★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

京都青春セレナーデ1

2009年10月31日 17時44分13秒 | 小説「京都青春セレナーデ」
『京都青春セレナーデ』

     (第一話)


 昨夜の春の嵐が嘘のように、爽快に晴れ渡った4月の京都の朝。
 千年の昔から飽きもせず、三条大橋の下を流れ続ける鴨川の水面には、春の陽光がスパンコールの輝きをまき散らしていた。雨のなごりを含んで息を吹き返したような木の欄干からは、ほのかに蒸気が立ち昇っているのが見えた。

 三条大橋を渡ると、映画館の上のロードショウの巨大なパネルや、店の前のジュースやタバコの自動販売機、レコード店やパチンコ店のポスターなどが、行き交うタクシーや観光バスの騒音とともに、古都の朝に原色の活気をみなぎらせていた。

 全国津々浦々から集まった女の子や学生やオバサン連中が、ファッション雑誌やガイドブック片手に、マジカル・ヒストリー・ツアーを敢行する平安の都。日本一の観光都市であり、かつ、学生の街であり、古い街と新しい街、歴史のいにしえと現代の風俗が、何の違和感もなく同居する京都。 
 
1973年4月、青雲の志を胸に、九州の田舎町から勇躍京都へやってきた上田修二にとって、その日が記念すべき大学生活の第一日目、入学式の日であった。
 修二は高校を卒業するまで九州から一歩も外へ出たことはなかったが、都会に対する憧れは人一倍強く、大学は絶対に大都会、東京の大学に行こうと考えていた。
 しかし親や親戚連中の根気強いなだめすかしに負けて、親戚が住んでいる大阪に近い、京都の大学で妥協したのだった。

 3月の半ばに、下宿を捜しに初めて京都に来た時、比較する対象を、九州の田舎町の商店街くらいしか持ち合わせていなかった修二にとって、新京極の雑踏や四条河原町の喧騒は、まさにカルチャーショックだった。
 土産物屋や雑貨ショップが軒を連ねるアーケードの下は人波にあふれ、ビルが立ち並ぶ四条通りにはタクシーやバスが列をなし、四条河原町の角には、高島屋デパートメントストアが威風堂々とそびえたっていた。テレビや雑誌でしか見たことがなかった、マクドナルドやケンタッキーが他の店と同じように、当たり前のように並んでいるのにはびっくりしたものだ。
 これから4年間、この街で大学生活のモラトリアムを過ごせるのかと思うと、修二は舞い上がりそうな胸のときめきを覚えた。
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クリムゾン・レーキ 11

2009年10月29日 10時35分59秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
        ◆

 股関節の疼痛のパルスで目が覚めた。
 夏の早朝の光が青いカーテン越しに、部屋の中を深海色に淡く染めている。
 防音設備の行き届いた部屋の中は、エア・コンディショナーのかすかな作動音以外、一切の音が沈黙していた。
 ベツドから身体を起こし、サイドボードのピルケースから鎮痛剤のカプセルを二錠つまみ口へ放り込む。
 冷蔵庫の前までゆっくり歩く。フローリングの床が素足に心地よい。
 ミネラル・ウォーターのペットボトルを取り出して、食道にへばりついたカプセルを流し込む。
 カーテンを開けて、ベッドに腰掛ける。

 慎二はバベルの塔のコックピットの窓から外を見た。
 垂れ込める霧の上に、ツインタワーが、鋼鉄の鎧に覆われた二人の巨人のように聳え立ち、その間には昇ったばかりの太陽が、静かに燃える原子炉のように浮かんでいた。
 対極に位置して、決して相容れるはずのない、先端テクノロジーと大自然が、慎二の目の前で奇妙な融合を見せていた。それはあたかも、インテリジェンス・ビルに象徴されるテクノロジーの正義と、大自然を象徴する太陽の神が、邪悪の権化バベルの塔に聖戦を挑んでいるかのようだった。
 ともにバブル経済の子宮の中から産声を上げた兄弟だが、賢兄のツインタワーと、その愚弟『レジデンス・ミラ』は、いつの間にか憎しみの中で対峙しているように思われた。

 蝶番のボルトと安全装置のストッパーをドライバーとレンチを使って取り去り、窓を枠ごと取り外すのに、大して時間はかからなかった。

 窓が取り除かれた空間から入ってくる、夏の早朝の風が、慎二の顔を撫でた。
 タバコに火をつける。
 深く一服だけ吸って、ツインタワーに向けて指で弾き飛ばす。
 そのタバコが視界から消えると同時に、慎二はイカロスの翼を広げて、バベルの塔のてっぺんから、クリムゾン・レーキの太陽をめがけて、都会の霧の海へと勢いよくダイブした。
                 
                              (了)
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クリムゾン・レーキ 10

2009年10月28日 10時34分21秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
 バスタブのお湯が、あの時と同じ色に染まって揺れている。
 突然、慎二の胸の中に、言いようのない疎外感が芽生えた。
 波紋のように広がった疎外感は、焦燥感へと形を変えた。
 強迫観念が慎二を刺激しだした。
 慎二は洗面器に残した絵具を、両手で女の娘に塗り付ける。女の娘は気持ち良さそうに眠ったままだ。目覚める気配はない。
 小麦色の皮膚が剥がれるように、顔が、首が、肩が、腕が、背中が、乳房が、腹が、尻が、性器が、脚がクリムゾン・レーキの血の色に変わっていく。
 女の娘が終わると、今度は自分の全身に塗り付ける。        
 ヌルヌルとした感触。
 慎二の全身を駈け巡る、ネオンの点滅のような寂寥感、疎外感、焦燥感、切迫感、嫌悪感、麻痺感、高揚感。 
 それらすべての感情は渦を巻くように、快感へ収斂しようとしていた。 

 慎二は二度ほど深呼吸をしてから、ゆっくりとバスタブに入る。
 腰を下ろして首までお湯に浸かる。
 目の前で揺れる血の池地獄。
 壁にもたれて眠る、子宮から出てきたばかりの女の娘。その大きく開かれた両脚の間から流れ出すクリムゾン・レーキの初潮。思わず立ち上がる。それと同時に、強烈な下腹部の痺れが硬直を破裂させ、快感の白い飛沫が何度も宙に放物線を描いた。

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クリムゾン・レーキ 9

2009年10月25日 16時01分57秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
 缶バドに入れたクスリが効くのに、大して時間はかからなかった。
 ベッドに横たわり、寝息を立てている女の娘の、Tシャツを脱がせる。
 抱え上げてバスルームへ入り、洗い場の壁を背に座らせる。
 洗面器の中に、10本の水彩絵具をチューブからしぼり入れる。
 同じ色ばかり、それも大きめのチューブ入りを10本も買ったので、画材店の店主が変な顔をしていた。
 適量のお湯を加えて手で混ぜる。
 十分に液化したところで、静かにバスタブに注ぎ込む。
 クリムゾン・レーキの不気味な赤が、八分目ほどたまっていた透明なお湯を、猛煙の勢いで犯していく。

 絵具の色と懐かしい匂いが、ふと小学生の頃の写生の授業を思い出させた。
 あの初夏の光の中、慎二は小学校の近くの田舎の小さな駅で、引込線に停まっている貨車の絵を描いていた。
 絵がほぼ完成に近づいた時、黄色いヘルメットを被った若い線路工夫が慎二のそばへ来て絵をのぞき込んだ。
「なかなか上手だな。でも坊主、この草の色がおかしいな。ちょっと貸してみな」
 線路工夫は慎二から洗った絵筆を受け取ると、絵具箱から1本の絵具をつまみパレットにしぼり出し、まわりの絵具と混ぜ合わせ、それで絵の中の雑草の茂みを塗り直した。

 冗談には思えなかったし、奇をてらっているようにも見えなかった。
 雑草の茂みは、慎二の塗った緑から、血のような赤に塗り替えられた。それはあたかも緑の皮膚が剥がれ落ち、本来の地の色である赤が現われたという感じであった。
 線路工夫が立ち去った後で、慎二は絵の中のすべてのものを、赤に塗り替えなければならないという強迫観念に襲われたが、結局、赤に塗り替えられた雑草を緑の絵具で塗りつぶして提出した。
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クリムゾン・レーキ 8

2009年10月23日 09時16分08秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
         ◆

「ショートヘアで小柄で、それに今風の若い娘ですね…はい、泊りですね、承知しました。こちらのほうから掛け直しますので、受話器を置いてしばらくお待ち下さい」
 事務的な電話の声は、慎二の電話番号を確認すると、そう言って切れた。
 待つこともなく、折り返しの電話があり、慎二のマンションの場所を聞いてきた。それからピザの宅配並みの早さで、慎二の部屋のチャイムが鳴り、ドアを開けると、ショートヘアでスリムな若い女の娘が立っていた。
 黄色のタンクトップに黒のレザーのタイトなミニ。背中には黒いリュック。
 繁華街のハーゲン・ダッツでソフトクリームでも舐めていそうな、高校生でも大学生でもOLでもない、今風の女の娘のステレオ・タイプ。

「おじゃましま~す」
 女の娘は白いサンダルを脱ぐと、慎二の横をすり抜けて部屋の中へ入った。
 揺れた空気の中にプアゾンが香った。
「電話借りていいですか?」
 異様に大きな目が慎二を見つめる。
「ああ…」
 慎二は目顔で電話機の場所を示す。
 女の娘は番号をプッシュして、目的地に到着した旨を告げて電話を切った。  

「あのう前金になりますけど…」
 再び大きな目で慎二に促す。
 慎二は、サイドボードの上に、マネークリップで止めて置いてあった紙幣の中から、三枚を抜いて彼女に手渡す。
「前に、ここに来たことある?」
 慎二は聞いた。
「いいえ…どうして?」
「いや、いいんだ」
「シャワー、どうします?」
「僕はさっき浴びたからいい」
「じゃあ、わたし浴びて来ようかな」
「どうぞ。バスルーム、そこだから」
 慎二はバスタオルを渡しながら言った。

 5分ほどで、女の娘はバスタオルを巻いて出てきた。
 慎二は缶バドをグラスに注いで女の娘に差し出した。
「ありがとう」
 女の娘はベッドに腰掛けて、一気に飲み干した。
 窓の外には夜も眠らないツインタワーが、テクノロジーの輝きを放っている。
 泊まりということもあり、女の娘は長めのTシャツに着替えて、慎二が勧めるままに、ビールのグラスを重ねた。

 慎二はステレオにCDをセットした。
 静かなピアノが流れる。
「なんていう曲?」
「ショパンの『別れの曲』」
「いい曲ですね」
 女の娘は、強烈な眠気から来るあくびを噛み殺しながら言った。
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クリムゾン・レーキ 7

2009年10月21日 09時58分16秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
 初めて『レジデンス・ミラ』の彼の部屋へ招待されたのは、知り合って1ヵ月が経った頃だった。
 現代英文学を専攻しているというだけあって、部屋の片方の壁面を占める書棚には、色とりどりの原書がびっしりと並んでいた。
 もう一方の壁面には、懐かしのJBLの大容量のスピーカーシステムと、マニア垂涎のマッキントッシュの真空管アンプが鎮座していた。レコードラックには、500枚ほどののLPと、300枚ほどののEPが整然と収納されていた。

 窓からは下界の燦然と輝く夜景が見えた。黒い欲望が蠢き、原色のネオンに彩られた夜の歓楽街も、このトップ・オブ・ザ・ワールドの高みから眺めると、まき散らした宝石のような、無機質な美しさで輝いていた。
 慎二はあらためて、バベルの塔のてっぺんのこの部屋に住みたいと思った。
 1週間後、慎二は市内の中古レコードショップ巡りをして手に入れた、大学院生が欲しがっていたLPを持って、『レジデンス・ミラ』の彼の部屋を訪れた。
 感激した大学院生は、缶バドやターキーで慎二を歓待してくれた。
 用意してきたクスリを缶バドに入れて、酔いが回った彼を眠らせるのは簡単だった。

 バスタブにぬるま湯を張る。
 大学院生の服を脱がせる。
 昏睡して持ち重りのする彼を、苦労してバスルームまで運び、バスタブの中に静かに横たえる。
 色白の貧相な身体が、ぬるま湯の中で一層貧相に見える。
 洗面所のグルーミング・ボックスから、ゾーリンゲンのナイフ型の剃刀を取り出す。
 バスタブに横たわる彼の右手に剃刀の柄を握らせる。
 その右手を包み込むように持ち、水中の彼の左手首に刃を当てる。
 一気に引く。
 瞬間、彼の身体がビクッと跳ねる。
 うめき声が漏れる。
 吹き出した血が、赤い煙のようにお湯の中に広がっていく…。

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クリムゾン・レーキ 6

2009年10月20日 13時49分24秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
         ◆

 慎二が、その大学院生の引っ越しに出くわしたのは、偶然だった。
 昼食から会社へ戻る途中、『レジデンス・ミラ』の玄関前に、引越し会社のトラックが止まっているのが目に入った。
 そばを通り過ぎるときに、荷物を降ろしている、黄色いツナギを着た運転手と助手との会話が慎二の耳に入った。
「大学院生で、こんな豪勢なマンションに一人住まいなんて羨ましいすね」
「それも一番てっぺんの部屋だってよ」
「きっと金持ちのぼんぼんなんでしょうね」 
 その時、慎二の中で何かが弾けた。
『レジデンス・ミラ』の隣のカーディーラーのショールームの前で待つこと5分、金持ちの大学院生らしき男が玄関に現われ、引越し業者となにやら相談するかのように、言葉をかわした。
 小柄で痩せ気味、Tシャツにジーンズ、メタルフレームのメガネを掛けたその風貌は、どこにでもいる大学生という印象だった。
 慎二はその顔を脳裏に焼き付けた。

 その日から慎二は仕事を終えると、『レジデンス・ミラ』の向かいの喫茶店で張り込みを開始した。
 張り込み1週間目で、大学院生が外出するのに出くわすことができた。
 彼は近くのマクドナルドでハンバーガーとコーラで軽く夕食を摂り、雑居ビルの地下の小さなバーへ入った。
 バーの入口の看板には、70年代ロック専科『ウッドストック』とあった。

 きっちり5分後、慎二がドアを開けて中へ入ると、カウンターだけの、十人も入れば満員になりそうな狭い店内には『クリーム』の『ホワイト・ルーム』が流れていた。
 大学院生はカウンターの端に座って、年令不詳の長髪のマスターと談笑していた。
 他に客はいなかった。
 慎二はカウンターの中央に腰掛け、オーダーを取りにきたにマスターにクアーズを注文した。
「シブいね、この曲」
 慎二は気さくな感じで言った。
「どうも…」
 マスターは照れたような笑みを浮かべた。
「いい曲でしょう、それ僕のリクエストなんです」
 うまい具合に、大学院生のほうから声を掛けてきた。
 意気投合するのに時間はかからなかった。 
 70年代ロックシーンの持ち札は、慎二のほうが年齢差の分だけ多かった。それを小出しにすることによって、70年代ロック・オタクの大学院生の興味を引き付けるのは容易だった。
 その日から、慎二は週に二、三回は『ウッドストック』で70年代ロック談議をやったり、その種のライブハウスや、中古レコードショップへ連れていったりして、大学院生の信頼を勝ち得た。
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クリムゾン・レーキ 5

2009年10月19日 00時10分37秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
 闇の中に仄かに浮かぶ、場末のラブホテルのピンクの空室マーク。点滅を繰り返す、スタンドバーの壊れかけた青いネオン管。
 繁華街の外れの、遠い記憶の回廊のような路地の奥に、そのスナックはあった。
 黒を基調にした内装と間接照明が、ショットバーのような雰囲気を醸し出していた。八人掛けのカウンターには若いアベックが一組、ふたつのボックス席は空いていた。カウンターの中には、女がふたり。

「あら、よく来てくれたわね」
 カウンターの端に座った慎二の前に、慎二と入れ替わりに『レジデンス・ミラ』から引っ越して行った女がおしぼりを持って来た。引っ越しの時はジーンズにトレーナー、メイクも申し訳け程度だったのが、きょうはワイン色のワンピースと濃いメイクで、見事に場末のホステスに変身している。
 もうひとりのママらしき女は、アベックとワイドショー談議に興じている。
「近くを通ったから…」
「そう、ありがとう。何にする?」
「ブラッディ・マリー」
 女は慣れた手つきで、グラスにウォッカとトマトジュースを注いだ。
「どう、あの部屋の住み心地は?」
 慎二の前にグラスを置くと、女は好奇の眼差しで聞いてきた。 
「今のところ快適かな」
「変な音とかしない?」
「いたって静かだけど」
「そう、よかったわね」
 女は言葉とは裏腹に残念そうだった。
 幽霊が出たとでも言えば、この女は喜ぶのだろうか。
「前の住人のこと聞かせてよ」
 慎二の誘い水に女の顔が一瞬輝いた。

 死んだのは25歳の大学院生で、カミソリで手首を切っての自殺。動機はたぶん失恋で、勉強一筋の生真面目な男が惚れた女は、ショートヘアで小柄で派手な、高校生以上、大学生以下の今風の女の娘。
 女は知っていることを、声をひそめながらも得意そうに喋った。
「わたしも一応、当事者なのよね。だってわたしの部屋からよ、警察に電話したの。若い娘が血相変えて、電話貸して下さいって駆け込んで来たと思ったら、人が死んでいます、だものね。ほんとびっくりしたわ」
 当時のことを思い出したのか、女は眉をひそめながらも続けた。
「怖いもの見たさって言うの、わたし隣の部屋に入ってみたの。玄関入ってすぐ横がバスルームじゃない、恐るおそる覗いてみたら、彼がバスタブの中で寝ているみたいに見えたの。でもよく見たら水が真っ赤じゃない、ああ、この人ほんとに死んでるんだなってわかったわ」
 慎二はブラッディ・マリーに口をつけながら、あの時のバスタブのお湯の色を思い浮かべていた。
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クリムゾン・レーキ 4

2009年10月15日 10時55分01秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
 会社へ行って休職願を出し、簡単な業務の引き継ぎをして、外へ出たのは暑さのピークの午後2時頃だった。
 平日のビジネス街は、異邦人となった慎二に対して、いかんなくその底意地の悪さを発揮した。
 換気孔から吐き出される熱風は、悪魔の吐息のように慎二の頬を撫で、アスファルトの舗道は、灼熱のフライパンと化し足元から慎二を焦がした。ビルの窓ガラスは乱反射を繰り返し、真夏の太陽を増殖させて慎二の目を眩ませ、自動車の排気ガスが作り出す異星の大気は、慎二を窒息させようとしていた。

 シェルターは、繁華街のビルの地下の小さな映画館にあった。ポスターを見ると、イラクだかイランだかのマニアックな映画だった。
 慎二は構わず中へ入り、半分以上もある空席の最後列に座った。
 10分ほどスクリーンに意識を集中するが、映画を作る過程を、淡々と撮っていくだけの映画だということが判明し、良く効いた冷房に身を委ねて目を閉じていると、いつの間にか熟睡していた。
 喉の渇きで目が覚めると、スクリーンにはロゼッタ・ストーンのような、奇妙な文字のクレジットタイトルが流れていた。
 時刻は午後9時に近かった。

 映画館から出ると、街の空気は粘っこく澱み、舗道のアスファルトは、まだ昼間の熱気を温存していた。
 風はない。
 橋の上で慎二は立ち止まった。
 川面を渡る微風さえない。
 繁華街の真ん中を流れる川の静止した水面が、明るい夜を映しだしている。
 両岸に立ち並ぶビルの上や壁面では、電子制御のネオンボードが、目まぐるしく点滅しながら、原色の自己主張を繰り返していた。圧倒的なボリュームながら、それでいて無機質で、ある種の冷たさを感じさせるネオンの洪水…。
 緑のネオンが赤に反転したのを機に、慎二は再び歩き出した。
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クリムゾン・レーキ 3

2009年10月14日 11時04分10秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
         ◆

「変形性股関節症ですね。それもかなり深刻ですよ。ほら、これ見て…」
 医者は慎二に、レントゲン写真をボールペンで示しながら続けた。
「ここの大腿骨骨頭がね、普通は滑らかな球形なんだけど、あなたのは上の面がこんなにギザギザでしょう。これじゃあ神経を刺激して、まともに歩けるはずがない」
 以前から左の股関節に違和感があり、一年程前からは、長い距離を歩いたり、列車の座席に長時間座ったりすると、鈍痛を覚えるようになっていた。最近では階段の昇り降りの際に、激痛が走ることがたびたびあった。
「治るんでしょうか?」
「治りませんよ、手術しないことには」
「じゃあ手術して下さい」

 そういうわけで、慎二は股関節の手術をすることになったのだが、ベッドが満床で、空きが出るまで自宅待機となった。
 その日は痛み止めの注射を打ち、股関節体操のパンフレットと、飲み薬や湿布薬を小脇に抱えるくらいもらって病院を出た。
 パンフレットや薬は、駅のゴミ箱に捨てた。
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天満音楽祭出演!!

2009年10月12日 11時44分48秒 | ギター&ウクレレ
天満音楽祭でのウクレレライブ演奏、無事終えました。
お寺のステージでしたけど、25、6人のお客さんが来てくれました。
会社の先輩、後輩、行きつけのバーのママやマスターの顔もありました。
演奏曲目は以下の通りです。

  Something
  Here comes the sun
  Fly me to the moon
  Coffee rumba

演奏のほうは、若干のミスブローもありましたが、なんとか形にはなっていたと思います。MCが思いのほか受けていたのにはビックリでした。

やっぱりライブはソロが一番です。観客の視線も歓声も独り占めできますからね。他のバンドを見てても、楽器プレーヤーは、ボーカルやリード楽器の引き立て役という感じが否めません。
来年はブルーズハープのソロで、出演してみようかなと考えています。
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クリムゾン・レーキ 2

2009年10月11日 21時27分00秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
 塵ひとつないくらいに掃除が行き届いた室内は、天井も壁も、そしてフローリングの床もクリーム色で統一され、広大な砂漠にでもいるような、奇妙な遠近感の錯覚を生じさせた。
 20畳のワンルームは、壁面の収納スペースに衣類や本や雑多な小物を放り込んでしまうと、主だった家具を配置しても閑散としていた。バスルームは、到底そこで人が死んだとは思えないくらい、ピカピカに磨き込まれていた。
 東向きの大きな窓は、飛び降り防止のためだろうか、ストッパーが付いていて、内側のほうに20センチ程しか開かないような作りになっていた。窓の外にはベランダもない。
 カーテンレールに買ってきたカーテンを取り付ける。だいたいの見当で買ったのに、長さとかドレープの出具合いとか、光の透け具合いが思惑通りだった。
 窓からは、ビジネス街のシンボル的存在の、超高層の双子のインテリジェント・ビル、通称ツインタワーが見える。その下にはジオラマのような都会の雑踏が広がっていた。

 慎二が引っ越して来たその日、ちょうど隣の住人が引っ越して行くところだった。
「余計なお世話だけど、おたく、事情わかってその部屋借りたの?」
 ロングヘアを茶色に染め水商売然とした隣の女は、メンソール・タバコをせわしなく吹かしながら、無遠慮に聞いてきた。  
「前の住人が風呂場で自殺したんでしょう」
「それ知ってて借りたの?」
「そういうこと気にしないタチだし、それに家賃も安かったし…」
「変わってるわね。でも、わたしはダメ。夜中にどこかで物音がすると、隣の部屋からじゃないかって、気になって眠れないの」
「そう…」
「あっ、ごめん。知らない人にあれこれ言って、ほんと余計なお世話だよね。そうだ、お世話ついでに、わたしこの近くのお店に勤めているの。よかったらそのうちおいでよ」
 女は、タバコケースの中から名刺を取り出して慎二に手渡すと、開け放したドアから自室へ戻って行った。
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クリムゾン・レーキ 1

2009年10月10日 13時53分50秒 | 小説「クリムゾン・レーキ」
 地上28階建ての賃貸ワンルーム・マンション『レジデンス・ミラ』は、古くからの家並みが次々に地上げされ、マンション建設の前段階として駐車場と化していた、バブル経済の真最中に忽然と現われた。
 鉄パイプの足場やブルーシートで覆われていた、建築途上時のそのマンションは、当時の建築ラッシュの中、回りの雑然とした埃っぽい風景に溶け込み、目立たないように息をひそめていた。

 ある日突然、ブルーシートのベールを脱ぎ捨て、その威風堂々の巨躯を現わした『レジデンス・ミラ』は、都心の空に新たなスカイラインを画した。
 バブル経済を象徴するかのような、メタリック・ブラックの外壁や各階を仕切るゴールドのモール、都心の居住区では群を抜いた高さ、そして地上28階建ての10階部分から上が徐々に細くなり、地上から見上げると、それはまるで都会の荒野に出現したバベルの塔を彷彿させた。
 
 入居募集と同時に満室となった『レジデンス・ミラ』は、手に入れたパンフレットによると、部屋はすべてバス、トイレ、エアコン完備の20畳のフローリングのワンルーム。オプションとして衛星放送、ケーブルテレビ、有線放送を装備。
 ショーケースの中のライカM6が、カメラ小僧を呼び寄せるように、そのマンションは妖しいフェロモンを放ちながら、慎二を呼んでいた。
 もとより一般の庶民を対象にしているはずもない家賃は、社歴10年の慎二の給料より高く、保証金はボーナスより高かった。

 そんな『レジデンス・ミラ』に慎二が入居できたのは、その一室で自殺者が出たおかげだった。
 その結果、その部屋の家賃は慎二の給料の三分の一に、保証金は給料の二ヵ月分にまで下げられた。
「ほんとにいいんですね。そりゃあ、都心の賃貸ワンルーム・マンションでは破格かも知れませんけど、何度も言うようですけど、前の住人がああいう事情で…」
 賃貸住宅会社の社員は、しつこいくらいに念を押した。
「わかってます」
 慎二は賃貸契約書に必要事項を書き込みながら、顔も上げずに答えた。
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