毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「タイで『I'm sorry about Kenji.』と言われた」2015年2月25日(水)No.1100

2015-02-25 20:39:28 | 旅行

↑ホテルの部屋から望んだバンコク市内

   

↑ホテル屋上のプール。束の間のゼイタクか。      ↑ホテルにはムスリム用のお祈りルームも。

 

今日はタイ・バンコク在住2年になる息子の誕生日です。

日本に戻ってから毎日あれこれあり過ぎて、

もう、旅行の感想を書くのも時期外れっぽく感じるのですが、

せっかく息子が街を案内してくれたんだし、

そういうことはこれから再びあるかどうかも分からないので記録しておくことにします。

 

バンコクの印象は(すごい国際都市だなあ!)ということです。

国際色豊かな人々が観光に訪れるのみならず、

多くは定住しているということで、

アジア、アフリカ、中東、ヨーロッパ、オーストラリア、北米、南米と、

世界各国からの人々が、まるで生まれた時から自分の街であるかのように

のんびり歩いている姿がまず心に留まりました。

名実ともに東南アジアのハブ都市であると言えるのではないでしょうか。

中国の上海とも違う雰囲気の国際ビジネスの中心地です。

北部のチェンマイ市などは異なるタイの顔を見せてくれるそうですので、

もし、行けたら今度はチェンマイにも足をのばしてみたいものです。

 

↓バンコク近郊のアユタヤ遺跡。

塀の内側に並んでいる像のほぼ全ては首がなかったり、脚だけだったり。

ビルマが攻めてきて破壊しつくしたそうです。

↓上の像に近づくとこうなっています。修復せずにこうして残しておくのも、

歴史の学習として有効だと思いました。

こうした像を見ると、とても悲しい気持ちになりますけど…。

 

この不思議な仏像の顔も、戦争で破壊され、地中に埋まっていたところ、そこに木が

生えて成長し、顔が根っことともに浮上してきたとのことです。

バンコク市近郊のアユタヤ市には、日本の室町時代に王朝が栄えていて、

日本から山田長政も来て住んだところだと、ガイドさんが説明してくれました。

(そう言えば当時シャムという名前だったかな)と、昔習ったことが微かに蘇りました。

「学校に通わず自分で覚えた日本語なので、下手です。私の言うことわかりますか。」

と謙遜して言うガイドさんですが、

アユタヤ朝がビルマによって滅ぼされたことについては、

「これもビルマにやられました。あれもビルマが壊しました。」

と、何度もビルマの名前をあげていたのが印象的でした。

何百年経っても、歴史は消すことはできません。

特にやられた国や人々の心の中はそうです。

呑気な(そう見える)タイ人でもやはり、同じです。

日本人は自国の侵略の歴史を、もっと、もっと真面目に見つめるべきなのに、

負の歴史は消して書き換えようとする歴史修正主義が闊歩しています。

今の日本は情けない国に堕しています。

(おっと、また安倍の顔がちらつくわっと。せっかく気分転換を図ってんねんけど)

 

↓仏像の顔を包み込む木は、空に向かって大きく伸びていました。

 

↓さて、暑くて熱いバンコクでは、

クトクという乗合タクシーに揺られ、風を切るのが楽しかったです。

中国の大学近辺のぎゅうぎゅうに詰め込むミニバスより、

ゆったりして風が入り放題なのがとても心地よかったです。

   

 

↓ちらっと息子の住むマンションへ。何と、プール付きなのには絶句……。

そんなお金があったら、親に送金してくれよ~~。

 

↓夜は連れられてお楽しみタイ料理のお店に。

「キャベツとコンドーム」という変わった名前の店でした。

 

↓迎えてくれたサンタとエンジェルはなんなんでしょう、

全部コンドームで作られていました。

↓記念撮影用コンドームディスプレイ。

↓料理はトムヤンクンやタイ風もち米をはじめ、各種普通のタイ料理でよかった。

暑いので、なによりビールが美味しかったです。

お客さんは地元タイのみならず欧米系、インド系など様々。

 ↓このようなディスプレイを見ていると、

日本で『ろくでなし子さん』が逮捕された仕打ちは異様である気がしてきます。

店に入ったらすぐ、どういう場合に、どのようにコンドームを活用すべきかを、

詳しい図入りでパネルにしてありました。

また、店を去るときには、ご丁寧に全員にコンドームがプレゼントされました。

(もちろん私も記念にもらって帰ってきました)

エイズ撲滅をテーマにしているのかな、とも思えます。

ここの経営者は政治家だそうです。

  

 

↓最後の晩に食事に招待してくれた娘の友人、アティタヤさん(左)と妹さん(右)。

アティタヤさんは英語の先生、妹さんはフライトアテンダントだったのですが、

今はお母さんの傍で親孝行しているそうです。

隣りに座ったアティタヤさんに

「I'm so sorry about Kenji.」と言われ、

すぐに後藤健二さんのことだと分かりました。

とっさに

「I think he was killed by our country's prime minister ABE.

If we have another person as the PM, the result might be different.」

という言葉がついて出ました。彼女は黙っていました……。

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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その通りと思います! ()
2015-02-26 07:11:50
未だ、その喪も明けないというのに(-"-;)国会でのあのはしゃぎぶりは異常としか思えないです(-_-#)
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安倍は何かいいことを一つでもしたかしら? (ブルーはーと)
2015-02-27 09:47:54
空さん、
実は私は政治が大嫌いです。
歌を歌い、ギターを弾いて、晴耕雨読、自分の限られた人生をエンジョイしたかったです。
郊外で野菜やハーブを育て、いい空気を吸って暮らすのが私の晩年の生活ビジョンでした。
そんな平和に生きる権利を、あんな知性と品性のかけらもない政治家にグチャグチャにされるのが、本当に悔しいです。
戦後70年で曲がりなりにも日本人が形成してきた平和な社会を、これ以上破壊されないために、ちょっとのことでもコマ目にやり続けよう、と毎日自分に言い聞かせています
それにしても、「日教組!」野次も酷過ぎますね…。
こんな首相を選んだ日本国民が私は嫌いです。

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