とある何でも屋スタッフブログ

何でも屋スタッフ発信。
業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

一休さん

2011-04-25 | 東海道歩き

東海道歩きの途中、関宿には「宝蔵寺」という有名な地蔵院があったので立ち寄った。
ここには一休の伝説が残っている。

私とほぼ同世代の方々にはアニメ「一休さん」でおなじみの「かしこいとんち小僧」のキャラクターが頭に浮かんでしまうだろうが、実際の一休は「破戒僧」として有名だった。
男色、女犯、肉食、飲酒を行なったり、大太刀にみせかけた木刀を腰に差していたり(高僧への批判として)と、奇行が目立つ。

正月に、ドクロを杖のてっぺんにさしながら
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
(元旦の度にあの世が近づいているぞ、ご用心)
と言って歩いたり。

その一休さん、このお寺で何をしたかのエピソードもすごい。
関の地蔵院(宝蔵寺)は天平13年(741)行基菩薩によって創建されたという、古い歴史をもつお寺。
途中、何度か火災にもあったが、そのたびに再興されていた。

あるとき地蔵の開眼を、たまたま居合わせた一休禅師に頼んだところ、一休は
「釈迦はすぎ 弥勒はいまだ出でぬ間の かかるうき世に目あかしめ地蔵」
と何度か言いながら小便をかけて立ち去った。(里の人に追いかけられてすたこらさっさと逃げたらしい)
怒った世話人たちは地蔵を洗い、他の僧に開眼のやり直しを頼んだ。
すると世話人はその夜から高熱にうかされ、夢枕には地蔵が立ち、
「せっかく一休に開眼してもらったのに、やり直すとは何事か(怒)」
と言って祟るようになった。
慌てた里の人たちは急いで一休を追いかけ、桑名で追いつき、謝罪しつつ開眼のやり直しをお願いした。
すると一休はおもむろに懐に手を差し込んでゴソゴソっと自分のふんどしを引っ張り出し、
「そんじゃーこれを掛けとけ」
と言って立ち去った。
里の人がそのふんどしを持ち帰って地蔵にかけると、たちまち世話人の高熱が下がったとか。

一休禅師は偶像崇拝を嫌ったことでも知られているから、このエピソードは真実味がある。

しっかし逆効果じゃん!(笑) 里の人たちよけいに地蔵を崇めちゃったじゃん。

私はこのエピソードを知って、すっかり一休禅師が好きになってしまった。
これから彼についてもう少し調べたいと思っているところである。

▼その地蔵とは違います(^^;


さて、この一休禅師の話がもう一つ。私が大好きな話。
有名なので知っている方も多いと思う。

彼が他界する前、弟子たちに書を預けた。
「この先、どうしても手に負えぬ深刻な事態が起きたら、この書を開けなさい」
弟子たちはその言葉を守り、自分たちで困難を切り抜けてきたが、いよいよ「どうしても困った!!」という事態が起きて手に負えなくなり、ついにその書を開いた。

弟子たちが固唾を呑んでその言葉を見るとそこに書かれていた言葉は・・・!

大丈夫 心配するな 何とかなる

一休禅師のお茶目さと、物事の本質を見抜いている聡明さがそこにある。
「今までだっていろいろ自分たちで切り抜けてきたんだから大丈夫、心配するな、なんとかなるもんだ」
といって笑う一休禅師が目に浮かぶような気がする。

私も普段うじうじと悩むのが好きではないので、「どうしよう・・・」と思ったら
なんとかなるなる大丈夫」と呪文のように心の中で繰り返すようにしている。
明日(あるいはそれ以降)の事で悩むのは、時間も体力も気力ももったいない。

一休禅師の言葉は、いつもやってる自分の不安解消法が、あながち間違いではないことを証明してくれているような気がした。

有松絞り

2011-04-14 | 東海道歩き
有松は、東海道知立宿と鳴海宿の間にある「間の宿」です。

昔から有名な「有松絞り」はここの特産品。

絞り染めを経験したことのある人ならわかりますが、ものすごく・・・もんのすごーーーく骨が折れる作業です。
ワタシは中学の時にうっかり入ってしまった「手芸部」という必修クラブ(授業の中に組み込まれているクラブ活動)で経験させられました。
いや、経験させていただきました。絞り染めてぬぐいを作りました。

図案を考え、絞り中心の色を先に染めておいて絞るところを糸でぐるぐる巻きに、ものすごく固く巻いていくのです。
チョットゆるいと先生に「やり直ししなさい」と言われ・・・。
根性無しの中学生は「もういやだ!」と根を上げたくなったもんです。
できあがっても、当時日本文化にも美しいものにも興味のなかった私は感動も覚えず、家に持って帰って母にあげちゃいました。
母は「綺麗だねぇ、素敵だねぇ」と褒めてくれたのに、私はそれを見ると、あのちまちまとした作業が脳裏に蘇ってきてしまって目をそらしてしまうという、とんでもないひねくれ者でした。

今でもその絞り染めは母によって一部とって置かれています。一時期は弁当包みの風呂敷にもなっていたのですがちょっとボロくなってしまい、ぼろぼろになった部分は捨てて、生きているところだけ小さめのハンカチになってます。よくもつなぁ(^^;30年近いぞ。

そんな私も大人になるにつれて日本の文化が好きになり、美しいものは「綺麗だな」と素直に思えるようになり、そして東海道歩きで有松の町を通る時にはウキウキしてしまいました。
古くからの家のつくりをそのままに保っている町並み。

今でもいたるところに「有松絞り」の製品や生地を売る店が立ち並ぶ。
東海道をひたすら1人で歩いていて、ここへ来ると急に女性たちで大賑わいになるので、大きなリュック姿の私は戸惑うばかりです。
あまりに人が多いので、「井桁屋」という店にササッと入ってササッとお土産を購入して、ホントにさっさと出てきてしまいました。
平日なのにあの賑わい。う~む、もうちょっとゆっくり見たかった(^^;

有松しぼりにはいろいろな絞り柄があり、各家庭によって絞りの技術が受け継がれてきたそうです。
本当は「有松・鳴海絞会館」を見学したかったのですが、この日の歩行距離は20キロ以上の予定だったので、また改めて訪れようと思いました。

有松へのアクセスは、静岡からはJRで豊橋駅まで行き、豊橋駅から名鉄名古屋本線に乗り換えて有松駅まで50分ぐらい。

反物をすべて絞り染めで、というのは素人からすると気が遠くなる作業。
しかし職人さんの手にかかるとお手の物、とはいうものの、やはり大変なことです。
▼これぞプロの技!

2011-04-13 | 東海道歩き
トップページ写真の更新が遅くなりました。
この桜は、愛知県豊明市にある「高徳院」に咲いていたものです。
木曽路桜だそうですヨ。濃いピンク色が素敵です。

高徳院は桶狭間古戦場跡の、道を挟んで向かい側にあるお寺です。
桶狭間古戦場資料館もあります。

東海道を歩きがてら、古戦場跡で一休みしました。
古戦場跡は日本庭園のように整備され、かつて激しい戦いが繰り広げられたなどとは想像するのにも難しいほどです。


名鉄名古屋本線 中京競馬場前駅から歩いてすぐです。