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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

2つの新聞記事が目に止まった

2025年04月05日 09時44分51秒 | あれこれ考えること

オールドメディアと揶揄される新聞
熱心な読者ではないが気になる記事は間違いなく存在する
自分は一面から、同居人は後ろから読み始める
「読んだ?」と聞かれる記事も関心事が違うために
読んでないことが多い

今朝の新聞には2つの記事が印象に残った
(多分、同居人は素通りしてしまうだろうが)
一つは、「森友文書開示始まる」とされた記事
そしてもう一つは高校の教科書検定に関することで「現代国語」を扱った記事

森友文書は文書改ざんを命じられ、自ら命を絶った赤城さんの奥さんが
夫の自死に至る経過を知るために情報開示請求を行ったものだが
はっきり言えそうなのは、今が安倍さんの権力が届く政府であったなら
文書の開示はなかっただろうということ
権力闘争の言葉はあまり使いたくないが、現実として石破さんだったからこそ
この開示は行われることになったと思う

でも、そのヴォリュームたるや全体で何万ページ
今回の開示はその一部で2000ページほどらしい
これだけの量があるとすれば、一人で読むこなすのはとんでもなく時間がかかる
必要なもの、大事なもの、無関係なものと区分けするだけでも大変だ
だから赤城さんの応援する弁護士等が解読するらしいが
これだけのものがあるという自体が素人には異様とも思えてしまう
(役所では普通なのだろうか)

何かを探るとかチェックするということは
地道な行為をコツコツと行う人たちがいてこそ可能になる
それらの行為が無駄となったとしても
こういう人たちがいるという事実はとても大きい(と信じたい)
そしてそれは自分たちも関わった行政裁判についても言えると思いたい
(外形的事実として疑われても仕方ないことを市は行ったということ)

森友文書はきっとこれからが勝負だが
公開するのは全部!という保証はあるのだろうか
都合の悪いものはない!と言い切ってしまう可能性はないだろうか!と若干の不安も覚える
(自分らの裁判では、市は引き渡しのために更地にした土地の確認に行った時の
 確認の写真は無いとされた
 だが後日裁判では不思議なことにその写真は証拠として提出された)

こうしたチェックは最初からハンディキャップマッチのように思うのは
ひねくれ過ぎているのだろうか

現国の教科書は随分変わるという話を以前耳にしたことがあった
それは小説類は題材とされず、そのかわりに契約書を読み込む実用的な知識を
身につけることが優先されるというものだった
とんでもない改悪と怒りを覚えたが、今回の記事では現場の反対?
なのか小説を掲載した教科書のほうが好んで採用されたと報じている

だが役に立つか立たないかわからない小説を読むより
契約書を読みこなすほうが意味があると判断する人たちの余裕の無さとか
心の貧しさは、権限があるだけに恐ろしいと思われる

高校の教科書で覚えている小説は夏目漱石の「こころ」中島敦の「山月記」
登場人物の苦悩はその当時(高校生)でもわかる気がした

少し前に「教養主義の没落」という本を読んだが
今の日本社会は教養主義の言葉に表される全人格的な教育よりは
想像力のない人格育成を行っているように思えて仕方ない
感じやすい時期に、古典とされた本を読むことは人にとって
社会にとってっても必要だと思いたい

ということで、オールドメディアは何かを考えさせるきっかけ
になるということ



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