長電話

~自費出版のススメ~

夢の編集 大滝詠一の洗練

2014-01-05 | アート
その昔、政治漫談などで知性を売りにし、文化人や知識人と呼ばれる人達から好評を得ていたセントルイスという漫才コンビがおり、当時センスが近いってことでツービートのライバルとされていました。

そんな風に比較されたビートたけしは「文化人が褒めてるからって、芸人が偉いなんてこたぁねえんだ」と、セントルイスやタモリの活動のその茶坊主的とも見られた側面を嫌悪し、ムカつき、噛み付いてみせたものでした。

そして、そのセントルイスとコラボしたり、たけしの相方のきよしと「うなづきマーチ」を作ったのが、文化・知識人である大瀧詠一です。

大瀧さんは、前面に出て主張し喧嘩を吹っかける下町のロックンローラー(当時)と違い、常に一歩引いて全体を捉え、松岡正剛のような編集姿勢で音楽を「構築」する活動に徹するのがもっぱらで、目指すは、楽曲や歌詞を素材にした「音の洗練」、さらに言えばフィルスペクターサウンドの完全消化による進化・完成形と言えるでしょう。

そういったスタイルに要求される態度は「節度」であり、どこまでも自分の行為に対して自覚的であらねばなりません。使用する機材の進化による録音環境の変化への対応、有名な分子分母論など方法論の裏付けから導かれる系譜への配慮、つまりそれらを通してオリジナルな自分を一旦消していく作業に身を投じるわけです。

本の装丁をしていると、「あ、これどっかで見たことがあるようなデザインだな」と思うような仕上がりになることがあります。どこにもないんだけれど、どこかで見たことがある気がする。それは黄金率のように、あるべき位置にあるべきものが配置されている状態が実現している、ということかもしれませんが、それ故、特徴的だったり、過激だったりにはなりにくい、つまり調和が生まれることによって個性が失われ匿名性が高くなるのです。

大瀧詠一は「目指すものは、詠み人知らず」と言い、音や音質の再配置により正しいツボに嵌る作品を目指して、繰り返し同じ楽曲に手を加えてきました。「洗練」とはつまり、そういうことなのかもしれません。

合掌