パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

子どもたちと出会った時の印象が違う!

2019年11月18日 08時38分23秒 | 子どもたちのこと

 新城市の3階建ての商業施設(ピアゴ)に行けばいろんな人に出会う
同級生とか、顔に記憶があるが名前が出てこない人や、サッコーコーチ時代の子供の親御さんとか、、

この中に、現在ボランティアで手伝っている外国出身の子供にも出くわす
ところが出会った時の印象・様子がいつもと違う

勉強の面倒を見ている時は、彼らは落ち着きがない
時には手がつけられないくらいの集中力の無さで
この子たちはもしかしたら多動性障害なんだろうか?
と不安に思ってしまうことがある
低学年の子の場合は、正月にお年玉を貰いに来る我が家のちびっこの実態を見れば
落ち着きのないのは、こんなものか!と想像できるが
高学年(6年)ともなると、ひたすら我儘だけにように思えてならない
宿題になかなか取り組めない、、少し取り組んだら友達と急に会話を始める
女の子は比較的おとなしく勉強に取り組むが、男の子がちょっかいをかけると
すぐに反応してしまう

このような状態がいつもなので、勉強のお手伝いが済む頃は喉が痛くなる
「集中して勉強しなさい」とか「話はやめて!」とか時には「こら!」とか
大声で怒鳴るからだ

ところが、先日商業施設で出くわした時の彼はごく普通の男の子の印象
あっ、と気づいた彼は少し表情が柔らかくなる
こちらも、あれっ!と気づいて、ハイタッチすべく手を挙げると
それに恥ずかしがることもなく応える
そこには我儘な彼の面影はない

週一度の勉強タイムは彼らの中で、どの様な位置づけなんだろう
と不意に考えてしまう
大人は少しでも勉強の手助けになればいいと思っているが
彼らはもしかしたらストレス解消のために来ているのではないのか
とも想像してしまう
彼らは普段、無邪気に暮らせているのだろうか
日本人の生活・授業の中で無理を強いられてはいないだろうか
日本人の仲間に屈託なく溶け込めているのだろうか

この勉強に来る子はみんな同じハンディを背負っていると
意識しないまでも気づいているので、彼らは知らず知らず甘えて
そこでストレスを発散しているのではないか

先日病院で出くわした6年の別の子も、勉強を見る時の様子とぜんぜん違った
一言で言えば、良い子!の雰囲気
そこでは彼も言葉を選んで丁寧な話し方をした

ボランティを終えて帰る時しばしば思うのは
子どもたちは、幸せなんだろうか?
子どもたちは将来幸せになることができるのだろうか?
そうなるためには、自分たちは何をしたら良いのだろうか?

もしかして、あの場が(感情のコントロールができないので)ストレス解消の場であったとしたら
そうさせてあげるのも一つの手かもしれないとも思ったりする

勉強の手伝いのあの場所は一回一回が勝負で、上手くいった!と達成感のある日もあれば
何もできなかった!と落ち込んでしまうような日も少なくない
でも、本当は外で見たようなナイーブな姿が彼らの本当の姿なのだろうと思うことにしている


 

コメント
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