パンセ(みたいなものを目指して)

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蔓延する雰囲気に対する怖さ(鈴木金七郎、忠臣蔵、殉死)

2016年03月02日 09時23分05秒 | あれこれ考えること

長篠の戦いの際に、鳥居強右衛門と一緒に長篠城を抜け出し
岡崎に援軍を求めに行った人物に鈴木金七郎という人物が
いたと、地元の伝えがあって、最近はこの人物についての研究も
進んでいるようだ

問題は、この人が注目されなかったのは何故かという点
鳥居強右衛門は死んだために武士の鑑みたいに扱われている
ところが鈴木金七郎は生き延びて百姓をして暮らした
このことが、少しばかり評価に値しない人物とされていたと思われる

話は変わるが、自分は忠臣蔵が好きではない
個人的には大石内蔵助のリーダーシップや几帳面に出納帳(?)をつけて
いたのは、後々の人に評価されるべきものだとは思うけれど
あの討ち入りで吉良上野介を護っていた全然関係のない人
ただ護るように仕事としての命令を守っただけの人びとに
危害を加えてしまったのは、どうにも納得がいかない
(もっとも大石内蔵助はそういった人びとに見舞金を贈ったとかしてるらしいが)

この一種の敵討ち、我慢に我慢を重ねて大事を行った
それを賛美する雰囲気
そしてあの討ち入りに参加しなかった人たちに対する人びとの評価
それは、大衆の(集団の)あまり理性的でない雰囲気や勢いみたいで
少し怖い気がする

またまた話は飛んで、森鴎外のなんとかいう小説に(阿部一族だったかな)
領主が亡くなって、次々に殉死する人が出て、まちなかでは次は誰が
腹を切るか噂になって、その地区の雰囲気では腹を切らないと
武士じゃないような感じとなった様が、読んでいる身にとってはとても怖かった

何がいいたいかと言えば、この雰囲気とか勢いとか言うものの怖さ
鳥居強右衛門は死んだために(それだけではないが)賛美され
大石内蔵助は主君の仇を討ったから(殺人でも)評価され
ある場所では、止めようがない殉死の雰囲気が蔓延する
こうした雰囲気がとても怖い

そしてこれを今の生活に拡大解釈していくと
心配症の自分は、今はあまり良くない雰囲気が形成されつつあって
人びとはあまり正常な判断ができない状況になりつつあるのではないか
と思ってしまう
(もっとも、そのように判断するのは個人としての感覚によるもので
  客観的ではないと言われそうだが)

やっぱり、郷土歴史研究会の人たちが言うように
生き延びて評価されない鈴木金七郎を、
エラくはないが普通の人間して(の生き方を)評価できる世の中にならないと
まずいんじゃないの!と思ってしまう




 

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