★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

ジョージ派

2024年08月08日 09時11分44秒 | 徒然(つれづれ)
 その昔、ビートルズ派とストーンズ派があったように、ビートルズ内でも、ジョン派とポール派があった。
 ビートルズナンバーのほとんどが、作詞作曲はレノン&マッカートニーの共作だ。

 その中身は、ジョンだけ、あるいは主にジョンの作詞作曲、逆にポールだけ、ポールが主というのもあるが、当初はファンも深くは追究しなかった。
 後年、そこは厳密に、ジョンだけとか、ポールだけ、共作でもそれぞれ関わった割合が明らかになっていった。

 私はビートルズにハマった当初、リードボーカルはジョージとリンゴはわかったけど、ジョンとポールは判別がつかなかったんだよね。
 たぶん、当初はジョン派はジョンが、ポール派はポールがリードを取っていると思っていたはずだ。
 今ではこの曲はジョン、この曲はポールと判別がつくようになった。

 冒頭に戻るが、私はジョンとポール、ふたりの天才の陰に隠れていたジョージ派だ。
 判官贔屓というやつか。
 ジョンやポールは遠い存在だったが、ジョージにはなんとなく親近感が湧いたんだよね。

 ビートルズのアルバムを聴いていると、レノン&マッカートニーの作品にしては違和感のある曲がいくつかあった。
『イフ・アイ・ニーディッド・サムワン』や『アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー』などにそれは顕著だった。

 それまでのビートルズ・サウンドにはない、地に足がついていないようなフワフワ感があった。
 よく言えば、新たなチャレンジ? 悪く言えばただの手抜きと思われた。
 クレジットを見ると、どちらもジョージの作品だったんだよね。

 その時点では、ソングライターとしてはジョンとポールには到底及ばないと思った。
 しかし『ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウイーブス』で覚醒し、『サムシング』でふたりに追いついた。

 初期のころから解散に至るまでの、ジョージのリードギターが好きだったな。
 他の有名バンドのギタリストと比較するのは野暮で、ビートルズの曲における絶妙な味わいがたまらない。
 
 ジョージの奏でる、前面に出過ぎないキャッチ―なメロディラインは、容易に口ずさむことができた。
 ギター小僧でも、ちょっと練習すればコピー可能なジョージのギターだが、ビートルズらしさを醸し出すのは、ジョージ本人のギタープレイしかない。

『サムシング』のクラプトンばりの、タメの効いたギターソロなど秀逸だ。 
 ソングライティング同様、ギターのテクニックも、上達というのではなく進化した。
 
 何がジョージを変えたのか。

 思い出すのが伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンのクロス・ロードの逸話だ。
 真夜中の十字路で、悪魔と取り引きして、魂と引き換えにギターの超絶テクニックを手に入れた、という例のやつだ。
 ジョージももしかしたら、パティと引き換えに、エリック・クラプトンからギターのテクニックを伝授されたのかもしれない。知らんけど。

 残念なのは、ソロになってからギターのテイストが薄味になったことだ。
 まあ、それはあとの3人にも言えることだけどね。
 ビートルズというアンサンブルの相乗効果があってこそ、それぞれの持ち味が生かされたんだろうね。


ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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