台風一過。
秋らしい、というか、
冬が目の前、というか、
少々おかしな気候ですね。
政治も国家主義になりそうで、
季節よりも大きく狂ってきましたが、
みなさん、民主主義と言論の自由を
守りましょう、と言いたいところ。
さて、そんな中、学問の話を聞きましょう。
今回は、杉本裕代さんのご発表です。
「T.S.エリオットの思想と、自分の頬をゆるめたくなる感情について
ーーーコミック・モダニズムとモダニズム評論の最近の動向をてがかりに」
T.S.エリオットは、英文科において説明不要の文学的アイコンであるということは
多くの方が賛同してくれると思いますが、その一方で、
当たりまえすぎた結果、最近では、エリオットについての記憶が薄れてきてしまったよ
うにも思います。
正直にお話すると、今回の発表は、
もともとエリオット自体への関心から起案したものではありません。
日本のアニメーション文化のなかにある詩学を言語化しようと考えていたときに
その対比として、ディズニーも含めたアメリカの初期映像文化に想いが致り
slapstick comedy(どたばた喜劇)の詩学と身体表現に辿り着きました。
その文献調査のなかで、2015年以降、アメリカで形をなしてきたエリオットに対す
る
モダニズム研究の潮流に出会いました。
今回は、それらを紹介しながら、私自身のエリオット理解のために、皆様のご意見を伺
れば幸いです。
良く知られているように、slapstick は、道化の詩学にも通じる演劇文化ですが、
William Solomonは、エリオットと同時代人として、 喜劇役者バスター・キートンの
slapstick comedy との間に通底する美学を見いだそうとして、
それをComic Modernismと名付けようとしています。
エリオットが論じた、Impersonalityの概念をキーワードとしながら、
エリオットの人間観が、現代の大衆文化にも通じるものがあるとする論考を検証してみ
たいと思います。
テキストとしては、「伝統と個人の才能」を中心に読み、
エリオットの詩作や評論にあるコミカルなモメントは、いったいどういう現象なのか、
それは日本語でいう「笑い」という概念と同じなのかを考えてみたいと思います。
深瀬基寛や、大江健三郎ら文学者たちのエリオット論を参照しつつ、
エリオットの世界に触れてみたいと思いますので
どうぞ宜しくお願いいたします。というわけで、久しぶりのT.S.エリオットの登場ですね。議論の花が咲きそうで、楽しみです。お話の後は、いつものように、フランクに談笑しつつ、ためになるテーブル・トークに乾杯です。
場所と時間は、いつも通りです。
2017年10月28日(土)、午後2時半より。(会場費:1000円)
場所は、国際文化会館
都営大江戸線 麻布十番駅 7番出口より徒歩5分。
東京メトロ南北線 麻布十番駅 4番出口より徒歩8分。
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