独り言

生きるというのはなかなか難しい。

まず生物として生命を維持すること、それから
人間として人とつながる文化を維持すること。

人はひとりでは生きられないというのは上位にある条件であって
生物として生きることはその底辺、基礎になる
とてもパーソナルな問題であり課題だ。

たとえば、この春
絆だなんだと言っているのは周りの人間だった。

日本や世界で被災したひとたちは
生きるか死ぬかの瀬戸際で、ただ代謝する有機体として
一瞬一瞬を完全に個人的な生命活動をして繋げていたはずだ。

消えた命を数える数字が増えていく機械的な報道が
元気と勇気を与えるんだ、と、歌ったり試合をする活動報告より
ずいぶんリアルに聞こえた。

生物として弱っていても、中途半端に動ける私は愚かにも
人に頼って狡く楽してみる考えを過ぎらせたけれど、
与えられる『納得』は、自己努力して得る『満足』より
はるかに精神疲労するという矛盾で逆にグッタリ。 ←アホ

その時々の選択を重ねればよいのに
その先で人にどう影響するかで迷うなど、ずいぶん傲慢で
思考力も決断力もない自分への言い訳でしかなかった。

結局、踏み出さなければ丁寧でもなかった2011年。←猛反省中
人間として全く役立たず、これは公の人間としてどうだろう?と、
1年前と同じ問題のふりだしに戻り、迷子にすらなれず(苦笑)。

でもせめて自分への誠実さは持っていたいと思ってしまう。

そういえば
多くの人間が正しいということだけを選ぶ人よりも
「違う」のに「正しい」とやり過ごすことをしないひとをこそ
私は信じているではないか。 ←超いまさら
サウイフモノニワタシハナリタイ!悟った! ←おかしい

誰かにとっては愚かな選択でも
自分に最高の判断ができる力をつけたい、来年こそ。
「違う」と思うことを選ばないだけの力でもいい。

そんな年の瀬、写真整理をしながら
苔生す銀閣寺はなんて綺麗なんだろう、
生きててこそだなぁ、と、だらしなく泣く。←悟ってない(大笑)

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蒼い月の夜

先日、三谷幸喜『ステキな金縛り』を観た。
2時間半の大作ながら、飽きさせない展開と豪華キャスト、
台詞の転がるような言葉遊びは、さすが!という感想。

落ち武者の幽霊が、妻殺しの容疑者弁護の証言に立つという
バカバカしい話と言えばそれまでなのだけれど、
「無実の罪」に問われる容疑者と証人を重ねつつ、
様々な立場の人間にそれぞれの正義に従いながら公判を展開させて、
過去と未来を現在で繋げていくという巧さに、
新春舞台『90ミニッツ』の脚本に期待が募る。

仕事帰りにレイトショーに出かけたのは無謀だったか、
ちょっと興奮しすぎたのか、しっかり熱が出た(--;

週末の正倉院展は一年越しで楽しみにしていたというのに
朦朧としながら点滴を受けるというありさま。NO~!

病院のベッドで点滴が落ちるリズムに合わせて
頭の中をぐるぐると『蒼い月の夜』がまわりはじめた。
(それもイントロから律儀に、だ。)

音楽も詞もいくら聴いても飽きがこない、
というより、ずいぶん好きなのだろう、
ときどき車でも家でも狂ったようにエンドレスリピートしていて
特に熱が出たとき頭の中でまわる定番になってしまっている(苦笑)。

さて、先ほどの映画のサブタイトルは『ONCE IN A BLUE MOON』
めったにないこと、という意味らしい。
発熱するのも、めったにないこと、になれば助かるのだけれど。

もう若くないのだし、平日のお遊びはほどほどにせねば
気を付けよう。

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君の寝顔が横を向いて
遠慮がちに咳をする
僕はテレビのボリュームを少し下げようか?

月明かりがレース越しに
君の頬に降りそそぐ
僕は映画のワンシーンを思い出している

Lady in blue
君の熱があと2℃ぐらい下がるまで
僕はここで君のシルエット眺めていよう

いつか君と出逢ったのは
こんな蒼い月の夜さ
僕は消えかかった
思い出をつなぎあわせている

『蒼い月の夜~Lady in Blue~』 作詞・作曲 LOU

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槇原敬之のカバーバージョンもとてもいいアレンジだけれども
原曲の素直で透明な女性の声のものは、
真っ直ぐに響くのでお気に入りです。

ところで "ブルームーン" は、この春に初めて意識して観ました。
めったにない入院中の窓からのお月見でした(笑)。


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愛用の鞄は、だいたいB5を横にしたサイズで
いくつかあるとはいえ新調しても色が変わるくらいで
同じようなものに落ち着いてしまう。

「どうしてそんな鈍臭い大きさの鞄ばかりなの?」

と、不思議そうに尋ねられたことがある。
"鈍臭い大きさ" ってなんだ!?と、逆に
不思議なことを言うひともいるものだと思った。

財布とハンカチ、携帯電話と
ときどきペットボトルや傘、文庫本が入ればいいのだから
一番コンパクトで私にとっては使いやすい。
(同じサイズだと忘れ物にも気づきやすい。←そのわりに忘れ物番長・苦笑)

普通や当たり前だと過ごしていることが
そうではないのかもしれないと気づかされる "ひとこと" には
自分の横を猛スピードで風が吹き抜けていくような感覚がある。
それは不快だというのではなくて、衝撃や足元が揺らぐ眩暈に近い。

何年も経ってしまっても覚えている "ひとこと" は、
ほとんどそういう風を巻き起こされたものだ。

通り雨が過ぎるのを待ちながら鞄をかばいつつ
自分が持っている空気、リズム、スピード、方向などが
人とどのくらい違って、それは近づける必要があるものなのだろうかと
鈍臭く考えた休日の午後だった。

雨が上がる直前、右頬と左頬にあたる風の温度が変わって驚いた。
前線の真下にいたらしい。(ほんまかいな)
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夜の色

絵に興味を持ち始めたころから、なぜかゴッホは苦手だった。
うねうねと厚い絵の具がこってりとしてラインも荒く、
なにより彼の黄色が発するエネルギーが襲ってくるようでとにかく疲れた。

それだから『星月夜』に感じた "静なるもの"、
この絵の青で印象が大きく揺らいだおかげで
ゴッホとはどういう人間なのか、画家の方に興味を持つことになった。

貧しい人に自分の衣類や家財を与えつくし、
みずぼらしい身なりをした若き見習い牧師の献身さは
イメージを重んじる教会に理解されることなく狂気と誤解され、
聖職者としての道を断たれてしまう。

やがて宗教画を描き始めるけれど、
強すぎる信仰は表現できず、そのもどかしさが精神を追いつめてゆく。

それで次に彼が絵の題材に選んだのは、神が創造した "自然" だった。
ところが太陽の描写やその象徴 "黄" を描くことは
極限までエネルギーを使う作業であるため精神病の発作の誘発し、
たとえば「ひまわり」を描いた後などは
絵の具を飲み干すようなひどい発作が起こったらしい。

『それでもなお、僕はやはり、信じるものがどうしても必要だと感じる。
 そんな時、僕は、夜、外に星を描きに出る。』
(弟宛の手紙から)

そのとき図書館で借りた本の題名は忘れてしまったのだけれど
ゴッホの生きた様子が切なく駆け抜けたことをよく覚えている。
(記録を残すくらい感動したらしいのに題名を残していない間抜けさ…。涙)

信仰にも人間関係にもむくわれないまま
彼が晩年にいきついたブルーは
そこにたどりつくしかなかった闇を含んだ青、
太陽でも、希望の青空でもなく
遠くの星々あるいは間接的な光、そして夜空の色だった。

ベクトルが定まらず、また、受け止められることもなかった
どうしようもなくあふれる感情は、
閉じ込めることでコントロールされたとき結晶化して
夜をサファイアのように輝かせた。
私はそれに、知らず知らずに惹かれていたのかもしれない。
(それでも硬度No.1のダイアモンドにはなれないのがまた切なくてよい。)

青といえばフェルメール、
ラピス・ブルーの幸福な色と柔らかな光が私は好きだけれども
時を経てもなお悲しい情熱が封されている作品は
やはり観る者の胸をうち、心のどこかを照らす傑作だと思う。

…今日、久しぶりに青いゴッホの絵を観たら
『星月夜』を観たときの気持ちを思い出した。

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『星月夜』ヴァン・ゴッホ
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It's for You

少しくらい遠回りになってもいいかなと思う好きな道があり、
昼も夜も、夏も冬でもよく使う。

京都ではポプラの綿毛が飛ばないのかしら、などと思っていたら
フロントガラス越しに陽気に漂うのをみつけて、嬉しくなった。
あらゆる種類の木があるから姿は見えないけれど
どこか近くにポプラもちゃんとあったのだろう。

この季節、ここの緑のアーチをくぐりながらよく思い出すのは
意外にもパット・メセニーの「It's for You」だったりする。
爽やかに吹き抜ける冒頭からの雰囲気が
濃くなりつつある若葉色が輝くのに似ているせいだと、思う。

特別に好きな音楽でもないから聴くことはほとんどないし
むしろ好んで聴く柏木広樹氏の「フェーカジ(南風)」や
槇原敬之の「うたたね」にも同じような印象があるのに、
まず思い出すのがどうして「It's for You」なのか
自分でも不思議で面白い。

ちなみにこのタイトルは、君のために、なんていう甘い意味はなく
君に電話だよと、さらりというときのそれなのだそうで、
季節には何ら関係ない音楽にそんな印象をもっているのが
さらに不思議で面白い。

眩しい緑の印象をひとに伝えたいと思うのに
擬態語や擬音語でも、もちろん鼻歌でも
完全に正しい表現が見つからなくて
時間があると考え込んでいる、
どうすればこの感覚を共有できるのだろう、と(暇なもので・苦笑)。

今日は少しイライラしながら出かけた帰り道に
ポプラが飛んだだけで、いい一日だという印象に変わった。

単純なつくりの脳を持っていると
小さな幸せがたくさん見つかる。
なかなかひとにおすそわけはできないけれども(笑)。

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20歳の若さで亡くなってしまうセリの
ポプラにまつわるセリフは印象深い。

 薔薇のために (1)~(9) (小学館文庫)
 吉村明美
 小学館


この作品に出てくる木々や花々はどれも魅力的で
登場する人間の内面や外見を
その変化とともに重ねて描かれるのがうまいと思う。
文庫版になってから揃えればよかった、写真の表紙がすごく綺麗。

緑はいいなぁ。

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