★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

プチカルチャーショック

2019年01月31日 00時32分00秒 | 徒然(つれづれ)
 歳をとるとカルチャーショックを経験することがなくなってくる。
 経験値や、感受性の低下が原因だろう。
 朝のウォーキングをするようになって、プチカルチャーショックを味わった。

 競馬が趣味で、たまに園田競馬場を訪れていたが、豊中駅から十三経由で園田駅まで阪急電車で8駅だ。
 時間にして、急行で20分弱、普通だったら30分ほどだ。
 そこから専用バスで競馬場まで5、6分ほどだ。

 それが家から徒歩で50分ほどで行けるのがわかった。
 結構なカルチャーショックだった。
 電車の経路どおりだと、徒歩で2時間以上はかかるだろうし、今まで徒歩でなど考えもしなかった。電車でしか行けない距離だと勝手に考えていたのだ。

 それがウォーキングをするようになると、地図で経路や目的地を探すようになり、距離感がつかめるようになるのだ。
 電車とモノレールを乗り継いで、定期検査に通っていた病院も調べたら徒歩圏内だった。

 視点が変わると、物事に対する認識も劇的に変わることがあるのだ。
 
 
 
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久しぶりの松乃家

2019年01月29日 12時50分36秒 | 徒然(つれづれ)
 外食ブランチで松乃家へ。
 期間限定洋風ロースカツ丼を食す。

 いつもの松乃家とは別のセルフサービスの店舗だ。
 券売機と厨房がオンラインで、食券に整理番号が表示されていた。
 定食類はご飯、味噌汁が食べ放題だ。

 席につき待つこと5分程で、私の番号がアナウンスされ、カウンターまで出向き料理を受け取る。

 洋風ロースカツ丼は、楕円形の深皿にライス、その上にロースカツが載り、シチューソースとトマトソースがかけられていた。サイドに千切りキャベツとポテトサラダが添えてある。

 味に特筆すべきはない。とりたてて旨くもなく、かといって不味いことはない。
 ボリュームは満点で、若干の胸焼けを伴うほど満腹になった。
 余程空腹でもない限りリピートはない気がする。

 午前11時前の店内は閑散で、客は数えるほど。
 セルフなので食べ終わった食器は返却口へ返すのだが、その際、ほとんどの客が「ごちそうさま」、「おおきに」、「どうも」などと一声かけていたのが印象的だった。地域性なのか。

 私も「ごちそうさま」と声をかけて店を出た。
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外食ブランチ

2019年01月28日 21時48分58秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキングコースにはファーストフード店やファミレスが一通り揃っている。
 松屋、吉野家、すき家、松乃家、王将、マクドナルドにケンタッキー・フライドチキン。
 ロイヤルホスト、ガスト、ビッグボーイにサイゼリア。

 他にもラーメン屋、たこ焼き屋、コンビニも揃っていて、ブランチには事欠かない。
 なぜブランチかというと、ランチ時は店内が混み合うからだ。
 午前11時台前半がブランチには最適の時間帯だ。
 ゆったり座ってゆっくり食べられる。至福の時間だ。

 といっても外食ブランチは週1回程度だ。
 なぜか。
 各店のグランドメニューに新鮮味がないからだ。
 よって期間限定メニューがブランチの候補となるが、それにしても相性ピッタリメニューにめぐり合える確率は低い。
 各店、季節に1度か2度ほどだ。
 
 その点、王将は別格だ。
 大学入学当初の私にカルチャーショックを与えた、永遠のお気に入り、あの餃子があるからだ。
 餃子をメインディッシュに、副菜としてニラレバ炒めや回鍋肉を食べるのだ。

 明日は外食ブランチの日だが、今のところ松乃家の洋風ロースカツ丼がその候補だ。
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ウォーキングコース変更

2019年01月27日 12時20分39秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキングのコースを今までの北地域から南地域へ変更した。
 こちらのほうがより開けていて、街中も明るく活気がある。
 歌謡曲でも歌われるように、北国より南国のほうが明るいのも頷ける気がする。

 舗道の幅も広く、後ろから来る自転車を気にする必要がなくなった。
 適度なアップダウンもあり、足腰の鍛錬にもよさそうだ。
 今後はこちらのコースに決まりだ。

 ウォーキングをしていると、ジョギングやウォーキングのランナーを見かけるが、病気のリハビリと思しき初老の人や、派手なランニングウェア着用の、運動とは縁がなさそうな夫婦連れなど、ほとんどが本格の域からこぼれ落ちた素人ランナーだ。
 まあ朝の10時前後という中途半端な時間帯に走っているということは、早朝や夜に走る本格市民ランナーとは心構えからして違っているのだろう。

 もちろん私もその類いだが、私の場合は普段着でセカンドバッグ片手に、ウォーキングの雰囲気を極力消している。
 他人から見たら普通の通行人にしか見えないはずだ。

 しかし年頭から始めたウォーキングだが、足腰の鍛錬になっているのだろうか。それとも蓄積疲労として、そのうちどこかに変調を来たすのだろうか。
 
 
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還暦オーバーオヤジ飲み会

2019年01月26日 08時50分07秒 | 徒然(つれづれ)
 退職後初の還暦オーバーオヤジ飲み会。
 勝手知ったる飲み屋の雰囲気が、なぜか懐かしく、また逆に新鮮だった。
 在職時と退職後では気持ちのフィルターが変化するのだろうか。

 ハローワーク通いのメンバーもいたが、週4日、通勤1時間以内、月給30万の希望は、もはや浮世離れの感。
 ハローワークの担当者もザックバランで、その歳でなに夢みたいなことを、と一笑に付されたらしい。

 退職後の心配は健康管理で、それに伴う健康保険や健康診断、ジョギングやウォーキングの話。

 一昨年に退職したメンバーも合流して、転職の難しさを滔々と語っていた。
 仕事との相性やモチベーションの持続、各自が持っている運など、キャリアや能力以外の要素に左右されるところが大らしい。
 私の場合は端から転職の意思はなく、引きこもり年金生活希望だったので、それらの悩みはない。
 
 いずれにしても月に一度のこの飲み会は当分続けていきたいものだ。
 

 
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グレイヘア

2019年01月25日 08時57分33秒 | 徒然(つれづれ)
 退職して白髪が増えたように思う。
 黒髪、白髪の割合は今のところ7:3~6:4の中間あたりだ。

 昔はロマンスグレイといっていたが、最近ではグレイヘアというらしい。
 ロマンスグレイは中年男性の髪の色合いの代名詞だったが、グレイヘアは中年女性のそれらしい。
 見た目は同じようなものだが、ロマンスグレイが受動的、結果的だったのに対して、グレイヘアは能動的、積極的、あるいは一種の開き直りのようだ。
 白髪染めが追いつかない、染めるのが面倒だ、本当の自分をさらけ出したい、アンチ・アンチエイジングといろいろ理由付けがあるようだ。

 私も白髪は染めずロマンスグレイを目指しているが、白黒の割合がなかなかその域に到達しない。
 女性のグレイヘアもそうだ。
 白髪が少ないと、白髪混じりと言われるし、多いと単に白髪頭だ。

 幸運にもグレイヘアになったとしても、その髪色に合うファッションが難しい気がする。
 若いファッションも年寄りファッションも似合わない。
 文字通りグレイゾーンの目立たないファッションをするしかない。

 女性は死ぬまで化粧をするわけだから、白髪もその一環として染め続けたらいかがだろう。
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生活の変化

2019年01月24日 12時02分17秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキングの途中休憩の時にタバコを一服するのだが、吸った後に立ちくらみのように身体がふらつく。
 家では禁煙なので、一日のタバコの本数が激減しているのが原因と思われる。

 また歳のせいか小便が近くなった。
 ウォーキング前に排尿を済ませて出かけるのだが、1時間40分後の帰宅時には尿意が顕著だ。
 寒さのせいだろうか。
 しかし夜中に尿意で起きることはないので、寒さや歳のせいとは思われない。
 定年退職で生活環境が変化したせいだろうか。

 あと、手のひらや足の裏が乾燥して、皮がむけてきた。これも生活環境の変化のせいだろうか。

 まあ、気にしてもしょうがないので、様子を見ることにしよう。
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あんな店こんな店

2019年01月23日 07時51分54秒 | 徒然(つれづれ)
 街中にコンビニが多いのは今さらいうまでもないが、それなりに需要はあると思われる。

 朝のウォーキング中によく見かけるのが、さほど需要があるとは思えないのに、やたらと目につく店だ。
 例をあげると、理髪店、クリーニング店、ラーメン店、たこ焼き店、あと店とは違うが歯科医。
 阪急電車3駅の間に、どれも7、8軒はある。
 それぞれにテリトリーがあり、競合関係にはないとは思われるが、利用頻度を考えると、儲かっているのか、それで食べていけているのか疑問だ。

 ラーメン店やたこ焼き店は、味がハマればヘビーローテーションも考えられるが、理髪店やクリーニング店は、せいぜい月1回の利用頻度だろう。
 歯医者に至っては私の経験では数年に数回程度だ。
 しかし目につくほど数があるということは、どの店も少なくとも赤字ではないのだろう。

 また、逆に数は少ないが、変な店も結構ある。
 キャンピングカー専門店、ゴミ屋敷と見まがうガラクタ専門の古道具店、軒下出店タイプの和菓子屋、金魚屋などだ。
 それらも存在しているということは、顧客がいて、それなりに売り上げがあるのだろう。

 商売とは不思議なものだ。
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間食の日々

2019年01月22日 01時37分32秒 | 徒然(つれづれ)
 引きこもり定年ライフで癖になったのが間食だ。
 会社勤め時代は低糖質ダイエットを励行していたが、その縛りも退職とともに解禁した。

 家内との取り決めで食事は各自で取ることとしたので、朝のウォーキングの帰りに、昼食や夕食のおかず類と間食のスナック類をコンビニやスーパーで毎日買うようになった。

 おかず類は調理しなくても食べられる、おからやキンピラ、ひじきの煮物、練り物や漬け物など、出来合いの惣菜がほとんどだ。

 スナック類はチョコに菓子パン、ポテチにクラッカー、アイスあたりだ。それにコカコーラも必須だ。
 その中でもお気に入りになったのが、ローソンの黒いメロンパンと黒糖蒸しパンに黒糖饅頭、アイスの実だ。
 とにかく安いし旨い。とくにパンは食事としてもおやつや間食としてもいけるので重宝だ。

 暇な時間があり余るほどあるので、ついつい間食が過ぎてしまう。
 57kg台だった体重は58kg台まで上昇したが、まだまだ許容範囲だ。
 60kgオーバーが続くようになったら、ダイエットを再開しようと思う。
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憧れのハワイ航路

2019年01月21日 08時55分43秒 | 希望退職
 私の定年ライフは『憧れのハワイ航路』の歌詞に似ている。
 昭和23年の発表だから、70年前の歌だ。


♪晴れた空 そよぐ風

 定年ライフの書斎の窓から見える、季節感のない穏やかな景色だ。
 会社に行く必要も仕事をする必要もない、人と会うことも議論したり妥協することもない、自分の意思が最優先する日常だ。
 

♪港出船の ドラの音たのし

 定年ライフのスタートは順調そのものだ。
 何もしないことに対する抵抗感や罪悪感はない。
 出不精で、食道楽でもなく、物欲もない。
 健康でさえいれば金はかからない。


♪別れテープを 笑顔で切れば

 定年まで9ヵ月を残し希望退職に応じた時は、漠然とした不安感や喪失感があったが、それは今となっては杞憂だった。今は一片の悔いもなし。


♪望み果てない はるかな潮路

 そこにあるのは将来へと続く明るい定年引きこもり生活だ。
 引きこもりという表現がまずければ、書斎生活、インドア生活とでも言おうか。
 やりたいことはいくらでもあるが、急ぐことはない。


♪ああ憧れの ハワイ航路
 
 昔から憧れ続けていた理想とする生活だ。
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懐かしの『宝島』

2019年01月20日 07時32分08秒 | 徒然(つれづれ)
 書籍の整理をしていたら懐かしい雑誌が出てきた。
 大学時代に夢中になって読んだ『宝島』だ。
 もちろんスティーブンソンの『宝島』ではなく、のちに宝島社となるJICC出版局発行のサブカル雑誌『宝島』だ。
 1974年から77年までのピックアップだから、44、5年前のものだ。
 古本屋に持っていけばいい値がつくだろうか。

 パソコンもスマホも想像だにしなかったあの時代、先端の情報や流行は専門の雑誌から収集していた。
 そんな雑誌こそが僕らの情報源だったのだ。
 その代表格が『宝島』だった。

『平凡パンチ』や『プレイボーイ』より専門的、先鋭的で、そこはかとなくアカデミズムのスパイスが香っていた。
 1973年『ワンダーランド』の誌名で創刊した当初はデカいグラフ誌サイズの贅沢さだったが、秋のオイルショックによる紙不足の影響で、1974年以降ポケットサイズのザラ紙仕様となった。

 そんな粗末な仕様ながら、内容は当時の最先端サブカル情報のてんこ盛りで、僕らの知的好奇心を満たしてくれたものだ。
 サブカルチャーという時代の流れをいろんな分野から検証しながら、遊びや雑学、著名人も適度に取り込み、当時のサブカル・インテリ層に受ける編集内容だ。
 限られた誌面に細かい文字で、語り尽くせぬ情報を詰め込めるだけ詰め込もうという編集者の気迫や気概が溢れている。

 今ページをめくっても当時のワクワク感が甦ってくるし、その内容も刺激的で色褪せることはない。
 
 
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目に見える目標

2019年01月19日 07時20分32秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキングコースも区間区間の距離や所要時間がわかってきた。
 途中に1kmの直線道路がある。
 国道176の蛍池から豊中に向かう道路で、向こうに休憩地点の豊中駅前の歩道橋が見えているのに、なかなか辿り着かない。歩けども歩けども歩道橋ははるか彼方だ。

 目視距離と実際の距離に隔たりがあるからだ。
 目標が目に見えていると実際より近く感じるものだ。

 目標は目に見えるよりも、ワインディングロードの向こうとか高層ビルの向こうのように、あるのはわかっているが、そこへ近づくまではなかなか見えずに、突然現れるほうがいい。
 国境の長いトンネルを抜けると雪国だった、みたいに。
 そのほうが喜びや達成感がある。
 
 人生の目標もなまじクリアに見えていて、なかなかたどり着けないより、ある程度漠然としていて、たどり着いた時にわかるほうがいい。
 
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『1973 追憶の京都』(仮題)

2019年01月18日 14時14分43秒 | 徒然(つれづれ)
 現在執筆中の小説の冒頭を抜粋しました。
 1973年の4月から11月までの京都を舞台に、主人公の青春模様を活写しています。
 当時の社会現象や出来事、河原町や同志社大学界隈の懐かしい店々など、京都に住んだことがある方にはもちろん、訪れたことのある方にも面白く読んでいただける小説です。
 本書は近日中にAmazon Kindle Storeから発売予定です。



『1973 追憶の京都』(仮題)

 その期間や内容はそれぞれだが、人には等しく青春というものが存在する。
 青春に限らず、朱夏や白秋もあるだろうが、ここでは青春について述べる。
 それはほとばしる情熱や歓喜の期間だったり、あるいはほろ苦い思いや挫折の期間だったり、それらが入りまじった混沌の期間だったりする。
 それをリアルタイムで体感、実感する者もいるだろうし、無意識にすごし、あとになって気づいたり追想したりする者もいるだろう。

 大学一回生の沢井俊介にとって、まさに今がその青春ということになる。
 昭和四十八年四月から、俊介の京都でのひとり暮らしの大学生活は始まった。
 大阪万博で日本は世界にその経済力を示し、田中角栄が昨年発表した『日本列島改造論』に基づいた全国の土地開発ラッシュで、当分、今の好景気は続いていくだろう。
 その好景気の中で俊介の大学生活もバラ色になるはずだ。
 昔聴いた『憧れのハワイ航路』の歌が思わず口に出る。
 晴れた空、そよぐ風、望み果てない大学生活の潮路だ。

 小学生の時に見たテレビドラマの『青春とはなんだ』や『これが青春だ』では、スポーツに明け暮れる高校生活が青春だったし、映画の『若大将シリーズ』では、スポーツや音楽プラス恋愛の大学生活が青春だった。
 しかしスポーツや恋愛とは無縁だった俊介の田舎での高校生活は、テレビや映画で見る青春とはほど遠いものだった。
 生まれ育った兵庫の山奥でも、情報だけはテレビやラジオ、週刊誌などを通して入ってきたが、いかんせん、田舎の高校生活の中に、その情報を活用できる環境は整っていなかった。都会で流行りのファッションをしようにも、そんな服を売っている店はないし、最新のヒットチャートのレコードを買おうにも、一時間以上かけて町のレコード店まで行かなくてはならなかった。よしんば、そんな奇異なファッションをしたところで笑いものになるだけだろうし、歌謡曲くらいしか知らない同級生たちに、クリームやレッド・ツェッペリンの話をしても煙たがられるだけだった。

 ならば、大学四年間こそがバラ色の青春を謳歌すべき期間だと自分に言いきかせ、高校三年の一年間は受験勉強はもちろん、『平凡パンチ』や『プレイボーイ』から最新の若者文化の情報を収集することもおこたりなかった。
 また雑誌の通信販売で買ったフォークギターの上達にも力を注いだ。
 スポーツ万能の若大将みたいな運動神経のない自分にしてみたら、青春のもうひとつの彩り、音楽に懸けるしかないと考えたからだ。
 女にモテるためには、スポーツマンかミュージシャンの二者択一しかない。スポーツマンになれない俊介にとって、手っとり早くミュージシャンになるためには、ギターが必須アイテムだった。若大将はもちろん、巷で流行りのフォークの貴公子、吉田拓郎もギターで女をとりこにしているではないか。

 そんなわけで、俊介は受験勉強とおなじくらいの情熱で、『ヤングセンス』や『ガッツ』といったギターのバイブルをもとに日々練習に励んだ。その甲斐あってか、Fコードの壁もなんとか乗り越え、今ではコードネーム付きの楽譜さえあれば、その巧拙はさておき、ほとんどの曲は弾き語りできるようになった。

 肝心の大学のほうも、第一志望の同志社大学文学部英文学科に見事合格した。
 英文学科を選んだのは、もちろん英語にも興味はあったが、それ以上に、ほかの学部や学科にくらべて女子学生が格段に多いという不埒な理由からだ。(To be continue)

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窓の外の季節

2019年01月17日 08時40分54秒 | 徒然(つれづれ)
 定年ライフの書斎の窓から見える景色は変幻自在だ。

 暖冬ゆえに、その風景は頭の中で春や夏、秋のイメージにたやすく変換可能だ。
 晴れた空をバックに戸建てやマンションが建ち並び、私道や駐車場があり、枯木立や常緑樹が見える。
 日により時間により、空はその色を変え、家々の壁を照らす太陽も明るさの度合いを変える。

 冬晴れの白い陽光は、寒さを感じない室内からだと、めくるめく夏の日を思い出させる。
 朝の景色は晩春から初夏への、生暖かい季節のエアポケットを想像させる。
 黄昏前の青と灰色が微妙に交錯する景色は、晩夏から初秋のやるせない想いを喚起させる。

 冬の木枯らしや雪の景色だけは想像できない。
 寒さとか冬の暗いイメージが嫌いだからだろう。

 窓の外のイメージだけでなく、早く現実の春や夏が来ることを切に望むだけだ。
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保育園児の朝の散歩

2019年01月16日 12時14分37秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキングの途中に幼稚園や保育園が3軒ある。
 その中には娘が昔通っていた幼稚園もある。

 スクールバスがいつも園の横に止まっているが、車体に書かれた幼稚園の英語の綴りが Kindergartenとなっていた。
 今まで Kindergardenと認識していたが、ググって見たら Kindergartenが正しい綴りだった。

 幼稚園は運動場があるが、小さい保育園は運動場がないので、朝の散歩を見かける。
 10人前後の4、5歳の園児が保母さんに連れられて散歩しているのは平和な風景だ。

 あの子達が私の年齢になるまでには、あと60年の長き月日を要するのだと思うと感慨深いものがある。
 当然その頃には私はこの世にいない。

 その時にあの中の誰かは、朝のウォーキングをしながら、保育園児の散歩を見て私と同じような感慨にふけるのだろうか。
 
 
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