最近ではYouTubeスタジオのようになっていた部屋が片付いて、9月になって、ようやく夏仕様に模様替えすることができた。
夏らしく模様替えした部屋で、朝目覚めるたびに「あぁ夏だなぁ」とか、「幸せだなあ」って思ってしまう。
「ささいなものに幸せを感じて、すぐにもう十分だと思ってしまうんです」
と、職場の上司に話したら、
「もっと広い部屋はあるし、もっときれいに模様替えできるし、もっともっと幸せはある。満足するのが早すぎるんじゃない?」
と言われた。
そうかこれではダメなのかと日々考える反面、どうしても「嫌なことがない状態」に私は幸せを感じてしまうらしい。
昨日は偶然近所にいるという友達から連絡があり、仕事の休憩時間にお茶をした。
とっても久しぶりで、コロナで騒がしくなってから、zoomの画面では何度か話したけれど、実際に会ったのはいつ以来だろう。
とにかくとても久しぶりで、彼女も仕事以外で人と喋るのは久しぶりだと、短時間にかなり詰め込んで話をした。
その店で過ごすいつもの休憩時間では、「なんでコーヒーと小さなサンドイッチで1000円もかかるんだろう? やっぱり渋谷は高いな」って、お会計のたびにモヤモヤするけれど、昨日は全くそんなことは感じなくて。
もう倍くらいの値段でも、気にならなかったと思う。
いや、幾らだってよかった。
で、急に「人と会うってこういうことなんだ」って思った。
いつもは感じる小さな不幸せが幸せになってしまう。
高く感じないって、たったこれだけのことだけど、まるで催眠術にかかったみたいに、いつもの真逆の心情になっている自分に驚いて、人と会うことの幸せを体中で感じた。もともと「何もないこと」に幸せを感じてしまうのだから、その一瞬はもう大袈裟なほどの幸福感なのだ。
きっとコロナとかがなかったら分からなかったことだろう。
だけど…。
今日からの渋谷の1000円は、きっと彼女とは会えない寂しさを感じる1000円になるだろうな。
そう思うと、今から悲しい。