大関・琴光喜が、それまでの供述を翻して賭博関与を認めたという報道を聞いて
心底驚いたという人は余りいないのではないか、と私は思う。
それくらいのことは、多くの人の”想定内”のことだと思う。
それというのも、最初に疑惑報道があった時点で世間では「さもありなん」
と思ったのではないか。
テレビ・新聞等のマスメディアが、いかにも驚いたような振りの報道をしている
のは、まさに”ぶりっ子”以外の何者でもないだろう。
要するに日本相撲協会という組織は腐敗しきっており、日本の悪しき社会の
典型であるということは、多くの人の共有感覚ではないか。
これほど不祥事を出し続ける組織というのも珍しいはずだ。
結局これは、官僚が天下りを止めないこと、行政が無駄遣いを改めないことに
通底する、既得権益及び慣例は断固として変えようとしないという
旧来の日本的組織に共通の性格そのものではないだろうか。
こういうものは本気で変える気がなければ、決して変えられないのである。
人間というのは、激甚な体験をしないとなかなか変われないものだ。
相撲協会はどう見ても、ずぶずぶの”大甘社会”に見える。
協会が本気を見せるのなら、私は名古屋場所を中止するくらいの姿勢を
見せるべきだと思う。
心底驚いたという人は余りいないのではないか、と私は思う。
それくらいのことは、多くの人の”想定内”のことだと思う。
それというのも、最初に疑惑報道があった時点で世間では「さもありなん」
と思ったのではないか。
テレビ・新聞等のマスメディアが、いかにも驚いたような振りの報道をしている
のは、まさに”ぶりっ子”以外の何者でもないだろう。
要するに日本相撲協会という組織は腐敗しきっており、日本の悪しき社会の
典型であるということは、多くの人の共有感覚ではないか。
これほど不祥事を出し続ける組織というのも珍しいはずだ。
結局これは、官僚が天下りを止めないこと、行政が無駄遣いを改めないことに
通底する、既得権益及び慣例は断固として変えようとしないという
旧来の日本的組織に共通の性格そのものではないだろうか。
こういうものは本気で変える気がなければ、決して変えられないのである。
人間というのは、激甚な体験をしないとなかなか変われないものだ。
相撲協会はどう見ても、ずぶずぶの”大甘社会”に見える。
協会が本気を見せるのなら、私は名古屋場所を中止するくらいの姿勢を
見せるべきだと思う。