元サラリーマンの植物ウォッチング第6弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part6
鉄道・1~米坂線9600形
植物記なのに唐突なSL写真だがこれは私が高校生の冬に山形県の米坂線で撮ったもの。昭和46年12月のことだ。納戸を整理していてアルバムが出てきたので当時を懐かしく思い出した。この時は上野駅から夜行列車で米沢駅に向かい早朝に米坂線手ノ子駅に着いた。そこから線路沿いを下半身が雪に埋もれながら歩きこの場所で三脚を立てた。一日に数本しか運行されないので数時間待っても撮影は一瞬。当時は携帯用カイロなど無く震えながらその瞬間を待っていた。SLが通過した後はまた雪を掻き分けて駅まで戻ったが、現在のような完全防水ウェアではないので下半身はびしょびしょ。待合室のストーブで乾かしたが良く風邪を引かなかったものだ。米坂線は山形県の奥羽本線米沢駅と新潟県の羽越本線坂町駅を結ぶ路線でSLは昭和50年まで貨物列車や旅客列車を牽引していた。形式9600形蒸気機関車は大正2年から製造された貨物列車牽引用のテンダー式SL。テンダーとは機関車の後ろに炭水車(石炭と水を積載)があるタイプでこれは“キューロク”の愛称で日本全国で活躍した。1号機は9601機だがこのタイプは770両製造されたため9699号機の後は、9600の前に1~7を付けて採番された。写真の79607機は米沢区に所属していたが米坂線の無煙化により昭和48年に廃車となった。
コメント ( 10 ) | Trackback ( )
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雪まみれになりながらの渾身の一枚ですね。
高校生はまだまだ若い、風邪もひかずに頑張れましたね。
素晴らしい写真です。
これは凄い! こんな体験をされていたのですか。
この思い出は一生の宝ものではないでしょうか。
高校生のころからこういう体験を積み重ねられて多摩NTの住人様の今があるわけですね。
もしかすると撮影機材も高校生離れしていたのではありませんか?
蒸気機関車とともに、遠ざかって行く昭和を懐かしむのも悪くはありませんね。
私は小学生の時中央線はSLで名古屋からトンネルを13(?)越えた多治見にいました。夏は暑くてトンネルの度に窓を開けたり閉めたり大変でした。
いいなぁ、SL。雄姿が良く撮れています。他の記事の写真も。
これぞ「なんちゃって」じゃなく、本当の鉄ちゃんです。