パンセ(みたいなものを目指して)

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疑うこと、反抗することについて

2015年10月27日 09時24分07秒 | あれこれ考えること

「やっぱり!」というか、「そうだよな!」
と納得する記事を見つけた
プレジデントの最新号「平気で人をだます人、攻撃する人」のなかの一節

自分は現在リタイア状態で、実社会で身につまされる様な経験を
するようなことはないために、こういった人との具体的な対応法には
さほど関心はなかったが、気になったのは日本人の傾向についての記述

抜き出してみると

素直で人を疑わない、忠誠心が高い、初志貫徹などは、日本では好ましい特質とされることが多い。しかしこのどれもが、裏を返せば支配されやすい人の傾向のもなってくる。なかでも、物事を疑う能力が欠けている人は要注意。というのは、どんな話に対しても「その話は本当か、(本当だとしたら)その方法論はふさわしいか」「正解は一つではなく、ほかにもあるはず」と多段化で疑ってかかることが、支配されないコツとなるからだ。

ところが日本ではまず教育の中で疑うことを教えない。教科書に書いてあることは全部本当だとし、それをまるごと記憶すればいいという授業が成り立っている。本来ならば、歴史教育などは出来事に関して幾つもの解釈があるもので正解は一つではない。南京大虐殺であろうと従軍慰安婦であろうが、まずは「やったかもしれないし、やっていないかもしれない」と考えるスタンスが、認知的には成熟度が高いのである。

中略

社会に出ても、上司の話、社長の訓話、経済評論家のコメント、テレビのニュース番組の解説、コマーシャリズムなどを疑いもなく素直に信じる癖がついている。特に権威のある人の話はたやすく信じてしまい「かくあるべき」「この道しか無い」と言う思考の奴隷になってしまうのだ・

認知的に成熟度が高い反応とは、もっともな学説を聞かされた時に、「本当にそうなの?」「ほかの説があるのではないか?」と自問できることだ。その発想があってこそ、より検証材料を得るためにたくさんの情報を集めようと工夫する。それが、何者にも支配されず、常にニュートラルな思考でほかの方法を試すことに繋がっていくのだ。

                          ここまで引用

へそ曲がり、偏屈な自分は教えられたことが本当か?と考える癖は
おそらく他の人よりは備わっていると自覚している
新聞記事も全面的に信用しているわけでもないし、世論調査の結果も
その母集団の選択や調査方法を明記しないで結果だけを報道する姿勢は
無条件には信じられないと思っている

自分の理解を超える話の専門家による解説も
対立する意見をもつ他の専門家との討論によってこそ
なんとなく理解できるものと考えていて、
つまりは頭ごなしに信用しているわけではない

別のページにも興味深い記述があった
それは北朝鮮の人々は何故恐怖政治の中でなにもしないでいるのだろう
またナチスドイツも日本の戦前も何故あんなふうになってしまったのだろう
と言う疑問に関することで、その心理学的な傾向が述べられている

暴力的な支配を受けている場合は、虐待などのひどい暴力を受けると、恐怖感から行動を起こせなくなってしまう。よく言われるのがサレンダー真理というものだ。これはジュディス・ハーマンというトラウマの研究者の説で、虐待も軽い間は逃げ出すことも逆らったりすることもできる。しかし、命の危険を感じるほどの虐待を受けると、逆に支配者に気に入られるように媚びへつらってしまうというのだ。そして周囲の人には虐待を隠したり、いかにも仲良しであるような態度をとって支配者を喜ばせようとしてしまう

                              ここまで引用

要は自分を守るための本能が強くなってしまうということか
実際には虐待は暴力と言う形だけではなく、よくありそうなのは、どこかでみた
「自分の生存が存立が脅かされ、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される状況」
を会社内・組織内で形成されてしまうと、個人はある段階から安易に上に
モノ申すことができなくなるということ


これは現実的には程度問題と思うが、特に問題となるのは社会も
ある段階を超えると行動を起こせなくなるかも知れないと想像できる点
周囲の空気を読んでとか、他の人との意見の違いを好まない日本人
空気が出来上がってしまったらいざ反対の行動を取るのは難しくなる

だからこそ、間違わないためには、大勢の空気が出来上がらない内に
つまり理性的な判断ができる内に、危険を予想して声を上げ
妙な空気を作らないことが必要となる
今回の安保法案に関するデモはこうした行動の現れと考えたい

今日は雑誌からの引用でお茶を濁した投稿でした、、、

 

 

 

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