とある何でも屋スタッフブログ

何でも屋スタッフ発信。
業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

次郎長親分をたずねる

2011-01-29 | ひとつまみの情報
次郎長をたずねに、清水へいってきました。

詳しい地図(Mappinのキョリ測)は↓をクリックしてください

▲注意 クリックすると、赤い線のルートしか表示されませんでした(^_^;
 改めて下記の色別のリンクを貼ります

実はちょっと失敗しまして「壮士の墓」へは行っていないのですが、万が一患者様の中でこれを参考に歩いてみる人がいるといけないので、壮士の墓も含めたものになってます。

■赤い線─はJR清水駅から歩いて「河岸の市」の前を通りつつ、エスパルスドリームプラザ経由で清水次郎長の船宿「末廣」を見学してから「壮士の墓」までの道。(このルートは上の地図をクリックしてください)
■緑の線─は末廣を出てから港橋を渡り、次郎長通り商店街を歩きつつ次郎長生家へ行く道。(ここのルートはこちら)
■青い線─は次郎長生家から次郎長の眠る「梅蔭禅寺」までの道。(ここのルートはこちら)

清水次郎長についてはわたしの認識では「博打大好き、やくざの大親分」というのが8割を占めてました。
でもこれほど人気があるのは何故だろうと思っていたときに東海道を歩き出したのです。
東海道には次郎長がときどき登場します。
江尻宿を抜けて追分にくると「都田吉兵衛の供養塔」があるのですが、これは森の石松をはめて殺した都田吉兵衛が、ひょこひょこ江尻に来た(フグにあたったと噂の次郎長一家をたたくために来たとの話もある)ものだから次郎長一家に成敗されちゃったところですね。

東海道沿いの由比から薩た峠にさしかかるところに「間の宿」だった西倉沢の集落があります。
そこには絶景の眺めと評判の「望嶽亭 藤屋」という茶屋(茶屋の脇本陣を勤めていたらしい)がありました。
今も建物は当時のまま残され、静岡では有名なイラストレーター、故松永宝蔵氏はここの二十三代目の当主でした。故松永宝蔵氏は「由比おもしろ宿場館」のやじきた人形のデザインをした方です。
ここ↓に出てるイラストが彼のものです。
http://plaza.across.or.jp/~kakusa/omoshirokan.html
今は未亡人となった松永さだよさんが「望嶽亭 藤屋」の話を聞かせてくれるそうです。(見学には予約が必要)

「望嶽亭 藤屋」の話とは、山岡鉄舟が江戸城無血開城のために西郷隆盛と会見するために府中へ向かっている時、さった峠あたりで官軍に見つかり追われて望嶽亭へ逃げてきたときのことです。
当時の望嶽亭の当主が山岡鉄舟をかくまい、妻おかくに命じて官軍からの質問に答えさせ(これもかなりの命がけのやりとり)その隙に地下へ通じる階段から鉄舟を抜けさせ、漁師に変装させ、清水次郎長へ手紙を書いて、次郎長のボディガードで久能海岸から府中へ届けました。
そして無事に伝馬町で西郷隆盛との会談ができたということです。

これがどこまで事実かはわからないのですが、望嶽亭の当主の賢さはもちろんのこと、次郎長をよく知らない私にとって「次郎長親分、やるじゃん!」という認識が生まれます。
事実かどうかは別として、ただのやくざの大親分だとしたらここで名前が出てくるわけがありません。

そして野蛮なだけの男であったなら、こんなに人気者とはならないはずです。
行きたいと思ってから何年か寝かせたのですが、次郎長親分をちよっとだけ知る旅にでかけることにしました。

清水駅から東口(みなと口)へ出てすぐの魚市場に寄り道しつつ港方面へ向かうと、歩行者自転車道路があるので、ずっと道沿いに進みます。
そのうち遊歩道っぽくなると、すぐにエスパルスドリームプラザです。


▲土肥桜が咲いてました♪

船が平気な方は魚市場(河岸の市)から水上バスがエスパルスドリームプラザまで出ていますので、それに乗るのもおもしろいかもしれないですね。

エスパルスドリームプラザをすぎたら、船宿を復元した「末廣」はもうすぐそこです。


一階には徳川慶喜にもらった熨斗目(のしめ)紋服がある。
徳川慶喜が絵画や写真を趣味としていたことは、静岡の人間にとっては周知の事実ですが、よく清水港へは写真を撮りに来ていたそうです。その時警護にあたっていた次郎長は、慶喜からお礼としてこの紋服を贈られたそうな。
意外と気前がよかったのな、慶喜さん。

一階に展示されているところの説明文を読むだけで、次郎長の人柄がわかってきます。
義理と人情に厚い・・・と一言で片付けてしまうにはあまりにも言葉足らずかもしれないけれど、本当にそういう人だったことがわかります。

二階も見学できます。
「これからは英語くらい話せなくっちゃいけねぇ」と、東京から英語教師を招いて若者に英語を習わせていた親分。
二階はそんな様子が人形によって再現されていました。

▲え?怖い?

また一階に戻りますが、ここは抹茶セットやコーヒーセット(まんじゅうつき)がいただけますので、ちょっと休憩できます。
休憩ついでに本を購入。
梅蔭寺 清水次郎長伝
田口 英爾
みずうみ書房


そして本来、次は「壮士の墓」へ行くのが「次郎長をたずねる」旅には欠かせないコースです。
・・・全くの無知のため、寄りませんでした_| ̄|○
「壮士の墓」とは、明治維新の最中に起きた咸臨丸事件でのこと。
官軍に滅ぼされた咸臨丸の乗組員(死体はその海に浮かんだままにされ、手を出せば敵に味方する不届き者として処罰されると脅されていた)を、次郎長は処罰を怖れず手厚く葬ったところです。
詳しくは次郎長通り商店街のサイトへ
http://www2.ocn.ne.jp/~jirocho/town/sousi.html
▲この事件での次郎長のたんかには、誰しも感動してしまうところです。
咸臨丸の事件のことさえも、「末廣」で初めて知りました。でもそれと「壮士の墓」の関連がわかっていなかったため、飛ばしてしまったのです(^^;←説明をよく読んでなかったのか?
無知ってやーね。

で、壮士の墓を飛ばしたわたしが次に向かった先が「清水次郎長の生家」でした。
船宿「末廣」を出てすぐに港橋があるので渡り、次郎長通り商店街を通って

すぐ着いた。

ここも入場無料です。

ここには、前述の故松永宝蔵氏のイラストで綴る「絵で見る次郎長の歴史」が展示されてます。
これがまたわかりやすい。次郎長を知らないわたしにとっては最高♪
これで絵本を出版してほしいぐらいです。

この次郎長生家は間口が狭く、奥行きがあるという昔よく見られた建物の造りとなっています。
今でも蒲原、由比などにはこのような建物が多く残っています。(間口の広さによって税金が決まったから)
展示物をみながら奥へ進んでいくとお土産コーナーがあり、なにやら寒い・・・と思ったらそこは中庭なのでした!
スタッフの方の話では、昔の家の造りはこうだったそうです。
寒い中庭にお土産コーナーとレジがある・・・スタッフさん風邪ひかないでね(^^)

さて、生家を出たわたしが次に向かう先は次郎長のお墓がある「梅蔭禅寺」です。
船宿「末廣」で購入した次郎長伝はこの梅蔭禅寺で生まれた田口英爾氏によるものです。

とちゅう、和菓子屋さんがあります。

風月堂さんです。
写真にもあるとおり、「次郎長笠」というジャンボどら焼きが一押しの商品です。

(▲梅蔭禅寺のお土産コーナーで撮影したサンプル)
どんくらい大きいかってーと、まんなかに挟まってる栗の大きさから想像してほしいところです。

なんと直径15センチ!

それに甘そうな餅までもがはさまっている!
きっと食べればおいしいのでしょうが、このときのわたしは「甘いもの食べたくない」気分だったので、見ただけで口から胃までが甘くなってしまって買いませんでした・・・。
こんなん無理・・・_| ̄|○ よって味の感想はナシということでカンベンしてくらさい。

和菓子に気を取られていないで、梅蔭禅寺へ行きます。
見学料は300円。
次郎長と子分たちの墓があります。

そして奥には次郎長の像があるのです。これに会いたかったのです♪

山本長五郎さん(次郎長の本姓)。
は・・・初めまして(^_^;おひけぇなすって・・・なんて挨拶は要らないですね。

彼は堅気の人間には優しく、子どもたちが大好きだったやさしいおじいさんだったようです。
子どもたちが後をついてくるとからかいながら自分の家に駆け込み、奥さんに「菓子だ、菓子をくれてやれ」とお菓子やらお小遣いやらをふるまっちゃうぐらいだったそうです。

またこの像の奥には次郎長遺物館があり、咸臨丸事件の後、次郎長の行動に感銘を受けた山岡鉄舟から贈られた「精神満腹」の書も見ることができます。

精神満腹・・・わたしもまさにそんな気分で梅蔭禅寺を後にしました。
次郎長の人柄に、すっかり心を洗われてしまった気分です。

「梅蔭寺 次郎長伝」を読んでみるとよくわかるのですが、侠客時代はたしかに褒められたものではないかもしれないけれど、その時でさえ次郎長親分の姿勢は、気持ちのいいほど筋が通ったものだと思うのです。
けっして堅気の者には乱暴しない、いつも弱い者の味方だったから亡くなった後も庶民にこれほど愛されていたのではないでしょうか。
やくざから足を洗ってから、清水港の復興に力を尽くしたり、農民の暴動を食い止めて丸く収めたり、富士裾野を開墾したり・・・数え尽くせぬほどの働きをしています。
国民栄誉賞ものです。
わたしはどうして今の今までこんなにすごい人を知らないでいたのか・・・反省しました。

まだ清水次郎長をあまり知らない方がいらっしゃいましたら、ぜひ会いに行ってください。

▲娘が買ってた根付け♪

アロサウルスを見に行こう(行きたい)

2011-01-29 | ひとつまみの情報
静岡科学館「る・く・る」で「アロサウルスが見た世界」やってます(^^)

1964年に、東京上野の国立科学博物館に登場した「アロサウルスの全身骨格」が、静岡にやってきました。
首都圏で育った方にはおなじみなのかもしれませんね。
行きたいなぁ~と思っているうちに終わってしまうことが多いので、ここに紹介しておきます。

詳細は「る・く・る」で発行しているチラシがあるので、そちらをご覧ください。
http://www18.ocn.ne.jp/~rukuru/kyouryuu.pdf
期間中(2/13まで)は、なんと大学生まで入場無料だそうです!
お子様・学生以外の方は500円の入場料がかかります。

なんと3Dの立体スコープを通して実物大のアロサウルスが見られたり、「デジタル塗り絵」でステゴサウルスに色を塗ったりデザインしたりできちゃうコーナーもあるそうです。
自分でデザインしたステゴサウルスと記念撮影(もちろん合成ですが)できちゃうとか。

行ってみたいです。
土日祝日はいろんな催しがありますので、行ける方は楽しんで来てください♪

新聞紙の上の作品

2011-01-24 | 近況
月に2回ぐらい見える自閉症の男の子、Kちゃん。はやいもので出会ってから6年も経っていた。

Kちゃんは以前から(小学校にあがる前からだったと思う)看板に書かれている通りに文字を書いて、難しい漢字でも難なく書いてしまうので周囲を驚かせていた。

あるときはいきなり「東海道ルネッサンス」と、ロゴの通りに書いてみたり。
「おかあさんといっしょ」もロゴの通りに書いた後、「©NHK」まで書き込んでみたり。

つまり、物体の形を的確に捉える能力が抜きん出ている。
彼としては字を書いているのではなく、そこに書かれている「絵」をそのまま描いているのだ。
しかもいったん記憶してからそれを引き出している。すごすぎる。

ここ2~3年ぐらいの成長は目を見張るものがありました。
ちゃんと挨拶ができたり、会話がかなりできるようになったり、「増田先生!こんにちは!」と自分から声をかけるなど、涙が出そうなぐらいに感動することが続いていた。

そして昨日、新聞紙を嬉しそうに持ってきたのだ。
「桐井さんに見せたいんだそうです」
と佐藤先生から聞き、見せてもらったのはこの新聞紙の上に書かれた標識の数々!

す・・・すごすぎる!

標識の素材を新聞紙にプリントしたのではないかと思えるほどの精密さ!
50キロ規制とか30キロ規制の数字なんて、フォントそのもの!!
ちょっと前から標識が好きで好きで、雑誌にちぃ~~~さく標識が載っているとその写真を「じーーっ」とよく見てた、確かに。
矢印の方向も合っている。左隅にある「県道○号線」の標識の下に何か文字が書いてあるがそこには「静岡県」が入るところで、普通なら見落としそうなところまで再現している。

右には自動車の絵が描かれているが、車の後姿を観察していたらしく、三菱パジェロだと思われる。
しっかりロゴまで入っている(^^;
そしてホイールが大好きなので、そのホイールへのこだわり方もちらりと見える。

そしてこの後、ワタシは幼稚園の男の子と折り紙で遊んでいたのだが、Kちゃんは折り紙をじいっと見つめ
「折り紙切る」
と言ったので、折り紙とはさみを渡した。
以前折り紙を折ってはさみで切り込みを入れ、それはそれは美しい雪の結晶をたくさんつくったことがあったが、今回もそれを作ってくれるのかと思った。

Kちゃんは折り紙をたたみ、何かを切りだした。
切り終えてたたんであった折り紙を開くと・・・・やっぱり標識だった!!(^^;
一枚もらおうと思ってたのに、どうやら全部返してしまった_| ̄|○
実物が無くて残念だけど・・・
こんなかんじだった、確か↓

本当にトレスしたみたいにきれいな形だった。

もう~~、まいったな、Kちゃん。
次は何をしてワタシを驚かせてくれるのだろう。

桐井流 富嶽何景か

2011-01-09 | 東海道歩き
さて本題の富士山。
増田カイロプラクティックのトップページFLASHにも使用しているとおり、撮れました♪(^^)

まずは沼津の原宿から富士/吉原宿への歩き。




やっとキレイな富士山に出会えて感激のあまりたくさん撮影・・・のうちの三枚(^^;
愛鷹山もくっきり。


左富士は・・・左富士はぁぁぁっ!!!!

▲工場の建物によってみごとにふさがれる左富士

▲左富士の説明

・・・・製紙工場のばかぁっ!!(T_T)
などと文句たれても仕方ないんで、まあ、むかしはここからきれいに左富士が見えたということを思いに留めることにいたしましょう。
イメージすればいつでもそれは見える、私の器用な目。

他の製紙工場の駐車場の柵からカメラだけ乗り出して撮った富士


そして、鶴芝の碑


昔、ここにあった立場茶屋(宿場からはずれたところに、旅人の休憩のために立てられた茶屋。景観のよいところに建てられることが多かった)から望む富士山の中腹に、まるで鶴が羽を広げているかのように見えたということから京都の画家廬洲が鶴を描き、江戸の学者亀田鵬斉が詩文を添え、碑とした・・・そうです。

で、現在そこから見える富士は・・・

今は鶴が舞っているようには見えないものの、ちゃんと富士山は見えてます(^^)

この日は富士駅まで歩いて(20キロ)、また次回は吉原宿─蒲原宿。
とはいうものの富士駅から歩いて新蒲原駅周辺まで。

このルートは富士川橋を越えます。
数年前までひどい高所恐怖症だった私。今はそこまでではないものの、ぷち高所恐怖症。
富士川橋を一度歩いて渡ればわかる・・・この怖さ。
「ぎゃーーー風が強いーー川がどぼどぼ言ってるーーー!こわいーー!」と叫びながら
「あ、富士山きれい♪」とパチリ。

で、これがトップページに使ったやつ▼

富士山と愛鷹山がつながってるのがよくわかる♪

怖い思いをしながらやっとこさ富士川橋を越えて、富士川のほとりにて休憩。

富士川と富士山▼

この後見慣れた蒲原の宿場があったところまで歩いていきました。
やっぱり富士山がきれいだと足取りも軽やかになります。

・・・・遅いけど(^^;

そして、このときは連休だったので次の日も由比宿─興津宿を歩いて、再び「薩た峠」からの富士も撮っちゃったのでした!
その写真は今度にします。