元サラリーマンの植物ウォッチング第6弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part6
鉄道・3~稚内駅
昭和46年の夏。高校1年生の私は旭川駅から稚内駅に向かう夜行列車、急行“利尻2号”の普通車ボックス席に座っていた。窓の外は真っ暗で牽引する蒸気機関車の汽笛が時々『ポー』と聞こえてくる。その音を子守唄に旅の疲れからかいつの間にか見知らぬ隣人の肩に寄り掛かり眠ってしまっていた。列車は翌日早朝に稚内駅に到着し、牽引する蒸気機関車が転車台で方向転換して再び先頭に付きすぐに旭川駅に向かって引き返す。宗谷岬観光などの時間は無く道内周遊券を持っている私は一旦改札を出て記念の入場券(硬券)を買ってまたホームに戻り同じ車両に乗り込んだ。写真は稚内駅に停車中のC55形蒸気機関車(愛称:シゴゴ)で昭和10年から全62両が製造された。写真の49号機はSL廃止後は稚内港北防波堤ドームに静態保存されていたが塩害による老朽化で平成8年に解体され今は動輪だけが残されているようだ。
コメント ( 11 ) | Trackback ( )
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写真の機関車に乗ったのですかね。
良い経験をされていましたね。
高校二年で北海道で汽車の旅。
すごいなぁ。その頃私は小6とな
ります(笑)。
鉄ちゃんは高校1、2年生ですでに北海道や東北の地まで凄い旅をされていたのですね。
趣味が豊かで退屈を知らないこれからの人生ですね。貴重な写真ですこと!
高度経済成長の日本、その真っ盛りの時代でしたね。
横井庄一さん発見、あさま山荘事件、沖縄返還、
日本赤軍乱射事件、ミュンヘンオリンピック、ウォーターゲオと事件・・・など国内外で盛りだくさんの出来事がありましたね。
高校二年生で稚内迄大遠征とは思い切ったことをされましたね。
貧乏旅行にせよ、若いころのこういう思い出はいつまでも忘れない宝物となりますね。
そこへSLの思い出も相俟ってこれは貴重な体験でしたね。
一面の雪、高校生の写真には見えませんね。
ストーブの火に暖められてほっとした様子が想像できま
すね。
写真は何かのコンテストに出品されたのですか。
最近コメント投稿しても反映されません、今回はどうかな。
国鉄が旅客専用蒸気機関車として作ったC51、53、55、57、59のパシフィック型SLは、いずれもスタイルが美しく魅力的でした。「ライト・パシッフィク」と呼ばれたC55、「貴婦人」と呼ばれたC57、そして私が一番好きだった国鉄史上最高で最後の旅客用蒸気機関車C59の雄姿。胸に焼き付いています。
後年つばめを牽引したC62はボイラーが貨物機のD52からの転用で、純粋の旅客用SLでなかったのが残念でした。