とある何でも屋スタッフブログ

何でも屋スタッフ発信。
業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

東海道を歩く旅 超地元 江尻─府中 後半2

2010-05-21 | 東海道歩き
お昼ごはんを食べてから、今度は静岡市中心にかけて歩きます。 しばらく国道1号線を歩き、柚木交差点で地下をくぐります。


くぐったところの階段を上ると、ふたたび旧道が顔を出します。
曲金商店街を目指して歩きます。
ふだんは全然気づかない道しるべがありました。


ここらへんは住宅街なので人の家の庭にある花なんぞをながめながら歩くのも楽しいです。
さくらんぼみっけ!


アメリカジャスミンみごと!
普段は自転車で「しゅーーーっ」と通っている所ですが、歩くとまた全然違う景色に見えるからフシギです。



曲金商店街を抜けるとやがて最後の地下道へ。
ここから春日町駅付近へ行きます。
斜めに延びている「横田町」の通りからいよいよ府中宿です!!
今は安い美容院が建っていますが、あのすぐ隣あたりが、東見附という宿場の入り口にあたります。


↑あ、失敗して真っ黒ですが、「下横田町」と書いてあります。

とりあえず由来の説明も書いてある(クリックすると少しは大きくなります。)

もう少し進むと猿屋町。猿回しの方たちが住んでいたらしいです。


これは鋳物師町の説明(鋳物師たちが住んでいた)今はこれらの名前の町はないので、当時のことを知るのに助かります。
やはり、自転車で通っていたのでは気づかなかった。

横田町といえば「おいべっさん」(横田町 西宮神社のえびす講)。縁日にはにぎやかになる丸一屋えんぎ店。

またまたここをまっすぐ行けば伝馬町になります。

にぎやかになってきました。

久能街道の道標。家康が葬られている久能山へつづく道です。ワタシも昔は久能街道に住んでました。

日吉町の駅の近くに「華陽院」があります。
家康のお祖母さんと、5歳で亡くなった家康の娘が眠ってます。
入り方わからなくて(^_^;(幼稚園といっしょになっていて入りにくい)、お寺はあまり興味がないのでそのまま街道に戻りました。


下伝馬本陣・脇本陣跡?↑
上伝馬本陣・脇本陣跡?↓


本陣(大名や公家や幕府用心を宿泊させる場所)跡なのか脇本陣跡(ふだんは旅籠だが、本陣がいっぱいになったときに大名たちを泊めるところ)なのか・・・
なぜまとめられているのか・・・

くぉらー!静岡市!手を抜くんじゃないっ!

まったく静岡市(旧)は旧東海道ウォーカーにとって不親切な土地なのである。地元民はなさけなくなった。
家康が隠居して移り住んだ街なのにっ。もー少し家康に感謝してあちこちに歴史的遺産を残してほしいのである。
府中宿は東海道の中でも最大級の宿場のひとつ。
・・・だったらもーちょっと東海道ウォーカーにわかりやすくしとけーぃっ。

ちょっとむーっとしながらもう少し歩くと

これは知ってる人は知っている。山岡鉄舟と西郷隆盛が会見した場所の記念碑。ペガサート前。
日本橋から品川に歩いたときには「勝海舟・西郷隆盛会見の碑」がありました。そのお膳立てをしたのが山岡鉄舟。
江戸城無血開城について、西郷隆盛と話し合いをするために江戸を出た山岡鉄舟。
途中さった峠手あたりで危ないところを望嶽亭藤屋の主人によって地下にかくまわれ、漁師に変装して船で逃がされ(このとき手伝ったのが次郎長親分)命拾いをして府中へ。
で、無事会見に至ったのである。
・・・まちがってたらごめんなさい。←オイ
さて、駿府城も近づいてきました。江川町交差点を曲がって呉服町方面へ。


そして伊勢丹前が高札場であった「札の辻」
これは札の辻ビルにある駿府の地図

↓札の辻跡

ここで足をとめてじーーーっと見入っている、旅の人は居るかもしれんが地元の人はあんまし居ないです(^_^;
ワタシはよく足を止めてます。←ただの変な人に見えるらしくて通行人がじろじろ見る
普通はここから駿府公園に行きますが、勝手知ったる駿府公園。
足も疲れているので今日は省略っ!!

ここを曲がって七間町通りを歩きます。
映画館の4つ角をすぎてチョットしして雑貨さんの手前を右に曲がり、写真屋さんの角を左に曲がれば新通。
あとはまっすぐ行くだけです。
府中の町は川越町まで続きます。川越町あたりに西見附があったということなので、そこまで歩けるかなぁ~・・・と思ってましたがやっぱり途中で娘がリタイヤ宣言。
バスに乗って駅まで帰ることにしました。
本通に出るとなぜかそこに一里塚がっ!
・・・写真撮るのを忘れましたが、本通が東海道となったこともあったらしいのです。
まあまっすぐ行けば安倍川橋だしね(^^)

それにしても地元のことって知らないなぁ~・・・と改めて思いました。

ちなみに、この日伊勢丹で売っているはずの、かつて古庄で売っていた「うさぎ餅」がみつからず、5/20松木屋で買ってきてしまいました(^_^;
前記事に書いたうさぎの焼き印ではなく、昔ながらの満月の焼き印でちょっとうれしい「うさぎ餅」。こしあんでめちゃうまっ!


5/13に歩いた地図の後半(1枚の画像におさまりきらないんだよね)。

東海道を歩く旅 超地元 江尻─府中 後半

2010-05-20 | 東海道歩き
とにかく江尻から府中を目指して歩いている途中に、雨風と気温の低さと空腹にみごとに負けてしまった桐井親子は、5/13になってようやく出かけることにしました。

 今回なぜ超地元を歩きたいと思ったか、まーカネがかからないというのは前記事で述べました。
しかしもう一つ大きな理由があったのです。

意外と(旧)静岡市の東海道がどう通っているのかわかってない!


清水という町もよく知らないワタシ。
そして自転車でよく走り回っている市内の駿河区、葵区にしたって、東海道がどこからどういう道をたどっていくのか知らなかったのです。

 これは歩かなくてはいけない。地元の東海道を知らずに「東海道好き」などと宣言してはいけないのである。
そしてワタシはバッグの中にはいつも
新版・完全 「東海道五十三次」 ガイド (講談社+α文庫)
東海道ネットワークの会
講談社
この本を忍ばせておき、クリニックが早く終わった日には自転車を走らせて、江尻─府中間の予習までしていたのである。

まーそんなわけでとにかく前回の続き。JR草薙駅から歩き始めます。
草薙駅前

前回草薙神社も見逃したのだが、今回も「別にいいか~」と素通りする(←オイ)。
せめて写真を撮ろうと思って、しずてつストア草薙店からカメラを構えたのだが・・・鳥居が大きすぎてファインダーに収まりきらない。
すっかりイヤになってしまったワタシは先を急ぐことにしたのである。
この草薙駅から少し南に入ったところから東海道なのだが、ちょっとだけ道が消失している。
なので今ある道を行くしかない。
今まで少し南幹線と合流していたが、再び一本南の旧東海道に入る。

するとそこはっ!




そう、そこは造園業者ストリートなのであった。
ほんとにここ、東海道だよね・・・と心配になったその時

助けてくれた親切な看板も、造園業者のものでした。ありがとうございます。
そこには白いアヤメが咲いててかわいかった(^^)

本当にこの辺りは造園業者ばかりである。
いろいろな木や花が植えられていて、ちょっと楽しい。
造園業者でしょ~。また造園業者でしょ~♪(^^)・・・と指さしながら歩いていました。
ちよっとあるくと・・・また造園業しゃ・・・・

だっ・・・ダルマっ?(@_@;;

実はここは東光寺という禅寺で、めずらしい立ち姿のダルマ像が置かれてました。
↓読みたい方は写真をクリックすると別窓で大きい画像がでます。



さて、草薙総合運動場が近くなってきました。・・・と、そこで木に白い花がたくさん咲いているのを発見。


さて、これは何の花でしょう。



ハイ、みかんの花でしたー。・・・って、なんで花と一緒に実がなってんの?・・・まあいいか。

やがて道は運動場にぶつかり、行き止まりとなりますがここから北へ向かって静鉄運動場駅を目指して歩くのです。
運動場駅前の道がやはり東海道。
アッチ曲がってコッチ曲がって・・・とは思いますが、まーこんなのは大した曲がりくねりではないのである。岡崎宿(愛知県)には27も曲がる道があるのだ。

そして、静岡中央ロータリークラブが建ててくれた「旧東海道記念碑」があります。

↓詳細が書かれています。写真をクリックすると別窓で大きく開きます。

JRに東海道が分断されてしまって栗原に存在する東海道の多くの部分がなくなってしまうために、記念として建てられた。ここからすぐ横にある狭い地下道を通って線路の向こう側へと渡ります。

非常に狭くて、しかも車が通りますのでこわいです。
ここを歩くとき、また自転車で通るときはじゅうぶん注意しなくてはなりません。
隅っこを小さくなりながら遠慮がちに歩き、出口です!

出たら左にぐいんとまがって、旧道に戻ります。
やがて、それらしき道に出ますので一安心。ちょっと公園で足を休めます。
そして5分後、再び歩きます。

古庄道しるべ。やはりここでよかった旧東海道♪
しばらく歩くと国道と交差します。

すると目立つこの看板。古庄の自治会によってたてられたものですね(^^)

うさぎもち・・・跡地。うさぎもち食べたい。でも跡地。
駿河三大名物・・・。
1.安倍川餅
2.追分ようかん
3.兎もち
・・・とこういうわけですな。
江戸時代の狂歌の第一人者、蜀山人が東海道を旅している途中に
「耳長う 聞き伝へきし兎餅 月もよいから あがれ名物」
と、つい詠んでしまったぐらい美味だったらしい。
あんこが透けるぐらいうすい皮に包まれた大福に、月の焼き印が押してあるものだったらしい。

旧東海道で商いしていた人たちの事情は厳しい。
鉄道が敷かれ、国道が整備され、忘れ去られた街道となってしまった旧道でお店を営んでいくのは、困難を極めた家が多すぎる。
この兎もちをつくっていた吉田家も・・・まあそれ以外の事情もあったのでしょうが店をたたみ、作り方は別の店へ受け継がれ、そこもまた他の店へ引き継いでもらい・・・と転々として、現在は水落交番からほど近い鷹匠町の「松木屋」さんで売られているそうです。
今は満月の焼き印ではなくて「うさぎさん」の焼き印みたいです。
http://blog.shizuokaonline.com/eye/2009/10/post_299.html

さて、一度国道と合流して、長沼の交差点まで歩きます。
交差点の花壇には、ココロ和むこんなものがあります。

ここには大きな「望月家」という屋敷があったのですね。・・・う~む、地元人、知らない。長沼は詳しくないしなぁ、うちのじいちゃんばあちゃん死んでしまったしなぁ。
誰か知ってたら教えてくらさい。
で、交差点を渡ったらちょっと斜めの道に入ります。ここが旧東海道。
しばらく歩くと「静鉄 長沼駅」より少し手前にあるのがこれ。

誰もが見落とすと評判の、長沼一里塚。
いやいや、それでも数年前はもっと見落としそうだったようである(植木鉢の置き場に使われていた)。

今は、ゴミ収集所に昇進しましたっ!!

・・・・ゴミ収集日にはまた「見逃す一里塚」になっちゃうじゃん・・・_| ̄|○
さて、ここに来たときはAM11時30分近く。

「混むから早めのお昼にしよう!」と娘をむりやり「かっぱ寿司」に引きずり込むのであった(娘は魚嫌い・・・というより、ほぼ魚アレルギーで、なぜかマグロだけは食べられる)

二人で990円というお得なお昼をすませ、また歩き始めるのである。
・・・府中宿後半へつづく!!
↓とりあえず、こんな感じで歩いてきました。

地図も後半へつづく!

東海道を歩く旅 超地元 江尻─府中 前半

2010-05-18 | 東海道歩き

あれは・・・おそらく4/15のことである。
突然思い立って地元の東海道を歩きたくなったのだ。

なにせ、地元ならば交通費がかからない!

ということで、江尻宿─府中宿(宿場間の距離は10.5km)を歩くことに決定~。

江戸から18番目の宿場町、江尻宿とは、ちょっと前までは清水市。今は静岡市清水区となってしまった、「今や市内」である。
ちびまるこちゃん、清水の次郎長親分、サッカーのエスパルスなどで知られている。


JR清水駅で降りて「江尻口」へ出る。もう片方は「みなと口」です。ちびまるこちゃんの垂れ幕が教えてくれます。

そこから真っ直ぐ歩いてセブンイレブンの交差点までいく。その交差している道が東海道。
道には途中に東海道歩きのための看板が立っているので迷わなくてすみます。親切だなぁ、府中宿はこうはいかないのだ。

この日は寒くて、この辺から雨が降ってきました。
一里塚があったはずなのだが、見逃す。

駅からちょっと離れたところに清水中心街の「清水銀座」はあります。江尻宿の中心です。そこで右折。そのへんの看板にあるが「稚児橋」というものを目指しながら歩きます。

んで、無事稚児橋に到着。

いい位置から撮ろうとしたら、車がびゅんびゅん通るから撮影断念。
変な構図になる↓


「稚児橋」の由来。
江戸初期、徳川家康の命によって巴川にこの橋がかけられました。地元の一組の老夫婦を選んで「渡り初め」をしようとしたその時!!

なんとおかっぱ頭の稚児が川の中からぴょん、と現れ、この橋を一番乗りで渡って府中方面へ消えていったのである・・・。

地元の老夫婦はがびーん・・・となったかどうかはわからないが、とにかくそれを見ていた人々は
「ありゃー河童だらー」
ということで、この橋には稚児橋という名前がつけられ、河童の像が四隅に、河童のレリーフが埋め込まれてます。

なんで稚児が河童なんだろう・・・と思っていましたが、そーゆーわけでした。
ただのおかっぱ頭の子どもだったのか、本当に河童だったのかはミステリー。

で、橋を渡り終えると河童のこしかけなんぞもある。



稚児橋を渡り終えたら次に目指すは「追分羊かん」である。
http://www.oiwakeyokan.com/syohin.html

・・・の前に、これは西木戸跡。


追分ようかんを目指してまたてくてくいく。


300年の伝統を誇る老舗です。
竹の皮に包まれた羊羹ですが、なんとなくもっちり。
甘さは控えめでなかなかいけます。子どもの頃食べたのはもーちっとマズかっ・・・あわわ。
とにかく今は美味いです。濃い~いお茶と共に召し上がりたいモノです。
この追分羊かん本店では中で休憩できます。
しかし先を急ぐので羊羹を買ったら再びちゃっちゃっと歩きます。
店の前の石碑には「ここより 志みづ道」と書かれています。ここから脇に入ると志みづ道。・・・だがそのまま歩きます。
なにせ10.5キロ、旅人二人(ワタシと娘)体力なし!

次に来たのが「都田吉兵衛」の供養塔です。
この人は清水の次郎長の子分で、これまた有名な「森の石松」を殺したやくざさんです。
次郎長一家に指名手配されてるっていうのに江尻に来て、仇として討たれたらしい。
で、誰も弔う人がいなくて、それをあわれに思った地元の人が供養塔を建てたとのことです。
ここはなんとなく撮影する気になれなかった。
というわけかなんなのか、追分みちしるべなんぞを載せてみる。

そして「金谷橋」を渡り~

昔は土で出来た橋だったらしいです。牛馬は回避してたのね。
後はひたすら歩きます。

狐ヶ崎をすぎてしばらく歩けば、見慣れた南幹線に出ます。ちょっとほっとしました。
雨は激しくなってきて、お腹もぐーぐーです。
歩く力もなくなってきました。


とりあえず草薙一里塚跡。
ここ、信楽たぬきが一緒にいるんだけどね、歩道が狭くて写す気になれなかったのです。
で、こんな構図に・・・(TдT)
んで、この一里塚跡からほど近いそば屋で休憩します。
http://www.at-s.com/bin/guru/GURU0040.asp?yid=C365510320
美味しかったのですよ。暖まったし、助かったぁ。

食べ終わってからもうひとがんばり歩こうと思ったのですが、娘がリタイヤ宣言。無理強いはできませんのでここで終了です。

続きは5/13と、約一ヶ月後のことになるのでした。
この日、歩いたルート。


そうだ、蒲原いこう─御殿山さくらまつり編

2010-05-18 | 東海道歩き
しかし、アップやーめた、というわけにもいきませんのでねぇ・・・。
4/8の蒲原 御殿山桜まつりの時の様子です。

Flashでまとめたモノをお目汚しでごらんいただきます。
・・・何にも考えずに撮ったものなので、チョーへたくそ。
失敗ばかり(^_^; なにせフィルムなので失敗したかどーかがわからない!
そんな感じです。

下の画像をクリックすると、別窓で開きます。よろぴく↓クリック!


そうだ、蒲原行こう(旅録編)

2010-05-17 | 東海道歩き
JRに乗って、目指すは新蒲原駅。

北へ歩くと道案内があります。

そこから東に進むこと1キロぐらい。
本来目指す由比宿への進行方向とは逆に歩きます。
宿場入り口というのは「東木戸跡」でいいのですが、それよりもう少し吉原宿寄りに「浄瑠璃姫の墓」と「源義経硯水」というのがありまして、そこも見てみたいと娘がいうのでとりあえず歩くことに。

で、まずは東海道沿いにある「源義経硯水の碑」と「浄瑠璃姫の墓」へ。



1174年、源義経が奥州へ行く途中、嵐のため蒲原に足止めとなる。再び旅立つときにこの場所の湧き水を汲んで蒲原神社へ奉納するための祈願の文を書きとめ、また恋の相手の矢矧 (愛知県)浄瑠璃姫へ手紙を書いたとされる。
手紙を受け取った浄瑠璃姫は義経恋しさに矢矧から奥州へ下る途中、この地で病に倒れて亡くなった。

というわけで、浄瑠璃姫の墓と義経硯水を見学してから宿場の入り口へ行きます。やっとここから由比宿に向かって正規のルートとなります。

しばらく歩くと一里塚発見です。


その先には東木戸跡。
ついに蒲原宿入り口です~♪


ここには常夜灯もありました。



問屋・名主 利左衛門との看板がありました。ここは貴重な資料の残っている旧家、渡邊家です。


材木をあつかっていたことから「木屋」とも呼ばれていたそうです。
奥に土蔵があり、当時の貴重な資料があるそうです。予約すれば見学させてもらえるそうですが、今回は予約もなく、足も疲れそうなのであきらめました。
先祖代々の資料を大切に残しているその努力はやはりすごいものです。
木屋の土蔵
http://kiyaedoshiryoukan.eshizuoka.jp/e360455.html

そしてまたテクテク歩くとなまこ壁と塗り家造りの元商家。蒲原にはこのような家がたくさんあります。


そして「蒲原夜之雪 記念碑」。歌川広重最高傑作といわれるこの版画、この場所で描いたと思われる場所に建てたのだそうです。


・・・が、蒲原にはこんなに深い雪、降りません、積もりません。だいいち温暖なこの地域に雪なんて滅多に降りません。
だからこの絵については最大の謎です。諸説ありますが本当のこと知っているのは本人(版画のグループ)だけ。

そして元旅籠、「和泉屋」さんは蒲原宿おやすみ処となっていますが・・・・品川宿につづいてこのおやすみ処もお休みです。

連休明けの平日ですからね。もーあっちこっちお休みばっかです。
なので4/8に再び訪れました。その時の写真。

二階のこの窓はものすごーく斜めになっているのを補正してあります。
このゆがみは安政地震の時にできたものです。そう考えるとやはり貴重なので残しておきたいゆがみなのですね。

二階の窓からは向かいの本陣が見えます。
昔はここからそーっと本陣に泊まっていた大名をのぞいたりなんかできたわけですねー(^^)
ここには織物で芸術作品を作る方がおられます。数々の作品が本に載り、作品展に必ず呼ばれるようなすごい作品を作る方です。
休憩しているときに話しを聞かせてくれるので、ここでぜひコーヒータイムとしゃれこみましょう(^^)
コーヒー一杯300円。ほかにもいろいろな飲み物がありました(失念)。

入り口には籐のつるし雛がありました。ここにも桜えび♪
このときは蒲原の雛祭りも兼ねてますからおひな様がいっぱいです。


和泉屋の向かいは本陣跡。
黒い塀に囲まれた本陣跡、かっこいいではありませんか。老夫婦が住んでおられますので、一般に公開されてはいません。
蒲原宿場まつりの時だけ公開されるようです。

その次には「御殿道」というものがありました。


説明は・・・こちらをどうぞ(^_^;

その次に現れたのは洋館です。


旧五十嵐邸。五十嵐歯科医院となっております。
ワタシは現役でここやっていると思っていたのですが、中は公開されていたようです(^_^; 3/23は休み・・・なのでここも4/8に再び来てみました。

雛祭り(旧暦)も兼ねてるのであります、昔のおひな様。各部屋に時代ごとのお雛様が飾ってありました。
庭が見える素敵な部屋。

庭に咲いているのが「菊桃」という珍しい桃です。

蒲原宿、もうひとつ商家。国登録有形文化財 志田邸です。
しとみ戸という、珍しい仕組みの戸が残ってます。この日は休みね。


1854 年の大地震(安政の大地震)の翌年に建て直された商家です。
すごいですよね、こんなに長い間この状態を保てるのですから・・・。
このように蒲原宿は古い家並みをふんだんに残す宿場でした。
ここに紹介しきれなかったのですが、手作りガラスと総けやきの家というのもありまして、家のガラスが手作りのため、ちょっと波打ってたりするのです。とっても素敵な家屋でした。
ほかにも沢山古い家屋の家がありました。


宿場出口にある西木戸跡。
それぞれの宿場の出入り口を「木戸」と言います。
文字通り、大きな門がありました。昼間は開け放たれていますが、夜と非常時は閉じられます。
そしてこの木戸近辺は、フクザツになっています。
そして木戸近辺では道が細工されています。
道路が折れ曲がっているものが「枡形」、宿場内の道路を鍵状にカーブを付けたものが「曲尺手(かねんて)」と呼ばれます。どちらもセキュリティの目的と、大名行列がかちあわないようにするために重要でした。

で、蒲原宿と1月に歩いた二川宿は「枡形」が用いられていました。

蒲原宿を出た私たち親子は、由比を目指して3キロ強歩きます。
ほぼ一本道なので楽です。
二川宿から吉田宿まで歩いたときなんかは、アッチ曲がって、コッチ曲がって、またコッチ曲がって今度は・・・っていうような東海道もありました。
岡崎宿には27も曲がる宿場もあるようで、未経験のワタシにとっては脅威となっております。

そんなことはどーでもいいんですが、とにかくワタシにやさしい蒲原宿~由比宿。おしゃべりしている間に由比につきました。


ここは由比宿の建物ですが、現役で使われているような感じですが・・・。
時間はすでに2時を回っています。お腹すきました・・・。ご飯は「海の庭」と決めているのでがんばって歩きます。

由比には何度も足を運んでいるわりに、一度も行ったことのない「由比桜えび館」に行ってみようと思いました。
看板みっけ。








Σ(゜Д゜;エーッ!

桜えび館、ここをのぼるの?
ここ神社じゃないの?

まあいいや、とにかくのぼって行ってみよう。
で、素直に神社の階段を上っていくと、本当にありました。

ゆい桜えび館
http://plaza.across.or.jp/~kakusa/index.html
とくにどーいったこともなく、土産物の直売所でした(^_^;
「桜えび茶屋」というお食事処もありました。そしていつも行く「海の庭」、これも姉妹店だったんだそーです。

名物の「削りぶし直売所」と「桜えび直売所」の二つがあります。団体様は食堂が使えるようです。
桜えびはこれからたべるからいいとして、かつお節がちょうど切れそうだったんで、買っていこう・・・と見てみると、

新鮮なのに安い!!Σ(゜Д゜;

つい2袋買ってました(^_^;
でもって桜えび直売所は、なんとなく疲れてしまって見ないできてしまいました。

さてさて、もう3時近くです。お腹すいたんですぐに食べたいです。

さあ、ここからはいつもの由比歩きです。
娘はいつも桜えび食べられないんで、その辺りのお店に入ることはできません。桜えびしかないから(^_^;
で、いつもの「海の庭」へ。
駿河湾が一望できるレストランです。


あれ・・・?
国道と線路ばっか写ってる?・・・お腹すきすぎて撮影する方向さえ間違いました(;・∀・)
本当は駿河湾が正面に広がってます。

桜えび食べられない娘の「ツナおこわ膳」↓


ワタシの「桜えび御膳」↓


美味かった・・・(^^)

満腹になって満足したワタシは、下のおみやげ物屋でちょっとお菓子を買いながらお店の人とおしゃべり。
三連休は忙しかったかと聞いたのですが、天気が悪くておまけに黄砂まで飛んでたので、いつもの忙しさではなかったようです…。

お店を出て、向い側の「由比本陣公園」を見ると・・・こちらも休み。
由井正雪の生家、「正雪紺屋」、こちらも休み。
桜えび料理で大人気のそば屋、「井筒屋」・・・も休み。
ワタシは「今や市内」の土着民(つい最近、由比町と蒲原町は静岡市と合併しました)だからいいんだけど、遠くからさった峠越えてきた人たちもいたようだったので、ちょっと気の毒でした。
海の庭は営業しててくれて助かった。

お腹が満たされたワタシたちは、ゆっくり歩いてJR由比駅へ向かいました。
その途中に銘菓「たまご餅」を売っている春埜製菓があります。
今日こそは買おうと思って通ると・・・やっぱり休みでした_| ̄|○

次は季節遅れの「そうだ、蒲原いこう─御殿山さくらまつり編」だーー

そうだ、蒲原行こう(概要編)

2010-05-17 | 東海道歩き
3/23・・・って、だいぶ前じゃん。 えぇと、ふと思い立って蒲原─由比を歩きました。宿場歩きです。 一日の休みで宿場歩きをするとすれば、距離の短いところ。 そして交通費のかからないところ・・・とくれば、蒲原宿─由比宿(3.9キロ)です。 スタートは東木戸よりもう少し吉原宿寄りの「源義経硯水の碑と浄瑠璃姫の墓」から。 しかし、この日は三連休の後日だったため、見学できるところがことごとく休みでした。 悔しかったので4/8、お花見を兼ねてもう一度蒲原の宿場近辺を歩きました。 ・・・ので、写真をアップします。 宿場歩き順になってます。 クリックしてね。 http://blog.goo.ne.jp/photo/19122 細かい説明は次の記事にしまーす♪

周辺地図リニューアル

2010-05-02 | ひとつまみの情報
すみません、忘れてました。

増田カイロプラクティックへ、遠方から来られる方のための「手づくり周辺地図」をリニューアルしたのでした。

http://www.chiromasuda.com/MasudaChiroMap.pdf

PDFですが、前作のようにクリックすると情報が出るようにはしておりません。
・・・スミマセン(^^;印刷専用です♪
今度は2ページです。
1ページ目はクリニック周辺。
2ページ目は、長沼大橋を越えて流通通り周辺を紹介しています。2ページ目に関しては、車で来られた方と静鉄電車をお使いの方むけでもあります。
遠方から来られて、「ノヴィアブランカ」というウイークリーマンションに宿泊される方は、静鉄電車が便利なのです。「ノヴィアブランカ」は静鉄音羽町駅すぐ近く。
クリニックから一番近い静岡鉄道の駅、長沼駅へ行くには、初めての土地ではちょっとレベル高いですからね(^^;

そしてなぜ流通通りかってーと、味の素や合成添加物を使わない惣菜屋さんの「楽多厨房」を紹介するためなのです。
http://rakuta.com/
そしていろいろ便利な流通通り♪
ワタシも仕事を終えると流通通りの「しずてつストア」に出没します。
ちゃりんこで橋を越えて行くのです(^^)

たまには楽多厨房でお惣菜買っていきたいのですが~、ワタシが行く時間にはおかずほとんど残ってません・・・(泣)

まー、そんなこんなでリニューアル。
よろしくお願いします

5月の連休といったら

2010-05-02 | 近況
昨日5/1から3日間、NAETアドバンスセミナーのため休診です。
また増田カイロプラクティックセンターは5/4も休診です。患者様にはご迷惑おかけします。

セミナーは今回クリニックが会場となっておりますが、いつもは「ふしみや」の会議室です。
青葉イベント広場にとっても近いですね(^^)

毎年この時期には「シズオカ・サンバカーニバル」が開催されますが、いつものふしみや会場はこのカーニバルの場所とバッチリかち合います。

ある年は出演するオネーサマがたの控え室が、セミナー会場と同じ階だったようで、通路やエレベータなどであの派手な衣装と迫力ボディが間近で見られるという、いい思いをした先生もいっぱいなのだそーです。
でも・・・やはり勉強するには賑やか過ぎるのだそーです。

サンバの歴史と奴隷貿易、奴隷制度は切り離して考えることはできません。
人類の暗い歴史をくぐりぬけて来た人たちの、抑圧に負けない強い心と明るさが表れているような気がします。
うーむ、一言では到底表しきれるものではありませんが・・・。
とりあえず音楽はスバラシイ!!(^^)ということだけはハッキリ言えます!

さて、今年もシズオカ・サンバカーニバルが開催されます。
http://www.shizuoka-samba.com/
2010/5/3-4 です。

見てみようかな~、と思われる方は静岡市葵区呉服町近辺へ!

おおっぴらにいえないけど

2010-05-01 | 近況
指力計というものがある。
一般の人向けに売っていましたが、今はいろいろあってNAET施術者にしか販売してません。

これ、ようするに自分にはアレルギーがあるかないかを秤のような目盛でチェックできるものでした。
自分に合うものをもって指力計をぐっとつまむと数値はわりと大きく出る。
自分に合わないものをもってぐっとつまんでも、力がはいらないから数値は小さめに出る。

値段は韓国で作って一度アメリカのNAET本部に行ってから、日本に来るので高くなってしまう。そして韓国製なのでつくりがちょっとおそまつくん。
しぞーか弁でいうと「おぞい」。
それを承知で購入するならよいのですが、3150円。
3,150円です。
ワタシは数字を意識してしまうのでこれが正確に数値として出てくれない。
でも一発で「すっ」と出る人もいるらしい。・・・う~~ん。
でも多くの人にとってコレは訓練が必要な器具なのです。

・・・・・・そんだったら無料のオーリングを練習するからいいかっ(^^;

と、ビンボなワタシは思います。

「オーリングがうまくいかないから指力計を」という人も過去にいらっしゃいましたが、だいたいオーリングがうまくいかなければ指力計もうまくいかないものらしいです。
練習が必要なのはオーリングも指力計も一緒だったりするのです。

でも、中にはオーリングはうまくいかないけれど指力計ならスパッと数字が出る、という人もいらっしゃるそうですので、一概にはどうとは言えません。
十人十色・・・かもしれないです。
練習すれば数値ではっきり出るので、アレルギーあり、なしがよくわかるので、極めればスグレモノになることは間違い無しだと思います。

でもワタシはオーリング派です。えぇ、ビンボーですから(^^;

オーリングは、増田カイロプラクティックの健康教室でもやってましたが、「うまくいかない」とおっしゃる方が多いですね。
実は、うまくいかないのはワタシも一緒です。

でもあきらめずに何度も何度もやってみます。
食べていいものかどうか、試してみます。それで失敗(お腹こわすなど)したら「あー、今回は失敗しちゃったなぁ」と反省して、また次に挑戦です。
自分で出した結果に対しては、当然ですが自己責任です。
でも「自分でオーリング試してこれ食べたけどこうなりました。てへっ」と、ご自分の担当施術者に報告しておくことは、ご自分のためになります。
ついでに調べてもらっちゃいましょう。
中には自分のオーリングが正しかったけど、これこれこういうケースだった、ということもあるのです。そうすると自信が生まれます(^^)

ワタシなんぞ食べたいものだと、たいてい「食べていいよ♪」などという間違いを起こすこともよくあります。(そんで下痢おこすのはよくあることです)

毎日いろいろなことをやってみます。
体力がないけど、お出かけしていいかどうか。
自分にはこのアクセサリーは合っているかどうか。
メガネを買うとき、どれがいいか。
基礎化粧品を買うとき。
何かに迷ったらオーリングです。自己責任です。
でもその後問題が起こったら、または大きな決定をするときは施術者に相談してください。そういう相談ができるのはNAETならではです。
そのうち結果がうまくいくことが多くなってきます。

(指力計を使っている人は、上のケースでいう「オーリング」を「指力計」に置き換えてお考えください。)

心をニュートラルにするって、なかなか難しいです。
でもワタシも受診中の患者の1人として、自分の食べるものに責任を持つ、ということをやっていきたいと思ってます。

あきらめないこと。
きっとこれが肝心です。ワタシは単にシツコいだけですが。

バス旅

2010-05-01 | 近況
静岡─新宿 を結ぶバスがけっこう走るようになってきました。
往復で買えば4,500円で新宿まで行って帰ってこれてしまう。
さらにネットで予約、支払すればもっと安くなる。

い~いじゃん、コレぇ

以前なら、別に東京行ったって人が多いだけでいくところないし、と思っていた私ですが最近は目的ができました。

寄席です。

で、4/29に朝7時静岡駅出発のバスに乗って新宿へ。
そこから新宿末廣亭へ!
10時着の予定が少し遅れてしまったので、そのまま末廣亭前に着いた時は10時半。
すると既に並んでいるではないですか。
ちょっと焦りながら近くの喫茶店で軽食(満腹で眠くなると嫌なので軽くしてみました)を取り、急いで末廣亭に戻るとすでに満席近い状態でした。

5月は真打のお披露目があるし、小遊三さん(←大ファンです)や歌丸さん、米丸さんが出るから混雑する。
だから4月のうちに行こうと思ったら・・・。やっぱり混んでたかぁ。
この日も正蔵さんや円丈さんとか、有名どころが出てましたね。

前は金曜日の夜の部へ行ったことがありますが、ここまで混んではいませんでしたが・・・さすが連休初日です。
お子さんもいっぱいでした。

子どもの頃から落語は大好きでしたが、東海道を歩くようになって江戸文化をよく知るようになると、落語がもっと面白くなってきました。

いっぱい笑って、スッキリしました(^^)
昼の部が17時終了。居酒屋でササッと夕飯食べて(当然ソフトドリンクです)、再びバスに乗って帰ってきました。静岡駅に到着したのは夜10時。

落語のDVDを持ってますが、やっぱりライブは最高ですねー♪
みんなと笑いを共有するってすばらしいです。
静岡で寄席というと、だいたい仕事の日なのであきらめるしかないのですが、高速バスのおかげであきらめなくても良くなりました(^^)
こんどは平日の木曜日にでも行ってみようかなぁ。