わかりやすいが本当のことではない(かもしれない)説はいろいろある
坂本龍馬は司馬遼太郎の残したあのような人物だったのか?
(自分は司馬遼太郎とは相性が悪くて途中で読むのをやめてしまったが)
現実の世界では、彼の作品の影響が圧倒的すぎて、なかば事実のように
捉えられているのではないか
史実より作話(物語)のほうが人には伝わりやすいようで、従軍慰安婦の話も
史実よりは韓国のある人が書いた小説が影響力を持っているらしい
新約聖書はマタイ、ヨハネ、マルコ、ルカと4つもあるのだが
なぜ同じ物語を4人の人がそれぞれ残したのか、、を考えてみると
その4人には内的な必然性があったと思われる
自分の理解の範囲で、どうしても書きたいというような
ある人の物語をいろんな人が自己の解釈、人生観、価値観に従って書き残す
というのは、割合あることで、それは自分の解釈で独自の表現をする演奏家と同じかもしれない
前置きが長くなったが、ひところ夢中になった人物に土方歳三がいる
きっかけは驚くほどミーハーなもので、彼の写真を見た時に(多分壬生寺?)
なんとまあハンサムな男だろう(この写真は修正されてるらしい)
この男は何を考えて、何をしようとしたのか、、彼のしたことは間違っていたのか
などと興味を持ったのだ
それでまずしたことは司馬陽太郎の「燃えよ剣」を読んだ
相性が良くないが、これは最後まで読んだ
彼の人生の大枠は把握できたが、なんとなく「違う」という違和感は拭い去ることはできなかった
自分の理解する土方歳三は「最後の武士」と言われるような、ステレオタイプの人物ではないと思われたのだ
彼の残したものには豊玉発句集があるが、その俳句はとてものんびりしたものが多い
●おもしろき夜着の列や今朝の雪
●朝茶呑てそちこちすれば霞けり
●春の夜はむつかしからぬ噺かな
●来た人にもらひあくひや春の雨
●うくひすやはたきの音もつひやめる
このような俳句をつくる人間は本質的には田舎の素朴な人間に違いない
と思われて仕方なかったのだ
それで自分自身の想像する土方像を探すために、彼のファンがするように自分も彼に関する
いろんな資料(エピソード)を当たることになった
彼の特徴を示すエピソードは(自分好みの)
家業の石田散薬の材料を収穫する時、歳三の采配で作業を行った時には通常よりも短時間で終えることができた
新選組の見回りの列の順番は、日毎に入れ替わるようにしていた(先頭は死の確率が高いので公平にするために)
西本願寺に新選組が駐屯していた時、幕府の医師の松本良順に隊員に余りにも不健康なもの多いことを指摘され
それに対して、あっという間に風呂とかの健康に良い体制を作り上げた
どこかの戦いで、戦いに恐れをなした若い人間が前線から逃げ出そうとした
それを見た歳三は仲間が怯むのを恐れて彼を斬り殺した
その鬼のような姿を見た戦う人々は、戦いに集中(せざるをえなくて)して勝ちをおさめた
この話はこれで終わらず、その後日歳三は斬り殺された家族のもとに
「事情が事情とは言え悪いことをした」と見舞金を送った(と何かで読んだ気がする)
函館の最後の方の戦いで、夜になって疲れた戦士(殆どが素人)に一人ひとり酒をついで回って
「プロの相手によく戦った、礼を言う、本当はもっと飲んでもらいたいが、明日もあるので我慢してくれ」
と言ったような話がある(島田魁日記)
彼の考え方の変遷を見ていくと、当初、彼は合理的な考え方で物事はうまくいくと考えていたようだ
(ウェーバーの言うような法的な支配?)
誰もが理性で感じられるものを信じてそれに従えばうまくいく、、
そこにはある時は非常なものがあっても仕方ない(局中法度)
ところが、年齢を重ねるに従って人は理性のみでは動かない、、、と感じるようになる
その時に蘇ったのは日野にいた頃に培われたものものの性格(俳句で見られるような)
晩年になるとこうしたもともとの性格が表に出るようになった
つまりは「優しい人間」としての側面が見えるようになった
島田魁日記には彼は「兄のように優しい存在」といったようなことが残されている
こうした自分の中の歳三のイメージは、世の中に出回っている土方歳三のイメージ
そして今年コロナのせいで上映ができなくなっている岡田准一主演の「燃えよ剣」
でイメージされる歳三像とは、、明らかに違う
この自分の思い浮かべるイメージと、他の人が思い浮かべる(大勢を占める)イメージとの違い
それに対する解消法は、、自らの解釈を表現するしかない
ということで、新約聖書の何人かは自分の内的な声に従って、同じ物語を別角度から取り上げたのだと思う
でも、大半の人とか、世間はこうした考え方をしない
というかそんなことに関心も持たないだろう
それは仕方ないことか、それとも、、、あまり良くない傾向か、