パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

結果を性急に求めすぎなのはどうなんだろう?

2010年02月24日 21時31分36秒 | Weblog
フィギアスケート女子
なかなかキム・ヨナ選手は手強い
というかチョット抜きんでいている感じ
それは丁寧に丁寧に修行して自分のものにした噺家の芸に似ている
つまり完成度が高い
そして安心感、満足感を与えうるモノのよう

一方、浅田真央は新しい噺を沢山レパートリーにもつ
テレビ的な芸人の芸のよう

どちらがその時代その土地で評価を受けるかは
神のみぞ知るだけれど
ここで気になるのは日本という国は、どうも
新しもの好きで、その新しいものが生まれるに至った
経過を理解せずに、単に新しいことはいいことだ
と、もてはやす傾向にありはしないかということ

新しいスポーツ、新しい戦術、新しい技術
それえはとりあえず一時的に効果的で
早めに取り入れた方が良い結果をもたらすことがある
しかし、問題はそれから
結局それらが生まれるに至ったプロセス、
コンセプトが抜けているから真の理解に達せず
あるところで伸びが止まってしまう

まるで攻略本を読んで
要領よく結果に結びつけている様子に似ている

それは子供達の教育にも言えることかもしれない
彼らの伸びしろを見込んだ上での教育というより
今なされているのは賢そうに見える柔軟性のない
子供達を作っているだけのように思えてならない

将来役に立つことを地道にやっていく
このことが今の日本人が出来ないことなのではないか
と不安になる(自分も例外ではないが)

大相撲で3年先のための稽古と言われるものがあった
具体的にどんな稽古がそれにあたるかは分からないが
言わんとすることは分かる
基礎は残念ながら身につけるのには沢山の時間がかかる
だが全てはその基礎に上に成り立つもの
(スポーツも学問も)

ここで言いたいことは、この国は
結果を性急に求めずに、もう少しゆっくりと
着実な実力をつけるというシステム
評価基準にした方がいいのではないかということ

正直なところ、愛国心はあるのでサッカーでもフィギアでも
日本人を応援はする
だが韓国の人の最新のパターンではなくても
ひたむきな姿にはチョット
勝てないかな?と思わざるをえない

現実を踏まえた、逞しさ強さが彼らにはある
ところが、我が国は、、、

日本人は辺境民族のDNAを持っているから仕方ないのかもしれない、
しかし、できればもういいとこ取り、話題の先端取りで騒ぐのは
もうそろそろ卒業して欲しい
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