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伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】2

2012-09-09 | 旧街道あるき
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がーーん


・・・フィルムが切れたのでデジカメになってしまった。
ここで説明しよう!
旧街道歩きの道というのは、現在はほとんどがさびれてしまって人が通らない道になっているため、便利なお店やコンビニがその道沿いにあると思ってはいけないのである。
ようするにフィルムが手に入らないっ!!というのがこのときの心の叫びなのでした。
デジカメあるからいいんだけどね。好きじゃないのだデジカメ・・・

さて気を取り直して「有明六地蔵」(六地蔵石幢)。

一体一体が別のお地蔵さんではなくて、六角形の龕部(がんぶ)に地蔵がレリーフ状になって刻まれています。
三重県の文化財に指定されているそうです。

何でしょっちゅう道を撮るのかというと、街道らしい道が好きだから。
時々「何撮ってるのだろう?」と奇異の目で見られるのだが、全く気にしない。

変わっているのは今に始まったことではないからなのだ( ̄^ ̄)←いばるな



←安養寺ですが、明星水というのが気になるので立ち寄りました。
(この辺りは明星という地名です)

井戸の所まで行ってみます。



←木の左にある井戸が明星水の井戸


つまり安養寺で参宮者をもてなして茶の湯の席がもうけられたりして、安養寺の火で沸かしたここの水には「清めの力」があるとして、大人気だった・・・と、要約してそんなんでしょうかねぇ。

坂には時々食べ物の名前がつけられることがある。東海道保土ヶ谷~戸塚の「焼き餅坂(その坂道で焼き餅がよく売られていた)」とか・・・他に思い浮かばない(^^;
ここの「そうめん坂」もだいたい同じ理由にちがいないねッ。

↑ほらね
今もそういうお店があったら嬉しいのですが、こんなところを歩いているのは近所の人か歴史街道ウォーカーか、神社仏閣巡りをしている人や歴史家ぐらいなものです。
お店は当然やっていけないので、無いのは仕方ないのです。
カメラ屋さんがないのも仕方ないのです(←フィルムが恋しいらしい)

このときは6月初めだったので涼しいつもりではいたのでしたが、しっかり暑いので気が遠くなりつつ歩いていたような気がします。

気が遠くなったところにヒバリのさえずりが聞こえ、見上げる。
ちよっと元気になる瞬間です。(写真の上方の黒い点がSkylark=ヒバリちゃん)

って、誰もヒバリだとはわからん(^^;
ああ空が青い・・・。←また気が遠くなってる



右端の写真は「徳浄上人千日祈願の塔」。
ガイドマップには以下の説明があった。
「「上人さん」と呼ばれる石碑。庚申堂を霊場としていた。徳浄上人が、大飢饉・疫病に見舞われた村民の窮状を目の当たりにし、その救済のため、雨の日も風の日も伊勢神宮両宮に千日の間素足で日参したという。」
この地点から毎日伊勢神宮両宮へ千日往復・・・しかも裸足で・・・。
祈りの力ってスゴいです。人々を思う気持ちか、よほどの惨状を目にして思い立ったか。

このあたりで街道は大きく右折し、狭いのに車どおりの激しい道に出ました。
増田カイロ付近でいうと、大谷街道や池田街道のような感じ(^^;

そんな道をおっかなびっくり歩いていると・・・ありました!!

へんばや!!
前記事で「へんば餅」について触れましたが、その名物を今も売り続けているありがたい「へんばや」。
「へんばとは、三宝荒神など馬に乗った参宮客が、ここで馬を返して一休みした(返馬)茶店から名付けられた」
とガイドマップに掲載されています。
で、へんば餅がコレ↓

焼いたお餅の香ばしさとあんこのコラボレーションが最高に好きなのです。
今、砂糖制限されている人が多い中(ワタシも同じなので許してクダサイ)、こんなウマソーなものを出してしまうことに罪の意識を感じつつ(^^;
これが、歩きながら食べるとまたサイコー(←また歩きながらかッ)なのです。
お店の中で食べられるということを単純に気付かなかっただけなんですけどね

そんな甘いものもあっという間に消化する20キロの歩み。どんどん景色を流して行きまっしょい。

ここでやっと写真店を発見した私は喜び勇んで入店しました(^^)♪
お店の人とちょっと話をしていたら、
「そういえばこの道のすぐ先にもなにか石碑が建っているから、行ってみるといいですよ」
との情報があった。お礼を言ってすぐに向かいました。

紀州藩の高札場跡。本当によくいろいろな跡がこれほど残されているものです。





さて、やってきました

どこって・・・宮川です。
歌川広重の浮世絵で有名ですが、以下はWikipediaに掲載されている広重作「宮川の渡し」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ando_hirosige_miyakawanowatasi.jpg
現在は渡し近くの街道も渡し場所もなくなっていますが、間違いなく渡しが行われた宮川!!
・・・ついつい力んでしまった。だって・・・だって・・・
ここを渡れば「お伊勢さん」!!


なのだもの・・・と思っていたのですが、実際はもう少し先のようです(^^;

まあ、とにかくさっさと橋を渡ろう。


まだ伊勢神宮には着かないので、とりあえずもう少し歩くのだ。
道標の説明。
「すぐ外宮江 十三丁半、 内宮江 壱里三十三丁半」と書かれている、とありました。

すぐ外宮へ・・・すぐ外宮・・・(@_@;)←かなりテンパッている
 足が・・・足(特に足の裏)が痛いのである!

そして欄干と擬宝珠が残る橋、「筋向橋」がありました。

撮る位置が悪すぎでわからん写真に・・・_| ̄|○

関西方面からの参宮道である「伊勢本街道」と、関東からの参宮道である「伊勢街道」はこの筋向橋で一つになった。
もともと道筋と橋の板が「すじかい」になっていたことからこの橋の名前がつけられたらしい・・・と説明には書いてあります。


うーん・・・まだまだ歩くのかなぁ・・・と思いながら痛む足を引きずって歩いていたら



あら・・・?



おや・・・?

あらら・・・どうやら伊勢神宮(外宮)に到着したようです・・・。(テンション低ッ!)


なにせ到着が午後6時過ぎでしたので、もうとっくに入れないモンだと思ってしまい、しばらく木の根元に座り込んでました。
でもまだお参りに入っていくヒトが居たので、どうやら大丈夫らしいと確信し、私も見学見学(←あくまでもお参りではなく見学を決め込んでいる)


←団体さんいらっしゃ~い的な手水舎



←「本日は終了しちゃいました」的な「式年遷宮記念 せんぐう館
  ・・・いいんだ、4時で入館終わりなのはわかっていたんだ。



出口が近いので、テンション低いまま神社を出ようとしたら、
ガサガサガサッ!
左側の木々の間に何かうごめくモノが・・・っ!((;゜Д゜)ガクガクブルブル

おっかなびっくり音のする方を見ると、そこには大きなイノシシが居たのです!!
ええーーーっとビックリしながら足早に鳥居をくぐり、立っていた警備員さんに
「さっきそこに、イノシシ居たんですけど・・・」と聞くと
「ああ、おりますねぇ(^^)」と、フツーーに、ごく当たり前のように返されました。
暗くなって人が少なくなると出てくるそうです。人を襲うようなことはめったにないようなのでまあ気にしなくてもよいとのことでした。
テンション低かったワタシは、これでイッキに高くなりました。
伊勢神宮(外宮)は、神々とイノシシの住まう場所でした(≧▽≦)だはははは

足が痛くてたまらない私はこの後すぐホテルに向かい、重たいリュックを下ろして今度は洗濯の旅に出るのでした(ホテルが古いのでコインランドリー無いところだった為、コインランドリーを探しまくった)。
内宮まで行けるかなーと思っていましたが、もう明日にします。
外宮から内宮までは、あとほんのちょっとの旅です。

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