パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

盛って提出は一般的だが、のちのち困ることになる

2019年11月04日 09時14分41秒 | あれこれ考えること

休日らしくない話題

東京オリンピックのマラソン・競歩のコースが札幌に移されることで
IOC、都、札幌、国の間でずいぶんゴタゴタがあったが
ひとまず札幌の開催で結論が出た

IOCの物事の進め方は、当事者としては問題視する気持ちは解らないでもない
(いろんな視点があるとしても、進め方として)

だが、そもそもこの東京オリンピックが7月から8月にかけて行われることを
大丈夫か?と不安視していたのは関係者ではなく、一般の人たちだ
アスリートは酷暑の中で十分なパフォーマンスを発揮できるのか、、どころか
最悪死に至ることになってしまわないだろうか、、
炎天下で競技を見ている人々は熱中症になってしまわないだろうか、、
こんなことが当たり前のように想像できたからだ

この時期に無理やりオリンピックを開催するのはテレビ放映権のせいだと言われる
アメリカのスポーツのオフシーズンにあたるこの時期にオリンピックを開催して
視聴率稼ぎをしたいからだとか

オリンピックが商業的な面からアスリートを無視して開催されるのはどうなのか?
といったごく自然な感情とか倫理感は今日のここでのテーマではない

気になっているのはオリンピック誘致合戦の際の東京の
温暖であるためアスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候
と述べている点だ(申請書に書かれている?)
こんなことは常識的な日本人は誰も信じない
この時期は毎日のように熱中症のニュースが出てしまっているからだ

申請書は「盛って書かれる」のが残念ながら一般化しすぎている
よく使われる「適切に」の表現は、決められたステップを踏んでいるということで
「適切に判断している」わけではないことがわかる
「適切に判断する」ならば、この時期の東京は本当に温暖で、パフォーマンスを発揮できる気候か
をキチンと確かめるはず
ところが、どう見ても検証したとは思われず、申請書の言葉をそのまま信じてしまった(信じたい)ようだ

こうした問題は東京オリンピックに限らずいろんなところで見られる
補助金の申請書類では、現状分析の確実性も将来の成果予想も
実はあまり根拠のないものになっていることがある
ただし、必要なその項目は書かれていて、文章の中には「使ってほしい字句」は入っている
そして判断の正当性は決められたステップを踏んでいることで担保されている

結局のところ、「内容については」十分に検証・検討されていなかったりする
これらは地方自治体の計画でも同じで、ステップとしての会議・検討会・調査は行われても
現実的な見方からの否定的な意見は、反映されにくい
(例えばオリンピックは良いものだ、あれこれ心配するより、どうすればうまくいくかを考えるべきのような)

正規のステップを踏んでいるからと言って適切な判断ができているわけじゃない
(国家特区の選定でも怪しいことがあった)
最近、この手の問題が多すぎるように思えてならない

結局みんなが無責任のようだ(内容については追求しないで済ませているので)
誰も責任を取らないシステムの国になっているからか
(他国はどうなのか気になる)




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寒々としたドキュメンタリー映画「レット・イット・ビー」

2019年11月02日 09時18分59秒 | 音楽

「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケットマン」「イエスタデイ」
などロック音楽を扱った映画が続いている

それに刺激を受けてもう一度見たいな、、と思いだしたのが
ビートルズの「レット・イット・ビー」を製作中のドキュメンタリー映画だ
映画の最後にはビルの屋上のライブパフォーマンスシーンがある
(映画イエスタデイでもこのシーンを彷彿とさせるところがあった)

このドキュメンタリー映画は二回見た(豊橋と名古屋?)
そしてそれを見て得た印象は同じだった
「寒々としている」「ギスギスしている」「奇妙な緊張感がある」
決して見るものを幸せにするタイプの映画ではない
むしろ「このような関係だったから解散したのか」と納得できるかのよう

しかしそれはこのドキュメンタリー映画の監督が、そうした部分だけ切り取って映像化したためであって
ポール・マッカートニーが
「(気持ちはバラバラだったかもしれないが)一旦音楽が始まれば僕らはフッと元通りの音楽を作ることができた」
と言ったのも納得できるシーンもある
確か即興で「カンザスシティ」だったかを始めると、みんながそれに合わせて音を付けていくシーンは
類まれな才能を持った人たちの音楽に対する愛情に満ちているかもようだった

ただ全体に漂う「寒々とした印象」は、どうしても消し去ることはできず
ビートルズメンバー自体がこの作品をDVD化とか再上映化するのを良しとしていなかったらしい

確かに一面的な切り取り方だが、人はこのようになってしまうこともある
それは1つの事実として存在する
しかし、そうなっても最後には「アビー・ロード」のような一体感に溢れた完成度の高い
アルバムをみんなで作ることができたという事実も、歴史として興味深いものだ

ドキュメンタリー映画の「レット・イット・ビー」は色んな意味でもう一度見てみたい
このとき彼らはジョンが30歳、ポールが28歳(29歳?)だったが、その年令での
美意識とか音楽的センスの高さは、、現在のショービジネスのこの年齢のミュージシャンと
大分違っているような気がする
もっとも最近のミュージシャンは覚えられないので過小評価してるだけかもしれないが

再上映されないドキュメンタリーの「レット・イット・ビー」はもっと時間が経てば
歴史資料としていつか上映されるだろうな(きっと)

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片方だけ脱いでしまう靴下

2019年11月01日 08時50分55秒 | 徒然なるままに

朝晩の気温差が激しくなって我が家も炬燵を出してきた
(炬燵布団を掛けただけだが)
ミカンが揃えば部屋はすっかり冬ヴァージョンになる

炬燵はとても危険だ
脚が温いと眠たくなる
それに一旦入ると動きたくなくなる

我が家の偉い人は奇妙な癖がある
炬燵に入ると靴下を脱ぐ
ここまではよくあること
しかし、それが必ず片方だけなのだ
また片方だけ、、、とからかったりするが
実は姉もこれと全く同じことをする

月に一度くらい顔出しをする姉も
炬燵に入ると知らず知らず片方の靴下だけ脱いでいる
「変なところだけ似ちゃったね」
これは遺伝の為せる技なのだろうか

自分も父からの遺伝らしきものがある
それは朝方に大きな音でくしゃみをすること
だいぶ前に亡くなった父の記憶は子供の頃に聞いた
大きなくしゃみの音
父は朝になると決まってくしゃみをしていた
今それと同じことをしている

くしゃみをする時はぎっくり腰にならないように!
とTV番組を見た偉い人が助言する

昨日と同じ毎日が続くこと
進歩も大事だが、こうした毎日も大事だと感じるこの頃

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