★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

悲しき天使

2024年08月02日 10時58分46秒 | 徒然(つれづれ)
 ビートルズがアップル・レコードを設立したのが1968年、その記念すべき最初のレコードが、メリー・ホプキンの『悲しき天使』だ。
 ビートルズ・ファンなら周知だろうが、ロシア民謡をポールがプロデュースして、当時18歳のメリー・ホプキンに歌わせた。
 
 当初はウェールズの田舎娘を、なんでポールともあろうものが、と揶揄されたらしい。
 そこにビートルズ色は一切なく、歌詞の内容も、若くはない女性が、若かりし頃を偲ぶ内容で、18歳の少女には似つかわしくない。

 それが、日本を含め全世界で500万枚以上のセールスを記録すると、さすがポール、先見の明と評価は一変した。
 当時、世界中のいろんなミュージシャンがカバーして、日本でも森山良子が日本語歌詞でカバーしていた。
 ギターのコードも簡単で、歌詞を覚えたらすぐに弾き語りできた。

 反面、アップル・レコードでは、鳴り物入りでデビューしたバッド・フィンガーが、その後思ったほどパッとせず、また、のちにアメリカでその地位を不動にした、ジェームス・テイラーもデビュー作が売れず、失意のうちに帰国した。
 ジェームスに至っては、ジョージの最大のヒット曲『サムシング』の冒頭に、自作曲のタイトルをちゃっかり借用されるというオマケつきだ。

 メリー・ホプキンも今にして思うと一発屋で、セカンド・シングル『グッドバイ』をリリース後は、ミュージックシーンからフェイドアウトした感がある。

 邦題の『悲しき天使』は原題の『Those were the days』とは似ても似つかないが、国内セールス施策上はベターな判断だろう。
 曲調も、哀愁を帯びた、もろ歌謡曲調で、日本人受けする要素は多分にあった。
 同時期にヒットしたダニエル・ビダルの『天使のらくがき』などもそうだ。
  
 ポールのプロデュース、ビートルズ繋がりというだけで、私はシングルはもちろん、アルバム『ポスト・カード』まで買ってしまった。
 もし、そうでなかったら、私だけでなく、多くの人間もおそらく買っていなかっただろう。

 日本発売から1年半後、当時、高校1年の私は、ローカルのNHK-FMの音楽番組にリクエストして、コメントが読まれた。
 それまで、ビートルズのナンバーを何曲もリクエストしてかからなかったのが、『悲しき天使』は一発で取り上げられた。

 九州の辺境の高校生でも、その音楽番組のリスナーは何人かいた。
 翌日は、ローカルといえど天下のNHKの音楽番組で、リクエストが取り上げられたということで、いわば時の人扱いだった。
 田舎の高校ゆえ、ラジオでリクエストが読まれた者など、当時、皆無だったのだ。

 今、聴き直してみても、郷愁を誘うなかなかいい曲だ。
 歌詞も、出だしの「その昔、居酒屋があった」から、もろにストライクだ。
 人生の晩秋に足を踏み入れ、あの頃はよかった(Those were the days)、と若き日を懐かしむ、たそがれオヤジには身につまされるものがある。


ビートルズのジョージ、ストーンズのキース。どちらもヘタウマギタリストだ。キースに至っては、歳をとってその素人顔負けのヘタさに、磨きがかかってきた気もする。でも、そのサウンドには、他のギタリストには出せない独特な味わいがあるんだよね。 そんな味わいの小説を、Amazon Kindle Storeに30数冊アップしています。★★ 拙著電子書籍ラインナップ・ここから、またはプロフィールのQRコードから買えます。
 読後のカスタマーレビューをいただけたら幸いです。

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