石川啄木の一握の砂って

2012年10月20日 14時12分22秒 | 日記
働けど働けど

我が暮らし楽にならず

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っていう超有名なフレーズしか知らないから自分の詩が売れないから自暴自棄になって出した自虐本なのかなとか
勝手な想像をしていたんだけども、流石に教科書にも載ってる様な人だからそれはないだろうと思ってwikiってみたらば
(そういう時代だったと言う事もあるんだろうけど)何かと複雑な環境に置かれてた人だと解って少し失礼な勘ぐり方を
してしまったな・・・と。26歳で死んでたみたいだしかーちゃんおんぶした時の軽さに泣きそうになった詩とか読むと
辛い状況をロマンチックに聞える様に反転させるような表現してて詩人だなと思わず感心してしまった。

そりゃそうだ。結果(ここで言う結果というのは金ね)は伴ってなかったけど、それでおまんま食おうとしてたんだから。
しかしながら疑問だった。なんでそこまで貧乏だったのかと。現在でも・・・その上こんなにも学が無い俺ですらも一握の砂の
働けど~の一節を知っている位に有名なのに何故に?当時の出版関係の事とか大衆の娯楽の事とかじぇんじぇんわがんねけんど
本自体が全く売れなかった時代だったのか?それとも訳ありな家族の為に金使ってたからなのか?とか思ってよくよく調べて
みたら何の事はない、稼ぎの大半をキャバクラや風俗とかにつぎ込んでたという完全な自業自得からくるもので・・・上で

>辛い状況をロマンチックに聞える様に反転させるような

とは言ったけ臭いものに蓋をする的な側面もあったのだな~って。そう考えると中々親しみやすい人なのかも知れない。
詩人っていうと頭良さそうでお高くとまってるイメージばかりあったけどそういう人間くさい側面を見るに教科書に載ってる
様な人でも何かしらいじ汚ない部分もいっぱいあるのであろうなあ。そこれそ臭い物に蓋をする、的な上っ面だけの綺麗な
逸話だけクローズアップすればそりゃあ偉人具合にも拍車がかかろうもん。家康が信玄にボコられた後の肖像画も自分を
律するためにあえて無様を姿を描かせたと言って一見人間臭い面を出してるけどうんこ洩らしてる時の絵だっていう一番
肝心な情報は伏せてるし(この情報自体の真偽は知らないので間違ってたら申し訳無い)。ならばこういうのを見習って俺も
上手い事オブラートに包むような表現を心がけてみようと思ったのだけれど、上記した通り学もないし御覧の通りの文章力
しかないから汚れた物を包む為のオブラートすら用意できないのが現状・・・。

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コメント
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