あの手この手と操作しなくてもネットが即座に繋がる……
ああ、このヨロコビをどうしたら伝えることができましょうか。
例えば、長期にわたる断水の後、
水道の蛇口から水がほとばしり出るのを見た時のような感覚です。
ものごとを圧倒的な力で制限されているときは、
理不尽さを感じる感覚も麻痺してしまい、
AがだめならBの方法でやるさ、とか
AもBもだめだったけど、寝て休養できるから
ものは考えようだとか、実に諦め上手になってしまうのです。
そうでないと毎日腹がたって心穏やかに過ごせません。
これが中国で暮らしているとき、
インターネットについて私が置かれている状態です。
しかし、
制限を解除されたときのとてつもない解放感を味わった後では
(制限されて生きることのなんと苦しいことよ)
と、思うのです。
諦めること、我慢すること、言い訳すること、
そうしたことで平静な生活を手に入れる。
今の政権について日本のある若者が
「自分が生きていられるだけでありがたい。それは今の政府のお蔭です」
と言うのを記事で読んで、
(ああ、この若者はものすごく諦めちゃってるんだ)
と身につまされ、悲しかったです。
実は、日本の若者の諦め感覚は
今の中華人民共和国の若者の感覚にとても似ています。
違うのは、
中国の方が、経済が社会に目に見えて潤いを与えているので
(生きていられるだけありがたい)という引き下がった考えはなく、
(言論の自由はないけど、そんなこと気にしなければ
たいしたことないし、我が家は年々豊かになっているし、
これは習近平主席のお蔭だ)となるのです。
ま、とにかく日本の大阪の自宅に無事戻りました。
冷蔵庫でガンガンに冷えていた、
多分息子が買ったのであろうチューハイで
かんぱーい!!