休日らしくない話題
東京オリンピックのマラソン・競歩のコースが札幌に移されることで
IOC、都、札幌、国の間でずいぶんゴタゴタがあったが
ひとまず札幌の開催で結論が出た
IOCの物事の進め方は、当事者としては問題視する気持ちは解らないでもない
(いろんな視点があるとしても、進め方として)
だが、そもそもこの東京オリンピックが7月から8月にかけて行われることを
大丈夫か?と不安視していたのは関係者ではなく、一般の人たちだ
アスリートは酷暑の中で十分なパフォーマンスを発揮できるのか、、どころか
最悪死に至ることになってしまわないだろうか、、
炎天下で競技を見ている人々は熱中症になってしまわないだろうか、、
こんなことが当たり前のように想像できたからだ
この時期に無理やりオリンピックを開催するのはテレビ放映権のせいだと言われる
アメリカのスポーツのオフシーズンにあたるこの時期にオリンピックを開催して
視聴率稼ぎをしたいからだとか
オリンピックが商業的な面からアスリートを無視して開催されるのはどうなのか?
といったごく自然な感情とか倫理感は今日のここでのテーマではない
気になっているのはオリンピック誘致合戦の際の東京の
「温暖であるためアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候」
と述べている点だ(申請書に書かれている?)
こんなことは常識的な日本人は誰も信じない
この時期は毎日のように熱中症のニュースが出てしまっているからだ
申請書は「盛って書かれる」のが残念ながら一般化しすぎている
よく使われる「適切に」の表現は、決められたステップを踏んでいるということで
「適切に判断している」わけではないことがわかる
「適切に判断する」ならば、この時期の東京は本当に温暖で、パフォーマンスを発揮できる気候か
をキチンと確かめるはず
ところが、どう見ても検証したとは思われず、申請書の言葉をそのまま信じてしまった(信じたい)ようだ
こうした問題は東京オリンピックに限らずいろんなところで見られる
補助金の申請書類では、現状分析の確実性も将来の成果予想も
実はあまり根拠のないものになっていることがある
ただし、必要なその項目は書かれていて、文章の中には「使ってほしい字句」は入っている
そして判断の正当性は決められたステップを踏んでいることで担保されている
結局のところ、「内容については」十分に検証・検討されていなかったりする
これらは地方自治体の計画でも同じで、ステップとしての会議・検討会・調査は行われても
現実的な見方からの否定的な意見は、反映されにくい
(例えばオリンピックは良いものだ、あれこれ心配するより、どうすればうまくいくかを考えるべきのような)
正規のステップを踏んでいるからと言って適切な判断ができているわけじゃない
(国家特区の選定でも怪しいことがあった)
最近、この手の問題が多すぎるように思えてならない
結局みんなが無責任のようだ(内容については追求しないで済ませているので)
誰も責任を取らないシステムの国になっているからか
(他国はどうなのか気になる)