールバンダナ
ひんやりネック クールバンダナ しろくまのきもち 水玉ブルー
株式会社ビッグウイング
株式会社ビッグウイング

ボトムズは絶対にくるぶしを見せません。
肌を直射日光に絶対当てないようにして歩きます。
そしてリュックの片方の脇ポケットにはお茶、ズボンのポケットには粒岩塩。
リュックのもう片方の脇ポケットには水。これは服を濡らしたりアームカバーをビショビショに濡らすために飲まずにとっておきます。

それでも茹だりながら、久能山下に到着です。
ここの石橋旅館で苺生ジュースを飲みたいところです。

いや、ガマンします(`^´;)

 
さて、のぼります!
あ、ありました!

まず、気づいた一個目。あ、もうすでに210段目のやつとばしました(^^;どこにあったんだー


はい、次ー。

もう410段目で息があがってます。最近身体がなまってます。
410段目からの階段風景(下)を撮ってみます。

ここでフィルムが切れた。
・・・・・
・・・・・・・・・・あ

・・・・フィルムの予備を持ってくるのを忘れた_| ̄|○

いつもならこのまま構わず上へ行くのですが、今回は道しるべを確認するために来たのです。
フィルムは必要なのです!!!!


下に下りてきました(^^;
ローソンでフィルムをゲットし、気を取り直してもー1回!!


↑ほいっ210段!

キレイな落ち葉♪←まだまだ余裕らしい

そして一気にさっきの410段まで来ました。
その上の様子↓


そして600段♪↓


そこからの景色


ぜぇぜぇ・・・700段↓


そこからの景色


心臓バクバク・・・790段↓

そこからの景色~♪↓


そしてようやく一の門、909段!↓


↓このポイント、いつも必ず撮影しちゃいます。


このあと、プレートは見つからなかったけど、1068段が博物館の所にあるようです。

とりあえず休憩~。

今回は東照宮見学します。
なにせこれがあるから↓

ここで1159段です♪

あとは適当に見学して(真面目に見学しろ)





↑この奥の神廟まで行ってきました。

下りてくるときにキレイな虫、めっけ!

極彩色の東照宮にお似合いな極彩色のこの虫、ハンミョウという昆虫らしいです。


下りてくるのはあっという間ですね(^^)

下りたら苺生ジュースを飲んで帰ろうかと思ってましたが、夕方5時を過ぎてしまったのでお店は終わっていたのでした_| ̄|○

1時間に1本のバスにも時間が合わず、そのまま歩いて帰りました。

さてプレートですが、プレートを意識して上れば何処にあるかわかるのですが、普段のワタシの目線では絶対に目に入らないところに設置してありました。
石段というのは大変気をつけて上らないとイケナイものです。
ですから足を何処に着地させるか、次の足はここ、次の足はここ・・・・とワタシの悪い目と頭を総動員しないと石段を1156段のぼるというのはなかなかできません。
つまり目線は自分の足もとへ常に行っているわけです。
しかしプレートは上を見上げないと見えないところにあります。
う~~ん、ここで上を見上げる・・・人も確かにいるかもしれないからいいんだけど、ワタシだったらここで見上げると疲れるから見ないよなぁ。

目を上げるのは景色の良いところだけです。
足を止めて、駿河湾を見渡すときだけ。
プレートは、気づく人はどれくらい居るかなぁ・・・と早速心配してみたり(^^;

でも、この道しるべを機会に久能山の表参道がもっと盛り上がればいいなぁと願わずにはいられません。
静岡法人会 久能山東照宮表参道みちしるべプロジェクトのみなさん、お疲れさま。ありがとうございます!


5月の二連休は

2013-05-27 | 旧街道あるき
※記事のTOP写真はこの日歩いた歩数。今までの新記録♪単に歩幅が狭いともいう。
さて、他に二連休の過ごし方を知らないのかと言われると・・・
その通りでございます。
と答えるしかない私です。

しかも
  • 東海道はとっくに歩き終えた
  • 伊勢街道も歩き終えちゃった
  • 伊勢別街道と香良洲道も(2012年末に)歩き終えちゃった
    そんな私が次に歩くとしたら・・・

    熊野古道
    のわけはありません(^^;
    かなり険しい道を一人で歩く勇気は今のところないです。

    かといって中山道も、準備万端なのですが今のところ臆病風が吹いていて気乗りせず、現在完全なるチキン街道まっしぐらです。

    しかし二連休♪
    やっぱり歩きたい(^^)
    峠を含めて旧街道を歩きたい(´▽`)

    それで決めたのは、東海道歩きをしていたときに雨に見舞われて苦労したコース、

    関宿~坂下宿~鈴鹿峠~土山宿~水口宿
      ← 三重県 │ 滋賀県→


    なのでした。
    5/14(火)のうちに三重県亀山市に移動して一泊。翌日朝から17時まで歩いた楽しい東海道復習の旅です(^^)
    よかったらフォトチャンネル見ていってください。
    あ、その前に!
    5/15(水)に歩いたルートは以下の通り。32.2kmでした(^^)


     ↓クリックしてフォトチャンネルに飛んだほうが見やすいと思います。

  • 【伊勢別街道の旅】2012年大晦日の歩き

    2013-05-06 | 旧街道あるき
    まあ、記事をまとめる気力が無かったとも言う~(^^;

    さて、昨年の大晦日。それは年末年始休みの第一日目なのであります!
    2012/12/30その年最後の仕事を終えて、やっぱりそのまま東海道本線に乗り込んで行きました。

    東静岡→掛川(乗換)→豊橋(乗換)→名古屋
    と、いつもの感じで在来線の旅。30日は名古屋で一泊。
    ・・・乗り鉄の旅ではなく、歩くための旅なのだということを忘れかけ~(^^;

    名古屋のスーパーホテルはちょうど一年前にも宿泊した。
    たしか、何故だかほとんど眠れなくて、目の下に濃いクマをつけながら移動したのをおぼえている。
    今回のスーパーホテル名古屋駅前はどうだったかというと・・・

    やっぱり眠れなかったのです(@_@;)←目が大変なことになっている
    一晩中「う~~ん・・・リセッシュくせぇ・・・」とうなされていたら朝が来てしまったのでありました。
    部屋に備え付けられている臭い消しのリセッシュは、ご宿泊の皆様が使用されているのでありましょう。プラズマクラスターイオンの空気清浄機を全開でつけていたのに、ダメでした。
    でも、いつも羽毛布団を撤去してくれるので、大変ありがたいのです。
    感謝してます♪お世話になりました>スーパーホテル名古屋駅前さま

    さて、31の朝は朝食の時間前に出発。5:50に名古屋駅
    近鉄の鳥羽行の列車に乗って津まで。
    前回の旅の続きなのです。
    香良洲道→津→伊勢別街道
     
    ということですな。
    だから津駅からバスで香良洲神社まで行かなくては、この日のスタート地点に立てません。
    香良洲行きのバス、始発が7:15(大晦日なので休日ダイヤ)なのです。それに合わせての移動でした。

    年末の仕事でかなり体力的にムリがあったのを自覚していましたから、この歩きには決して無理をしないと自分でも決めて(斉藤先生からも念を押されたのでなおさら)途中はバスを利用することを決めました。
    次の日も休日なので、別に全行程歩いても構わないと言えば構わないのですが・・・なにしろ大晦日です。そしてゴールは関宿です。
    さらに、ゴールの時点でかなり腹減りモードであることは間違いアリマセン。
    ここで夕方5時までにゴールしないと、全ての店が閉まるであろうことは確かな事実なのです!!
    さて、始発のバスに乗って香良洲に着くと・・・時刻は7:48。なんと、バスで30分以上の場所でありました(^^;
    ここで私の頭は時間を計算し始めました。
    全行程32キロ。歩くとしたら私の足では軽~く11時間!きっと急いでも10時間!
    ゴールでの食事はぜったい無理!
    ・・・・途中はバスでワープしよう(あきらめ)
    と、最初からワープモードで歩き始めです。

    まずは香良洲についたら海!前回の旅では帰りを急いでいたので海を見ていないのだ。
    海ーーーーっ!

    犬の散歩の人だけがいる冬の海の朝である。ハッキリ言ってさぶい!
    寒いのでさっさと歩き始めます。

    まずは香良洲神社です。
    はいっ。見学終わり!←入口だけ見学(^^;


    道しるべ。
    下半分が埋まっているのか、下半分が消失しているのかはわかりませんでした。
    ちゃっちゃと歩くだ。朝から民家の犬たちに吠えられまくっている(よそ者臭がするのだろうな(^^;)が、構わず歩くだ。

    ここはかつての香良洲大橋のあった場所なのですね。

    前回見た常夜燈やら道しるべ。

    かなりの急ぎ足です。でも・・・あまり思うように進みません。
    強風が吹いていて、さぶいのです!!(*T^T)←鼻水ずるずる
    どのくらい強風なのかというと・・・

    ↑旗がこんなになるぐらいの強風なのです!
    ということを証明するためにフィルム一枚をムダにする私でした。
    デジカメでは「ムダ感」というものが消失しましたが、私はフィルムカメラなのでものすごくムダなことをやっています(^^;失敗したりとか、失敗したりとか・・・あと失敗したりとか。


    とりあえず、香良洲道の遺構いろいろ
    香良洲道は、昔の道が無くなっているところがほとんどです。
    なので、無くなっている場所からバスでワープしました。

    ↑香良洲神社からバスに乗るまで。

    バスで津駅までやってきました。
    本当は香良洲道と伊勢街道との追分ぐらいは来るべきなのですが
    ・・・戻るのめんどい

    というわけで、津駅から再び歩き始めました。もう香良洲道は終わってしまっているので、伊勢街道(伊勢参宮道)を歩いています。
    江戸橋の追分。
    ここから伊勢街道と伊勢別街道に分かれます♪
    こっちは伊勢街道


    そして、こっちが伊勢別街道です。伊勢別街道を行きます。



    でっかい寺の屋根が見えてきたので、なんとなく寄り道してみました。

    真宗高田派本山専修寺でした。

    大きな休憩所がついていたので、厚かましくも休憩させていただきました。
    感謝です。


    松尾芭蕉の門人、浜田珍頭が読んだものらしいです。
    「千部読む 花の盛りの 一身田」専修寺の「千部法会」に集まる男女を詠んだものとか。

    さあ、続きを歩きます。

    大きい常夜燈が見えてきました。


    空が青い・・・。



    説明も載せておこうっと

    銭掛松の石柱。
    昔、病気になって伊勢参りできなくなった参宮者が、引き返すときにここにあった松に銭を結びつけ、松を拝んで立ち去った。別の人がその銭を取ろうとすると、銭が蛇に化けて襲いかかったという伝説があるそうな。
    それで、この松に銭をかけると参宮と同じぐらいの御利益があると謂われていたとのこと。


    街道っぽい道特集。


    田んぼばかりの畷っぽいところにさしかかり、特に見るものもなく、のどかな風景が続く。

    のどか~。

    椿なんぞ撮ってみたり。(寒くて気が遠くなっていたかもしれない)

    伊勢別街道講札博物館
    角屋という旅籠だったところで、昔の伊勢講の札が、当時のように掲げられている。





    駒越五良八が私財を投げ打ってつくった人工の貯水池、横山池。


    昼抜きで歩いているので、色々と気が散っているらしい(^^;


    道しるべが見えてくると、ちょっとやる気がおきます。

    また、街道を撮る


    かなり関宿は近くなってきているのですが、お腹が空いてあまり足が進みませんでした。
    「おなかすいたー」という独り言が増えていく←アブナイ中年女が一人歩いていく
    そして写真も減っていく・・・。

    道の向こうに見える、おそらく庚申塚。


    ここには昔、大きな松があったらしい。↓こんな感じ



    真冬で、耳にはモッコモッコの耳当てをつけているのですが、このあたりの風は非常に強くかつ冷たく、やわな静岡人の身体を容赦なく攻撃します。
    「寒い・・・ハラヘッタ・・・」
    という独り言が5歩に1回出てきます(^^;
    あと眠気が来れば、かなりヤバいです。
    時刻は午後4時30分を過ぎました。午後5時までに関に着かないとマズイです。

    そんな飢えたワタシの目に、いきなり現れたのは坂道。
    「腹減っているうえに坂道はキツイよう~」と泣きそうになったところへかすかに見えたのは、

    鳥居です。
    あの鳥居はゴールの関宿にある、東の追分です!!

    はらへったー!!!
    と小さく叫びながら一気に坂道をのぼり、ついに関宿へ着きました。




    というわけで、関の地蔵院まで一気に来ました。

    ここでやっとごはんにありつけます♪

    会津屋という旅籠を営んでいたところが、今はお食事処を営んでいます。関の小萬はここで生まれ、働いていたという伝説があります。
    名物は、山菜おこわと街道蕎麦。餓鬼と化した私は両方食べたかったので、両方入っているお薦め定食1400円にしました♪
    しかし大晦日でしたので、山菜おこわが赤飯に替わっていました。それでもいい(^^)
    夢中で食べたので、写真は撮ってません(^^;

    そして大満足でお店を出て、静岡まで18きっぷで帰ってきました。
    帰宅後、しっかり年越し蕎麦を食べたのは、言うまでもありません。

    バスでワープ後の歩いたところは以下の通りです。

    【伊勢神宮~香良洲神社】2012年9月の歩き旅 その2

    2012-12-29 | 旧街道あるき
    前記事はこちら→【伊勢神宮~香良洲神社】2012年9月の歩き旅 その1

    お気に入りのホテルというのは誰しもあるものではないでしょうか。
    私もあります(^^)
    ホテルルートインはよく眠れます。最近は宿泊しようとする近辺にルートインがあれば、まずはそこを選びます。
    もちろん大浴場があるからなのですが、ルートインなら「ケミカル臭で安眠できない」ということが今のところありません。(ご注意:感じ方には個人差があります)
    駅からちょっと離れていようと、ちょっとどころか1kmほど歩こうとも!!まずはルートイン♪
    で、Pontaカードも作っちゃいました(^^;
    そんな具合に安眠できる「ホテルルートイン松阪駅東」での朝は・・・・

    寝坊しました_| ̄|○←ぐっすり安眠しすぎ
    朝目覚めたら6時をまわっていて、ものすごーくビックリしました(@_@;)
    4時半に起きて(遅くとも5時)寝癖をなおし、5時すぎにもう一度朝風呂入って、余裕で支度をしてから朝食会場に行こうと計画していたのに・・・。
    しかし仕方がないのです。前日の疲れが相当出ていたのでした。
    朝食食べたらすぐに出発です。

    2012/09/20 この日は夕方までに静岡に帰らなくてはならない用事があったため、香良洲神社をゴールとしました。
    前日は伊勢参宮道を引き返す道。今日は途中から香良洲道に入って香良洲神社へ行く旅です。

    「お伊勢参りをして香良洲に参らぬは片参宮」

    昔からそう言われていたほど、香良洲神社へいくのは伊勢参りには欠かせなかったことでした。
    ならば行かねばなるまい香良洲道。

    そして松阪から歩き始めました。今回は「前回見逃したものはしっかり見る」を目的に。しかし時間がない場合は省く、を自分ルールで決めました。


    この角を右に曲がってしばらく行けば「忘れ井」。前回見逃したのです。


    斎王群行に同行した官女、甲斐の詠んだ歌が石に刻まれている。
    「別れゆく 都の方の恋しきに いざ結びみむ忘井の水」
    これを読んで悲しいと思う人も当然おられますが、私は仕事に対する決意と、勿論寂しいけど気持ちを切り替える(切り替えなければやっていけないのかもしれないけど)ためにこの井戸の水を飲むという、女性の強さを感じてしまうのです。
    ・・・私がずれてますかね~やっぱり(^^;
    この井戸の近くに高齢の女性が2人話し込んでいました。
    見学と撮影のためにお邪魔してしまいましたが、
    「どこから来たの?」と聞かれてから、いつものごとく私も話し込んでしまいました(^^;
    地元の人とほんの少しふれあうことの出来るという、嬉しいひとときです。

    そしてまた急ぎ足で伊勢参宮道を歩きます。

    三渡川には初瀬街道との追分の道標があります。


    香良洲道への追分です!!
    しかしまだここでは曲がりません。
    香良洲道への追分は幾つかありますので、もう少し先にしようかと思います。
      
    もう一度「月本の追分」も見たかったからでした。
    ここからは奈良街道へ通じているのです。

    もう少し伊勢参宮道を歩くと・・・

    香良洲道への追分道標です。ここで曲がろうと思います♪





    思ったほど歩みが進まなくて参っています。


    まだ香良洲大橋さえも遠い・・・
      
    遙か彼方に、香良洲に行くための「香良洲大橋」が見えます。
    ちょっと小走りになってみたり~♪

    とりあえず、橋には着いた(^^; まだ先は長いです。



    景色はのどかです♪ 急いでいることも忘れます。


    魚か蟹か何かを捕っている人がいました。


    雲出川の土手の下には常夜灯と道標がありました。


    ここから約1.5キロ・・・
    ついに香良洲神社到着~♪



    香良洲神社は、まったくと言って良いほど人が居ませんでした(^^;
    お昼時だったから余計にそうなのかもしれません。

    昔の人はこの香良洲神社から海岸に出て、「五百枝松」や「竜燈松」などの名松が並ぶ白砂青松の風景美を満喫した、とウォーキングマップに書いてありました。

    が、時間がないので次回この続きを歩くときに海を見たいと思います!

    この日歩いたルートは以下の通り。

    【伊勢神宮~香良洲神社】2012年9月の歩き旅 その1

    2012-12-28 | 旧街道あるき
    お・・・おぼえてない_| ̄|○

    というぐらい過去ですが、今更ながらアップしておこうかと思います。
    9月の連休19-20日は伊勢神宮内宮から旅立って香良洲神社へ寄るという、これも昔の人たちが行っていた通りにやってみました。

    出発日の9/18(火)は、もの凄い大雨でした。
    静岡では夕方ぐらいから空があやしくなり、夜に降り出したぐらいではありましたが、私はその頃既に普通列車の旅。
    仕事を早めに終わらせてもらい、16:48東静岡出発です。なんとか雨に濡れずに済みました。
    列車に乗りながら西へ移動するごとに雨の降り方が激しくなり、台風並みになってきました。
    名古屋駅では運休の路線もあったぐらいです。
    私の予約した近鉄参宮線はというと・・・無事でした(^^)ほっ

    翌日はまず、寄り道の旅。
    五十鈴川駅から歩き始め、月読宮をちょこっと見学です。


    そこからさらに歩いて内宮への短い旅です。

    ここで5.5キロ。しかし宿泊先から最寄り駅まで2キロ以上歩いているため、7キロぐらいだと思われます。

    おはらい町近くには、歩く人のための地下道「内宮おかげ参道」があります。

    これ、市営駐車場からおはらい町まで行くために設けられたものですが、歩いていて楽しいのです。
    建築家のウェブサイトを参照→http://www.kurashijisshoku.jp/works/kenchiku/naikuu/page01.html
    おはらい町は、まだお店開店前の時間のために人がほとんどいません。


    おかげ横町も、時間が早いためにいつもの賑わいがウソのようにしーんとしています。

    また昨日の台風のような大雨のため、多くの店が臨時休業になってしまったことも手伝って、よけいに静まりかえってました。
    あの雨では仕方がありません。


    ←おや?常夜灯の横になんかある。


    なんと、招き猫でした。
    この期間、第18回来る福招き猫まつりを開催していたようです。

    そして内宮をもう一度見学。


    ←朝靄が幻想的でした。



    「今日こそは、五十鈴川で手水している様子を見るんだ」と心に決めながら歩きます。


    鶏さんたち、オハヨー♪


    神の鶏なのだそうです。・・・仕事中なのですね。

    さて、五十鈴川・・・五十鈴川はっ(@_@;)←必死

    がーん・・・ 増水で立ち入り禁止・・・。
    そ・・・そんなものです。ハイ。

    ↑この木、大人気ですが、私もわりと好きです。

    ↑てっぺんが見えない木もありますねー。

    人がまばらな内宮は、やはり神聖な雰囲気がありました。
    いつも見学させていただき、ありがとうございます。

    内宮見学したらすぐにバスで移動します。
    この日の歩き予定は松阪までなので、内宮~外宮 間はバスでワープなのです。
    外宮からはまた歩き始めます。



    前回見逃した「小西萬金丹」、ありました。やはり見逃してました。

    筋向い橋を通り過ぎ・・・・
    道、間違えました_| ̄|○ 
    なんと、熊野街道に入ってました。
    どうして来た道を戻れないのでしょうねぇ。3ヶ月経っているからとはいえ(^^;
    気を取り直して歩くだ。

    宮川、増水中~。


    左側にあるこの椎の木、さわると祟りがあるという伝説があるそうです。

    道を挟んで向かい側は前回旅の記事にも登場した「へんばや」です。

    今回はへんば餅は買いません(^^;


    ←「そうめん坂」再び。

    今回は「来た道を辿って途中まで帰る」旅なので、あまり盛り上がってません。だから写真枚数が少ないです。

    また斎宮跡に寄ってしまいました。
    そしてトイレ休憩と共に、前回見られなかった斎王の映画を観るために斎宮歴史博物館に再び行ってきました。
    ここで上映されている数十分の映画は、事実を淡々と伝えていて好感が持てます。斎王のことを「さらっ」と学ぶには最適です。
    映画を観たら出発です。
     あっ!どんぐり!! クヌギの実かな?
     斎宮歴史博物館の売店で「伊勢の和紅茶」買ってしまった。「丸子紅茶」とどっちがウマイか?

    などと遊んでいる場合ではなかった・・・さっさと歩かねばなるまいぞ。
    と本気で決心したためか、この後カメラをしまい込んで歩いていたようで、この日の写真はこれで終わってました。
    松阪駅近くの宿泊施設まで、この後なんどかくじけそうになりながらも歩いたことだけはおぼえています。

    この日の後半、外宮~松阪までの歩きは以下の地図(24.7キロ。その前の約7キロを合計して32km近く)です。よかったらクリックしてみてください。


    つづくっ♪

    伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】3

    2012-09-13 | 旧街道あるき
    はい、やっと伊勢街道最終回。
    今回は外宮から内宮までの短い旅です。
    朝寝坊してしまったので、ゆっくり目の8時台に出発です(^^;


    ←外宮(豊受大神宮)にもう一度来るつもりです・・・帰りに。



    小田橋。
    「江戸時代までは本橋の横に小橋(仮屋橋)が架けられており、忌服の人や生理中の女性は小橋を通ることになっていた」とマップの説明に書かれていました。



    道標♪

    間の山お杉お玉の碑
    尾部坂(間の山=あいのやま)の辺りに女二人組の大道芸人「お杉・お玉」がいつも三味線や胡弓をかき鳴らし、旅人に投げ銭を乞うことで有名だった。この辺りにいつも居たのだろう。
    東海道中膝栗毛にもそのような女性二人の大道芸人(「いにしえのお杉お玉が面影をうつせし女の・・・」とあるから、お杉お玉ではないのだろう)が出てくる。
    旅人達がよってたかって投げ銭を、二人の顔にめがけて「当てようと」するが、大道芸人の女達はこともなげに「ひょいひょい」とかわす。
    弥次さんが頭に来て石を投げる(よい子は危ないからマネしちゃだめだよっ)が、女はそれをバチでちょいと受け、石を投げ返して見事、弥次さんの顔に当たるというエピソードがある。
    悪いコトしちゃいけません、弥次さん(^^;
    もっとも弥次喜多の二人はいつもいつもいつもいつも・・・・悪いことしてますがね。

    備前屋(鼓楼)跡
    この辺り、「古市」は江戸時代の中期における「三大遊郭」の一つ・・・だそうです。
    京の島原/江戸の吉原/伊勢の古市が三大遊郭。
    「内宮に参拝した後、男の旅人にとっては精進落としで盛り上がる遊び場があった」・・・というようなことを杉浦日向子先生が語ってたけど、ここのことかぁ~(^^)♪

    こちらは「油屋跡」。やはり鼓楼です。
    油屋騒動があった場所でものすごく有名になってしまったそうな。相手の遊女が他の客と掛け持ちしていたのに腹を立てた町医者が、脇差しを振りかざして暴れ、死者二名、負傷者七名を出した。事件を起こした人物は十日後に自殺。
    歌舞伎の演目(伊勢音頭恋寝刃)まで作られてしまうぐらいに有名になったこの事件。
    真実はよくわからない。廻しを取られた(客の掛け持ちをされた)ぐらいで、そんなに怒るかなぁ。
    その遊女はケガをしたものの、その後も仕事をしつづけたのでこの油屋は「騒動の中心となった遊女を見てみたい」という旅人が客としてひっきりなしに訪れたため、大繁盛だったそうな。

    ←この道は鼓楼でいっぱいだったのだろう。

    楼閣の面影を残す「麻吉旅館」。
    あんまり入っちゃだめなのかと思って控えめに写真撮ってしまった。

    道標

    いろいろ(←おい)

    猿田彦神社。
    私が旅をしている間、道ばたには「道祖神」とよばれるものがたくさんありました。
    旅人の道中を守るため、また地元の人を旅人からもたらされる悪から守るために祀られたものです。
    サルタヒコはニニギが天降りしたときに道案内をしたということで、道祖神と同一視されています。
    だから私は今まで、猿田彦命には間接的にお世話になっているわけですね。
    一応お礼を言いに行ってきました。


    月よみの宮さんけい道と刻まれている道標


    さて、いきなりこんな街並みです。


    こ・・・ここは・・・。

    おかげ横町ってやつですかね
    ↑※おはらい町です(もの知らず(^^;)
    おかげ横丁はこっち↓でした。


    進んでいくと、向こう側から人がいっっっぱい歩いてきます。
    今までずっと私は一人で歩いてきたのに、いきなり沢山の人が現れるとかなりビックリします(^^;
    どうやらおはらい町に着いたようです。

    とりあえず、朝から何も食べていないことに気づいたので休憩です。
    ←また甘いもの出すのかっ(^^;
    いやあ~、お伊勢さんに来たらまずは「赤福」食べないとねぇ。

    りっぱな店構えだ。



    ふむふむ・・・


    ( ゜д゜)ハッ!
    内宮に向かっていたのを忘れていた!!!

    いやー、本気で忘れかけてました(^^;
    急いで内宮に行きました。










    ・・・・ひ・・・人が多くて疲れた_| ̄|○

    本気で疲れてしまったため、このままバスに乗って伊勢市駅まで来てすぐに静岡まで帰ってきてしまいました。
    外宮も「もう一度」と思っていたのですが完全に行く気力を失ってしまったのでした。
    土日に行ったらもっと人が多いのでしょうね(^^;

    ところで、昔の人はお土産に何を買っていたでしょう。
    江戸時代の旅人お土産ランキング第1位!!
    それは・・・「薬」です。
    この伊勢にも「萬金丹」という有名な薬があるので、旅人はこぞって買っていたようです。

    私も買っちゃった♪

    本当は、宮川の渡しのすぐ後に「小西萬金丹」があるのですが・・・見逃しました。
    だからおはらい町のハート薬局さんで買いました(^^)

    さて、伊勢街道の旅はこれでお終いです。

    次は、そこから旅人が京都へ行くために利用した「伊勢別街道」の旅が始まります!!
    って、まだやるのかー!!(^^;←懲りない

    伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】2

    2012-09-09 | 旧街道あるき
    前記事はこちら

    がーーん


    ・・・フィルムが切れたのでデジカメになってしまった。
    ここで説明しよう!
    旧街道歩きの道というのは、現在はほとんどがさびれてしまって人が通らない道になっているため、便利なお店やコンビニがその道沿いにあると思ってはいけないのである。
    ようするにフィルムが手に入らないっ!!というのがこのときの心の叫びなのでした。
    デジカメあるからいいんだけどね。好きじゃないのだデジカメ・・・

    さて気を取り直して「有明六地蔵」(六地蔵石幢)。

    一体一体が別のお地蔵さんではなくて、六角形の龕部(がんぶ)に地蔵がレリーフ状になって刻まれています。
    三重県の文化財に指定されているそうです。

    何でしょっちゅう道を撮るのかというと、街道らしい道が好きだから。
    時々「何撮ってるのだろう?」と奇異の目で見られるのだが、全く気にしない。

    変わっているのは今に始まったことではないからなのだ( ̄^ ̄)←いばるな



    ←安養寺ですが、明星水というのが気になるので立ち寄りました。
    (この辺りは明星という地名です)

    井戸の所まで行ってみます。



    ←木の左にある井戸が明星水の井戸


    つまり安養寺で参宮者をもてなして茶の湯の席がもうけられたりして、安養寺の火で沸かしたここの水には「清めの力」があるとして、大人気だった・・・と、要約してそんなんでしょうかねぇ。

    坂には時々食べ物の名前がつけられることがある。東海道保土ヶ谷~戸塚の「焼き餅坂(その坂道で焼き餅がよく売られていた)」とか・・・他に思い浮かばない(^^;
    ここの「そうめん坂」もだいたい同じ理由にちがいないねッ。

    ↑ほらね
    今もそういうお店があったら嬉しいのですが、こんなところを歩いているのは近所の人か歴史街道ウォーカーか、神社仏閣巡りをしている人や歴史家ぐらいなものです。
    お店は当然やっていけないので、無いのは仕方ないのです。
    カメラ屋さんがないのも仕方ないのです(←フィルムが恋しいらしい)

    このときは6月初めだったので涼しいつもりではいたのでしたが、しっかり暑いので気が遠くなりつつ歩いていたような気がします。

    気が遠くなったところにヒバリのさえずりが聞こえ、見上げる。
    ちよっと元気になる瞬間です。(写真の上方の黒い点がSkylark=ヒバリちゃん)

    って、誰もヒバリだとはわからん(^^;
    ああ空が青い・・・。←また気が遠くなってる



    右端の写真は「徳浄上人千日祈願の塔」。
    ガイドマップには以下の説明があった。
    「「上人さん」と呼ばれる石碑。庚申堂を霊場としていた。徳浄上人が、大飢饉・疫病に見舞われた村民の窮状を目の当たりにし、その救済のため、雨の日も風の日も伊勢神宮両宮に千日の間素足で日参したという。」
    この地点から毎日伊勢神宮両宮へ千日往復・・・しかも裸足で・・・。
    祈りの力ってスゴいです。人々を思う気持ちか、よほどの惨状を目にして思い立ったか。

    このあたりで街道は大きく右折し、狭いのに車どおりの激しい道に出ました。
    増田カイロ付近でいうと、大谷街道や池田街道のような感じ(^^;

    そんな道をおっかなびっくり歩いていると・・・ありました!!

    へんばや!!
    前記事で「へんば餅」について触れましたが、その名物を今も売り続けているありがたい「へんばや」。
    「へんばとは、三宝荒神など馬に乗った参宮客が、ここで馬を返して一休みした(返馬)茶店から名付けられた」
    とガイドマップに掲載されています。
    で、へんば餅がコレ↓

    焼いたお餅の香ばしさとあんこのコラボレーションが最高に好きなのです。
    今、砂糖制限されている人が多い中(ワタシも同じなので許してクダサイ)、こんなウマソーなものを出してしまうことに罪の意識を感じつつ(^^;
    これが、歩きながら食べるとまたサイコー(←また歩きながらかッ)なのです。
    お店の中で食べられるということを単純に気付かなかっただけなんですけどね

    そんな甘いものもあっという間に消化する20キロの歩み。どんどん景色を流して行きまっしょい。

    ここでやっと写真店を発見した私は喜び勇んで入店しました(^^)♪
    お店の人とちょっと話をしていたら、
    「そういえばこの道のすぐ先にもなにか石碑が建っているから、行ってみるといいですよ」
    との情報があった。お礼を言ってすぐに向かいました。

    紀州藩の高札場跡。本当によくいろいろな跡がこれほど残されているものです。





    さて、やってきました

    どこって・・・宮川です。
    歌川広重の浮世絵で有名ですが、以下はWikipediaに掲載されている広重作「宮川の渡し」です。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ando_hirosige_miyakawanowatasi.jpg
    現在は渡し近くの街道も渡し場所もなくなっていますが、間違いなく渡しが行われた宮川!!
    ・・・ついつい力んでしまった。だって・・・だって・・・
    ここを渡れば「お伊勢さん」!!


    なのだもの・・・と思っていたのですが、実際はもう少し先のようです(^^;

    まあ、とにかくさっさと橋を渡ろう。


    まだ伊勢神宮には着かないので、とりあえずもう少し歩くのだ。
    道標の説明。
    「すぐ外宮江 十三丁半、 内宮江 壱里三十三丁半」と書かれている、とありました。

    すぐ外宮へ・・・すぐ外宮・・・(@_@;)←かなりテンパッている
     足が・・・足(特に足の裏)が痛いのである!

    そして欄干と擬宝珠が残る橋、「筋向橋」がありました。

    撮る位置が悪すぎでわからん写真に・・・_| ̄|○

    関西方面からの参宮道である「伊勢本街道」と、関東からの参宮道である「伊勢街道」はこの筋向橋で一つになった。
    もともと道筋と橋の板が「すじかい」になっていたことからこの橋の名前がつけられたらしい・・・と説明には書いてあります。


    うーん・・・まだまだ歩くのかなぁ・・・と思いながら痛む足を引きずって歩いていたら



    あら・・・?



    おや・・・?

    あらら・・・どうやら伊勢神宮(外宮)に到着したようです・・・。(テンション低ッ!)


    なにせ到着が午後6時過ぎでしたので、もうとっくに入れないモンだと思ってしまい、しばらく木の根元に座り込んでました。
    でもまだお参りに入っていくヒトが居たので、どうやら大丈夫らしいと確信し、私も見学見学(←あくまでもお参りではなく見学を決め込んでいる)


    ←団体さんいらっしゃ~い的な手水舎



    ←「本日は終了しちゃいました」的な「式年遷宮記念 せんぐう館
      ・・・いいんだ、4時で入館終わりなのはわかっていたんだ。



    出口が近いので、テンション低いまま神社を出ようとしたら、
    ガサガサガサッ!
    左側の木々の間に何かうごめくモノが・・・っ!((;゜Д゜)ガクガクブルブル

    おっかなびっくり音のする方を見ると、そこには大きなイノシシが居たのです!!
    ええーーーっとビックリしながら足早に鳥居をくぐり、立っていた警備員さんに
    「さっきそこに、イノシシ居たんですけど・・・」と聞くと
    「ああ、おりますねぇ(^^)」と、フツーーに、ごく当たり前のように返されました。
    暗くなって人が少なくなると出てくるそうです。人を襲うようなことはめったにないようなのでまあ気にしなくてもよいとのことでした。
    テンション低かったワタシは、これでイッキに高くなりました。
    伊勢神宮(外宮)は、神々とイノシシの住まう場所でした(≧▽≦)だはははは

    足が痛くてたまらない私はこの後すぐホテルに向かい、重たいリュックを下ろして今度は洗濯の旅に出るのでした(ホテルが古いのでコインランドリー無いところだった為、コインランドリーを探しまくった)。
    内宮まで行けるかなーと思っていましたが、もう明日にします。
    外宮から内宮までは、あとほんのちょっとの旅です。

    この日歩いたルートは以下の通り▼クリックしてくださると嬉しいです

    伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】1

    2012-07-26 | 旧街道あるき
    6/6-7は連休でした。最近の連休は前日の火曜夕方、職場からそのままお出かけしてます。
    今回は松阪から伊勢神宮までたどり着く旅。

    伊勢神宮へ行くために、今は新幹線と特急列車でビュイーンと短時間で行けてしまうのですが、昔の人は歩いていくわけですから何日もかけて自分の住んでいるところから旅立ちます。
    1830年のおかげ参りの時がイチバンのブームだったらしく、500万人もの人々が伊勢に押しかけたのだとか。
    江戸から出立して伊勢神宮に着くのには、急ぎ足でも14-15日。しかし、ほとんどは一生に一度の旅行ですから物見遊山。ゆっくり往復二ヶ月ぐらいかけながらだったようです。
    ワタシの旅はその「昔の人たちと一緒に歩く旅」がテーマでもあります。その当時の人々が味わった気持ちが、ほんの少しですがわかる旅です。
    「今も歩いてだなんて、大変だねぇ。しかも一人で?」
    一人で歩いていると、時々地元の人が親切に声をかけてくれます。
    一人なのはそれが好きだからで、歩くのはちっとも大変ではなくかえってそれが当たり前で、かえって最高の贅沢のような気がします。
    旧道の雰囲気がよく残っているところを歩いていると、昔の旅装束の人たちが沢山行き交っている姿が、勝手に見えてきます。(幻ではなく、たんなる想像の目です)
    そして、なにせ景色がゆっくりと流れますから、どこに何があったか大体憶えていて勝手に「自分の道」にしてしまう感覚があります。贅沢でしょう?(^^)

    立川談志師匠も、なんの噺だったか旅にまつわる落語のマクラで、「昔の人は大変だったなんて他の落語家は言ったりするけど、ちっとも大変じゃない。それが当たり前なんだからね。」と言い、さらに今のビューーンっと行ってしまう便利な交通機関をチョットだけぼやき、「そのうちに貧乏人だけが新幹線使って時間短縮してさ、金持ちは歩いてゆっくり何ヶ月かかけて行く世の中になるんじゃないのかねぇ。」なんて事を話してました。
    「なるほどなぁ」と感心してしまったのは、歩いて旅する優雅さを知っている人たちや、その「歩いて当たり前」に気づいていなかった落語家だったのかもしれません・・・。
    小遊三師匠の「蜘蛛駕籠」マクラでも、談志師匠のその話のことが語られてました。「おかげで『昔は歩いていくから大変でした』って言うと、どうも・・・心にワダカマリがあるんですねぇ」と。

    しかし、ワタシが前回の続きの旅に行く時にも、やっぱり便利な交通機関がないと困ります(^^;
    江戸時代では伊勢参りに行く者を解雇してはいけない決まりになっていましたが、現代ではとうてい通用しませんからねぇ。それ以前に、常識的にも現代の抜け参りはありえません。

    さてさて、今回は松阪からです。やっと本題。
    6/5(火)は一足先に15時ぐらいに上がらせてもらい、急いでJRの在来線に乗り込みます。なぜ泊まるだけの日に急ぐか。

    それは三重県津市の映画館で
    「映画館落語 かもめ亭」を観るためでした!
    なにせワーナーマイカル系の映画館でしか上映されないということで、静岡での上映予定が無いのです。
    ちょうど行き先方向の津市で上映されているという情報を入手。19:35からの上映に間に合うように急いでいったのです。まあまあ面白く鑑賞しました(^^)
    それから松阪へ行って一泊。朝は7時30分ごろ出発。
    まずは、前回見学しそこねた松阪城址へ向かいます。
    そのまえに本居宣長宅跡の辺りも見学しました。

    そして松阪城址見学です。

    なにせこの日も泊まりの予定なので、いつもと違って寄り道しまくりなのです。気分は完全にハイテンションになっています。
    二の丸までのぼって行くと、こんな風景が見下ろせます。

    旧松阪御城番長屋です。1863年、城の警護のために「御城番職」が設けられ、御城番武士20人とその家族の居宅として松阪城三の丸の位置に作られたのだそうです。
    何棟かは貸家となっているようですが、今もその子孫の方々によってこの長屋の維持管理がされているそうです。
    そのうちの一軒は見学ができるように公開されていますが、まだ朝早いので閉まっていました。

    もう少し城跡を散歩してみることに。

    そろそろ疲れてきたので(早っ!)御城番長屋の辺りを散歩しつつ、伊勢街道に戻ることにしました(^^;
    ▼これは御城番屋敷の土蔵です。

    現在はギャラリーとして公開されているようですが、これも公開時間外でしたのでそのまま立ち去りました。

    さて、伊勢街道に戻って歩き始めます。
    時刻は8時半を過ぎてしまいました。早速あせり始めるワタシ(^^;

    その前に・・・今回は試してみたいことがありました。
    題して
    ミズノの「わらじ型ウォーキングシューズ」でどこまで街道を歩けるのかっ?
    [ミズノ] MIZUNO ウェーブリバイブ 5KS010 (ブラック/M)
    MIZUNO(ミズノ)
    MIZUNO(ミズノ)
    ▲コレです。
    昔の人は一日平均35キロ歩いていた。そんなに歩けたのは何故なのか。ミズノはその足元に注目しました。・・・・で、開発されたのがこのわらじ型ウォーキングサンダル「ウェーブリバイブ」なのです。
    つまり、わらじの原理を使って長距離歩いても疲れない画期的なウォーキングシューズというのが売り。
    昔の人同様、街道を長距離歩いて移動するワタシがこのウォーキングシューズ(でも破格の旧タイプを入手)を使ってどこまで歩けるのか。試してみようではないですか。

    ということで、お城見学まではいつものシューズでしたが、街道に戻ってからウェーブリバイブに履き替え、いざ、伊勢神宮(外宮)へ!!

    さっそくいつもの追分道標。

    この日は暑かったです。今のような夏の暑さではないのですが、梅雨前の独特の暑さがありました。脱水に気をつけながら歩きます。
    カタツムリ見っけ!わりと大きかったです。大きいカタツムリをすっかり見かけなくなったので珍しくて撮ってしまった。

    さて、いつもの街道風景の始まりです


    堤防の石碑は「女人供養塔」です。堤防に建っている女人供養塔。ここにも女たちが夜な夜な堤防を築いたという伝説があるのでしょうか。

    「禁酒の神 沖玉の夫婦石」だそうです。
    この石に酒をかけて、お酒を預かってもらうと禁酒ができるそうなのです。
    ワタシはいくら日本酒好きでもおちょこ一杯でまっかっかになってしまうので、わざわざ禁酒しなくてもいいのだな。で、でも日本酒の味は好きなのだな。だけど下戸なのだな(永遠にループ)。


    おおっ!外宮まで4里!!
    ・・・喜んでいる場合ではなかった。
    まだ一里しか歩いていないということでした_| ̄|○
    ウォーキングサンダルはこの時点では順調。ただし、足首ががっちりガードされないため、時々くるぶしの辺りに「ぐらっ」という不安感があり。
    とりあえず先へ進むのです。


    虫籠窓(むしこまど)がある「おもん茶屋跡」です。このあたりの名物「へんば餅」を売っていたそうです。

    ・・・・という名物を書いたりすると、「へんば餅」が気になる人がいることでしょう。え、居ない?
    ・・・・・
    ワタシは気になりますっ(@_@;
    ということで、あとでそれは紹介します。
    この後、スーパーで惣菜を買って、休憩コーナーでさらっと昼食。すぐに出発です。


    櫛田川を渡ります。昔の川というのは橋が架けられていないのが標準です。
    ウォーキングマップの説明は以下の通り。
    「櫛田川は、春・冬の渇水期には仮橋が架けられ、夏・秋の増水期には舟で旅人を渡し、それぞれ橋銭・舟銭を徴収していた」

    ↑渡し場所の跡には石碑が建つものです。



    なんだかのどかな風景です。天気も良くて嬉しくなってきました。




    祓川に来ました。[斎王群行の際、ここで祓いをして斎王宮に入ったことから名付けられた。]とウォーキングマップにはありました。
    東海道歩きの頃から「斎王って何じゃ?」という疑問があったりしたのですが・・・興味わかず(^^;
    しかし今回は「興味わかず」では済まされないのです。なぜならば斎宮跡の近くを通るからなのです。
    まあ・・・斎王に関しては斎宮歴史博物館のサイトをご覧ください。
    なにやら以前テレビ番組もあったようです。ただし、「斎王=悲しみの皇女」と勝手に植えつけるのはイクない気がしますが。
    先入観なしで斎王を知るには「斎宮歴史博物館」がよいと思います。博物館に関しては後述します。


    外宮まであと三里!・・・ってことは、あれから一里しか進んでません。

    そんなこんなでぽてぽて歩いているうちに、斎宮歴史博物館に立ち寄ることにしました。


    ものすごく広い敷地なのです。いかに斎宮が大きなものだったかがうかがい知れます。
    中に入ると映画の時間案内をされました。時間が合わないし、そんなにノンビリしてたら外宮に着くのが遅くなるのでパス。
    とりあえずさらーーっと見てきました。
    ようするに斎王というのは、天皇が決まるとその度に天皇ゆかりの皇族の中から選ばれる未婚の女性。
    天皇の代わりに伊勢神宮に仕えるために京から伊勢へ派遣されます。
    普段は斎宮で俗世間と離れた清らかな生活し、年3回伊勢神宮へおつとめに行ったようです。
    以上、見学終わり!←あくまでもさらっと見学



    ▼竹神社へ立ち寄りました。




    この竹神社で、もう足の裏が痛くてたまらなくなり、ついにミズノ ウェーブリバイブは脱ぎ捨てられたのでした!!(捨ててない捨ててない…)
    この神社でふだんの靴に履き替え、リュックの重量も幾分減りました♪
    うーん・・・15キロ歩けなかったねぇ。ワタシの足では!
    ただしこれ、舗装されてない道ではかなり気持ちいいです。砂利が入ってくるという点を除いては。昔のような土の道路だったら30キロいけるかもしれません。
    ソールとくるぶしの保護さえもう少しがっちりしていたらいいのでしょうね。
    それ以外は文句なしでした。地面を足の指でがっちりつかむ様に歩ける靴です。

    さあ、足の装備も整ったし、今度こそ外宮へ!!

    あ・・・カメラのフィルムが切れた・・・。
    続く!!(^^;

    伊勢街道その4【津~松坂】後編

    2012-05-10 | 旧街道あるき
    いばら餅を食べて好調な足取りになったワタシは、また調子に乗って歩き、松阪を目指します。

    しかし、1.5キロ以上に渡って田んぼの間の道が続く中、ひばりのさえずりやうぐいすのさえずりを聞きながら、のどかな気分で菜の花に見とれてみたりしているうちに、また歩みが遅くなっていたようです(^^;


    そしていつの間にかお昼です。いばら餅はとっくに消化されたのか、ちょっと食べたためにかえってお腹が減ってしまったのか、腹の虫まで鳴り出す始末です。
    雲出川の土手を歩いているときに空腹がピークになったので、ちょっと川の近くまで降りてリュックの中から自家製パン(自宅から持ってきた)を取り出して食べるのでした。これが昼食(^^;

    とりあえず中途半端に腹は満たされ、雲出川を渡ります。
    昔の川渡しの場所には橋が架かっていないので、橋まで迂回します。

    迂回路終わり!街道に戻ります。
    街道に戻るなり、旧街道らしい街並みに嬉々とするワタシ

    この辺りは旅籠が軒を並べていた雲津宿(雲出宿)らしいです。←宿場町当時の屋号が、各家に掲げられているのです。なんて素晴らしいのでありましょう♪

    ▲大好物の追分です(月本の追分)。ここから右へ進むと奈良街道です。この辺りにはやはり茶屋があり、一服する人が沢山いました。

    この狭い街道を1日2万人ぐらいの人が行き交っていたんですね。
    今では信じられないですが、追分ともなると本当に沢山の人々がいたのでしょう。

    ▲追分道標と街道の景色特集(^^;
    香良洲道への追分道標があちこちに見られますが、伊勢街道から香良洲神社へ行く道はあちこちにあるのです。ワタシも伊勢神宮へゴールしてからの折り返しで、伊勢神宮→伊勢街道→伊勢別街道の途中で香良洲道を行ってみようかという気になってきてしまいました。
    その昔「からす詣らねば片参宮」とまでいわれたそうです。

    一里塚跡を見つけました。

    なんだか懐かしい感じがします。
    伊勢街道を歩き出してから、道標と追分道標と常夜灯ばかり見ていたように思うのですが、一里塚跡も残されてましたね。
    三重県は本当に「残そう、語り継ごう」という姿勢があちこちにみられます。
    ワタシも見習おうと思います・・・語り継ぐ相手がいない(^^;
    ブログで語ってやるぅ~



    あ、無言になってしまった←語り継いでない
    実は久しぶりの歩きで、相当疲れてしまったのでした。(また写真撮っている時の記憶が飛んでます)
    それにしても、この辺りは「蔵」が多いのです。普通の民家だと思っている家に、ふつーに蔵がある。しかも黒い蔵が多い。商家がたくさんあったからなのか、お金持ちが多かったのか・・・と考えてるうちに、どうやら松阪宿に着いてました(^^)
    松阪商人の館を見学することにしました
    小津産業はここから始まった・・・らしいです。
    ここで説明してくれる男性の話を聞いたのですが、「時間ありますか?」と聞かれ「ちょっとだけ」と言ったために、もの凄く早口でしゃべってくれました。
    で、実はほとんど聴き取れなかった(^^;
    説明がひととおり終わってから「この辺は蔵がたくさん残ってますね」なんて世間話をしたら、「そう、津とちがってあまり爆弾落とされなかったからね。空襲を避けるために建物をほとんど黒く塗って、戦闘機から見えないようにしたんだよ」と教えてくれました。
    勉強になるなぁ!!・・・説明のかた、ありがとうございました。

    そんなこんなで16時半ぐらいに松阪駅に辿り着き、今回の伊勢街道の旅はここまで。
    続きはまた今度にしようと思います。

    さて、歩き終えて松阪駅から津駅に戻ってきました。
    何をしに来たかって、そりゃ・・・

    当然津ぎょうざ↑を食べに来たのです!!
    氷花餃子 津駅前店サマ、美味しかったです(^Q^)他に氷花餃子↓も食べて満腹でした。

    そして汗とニンニクのニオイをまき散らす女は列車に乗り込み、無事静岡へと帰ってきたのでした。
    今回の旅の行程↓。以下の地図をクリックしていただけると嬉しいです。

    伊勢街道その4【津~松坂】前編

    2012-05-10 | 旧街道あるき
    とりあえず黄砂は飛びまくってはいるのですが、2月~4月上旬までの過ごしにくい時期は脱出しました。
    黄砂は飛びまくってますが!!←しつこい

    まあそんなわけでして、春の最初のうちは「おんもへ 出たいと 待っている♪」な桐井でしたが、ここへきてガマンの限界(ぶちっ)
    4/25-26の連休は伊勢街道あるき旅へ出かけてきました。

    連休前の火曜の夕方、クリニックからそのままリュック背負って東静岡駅へ。
    JR東静岡━―(掛川で乗換)━―━JR豊橋駅━―━―━JR名古屋駅 ←在来線の旅
    近鉄名古屋駅━━━━津駅 ←特急アーバンライナーの旅
    アーバンライナーは足置き台やら各席に収納テーブルついているやら、飲料の自販機があるやらで、非常に快適な列車で気に入ってしまいました。
    ・・・と列車の旅で満足して終わってしまってはいけないのでした(^^;

    今回の旅は目的が3つ(優先順)ありました。
    1.旧伊勢街道 津~松坂 を歩く
    2.近鉄特急アーバンライナーに乗る(←乗ってみたかっただけで、テツ子ではありません)
    3.津ぎょうざを食べる

    さて、16時台に東静岡を出発しても、名古屋まで在来線で乗り継いできたのでホテルに着いたのは21時台。
    ここで津ぎょうざを求める旅が始まったのではありますが、出かける前にちゃんと調べておかなかったので駅前をウロウロ彷徨うだけで、結局見つかりませんでした。
    適当に入った飲食店では扱っておらず、ちょっぴりガックリでしたが、そこで食べたものが美味しかったので満足

    翌日はいつもどおり4時台に起き(老人性ではありません)、5時の大浴場開始時刻と共に入浴。6時45分の朝食開始時刻と共に朝食会場へ(繰り返しますが、老人性ではありません)、そして7時台に出発です。
    この日の行程は21キロ。約4ヶ月ぶりの歩き旅なのでそんなに歩けないかもしれないからとにかく早く出発なのです。

    津の中心部は、静岡と同じく空襲があったところですので、そんなに昔のものはないかなー・・・と思ったら大間違い。
    ←アパートの階段下に何気なくある街道の名残り。
    もう・・・大好きです三重県

    ▼聖徳太子が建立したと伝えられる、千年以上の歴史がある四天王寺


    ▼戦災の傷跡を残している塔世橋を渡ります。ここは元々橋が架けられていないところでした。「延宝三年(1675)に架橋された。幕末までは土橋で、河原へ一度降りて橋を渡った。」と、ウォーキングマップに解説がありました。

    戦災の傷跡については日本の川と災害というサイトで説明があったので、時々ワタシのブログをチェックしている増田先生のためにリンクを貼っておきます。

    ▼日本三大観音の一つ、津観音の門前町はアーケード街です。

    ここは朝市があるようで、朝っぱらから大変賑わっておりました。
    で、肝心の津観音の写真は露光不足で失敗(^^;あれ?

    ここから、暑かったのであまり記憶がないのですが写真を辿ることで自分の足跡を知ることが出来ます。
    空襲から社を守ったといわれている御神木のイチョウがある市杵島姫(いちきしまひめ)神社を見たり
    街道の街並みに見とれたり
    八重桜や名前を知らない花に見とれたり
    香良洲道との追分に見とれたり、常夜灯を見上げたりしていたようです(^^;
    どうやら暑さだけではなく、トイレに行きたくて仕方がなかったのでよけいに気が遠かったようであります。
    そして高茶屋駅でトイレを借りるついでに

    ちゃっかり近くの団子屋で「いばら餅」買い食いしてます(^^;
    ワタシは三重県以西にあるこの「いばら餅」に東海道の旅以来、心奪われているのです。
    時刻は11時ぐらい。低血糖タイムにちょうど和菓子屋に出会えるとは・・・
    さすが「高茶屋」!!
    伊勢参りが盛んだった時代、この辺りの高台には茶屋が軒を並べていたのだそうな・・・。今は見事にないですが、街道沿いにはその名残の屋号を持つ「かつての店」があったような気がします。
    やっと少しだけ歩くスピードが上がり、続きを歩くことができそうな予感なのでした。

    なんと、後半へつづく。

    車椅子の旅アップしました

    2012-03-16 | 旧街道あるき
    増田先生のブログを更新しました。

    http://blog.goo.ne.jp/chiromasuda/e/ed220cb805e01b60f4223c1bd6a2f683
    3/3に、増田先生を連れて東海道の一部分を車椅子で行く旅です。