とある何でも屋スタッフブログ

何でも屋スタッフ発信。
業務の一員としてではなく超・個人的なブログ。

伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】3

2012-09-13 | 旧街道あるき
はい、やっと伊勢街道最終回。
今回は外宮から内宮までの短い旅です。
朝寝坊してしまったので、ゆっくり目の8時台に出発です(^^;


←外宮(豊受大神宮)にもう一度来るつもりです・・・帰りに。



小田橋。
「江戸時代までは本橋の横に小橋(仮屋橋)が架けられており、忌服の人や生理中の女性は小橋を通ることになっていた」とマップの説明に書かれていました。



道標♪

間の山お杉お玉の碑
尾部坂(間の山=あいのやま)の辺りに女二人組の大道芸人「お杉・お玉」がいつも三味線や胡弓をかき鳴らし、旅人に投げ銭を乞うことで有名だった。この辺りにいつも居たのだろう。
東海道中膝栗毛にもそのような女性二人の大道芸人(「いにしえのお杉お玉が面影をうつせし女の・・・」とあるから、お杉お玉ではないのだろう)が出てくる。
旅人達がよってたかって投げ銭を、二人の顔にめがけて「当てようと」するが、大道芸人の女達はこともなげに「ひょいひょい」とかわす。
弥次さんが頭に来て石を投げる(よい子は危ないからマネしちゃだめだよっ)が、女はそれをバチでちょいと受け、石を投げ返して見事、弥次さんの顔に当たるというエピソードがある。
悪いコトしちゃいけません、弥次さん(^^;
もっとも弥次喜多の二人はいつもいつもいつもいつも・・・・悪いことしてますがね。

備前屋(鼓楼)跡
この辺り、「古市」は江戸時代の中期における「三大遊郭」の一つ・・・だそうです。
京の島原/江戸の吉原/伊勢の古市が三大遊郭。
「内宮に参拝した後、男の旅人にとっては精進落としで盛り上がる遊び場があった」・・・というようなことを杉浦日向子先生が語ってたけど、ここのことかぁ~(^^)♪

こちらは「油屋跡」。やはり鼓楼です。
油屋騒動があった場所でものすごく有名になってしまったそうな。相手の遊女が他の客と掛け持ちしていたのに腹を立てた町医者が、脇差しを振りかざして暴れ、死者二名、負傷者七名を出した。事件を起こした人物は十日後に自殺。
歌舞伎の演目(伊勢音頭恋寝刃)まで作られてしまうぐらいに有名になったこの事件。
真実はよくわからない。廻しを取られた(客の掛け持ちをされた)ぐらいで、そんなに怒るかなぁ。
その遊女はケガをしたものの、その後も仕事をしつづけたのでこの油屋は「騒動の中心となった遊女を見てみたい」という旅人が客としてひっきりなしに訪れたため、大繁盛だったそうな。

←この道は鼓楼でいっぱいだったのだろう。

楼閣の面影を残す「麻吉旅館」。
あんまり入っちゃだめなのかと思って控えめに写真撮ってしまった。

道標

いろいろ(←おい)

猿田彦神社。
私が旅をしている間、道ばたには「道祖神」とよばれるものがたくさんありました。
旅人の道中を守るため、また地元の人を旅人からもたらされる悪から守るために祀られたものです。
サルタヒコはニニギが天降りしたときに道案内をしたということで、道祖神と同一視されています。
だから私は今まで、猿田彦命には間接的にお世話になっているわけですね。
一応お礼を言いに行ってきました。


月よみの宮さんけい道と刻まれている道標


さて、いきなりこんな街並みです。


こ・・・ここは・・・。

おかげ横町ってやつですかね
↑※おはらい町です(もの知らず(^^;)
おかげ横丁はこっち↓でした。


進んでいくと、向こう側から人がいっっっぱい歩いてきます。
今までずっと私は一人で歩いてきたのに、いきなり沢山の人が現れるとかなりビックリします(^^;
どうやらおはらい町に着いたようです。

とりあえず、朝から何も食べていないことに気づいたので休憩です。
←また甘いもの出すのかっ(^^;
いやあ~、お伊勢さんに来たらまずは「赤福」食べないとねぇ。

りっぱな店構えだ。



ふむふむ・・・


( ゜д゜)ハッ!
内宮に向かっていたのを忘れていた!!!

いやー、本気で忘れかけてました(^^;
急いで内宮に行きました。










・・・・ひ・・・人が多くて疲れた_| ̄|○

本気で疲れてしまったため、このままバスに乗って伊勢市駅まで来てすぐに静岡まで帰ってきてしまいました。
外宮も「もう一度」と思っていたのですが完全に行く気力を失ってしまったのでした。
土日に行ったらもっと人が多いのでしょうね(^^;

ところで、昔の人はお土産に何を買っていたでしょう。
江戸時代の旅人お土産ランキング第1位!!
それは・・・「薬」です。
この伊勢にも「萬金丹」という有名な薬があるので、旅人はこぞって買っていたようです。

私も買っちゃった♪

本当は、宮川の渡しのすぐ後に「小西萬金丹」があるのですが・・・見逃しました。
だからおはらい町のハート薬局さんで買いました(^^)

さて、伊勢街道の旅はこれでお終いです。

次は、そこから旅人が京都へ行くために利用した「伊勢別街道」の旅が始まります!!
って、まだやるのかー!!(^^;←懲りない

伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】2

2012-09-09 | 旧街道あるき
前記事はこちら

がーーん


・・・フィルムが切れたのでデジカメになってしまった。
ここで説明しよう!
旧街道歩きの道というのは、現在はほとんどがさびれてしまって人が通らない道になっているため、便利なお店やコンビニがその道沿いにあると思ってはいけないのである。
ようするにフィルムが手に入らないっ!!というのがこのときの心の叫びなのでした。
デジカメあるからいいんだけどね。好きじゃないのだデジカメ・・・

さて気を取り直して「有明六地蔵」(六地蔵石幢)。

一体一体が別のお地蔵さんではなくて、六角形の龕部(がんぶ)に地蔵がレリーフ状になって刻まれています。
三重県の文化財に指定されているそうです。

何でしょっちゅう道を撮るのかというと、街道らしい道が好きだから。
時々「何撮ってるのだろう?」と奇異の目で見られるのだが、全く気にしない。

変わっているのは今に始まったことではないからなのだ( ̄^ ̄)←いばるな



←安養寺ですが、明星水というのが気になるので立ち寄りました。
(この辺りは明星という地名です)

井戸の所まで行ってみます。



←木の左にある井戸が明星水の井戸


つまり安養寺で参宮者をもてなして茶の湯の席がもうけられたりして、安養寺の火で沸かしたここの水には「清めの力」があるとして、大人気だった・・・と、要約してそんなんでしょうかねぇ。

坂には時々食べ物の名前がつけられることがある。東海道保土ヶ谷~戸塚の「焼き餅坂(その坂道で焼き餅がよく売られていた)」とか・・・他に思い浮かばない(^^;
ここの「そうめん坂」もだいたい同じ理由にちがいないねッ。

↑ほらね
今もそういうお店があったら嬉しいのですが、こんなところを歩いているのは近所の人か歴史街道ウォーカーか、神社仏閣巡りをしている人や歴史家ぐらいなものです。
お店は当然やっていけないので、無いのは仕方ないのです。
カメラ屋さんがないのも仕方ないのです(←フィルムが恋しいらしい)

このときは6月初めだったので涼しいつもりではいたのでしたが、しっかり暑いので気が遠くなりつつ歩いていたような気がします。

気が遠くなったところにヒバリのさえずりが聞こえ、見上げる。
ちよっと元気になる瞬間です。(写真の上方の黒い点がSkylark=ヒバリちゃん)

って、誰もヒバリだとはわからん(^^;
ああ空が青い・・・。←また気が遠くなってる



右端の写真は「徳浄上人千日祈願の塔」。
ガイドマップには以下の説明があった。
「「上人さん」と呼ばれる石碑。庚申堂を霊場としていた。徳浄上人が、大飢饉・疫病に見舞われた村民の窮状を目の当たりにし、その救済のため、雨の日も風の日も伊勢神宮両宮に千日の間素足で日参したという。」
この地点から毎日伊勢神宮両宮へ千日往復・・・しかも裸足で・・・。
祈りの力ってスゴいです。人々を思う気持ちか、よほどの惨状を目にして思い立ったか。

このあたりで街道は大きく右折し、狭いのに車どおりの激しい道に出ました。
増田カイロ付近でいうと、大谷街道や池田街道のような感じ(^^;

そんな道をおっかなびっくり歩いていると・・・ありました!!

へんばや!!
前記事で「へんば餅」について触れましたが、その名物を今も売り続けているありがたい「へんばや」。
「へんばとは、三宝荒神など馬に乗った参宮客が、ここで馬を返して一休みした(返馬)茶店から名付けられた」
とガイドマップに掲載されています。
で、へんば餅がコレ↓

焼いたお餅の香ばしさとあんこのコラボレーションが最高に好きなのです。
今、砂糖制限されている人が多い中(ワタシも同じなので許してクダサイ)、こんなウマソーなものを出してしまうことに罪の意識を感じつつ(^^;
これが、歩きながら食べるとまたサイコー(←また歩きながらかッ)なのです。
お店の中で食べられるということを単純に気付かなかっただけなんですけどね

そんな甘いものもあっという間に消化する20キロの歩み。どんどん景色を流して行きまっしょい。

ここでやっと写真店を発見した私は喜び勇んで入店しました(^^)♪
お店の人とちょっと話をしていたら、
「そういえばこの道のすぐ先にもなにか石碑が建っているから、行ってみるといいですよ」
との情報があった。お礼を言ってすぐに向かいました。

紀州藩の高札場跡。本当によくいろいろな跡がこれほど残されているものです。





さて、やってきました

どこって・・・宮川です。
歌川広重の浮世絵で有名ですが、以下はWikipediaに掲載されている広重作「宮川の渡し」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ando_hirosige_miyakawanowatasi.jpg
現在は渡し近くの街道も渡し場所もなくなっていますが、間違いなく渡しが行われた宮川!!
・・・ついつい力んでしまった。だって・・・だって・・・
ここを渡れば「お伊勢さん」!!


なのだもの・・・と思っていたのですが、実際はもう少し先のようです(^^;

まあ、とにかくさっさと橋を渡ろう。


まだ伊勢神宮には着かないので、とりあえずもう少し歩くのだ。
道標の説明。
「すぐ外宮江 十三丁半、 内宮江 壱里三十三丁半」と書かれている、とありました。

すぐ外宮へ・・・すぐ外宮・・・(@_@;)←かなりテンパッている
 足が・・・足(特に足の裏)が痛いのである!

そして欄干と擬宝珠が残る橋、「筋向橋」がありました。

撮る位置が悪すぎでわからん写真に・・・_| ̄|○

関西方面からの参宮道である「伊勢本街道」と、関東からの参宮道である「伊勢街道」はこの筋向橋で一つになった。
もともと道筋と橋の板が「すじかい」になっていたことからこの橋の名前がつけられたらしい・・・と説明には書いてあります。


うーん・・・まだまだ歩くのかなぁ・・・と思いながら痛む足を引きずって歩いていたら



あら・・・?



おや・・・?

あらら・・・どうやら伊勢神宮(外宮)に到着したようです・・・。(テンション低ッ!)


なにせ到着が午後6時過ぎでしたので、もうとっくに入れないモンだと思ってしまい、しばらく木の根元に座り込んでました。
でもまだお参りに入っていくヒトが居たので、どうやら大丈夫らしいと確信し、私も見学見学(←あくまでもお参りではなく見学を決め込んでいる)


←団体さんいらっしゃ~い的な手水舎



←「本日は終了しちゃいました」的な「式年遷宮記念 せんぐう館
  ・・・いいんだ、4時で入館終わりなのはわかっていたんだ。



出口が近いので、テンション低いまま神社を出ようとしたら、
ガサガサガサッ!
左側の木々の間に何かうごめくモノが・・・っ!((;゜Д゜)ガクガクブルブル

おっかなびっくり音のする方を見ると、そこには大きなイノシシが居たのです!!
ええーーーっとビックリしながら足早に鳥居をくぐり、立っていた警備員さんに
「さっきそこに、イノシシ居たんですけど・・・」と聞くと
「ああ、おりますねぇ(^^)」と、フツーーに、ごく当たり前のように返されました。
暗くなって人が少なくなると出てくるそうです。人を襲うようなことはめったにないようなのでまあ気にしなくてもよいとのことでした。
テンション低かったワタシは、これでイッキに高くなりました。
伊勢神宮(外宮)は、神々とイノシシの住まう場所でした(≧▽≦)だはははは

足が痛くてたまらない私はこの後すぐホテルに向かい、重たいリュックを下ろして今度は洗濯の旅に出るのでした(ホテルが古いのでコインランドリー無いところだった為、コインランドリーを探しまくった)。
内宮まで行けるかなーと思っていましたが、もう明日にします。
外宮から内宮までは、あとほんのちょっとの旅です。

この日歩いたルートは以下の通り▼クリックしてくださると嬉しいです

伊勢街道その5【松阪~伊勢神宮】1

2012-07-26 | 旧街道あるき
6/6-7は連休でした。最近の連休は前日の火曜夕方、職場からそのままお出かけしてます。
今回は松阪から伊勢神宮までたどり着く旅。

伊勢神宮へ行くために、今は新幹線と特急列車でビュイーンと短時間で行けてしまうのですが、昔の人は歩いていくわけですから何日もかけて自分の住んでいるところから旅立ちます。
1830年のおかげ参りの時がイチバンのブームだったらしく、500万人もの人々が伊勢に押しかけたのだとか。
江戸から出立して伊勢神宮に着くのには、急ぎ足でも14-15日。しかし、ほとんどは一生に一度の旅行ですから物見遊山。ゆっくり往復二ヶ月ぐらいかけながらだったようです。
ワタシの旅はその「昔の人たちと一緒に歩く旅」がテーマでもあります。その当時の人々が味わった気持ちが、ほんの少しですがわかる旅です。
「今も歩いてだなんて、大変だねぇ。しかも一人で?」
一人で歩いていると、時々地元の人が親切に声をかけてくれます。
一人なのはそれが好きだからで、歩くのはちっとも大変ではなくかえってそれが当たり前で、かえって最高の贅沢のような気がします。
旧道の雰囲気がよく残っているところを歩いていると、昔の旅装束の人たちが沢山行き交っている姿が、勝手に見えてきます。(幻ではなく、たんなる想像の目です)
そして、なにせ景色がゆっくりと流れますから、どこに何があったか大体憶えていて勝手に「自分の道」にしてしまう感覚があります。贅沢でしょう?(^^)

立川談志師匠も、なんの噺だったか旅にまつわる落語のマクラで、「昔の人は大変だったなんて他の落語家は言ったりするけど、ちっとも大変じゃない。それが当たり前なんだからね。」と言い、さらに今のビューーンっと行ってしまう便利な交通機関をチョットだけぼやき、「そのうちに貧乏人だけが新幹線使って時間短縮してさ、金持ちは歩いてゆっくり何ヶ月かかけて行く世の中になるんじゃないのかねぇ。」なんて事を話してました。
「なるほどなぁ」と感心してしまったのは、歩いて旅する優雅さを知っている人たちや、その「歩いて当たり前」に気づいていなかった落語家だったのかもしれません・・・。
小遊三師匠の「蜘蛛駕籠」マクラでも、談志師匠のその話のことが語られてました。「おかげで『昔は歩いていくから大変でした』って言うと、どうも・・・心にワダカマリがあるんですねぇ」と。

しかし、ワタシが前回の続きの旅に行く時にも、やっぱり便利な交通機関がないと困ります(^^;
江戸時代では伊勢参りに行く者を解雇してはいけない決まりになっていましたが、現代ではとうてい通用しませんからねぇ。それ以前に、常識的にも現代の抜け参りはありえません。

さてさて、今回は松阪からです。やっと本題。
6/5(火)は一足先に15時ぐらいに上がらせてもらい、急いでJRの在来線に乗り込みます。なぜ泊まるだけの日に急ぐか。

それは三重県津市の映画館で
「映画館落語 かもめ亭」を観るためでした!
なにせワーナーマイカル系の映画館でしか上映されないということで、静岡での上映予定が無いのです。
ちょうど行き先方向の津市で上映されているという情報を入手。19:35からの上映に間に合うように急いでいったのです。まあまあ面白く鑑賞しました(^^)
それから松阪へ行って一泊。朝は7時30分ごろ出発。
まずは、前回見学しそこねた松阪城址へ向かいます。
そのまえに本居宣長宅跡の辺りも見学しました。

そして松阪城址見学です。

なにせこの日も泊まりの予定なので、いつもと違って寄り道しまくりなのです。気分は完全にハイテンションになっています。
二の丸までのぼって行くと、こんな風景が見下ろせます。

旧松阪御城番長屋です。1863年、城の警護のために「御城番職」が設けられ、御城番武士20人とその家族の居宅として松阪城三の丸の位置に作られたのだそうです。
何棟かは貸家となっているようですが、今もその子孫の方々によってこの長屋の維持管理がされているそうです。
そのうちの一軒は見学ができるように公開されていますが、まだ朝早いので閉まっていました。

もう少し城跡を散歩してみることに。

そろそろ疲れてきたので(早っ!)御城番長屋の辺りを散歩しつつ、伊勢街道に戻ることにしました(^^;
▼これは御城番屋敷の土蔵です。

現在はギャラリーとして公開されているようですが、これも公開時間外でしたのでそのまま立ち去りました。

さて、伊勢街道に戻って歩き始めます。
時刻は8時半を過ぎてしまいました。早速あせり始めるワタシ(^^;

その前に・・・今回は試してみたいことがありました。
題して
ミズノの「わらじ型ウォーキングシューズ」でどこまで街道を歩けるのかっ?
[ミズノ] MIZUNO ウェーブリバイブ 5KS010 (ブラック/M)
MIZUNO(ミズノ)
MIZUNO(ミズノ)
▲コレです。
昔の人は一日平均35キロ歩いていた。そんなに歩けたのは何故なのか。ミズノはその足元に注目しました。・・・・で、開発されたのがこのわらじ型ウォーキングサンダル「ウェーブリバイブ」なのです。
つまり、わらじの原理を使って長距離歩いても疲れない画期的なウォーキングシューズというのが売り。
昔の人同様、街道を長距離歩いて移動するワタシがこのウォーキングシューズ(でも破格の旧タイプを入手)を使ってどこまで歩けるのか。試してみようではないですか。

ということで、お城見学まではいつものシューズでしたが、街道に戻ってからウェーブリバイブに履き替え、いざ、伊勢神宮(外宮)へ!!

さっそくいつもの追分道標。

この日は暑かったです。今のような夏の暑さではないのですが、梅雨前の独特の暑さがありました。脱水に気をつけながら歩きます。
カタツムリ見っけ!わりと大きかったです。大きいカタツムリをすっかり見かけなくなったので珍しくて撮ってしまった。

さて、いつもの街道風景の始まりです


堤防の石碑は「女人供養塔」です。堤防に建っている女人供養塔。ここにも女たちが夜な夜な堤防を築いたという伝説があるのでしょうか。

「禁酒の神 沖玉の夫婦石」だそうです。
この石に酒をかけて、お酒を預かってもらうと禁酒ができるそうなのです。
ワタシはいくら日本酒好きでもおちょこ一杯でまっかっかになってしまうので、わざわざ禁酒しなくてもいいのだな。で、でも日本酒の味は好きなのだな。だけど下戸なのだな(永遠にループ)。


おおっ!外宮まで4里!!
・・・喜んでいる場合ではなかった。
まだ一里しか歩いていないということでした_| ̄|○
ウォーキングサンダルはこの時点では順調。ただし、足首ががっちりガードされないため、時々くるぶしの辺りに「ぐらっ」という不安感があり。
とりあえず先へ進むのです。


虫籠窓(むしこまど)がある「おもん茶屋跡」です。このあたりの名物「へんば餅」を売っていたそうです。

・・・・という名物を書いたりすると、「へんば餅」が気になる人がいることでしょう。え、居ない?
・・・・・
ワタシは気になりますっ(@_@;
ということで、あとでそれは紹介します。
この後、スーパーで惣菜を買って、休憩コーナーでさらっと昼食。すぐに出発です。


櫛田川を渡ります。昔の川というのは橋が架けられていないのが標準です。
ウォーキングマップの説明は以下の通り。
「櫛田川は、春・冬の渇水期には仮橋が架けられ、夏・秋の増水期には舟で旅人を渡し、それぞれ橋銭・舟銭を徴収していた」

↑渡し場所の跡には石碑が建つものです。



なんだかのどかな風景です。天気も良くて嬉しくなってきました。




祓川に来ました。[斎王群行の際、ここで祓いをして斎王宮に入ったことから名付けられた。]とウォーキングマップにはありました。
東海道歩きの頃から「斎王って何じゃ?」という疑問があったりしたのですが・・・興味わかず(^^;
しかし今回は「興味わかず」では済まされないのです。なぜならば斎宮跡の近くを通るからなのです。
まあ・・・斎王に関しては斎宮歴史博物館のサイトをご覧ください。
なにやら以前テレビ番組もあったようです。ただし、「斎王=悲しみの皇女」と勝手に植えつけるのはイクない気がしますが。
先入観なしで斎王を知るには「斎宮歴史博物館」がよいと思います。博物館に関しては後述します。


外宮まであと三里!・・・ってことは、あれから一里しか進んでません。

そんなこんなでぽてぽて歩いているうちに、斎宮歴史博物館に立ち寄ることにしました。


ものすごく広い敷地なのです。いかに斎宮が大きなものだったかがうかがい知れます。
中に入ると映画の時間案内をされました。時間が合わないし、そんなにノンビリしてたら外宮に着くのが遅くなるのでパス。
とりあえずさらーーっと見てきました。
ようするに斎王というのは、天皇が決まるとその度に天皇ゆかりの皇族の中から選ばれる未婚の女性。
天皇の代わりに伊勢神宮に仕えるために京から伊勢へ派遣されます。
普段は斎宮で俗世間と離れた清らかな生活し、年3回伊勢神宮へおつとめに行ったようです。
以上、見学終わり!←あくまでもさらっと見学



▼竹神社へ立ち寄りました。




この竹神社で、もう足の裏が痛くてたまらなくなり、ついにミズノ ウェーブリバイブは脱ぎ捨てられたのでした!!(捨ててない捨ててない…)
この神社でふだんの靴に履き替え、リュックの重量も幾分減りました♪
うーん・・・15キロ歩けなかったねぇ。ワタシの足では!
ただしこれ、舗装されてない道ではかなり気持ちいいです。砂利が入ってくるという点を除いては。昔のような土の道路だったら30キロいけるかもしれません。
ソールとくるぶしの保護さえもう少しがっちりしていたらいいのでしょうね。
それ以外は文句なしでした。地面を足の指でがっちりつかむ様に歩ける靴です。

さあ、足の装備も整ったし、今度こそ外宮へ!!

あ・・・カメラのフィルムが切れた・・・。
続く!!(^^;

伊勢街道その4【津~松坂】後編

2012-05-10 | 旧街道あるき
いばら餅を食べて好調な足取りになったワタシは、また調子に乗って歩き、松阪を目指します。

しかし、1.5キロ以上に渡って田んぼの間の道が続く中、ひばりのさえずりやうぐいすのさえずりを聞きながら、のどかな気分で菜の花に見とれてみたりしているうちに、また歩みが遅くなっていたようです(^^;


そしていつの間にかお昼です。いばら餅はとっくに消化されたのか、ちょっと食べたためにかえってお腹が減ってしまったのか、腹の虫まで鳴り出す始末です。
雲出川の土手を歩いているときに空腹がピークになったので、ちょっと川の近くまで降りてリュックの中から自家製パン(自宅から持ってきた)を取り出して食べるのでした。これが昼食(^^;

とりあえず中途半端に腹は満たされ、雲出川を渡ります。
昔の川渡しの場所には橋が架かっていないので、橋まで迂回します。

迂回路終わり!街道に戻ります。
街道に戻るなり、旧街道らしい街並みに嬉々とするワタシ

この辺りは旅籠が軒を並べていた雲津宿(雲出宿)らしいです。←宿場町当時の屋号が、各家に掲げられているのです。なんて素晴らしいのでありましょう♪

▲大好物の追分です(月本の追分)。ここから右へ進むと奈良街道です。この辺りにはやはり茶屋があり、一服する人が沢山いました。

この狭い街道を1日2万人ぐらいの人が行き交っていたんですね。
今では信じられないですが、追分ともなると本当に沢山の人々がいたのでしょう。

▲追分道標と街道の景色特集(^^;
香良洲道への追分道標があちこちに見られますが、伊勢街道から香良洲神社へ行く道はあちこちにあるのです。ワタシも伊勢神宮へゴールしてからの折り返しで、伊勢神宮→伊勢街道→伊勢別街道の途中で香良洲道を行ってみようかという気になってきてしまいました。
その昔「からす詣らねば片参宮」とまでいわれたそうです。

一里塚跡を見つけました。

なんだか懐かしい感じがします。
伊勢街道を歩き出してから、道標と追分道標と常夜灯ばかり見ていたように思うのですが、一里塚跡も残されてましたね。
三重県は本当に「残そう、語り継ごう」という姿勢があちこちにみられます。
ワタシも見習おうと思います・・・語り継ぐ相手がいない(^^;
ブログで語ってやるぅ~



あ、無言になってしまった←語り継いでない
実は久しぶりの歩きで、相当疲れてしまったのでした。(また写真撮っている時の記憶が飛んでます)
それにしても、この辺りは「蔵」が多いのです。普通の民家だと思っている家に、ふつーに蔵がある。しかも黒い蔵が多い。商家がたくさんあったからなのか、お金持ちが多かったのか・・・と考えてるうちに、どうやら松阪宿に着いてました(^^)
松阪商人の館を見学することにしました
小津産業はここから始まった・・・らしいです。
ここで説明してくれる男性の話を聞いたのですが、「時間ありますか?」と聞かれ「ちょっとだけ」と言ったために、もの凄く早口でしゃべってくれました。
で、実はほとんど聴き取れなかった(^^;
説明がひととおり終わってから「この辺は蔵がたくさん残ってますね」なんて世間話をしたら、「そう、津とちがってあまり爆弾落とされなかったからね。空襲を避けるために建物をほとんど黒く塗って、戦闘機から見えないようにしたんだよ」と教えてくれました。
勉強になるなぁ!!・・・説明のかた、ありがとうございました。

そんなこんなで16時半ぐらいに松阪駅に辿り着き、今回の伊勢街道の旅はここまで。
続きはまた今度にしようと思います。

さて、歩き終えて松阪駅から津駅に戻ってきました。
何をしに来たかって、そりゃ・・・

当然津ぎょうざ↑を食べに来たのです!!
氷花餃子 津駅前店サマ、美味しかったです(^Q^)他に氷花餃子↓も食べて満腹でした。

そして汗とニンニクのニオイをまき散らす女は列車に乗り込み、無事静岡へと帰ってきたのでした。
今回の旅の行程↓。以下の地図をクリックしていただけると嬉しいです。

伊勢街道その4【津~松坂】前編

2012-05-10 | 旧街道あるき
とりあえず黄砂は飛びまくってはいるのですが、2月~4月上旬までの過ごしにくい時期は脱出しました。
黄砂は飛びまくってますが!!←しつこい

まあそんなわけでして、春の最初のうちは「おんもへ 出たいと 待っている♪」な桐井でしたが、ここへきてガマンの限界(ぶちっ)
4/25-26の連休は伊勢街道あるき旅へ出かけてきました。

連休前の火曜の夕方、クリニックからそのままリュック背負って東静岡駅へ。
JR東静岡━―(掛川で乗換)━―━JR豊橋駅━―━―━JR名古屋駅 ←在来線の旅
近鉄名古屋駅━━━━津駅 ←特急アーバンライナーの旅
アーバンライナーは足置き台やら各席に収納テーブルついているやら、飲料の自販機があるやらで、非常に快適な列車で気に入ってしまいました。
・・・と列車の旅で満足して終わってしまってはいけないのでした(^^;

今回の旅は目的が3つ(優先順)ありました。
1.旧伊勢街道 津~松坂 を歩く
2.近鉄特急アーバンライナーに乗る(←乗ってみたかっただけで、テツ子ではありません)
3.津ぎょうざを食べる

さて、16時台に東静岡を出発しても、名古屋まで在来線で乗り継いできたのでホテルに着いたのは21時台。
ここで津ぎょうざを求める旅が始まったのではありますが、出かける前にちゃんと調べておかなかったので駅前をウロウロ彷徨うだけで、結局見つかりませんでした。
適当に入った飲食店では扱っておらず、ちょっぴりガックリでしたが、そこで食べたものが美味しかったので満足

翌日はいつもどおり4時台に起き(老人性ではありません)、5時の大浴場開始時刻と共に入浴。6時45分の朝食開始時刻と共に朝食会場へ(繰り返しますが、老人性ではありません)、そして7時台に出発です。
この日の行程は21キロ。約4ヶ月ぶりの歩き旅なのでそんなに歩けないかもしれないからとにかく早く出発なのです。

津の中心部は、静岡と同じく空襲があったところですので、そんなに昔のものはないかなー・・・と思ったら大間違い。
←アパートの階段下に何気なくある街道の名残り。
もう・・・大好きです三重県

▼聖徳太子が建立したと伝えられる、千年以上の歴史がある四天王寺


▼戦災の傷跡を残している塔世橋を渡ります。ここは元々橋が架けられていないところでした。「延宝三年(1675)に架橋された。幕末までは土橋で、河原へ一度降りて橋を渡った。」と、ウォーキングマップに解説がありました。

戦災の傷跡については日本の川と災害というサイトで説明があったので、時々ワタシのブログをチェックしている増田先生のためにリンクを貼っておきます。

▼日本三大観音の一つ、津観音の門前町はアーケード街です。

ここは朝市があるようで、朝っぱらから大変賑わっておりました。
で、肝心の津観音の写真は露光不足で失敗(^^;あれ?

ここから、暑かったのであまり記憶がないのですが写真を辿ることで自分の足跡を知ることが出来ます。
空襲から社を守ったといわれている御神木のイチョウがある市杵島姫(いちきしまひめ)神社を見たり
街道の街並みに見とれたり
八重桜や名前を知らない花に見とれたり
香良洲道との追分に見とれたり、常夜灯を見上げたりしていたようです(^^;
どうやら暑さだけではなく、トイレに行きたくて仕方がなかったのでよけいに気が遠かったようであります。
そして高茶屋駅でトイレを借りるついでに

ちゃっかり近くの団子屋で「いばら餅」買い食いしてます(^^;
ワタシは三重県以西にあるこの「いばら餅」に東海道の旅以来、心奪われているのです。
時刻は11時ぐらい。低血糖タイムにちょうど和菓子屋に出会えるとは・・・
さすが「高茶屋」!!
伊勢参りが盛んだった時代、この辺りの高台には茶屋が軒を並べていたのだそうな・・・。今は見事にないですが、街道沿いにはその名残の屋号を持つ「かつての店」があったような気がします。
やっと少しだけ歩くスピードが上がり、続きを歩くことができそうな予感なのでした。

なんと、後半へつづく。

車椅子の旅アップしました

2012-03-16 | 旧街道あるき
増田先生のブログを更新しました。

http://blog.goo.ne.jp/chiromasuda/e/ed220cb805e01b60f4223c1bd6a2f683
3/3に、増田先生を連れて東海道の一部分を車椅子で行く旅です。

すっかり忘れてたけど伊勢街道その3

2012-03-04 | 旧街道あるき
ついうっかり忘れてたのですが、前記事の続き歩きは、翌日の2012年1月1日に歩いたのでした。

足の裏の皮が剥けているかのような痛みは翌日になると少しは癒え、しかし足の指の爪は妙に痛く、一歩踏み出すごとに衝撃がきます。
しかし、やっぱり少しは歩けるだろうという軽い気持ちで出発しました。
昨日のノルマ予定だった「津駅」まで歩けばいいにしよう♪

近鉄普通列車に乗って「豊津上野駅」へ。
前日リタイヤした場所まで戻ってテクテクテクテクひとり旅です。
正月っからこのように、勝手気ままに好きなことできると、なんだか幸せ気分に浸ります。

・・・悦(幸せ気分満喫中)

・・・と、悦に入ってたら道を間違えました(; ̄д ̄)←またか




↑道路元標跡。もともとあったものは損傷が激しいので公民館に移されたそうです。
それでも「あったものを残そう」としている姿勢は、本当は家康の隠居先であったこの静岡の私たちが見習わなくてはいけないのではないかと思います。


街道をパシャパシャ撮っているうちに、追分に着きました。
1839年建立の常夜灯もあります。

どの道との追分かというと、巡礼道です。
振り返って撮った写真です。↓

右が巡礼道、左が伊勢参宮道ですね♪
↓道標もちゃんとあります。


もうちょっと歩くとすぐに常夜灯がありました。

1851年建立だそうです。

その後に、この日の目玉の「江戸橋」です。

木造の橋です。江戸に向かう藩主を、ここまで見送りに来ていたようで、それで「江戸橋」と名付けられたのだそうです。

渡り終えると常夜灯と道標がまたあります。

ここは伊勢街道と伊勢別街道の追分です。

↓いい街並みです(^^)

↓酢屋・阿部 津市指定文化財です。

このあたりには醸造を営む御店が多かったそうです。「かもし」の街ですかね?

てな感じで街並みに見とれているウチに、津駅に着きました。
もうちょっと歩けそうなのですが、やっぱり足の痛みが尋常ではなくなってきたのでそのまま静岡へ帰ることにした、2012年の初日なのでした。
正午前に出発し、静岡に到着は夕方5時ぐらいに到着しました。

街道歩きだらけの年末年始3日間・・・楽しかったです!!
この日に歩いたのは以下のルートです。▼地図をクリックしてください。

伊勢への道その2

2012-02-09 | 旧街道あるき
伊勢に行きたい 伊勢路が見たい たとえ一生に一度でも♪

と伊勢音頭で唄われる伊勢神宮。あるいは伊勢神宮への道。
伊勢参りへの旅路が江戸時代の庶民にとっての最高の楽しみでした。

60年に一度「おかげ年」(伊勢神宮で遷宮のあった翌年)というものがあり、庶民たちが集団で伊勢参りに向かいました。おかげ参りといいます。
これが全国的に大ブレイク。
どのくらいブレイクしたかというと、お金を持たない低~い身分の人でも「ふっ」といなくなっては旅行の集団に混ざってしまう。
奉公人が仕事中に「ふっ」と居なくなっては旅行の集団に混ざってしまう。
これがいわゆる「ぬけ参り」ですが、非常に多かったようですね。
お金や米を道行く人から分けてもらうためのひしゃくと、野宿用のむしろを手渡されればどんな人でも伊勢参りができちゃうのです。

あと「お伊勢講」ってやつもありましたね。
講のメンバーでお金を出し合い、くじ引きをします。くじにあたった人が「講」を代表してお参りに行くそうです。当たった人は次にはくじを引く権利がなくなるため、いずれはその講のメンバー全員が伊勢に行くことができる仕組みだったという。

伊勢参りが大流行?そんなにお参りに行くのが楽しいのか?
・・・と、現代のわたしたちには簡単には理解できないことなのかもしれないです。
しかしそれを掘り下げていくうちに、あー、こりゃ道楽だなと(^^;わかってくるのです。

ワタシも最近になって、「伊勢参り」がおまけであることがわかってきました。
この川柳を知ってからです。

伊勢参り 大神宮にも ちょっと寄り
「伊勢参り」という名目で旅立つわけですが、主な目的は「物見遊山」です。
宿場宿場で名物を食べたり、男だけの旅路だったら宿場ごとに飯盛り女と遊んだり(・・・はないか。宿場ごとに遊んでたらあっという間に旅費がなくなりますがな(^^;)、名所と名高いところにはどんどん寄り道したりとか。
そういえば「東海道中膝栗毛」の野次さん喜多さんも伊勢参り目的で愉快な旅をしてました。

なんだ、結局ワタシと似たようなものじゃん(^^;

今まで「伊勢参り する気もないのに 伊勢路行く」自分にちょっぴり罪悪感がありました。
信仰のためではなく、見学のためなのです。信仰をもって行く人たちに失礼じゃないかと・・・。
しかし違うのです。ワタシの旅は昔の人の軌跡。
昔の人と同じような思いで歩きたいわけなのです。

だったらおんなじだー・・・と落ち着きました。
というわけで、堂々と行こうではないか、伊勢路の続き!

で、12月のはじめに歩き始めた伊勢街道。
初回は四日市から鈴鹿駅の近くで終わりました。

2回目のワタシは一日20キロを目標に計画したのです。
しかも箱根越え(32キロ)をした翌日に!・・・無謀です。

箱根を歩き終えたワタシはその足で、普通列車に乗って名古屋までやってきました。
当然庶民の旅ですから交通費をおさえるために18きっぷなのです。
なぜ名古屋にしたかというと、普通列車で無理なくいけそうな所、三重県にアクセスしやすい所だからでした。
何せ小田原─箱根─三島を何時に歩き終えるのか全く予想できなかったのです。
もしかしたら午後6時ぐらいになるのかもしれない。そーすると普通列車で行けそうなのは・・・と考えて名古屋にしました。(宿泊先は23時までの門限付き)
しかし、午後4時台に三島を出発できたので名古屋に着いたのは午後9時近く。意外と早かったです。
チェックインしてから荷物を整理したり、着替えがなくなるから洗濯したり、足にできたマメを安全ピンでつぶしたり Σ(゜д゜lll)している間に、あっという間に就寝時間でした。

翌日2011/12/31。世間は大晦日です。
ホテルの朝食までしっかり摂って7時過ぎに出発です(^^)
鈴鹿駅の続きから歩きました。

今日は羽目を外して「名物甘味の旅」をしちゃおうかと、最初から企んでおります。
「うっかり八兵衛 伊勢路を行く」をテーマに歩きます。
目指せ、白子の「おはらぎ」!!
「御はら木」「大はら木」「小原木」・・・と様々な字がお店によってあてられてます。
クレープのような丸い薄皮にあんこが包まれて、ぺたんと二つ折りにされているお菓子です。

・・・と動機不純のまま歩きます。実は足、ものすごく痛いです。びっこ引きながら歩いてます。
何が痛いって脚も足も痛い。あちこちから筋肉痛やら謎の痛みやら皮膚の痛みが「ギャーー」と悲鳴を上げているのです。
でも朝のウチは元気に歩いてます。

さて、さすが伊勢街道。何にもないと思いきや、あらゆるところに道標があります。
ぜったい迷わないようになっているのです。これも民家の前にちゃんとどかされずに存在してます。

↑右 さんぐう道 と書かれています。
しかし、問題なのは歩く人です。この道標に書いてある文字が読めません(^_^;)
読み書きができないわけではないのだ。昔の達筆な字ではワタシは読めないのだ。
ワタシは決して歴史好きというわけじゃないのだ。←最近あやしくなってきたが
古文書みたいな字で書かれたって読めないモンは読めない。

なにが言いたいかというと 道しるべ 桐井の前では ただの石 。
・・・迷うのです!
地図を持っていても迷うのです!こんなんでよく東海道を制覇できたものだと、自分でも感心しきりです。

さて、大晦日の伊勢街道です。翌日は元旦。伊勢神宮はものすごい人出でありましょう。
そのような時にここを歩いているのは自分ぐらいなものです(^_^;)
肥田町、北玉垣町と歩きます。・・・あまり人に出会いません。



やがて東玉垣町に入り、人がわりといるところに来ました。


弥都加伎神社でした。
町内の人か氏子さんたちが集まって掃除やら支度やらしておりました。
なので邪魔しないで早々に立ち去ることに。

ところで弥都加伎神社。「みずがきじんじゃ」と読むそうです。知らなければワタシは絶対に読めません。
↓これは弥都加伎神社への道しるべ


伊勢街道でよく見かける「山ノ神」を祀ってあるもの。


さてさて、先述のように、脚が痛いワタシです。
広い道を地下歩道で渡るときにそれはモノスゴく実感します。
下りがキツいのです、昨日の筋肉痛で(T_T)
地下道へ降りていくときに「うぅ・・・」とうめき声をあげながら下ります。

しかし、反対に上りのときは元気です。だんだんハイになっていき、
「あははははー♪」
と笑って走りながら地上に出るワタシの姿は・・・・誰にも見られてなくて幸いでした(^^;
箱根の西坂のダメージは予想以上だったのでした。

しかもその後しっかり道まで間違え・・・メンタルダメージも・・・別にない!(゜∀゜)
軌道修正して歩きます。

北の端の地蔵堂↓
 
東海道を歩いていても、村の北の端に地蔵堂が建てられていることがよくありました。
「北の地蔵堂」というネーミングはあちこちに見られます。・・・今度調べてみようかな。


↑ああ・・・街道らしくていい雰囲気(うっとり)と一枚撮った写真ですな。

 
↑高札場跡もちゃんとありました。

さて、この辺りは白子です(^^)
おはらぎ買うだ~♪
とりあえず買った「おはらぎ」はこれ↓

年末の忙しい盛りの和菓子屋さんで、菓子単品を買い求める、鬼のような客ですな。

他の和菓子屋さんでも↓こんなの買ってます♪

買ってからリュックにしまいこむので、葉っぱの包みがヨレヨレになってます。
最初は伊勢街道沿いの「おはらぎ」を全部買い込もうとしていたのですが、だんだん甘いものを食べたくなくなり・・・結局「おはらぎ」は最初に出会う「美鈴屋製菓舗」の「御はら木」を買ったのみとなりました。


さて、この後足が本格的に痛くなってきました。同時に気も遠くなっていき、あまり記憶が定かではありません。
しかもこの先、道があっち曲がりこっち曲がり・・・とダンジョン化していきます。
道しるべはあるものの、「ワタシは・・・どこ・・・?」状態になってます。

 

 

 

写真だけ並べてますが・・・かなり意識がもうろうとしていたと思います。足の裏の皮が剥けているかのような痛さです。

↑きれいだな・・・は憶えているのですが、どこかはさっぱり憶えておらず。


河芸の辺りで、「今日はもうリタイヤ」と足が言っていたので、最寄り駅に向かって歩きました。

1日20キロの目標はならず・・・15キロいきませんでした。

江姫ゆかりの「上野城」近く、「近鉄 豊津上野駅」でこの日の歩きはお終いにしました。そのまま津駅へ。
当初のこの日の目標は「津」駅まで歩くことで、津駅近辺にホテルを予約していたので、まっすぐホテルへ行くのでした。

世は大晦日で大盛り上がり。
ワタシはホテルの一室で夕方から大いびき。←寝てたのか
その後むっくり起き上がり、津ぎょうざを求めて津駅近辺を徘徊するも、大晦日のためどこも閉店。
そのままホテルに帰って再び就寝しようとすると、すぐ隣から「ゴオォォォォン・・・」と除夜の鐘が鳴り始めました。
隣はお寺だったのです。そういえば夕方も時の鐘が鳴っていました。
こんな大晦日も、なかなかいいものです。

この日歩いたルートは以下のURLです(^^)地図をクリックしてください

伊勢への道

2011-12-23 | 旧街道あるき
7ヶ月前に東海道を歩き終え、それからは東海道復習の旅に費やしていましたがそれも尽き、ついに始めました。

伊勢街道!

伊勢参りをするつもりがないのに伊勢街道は歩くのです。
でも伊勢神宮、見学はする気マンマンです。修学旅行生のようなものだと思ってください。

昔の庶民が東海道を旅するのは伊勢参りが目的でした。もちろん「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんもです。
四日市、日永の追分から道は東海道と伊勢街道に分かれます。
そこから京の都に用がある人は東海道を、伊勢参りの人は伊勢街道を進みました。
だから東海道歩きをする人間は、どーしたって伊勢街道はセットなのです(^^)
・・・ということで伊勢街道を歩いています。

なぜ今から始めるのかというと、18きっぷのシーズンだからデス。
そして、歩くルートがやっと分かってきたからです♪


第一回目は2011/12/15に行ってきました。
歩き慣れない娘と一緒だったので「のんびりのんびり亀さん歩き」です。
朝4時20分に自宅をチャリンコで出発し、静岡駅5:01の始発列車に乗り、豊橋で乗り換え、名古屋で関西本線に乗り換えようやく南四日市駅に着いたのは9時20分すぎ。快速に乗り損ねたらこーなった_| ̄|○

そこからゆっくりテクテク歩き日永の追分へ。

手前に見えている道路は東海道です。
鳥居をくぐって真っ直ぐ行けば伊勢街道。
この追分はいつも人が沢山います。湧き水を持ち帰ることが出来るらしく、ポリタンクを沢山持って来る人がひっきりなしに訪れています。
こんなにいつも人がいるのだから余程美味しいのでしょうね。


伊勢街道を歩きはじめて思ったのは、昔からのものが随分沢山残っていることでした。
多くの人が「お伊勢さん」を目指して通った道だからこそなのでしょうね。

▼河原田にある追分道標


▼河原田神社






▼神戸(かんべ)の見附跡




▼今も旅籠を続けている


▼六郷川にかかる大橋


▼高札場跡である札の辻


・・・とまあ、東海道にも匹敵するかそれ以上の名残がたくさんあるのです。

三重県エライ!!

すっかり伊勢街道を歩くのが楽しみになってしまったのでした(^^)

この日の亀さん歩きルートは以下のURLをクリック!
http://yahoo.jp/Y0Femo

久能山東照宮 今のうちに行っておこう(歩く旅)

2011-07-17 | 旧街道あるき
最近久能山近辺をうろうろしていたのには、実はワケがあり。
静岡の久能街道を歩いて久能山に辿り着きたかったのです!

ということで先日の休日、朝から歩いてました。
伝馬町通りに「久能街道」の碑が建っているのでそこからテクテク、旧道歩いて久能山へ。

歩いたところは以下の通り▼


この暑いのに酔狂なことをしているわけなのです(^^)/
朝8時前から3時間以上、休憩すらせず歩いてました。休憩するところないんだもんね。
空は晴れ渡り、大気が澄んでいるのか伊豆半島がこんなにくっきり見える良い天気!

焼津だけでなくて、御前崎の方まで見えちゃう▼


で結局久能山もそのまま登って東照宮を今度こそゆっくり見学して、先日入り損ねた博物館も(その時のチケットで)ちゃっかり見学し、下山したのはお昼過ぎ。

その足でかの人気(ひとけ)のない温泉施設すんぷ夢ひろばまで歩いていきました。

2006年にオープンしたこの温泉施設は2008年閉鎖、またすぐ再オープン、そして2010年2月閉鎖、2010年10月再再オープン。
3度目の正直だったのですね(@_@;

私が前回行ったのは2007年9月ごろだったです。温泉は2000円で、高くて入る気がしませんでした。

その後やり直しスタートのときは1,050円だったそうですが、あの坂はイヤだなぁ~と思い敬遠してました。
(温泉自体ちょっと避けていたこともあり)

で、今回は聞くところによると有名な再生屋さんが手がけたのだそうですね。(佐藤先生情報)
・・・私はテレビ観ないのでちっとも知りませんが。
前はお土産屋さんが並び、静岡っぽくて好感が持てたのですが、今回の再生はあまりにも・・・という感じで私は好きになれないです。アイドル好きな方にはいいかもしれないです。
私は行ってもお風呂ぐらいしか楽しみがありません。

温泉施設だからお風呂が楽しみでいいんですけどね(^^)

ともかく、真夏に酔狂な歩きをしたせいで汗だくになったので、汗を流しに行ったのです。
最初からそのつもりだったので、リュックの中にはキッチリ、着替えも自分用の石けんも入っていたのでした。
入浴料は1500円。妥当だと思います。

久能山から歩くこと・・・どのくらいだったか憶えてません。日中で一番暑いときだったので何も考えてなかったのかもしれないです(^_^;何十分かはかかります。
小学校を過ぎたら交差点があるので、山の方に向かって坂を登っていくと、だだっ広い駐車場が見えてきます。
歩行者は坂の途中で階段を登っていくことになるのですが、この道はほとんど使われていないようで、草ボーボーです。

「廃墟・・・」

と呟いてしまいました。
そしてそのだだっ広い駐車場に駐車している車はほとんどありません。
だんだん温泉が経営しているかどうか心配になってきました。
しかし、施設に近づくにつれ、駐車している車が見えてきたので安心したのです。


お風呂は、とってもひろびろとしていて洗い場も十分にあり、様々なお風呂につけられた家康の側室の名前と説明を見ながら楽しめます。
ただこの季節、炎天下の露天風呂は・・・やはりあまり入らない方が良いかもしれないです。
脱水するかと思いました。
なにしろ嬉しいことに人がほとんど居ません(^^) 平日だからか、レンタル個室も空きがあるのです!

・・・やっぱり経営危ない?

でも、私が行った翌々日の7/16から9/30まではクーポンを使うと、平日1500円のところ980円(土日祝日は1800円→1480円)で入れるそうなので、混むかもしれないですね。
混むかな。・・・少しでも混んだ方がいいかもしれないですよね(^_^;
ここは車で行かれる方が大前提らしく、今年の3月で無料シャトルバスやめちゃったようです。
(ますますもって経営危ない!?)
お金とってもいいからシャトルバス続けて欲しかったですね…。
自転車で行ったり歩きで行ったりすると、せっかく汗流してもまた汗だくになっちゃうんですよねぇ。

ということで、行くんだったら今のウチ!・・・また閉鎖かもしれないから急げっ

ということなのでした(^^)

【一口メモ】ニオイに敏感な方は、ここの館内着を使わない方がよいです。洗剤のニオイか香料後付けなのか、リネンサービスでそーいうのがあるのかしりませんが、かなり香料臭がします。
私もすぐに脱いでもう一度温泉に浸かり直してから自分の服を着ました。
まあ、かなり敏感な方は温泉施設自体が無理なのでしょうけど…。