パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

買収価格が高すぎる他の地区の事件

2021年10月16日 10時11分44秒 | 養鶏所騒動

世の中には似たような事件・出来事が起こる
それはあまりにも多いので、偶然の出来事というよりは
人が介在するために起きてしまうある種の必然性のようにも思えてくる

先日、ある人からの情報提供があった(NHKのニュース)
それは「奈良市の新しい火葬場用地の買収価格が高すぎる」
と市民が訴えた裁判が、訴えた側の主張が認められ
市長と地権者に高すぎた分を弁済するようにとする判決が
事実上決定したというものだ

少しでも市政に関心のある新城市民なら、このニュースで連想するのは
新城市が旧養鶏場跡地を、通常想定される価格の8倍で購入したのは
新城市に損害を与えているのではないか、、
として市民から行政訴訟が起きていることだ

奈良市の場合は鑑定評価額の3倍の価格で購入しているが
実態は産業廃棄物の撤去も必要で評価額を下回る価値しかないと
市民は訴えている

新城市ではそもそもの不動産鑑定評価する際の参考とする地区が
新城市が1箇所、豊川市が3箇所で、違和感を感じさせるものであり
この物件の購入に関しては価格はもちろんのこと、やり方(買収の財源)
決定プロセス(異様に急いでいる)などの奇妙と思われることが幾つもあった

奈良市の市民代表の声として
「今回の奈良市の用地買収は2重にも3重にもちょっとおかしい
 やり方もプロセスもおかしいし、価格決定もおかしい、、、」
と述べている

気になるのは、両市とも本来の価格より高い価格で購入している事実より
やり方・プロセスがおかしいと感じている点だ
一見段取りを正当に踏んでいるように思えても
よくよくチェックしてみると、例外が異様に多いというのが新城市の実態だ

そんなに高い金額で購入して、誰が得しているのか?
誰しもが想像たくましく思い浮かべることだが
行政訴訟はシステムとしてその点には踏み込まないらしい
(それは別の機関の仕事らしい)

それししても、何か良からぬことをする時は、いつでもどこでも同じように進めていくようだ
その意味では歴史上の出来事、他市の出来事を知っておくことは必要な事かもしれない
(それを知っているべきなのは誰か、、、という問題になるが)


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行政訴訟のニュース

2021年09月09日 09時38分25秒 | 養鶏所騒動

昨日のNHKテレビのローカルニュース

“土地購入で損害” 住民が愛知 新城市を提訴
          ↓↓
https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20210908/3000018281.html
(そのうちに見られなくなるかもしれない)

今朝(9月9日)の中日新聞朝刊の記事


2つとも同じ内容を扱っている
それぞれの媒体の特徴を生かした、片方はわかりやすく
もう片方はも少し詳細に伝えているが、地元民にはあまり喜ばしくない話だ

この件は、話を聞けば直ぐに「なんで?」との疑問が間髪をおかず出てくる不思議な手順で進められていた
記事にあるように、養鶏所として使われていた土地を市が購入する事になった
その購入金額の算出根拠が不動産鑑定になるのだが、その不動産鑑定の参考にした4箇所の場所のうち
3箇所が地元の新城市ではなく豊川市だったのだ

新城市の物件なのに、なぜ豊川市?
これは早い時点から表に出て(議会で明らかにされた)いて不思議だったが
気分的にもやもやしたまま時間が過ぎていった
ところが、ほとんど偶然なのか、しばらくの後この土地のすぐ近くの土地を国が買うことになった
そこで国は購入金額を算定するために不動産鑑定を行った
すると、その金額はすぐ隣同士の土地だったにもかかわらず市の算出した金額の八分の一だった

そこで考えつくのは、そもそもの市が支払った金額は、実勢価格を反映していない
つまり国の方の数字のほうが一般的で、えらく高い金額で購入したのではないのかという疑問だ

これは訴訟の争点となるのだろうが、国と市が不動産鑑定をしたのでは
その地目は少し違っていて(国は山林、市は雑種地)一概に比較はできない、、という理屈と
その業界の一般的な常識、記載された地目ではなく現況で判断して
仮に地目が異なっていたとしても、ある係数をかけて近似値を求めることができる
そしてその結果は、国の算出した数字より僅かに高いもので市の数字はそれでも高すぎる
とする理屈のどちらに金額算出の正当性があるのか、、が戦われるような気がする(素人には)

これらは、机上の戦いになるのだろうが、もう一つ現状把握として肝心なのは
裁判でそれが左右されるかどうかはわかないが、この案件は妙に急いで進められていった事実がある

土地購入の承認は、議会に下駄を預ける
議会は年4回の定例会があるのだが、この件は急遽臨時議会が開かれて
あっという間に財源(財政調整基金)の不的確さも、不動産鑑定の企業の選択の曖昧さも残したまま
購入が決定されて、契約に至ってしまった

このような物騒な裁判沙汰が起きるのは好ましいことではない
だが、そうでもしないと、知らないところで奇妙なことが進められてしまって
庶民にはわからない場合がある
特に今回の不動産に関することなどは、専門的な知識がないと、素人目には変だなと思いつつも
その変な部分の説明ができない
専門知識のある人がいないと、「いつも反対ばかりしている」と思う人が出てきてしまう
(明らかにおかしな進め方、金額だとしても)
今回は原告にその道の専門家がいた

とりあえずテレビと新聞の報道によって、今まで知らなかった市民がこのことを知ることになるだろう
心配なのはそれが鶏の記憶(すぐ忘れてしまう)で終わってしまわないかということだ

その前に、テレビは見逃した人が多いだろうし、新聞も目につかないと思う人も多そう
大事なことでも多くの人に伝えるのは難しい
理解を得るもの難しい



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金額の正当性は手続きによって確保されるか?

2021年09月04日 09時58分06秒 | 養鶏所騒動

土曜日らしくなく、しかも面白そうでもないが、ずっと気になっていることなので個人的な備忘録として
(多少抽象的な)

それはある自治体のある契約を見た機会があったときに、その項目別の金額に少し違和感を感じたので
少しばかり調べる事になったことだ
その項目の金額は一般常識的には高いと思われるものだった
何でも批判的に見て、無条件に反対したいというのではなく、ネットで他の同様なものを検索してみると
それほどの数字にはいかないもので、経済効率からすれば固定費にそれほどの金額をあらかじめ計上するのには
違和感を覚えるものだった

行政はよく「適切に」という言葉を使う
多くの場合その内容についての判断ではなく、然るべき手順を踏んで判断したことを示すことが多いようだ

その然るべき手順とは何か
地方自治体の事業は税金から使われるので、その使用については効率的、公平であることが望まれる
それを確保するために、ある金額以上のものについては競争入札という手段をとる
総額はもちろんだが、そのときにも項目別の金額明細は示されるようだ
この項目別の金額は入札する企業の事情(得意分野とか在庫があるとか)によってかなり違いがあるようで
その一つ一つが高い安いとは言えないようだ
だから行政は総額を判断根拠とする
このあたりには抵抗感はないし、そうだろうなと理解する

だが随意契約となるとこれが不安定で、適切かどうかが疑われるものが出てくる可能性がある
契約には基本的にはいくら以上のものは競争入札すべしと法にあるようだが
規定金額を超えたものでも、特別な理由がある場合は随意契約でも良しとされる
今回自分が目にしたのはこの随意契約のもので、競争入札ではなくて随意契約にした理由は
納得したとしても、その(項目ごとの)金額の正当性はどのように確保されるのだろうと考えた

随意契約でも行政は相場の金額を調べておくのか、それとも委託企業の数字を信じるしかないのか
は部外者のなのでわからないが、仮に後者としたならば、その金額は批判に耐えうるものなのだろうか
行政は全ての分野のプロではないので、細かなことはわからないので相場の金額もわからないのは理解できる
行政のスタッフの中には、なんとか類似の例を探して数字の正当性を確保しようとするか、
そんな面倒なことはやめて粛々と相手側の提出した数字で進めていくタイプに分かれるようだが
後者の進め方の責任回避の理由としては、チェック機関の数の多さが挙げられる
契約を結ぶにはいくつもの印鑑が押される
金額が大きくなれば印鑑を押す人も増えてくる
その人達は、契約書の項目別の金額も見ているはずなので、おかしいと思わるものがあれば気づくはずで
印鑑が最後まで押されたならば、問題ないと判断される
しかし、手続き論はここで終わらない
実際にはこの先に議会による議決の承認で完全なお墨付きを得る
更には、会計監査のチェックも入るのでこうした手続を踏んでいれば、間違いを起こす可能性はないとされる

だが、この進め方は一種の机上の理屈に終止している可能性がある
第一に、議会はこの契約についての明細をちゃんと調べているかが大いに疑問で
議会は予算案としてまとめられた一括のものを議決するだけで
注意深い一部の議員を除いて、割合安易に予算案(結果的には契約書に)賛意を示すことになる
また、常識が判断基準の重要な点とされる会計監査においても、奇妙な点が見つかったとしても
会計監査員は契約の無効までの法的な力はなくて、単に注意喚起くらいしかできないようだ

つまりは手続きを踏んでも、かなり不安定なところがあるということだ
もう一つの問題は、現実の社会生活の人間である職員は、四角四面に効率を考えた予算の執行を
末端のところから個々で考えられるのか、、との問題ができてくる
公務員は、業務上の上司の指示に従わなければならないという条例があって
もしかしたら個人考えたならば、賛成できないと思われた件も、上司からの指示となれば
従わざるを得ないのかもしれない
個々で末端の人が悶々と悩むのは可愛そうだが、そういう人が存在するとすれば(市民にとっては)多少救いがある気がする
だが、よくあるパターンは、ちょっと考えるとおかしなことがあっても
前からそうだった、、といった悪い意味での前例主義で、たいして考えることなく進められてしまうのではないか

一番あってほしくない出来事は、腐敗だ(あるいは、なあなあの関係の世界だ)
誘惑の多い地位にいるおエライサンが、命令あるいは忖度を暗示させるような仕方で部下に物事を伝えたならば
どういうことになるか

実はこの問題ではないが、(これを彷彿とさせる)これに似たような件で、近々ある出来事が起こる
それはある組織に客観的にどちらの言い分に分があるか、、を決めてもらう手続きのことで
それはニュースになって地元に伝えられるか、それともスルーされて無視されるか、、
いずれにしても、そのうち分かることだ
滅多に怒らない(?)方だと自分では思っているが、この件は腹が立ったのでその意志をはっきり示すことにした


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例外が多すぎる(いろいろ明らかになったこと)

2021年06月29日 10時13分45秒 | 養鶏所騒動

少しばかり時期尚早かもしれない地元の話題
(新城市以外の人は面白くも何ともないだろうし
 新城市の人も大半の人は知らないと思われる案件
 でも気になって仕方ないので備忘録として)
 
例外が多い場合は何か良からぬことがありそう
と思うのは、いろいろ経験してきた人の一種の知恵だ
そして会計とかお金に関することは、性悪説を前提に考えなくてはならない
とするのが、残念だが現実的な向き合い方と思われる

地元新城市では既に議決されて、そのお金の使い方も承認された形になっている
土地の購入に関する不思議な案件がある

その土地は養鶏場になっていて長いこと地元から悪臭被害が訴えられ
また蝿の異常発生にも関連しているようで、困った問題になっていた
その養鶏場は少し前に運営企業に変更があった
法人としての変更はないが実質的には経営者が変わり別の組織になっている
そのあたらしい経営者が新城市に土地を売りたいので購入して欲しいと申し出た
(平成最後の年の2月後半のこと)

これは今回の6月議会でも明らかになったが、最初は担当部署に伝えられたようで
その時は売却希望価格もそえて伝えられたようだ
市にとっては購入価格になるが、それが5億円を超すものになるので
一旦は庁内会議を開く事になった(3月のこと)
その時の庁内会議では、その土地の購入したとしても
その使いみちがはっきりしないので、疑問を呈する意見があったようだ
最終的には工業団用とされたようだが
当時は近くの工業団地がまだ2区画売れ残っているし、
景気低迷が見られるので新たに造成したとしても果たして売れるのか疑問だ、、
と言った声があったようでこれは会議録に残っている

だが、この購入については定例会ではなく、4月に急遽臨時議会が開かれ
債務負担行為の項目で補正予算が提出され議決される事になった
先方企業から提出された金額は余りにも漠然としたもので、価格の正当性には
疑問が残るので金額は不動産鑑定の後、、
という条件で(?)議会は債務負担行為を認めた

不動産鑑定はすぐさま行われた
早すぎるほど、スピード感をもって行われた(ここまでの段取りも異様に速い?)
その年は元号が代わる年でGWは10連休があったが、不動産鑑定はそれでも
発注後一月もしないうちに成果物として提出された
(このあたりは議会でも違和感をもった議員が追及した)

その後の定例会で債務負担行為から、仮契約の段階に移ることになったが
明らかになったのは、不動産鑑定を出すための参考とした土地が
地元新城市ではなく豊川市であったことだ
(最近の情報開示で4箇所あるうちの3箇所が豊川市だったことがわかった)

不動産鑑定は当初先方から伝えられた金額には達しないが、それでも4億を超える大きな金額で
議会は行政の言い分を(工業団地にする可能性がある、今までの悪臭被害をクリアする機会)
そのまま信じて、一部に反対に意見があったが契約することになった

何か違和感を感じたままモヤモヤしていると、最近、購入地のすぐ隣の土地を
国が別の目的で使う事になって、その不動産鑑定を行うことになった
するとその平米あたりの価格は、養鶏場の購入価格の8分の1ほどだった
(情報開示で明らかになった)
そして、それは前々から常識的にはそのくらいの金額だろうと不動産関係の
人からの口からも出た金額だった

そもそもの不動産鑑定が正当なものだったのか、、が疑問に思えるのは当然のことで
不動産鑑定委託企業が随意契約になった経緯、理由を今回の議会で行政に質した議員がいた
普通は大きな金額の場合は競争入札で委託企業を決めるのが決まりになっている
何故今回は競争入札ではなくて随意契約だったのか、、、と聞いたわけだが
行政はこれは「競争入札に適さない例」と答弁をした
(どうやら不動産鑑定は誰がやっても同じ金額になるので、、ということらしい?)
だが、それ以前に市が行ってきた不動産鑑定委託業務は、競争入札になっていた
(情報開示からわかった)
今まではそうあるべきであるように競争入札であったが、今回は随意契約だったのだ

何も好き好んで性悪説をもとに追求しようとするのではない
ただ、何かがおかしい、、と一連の流れから思えて仕方ないのだ

選挙になると議員は「地元のために、、、」との発言をする
だが地元のためにお金を使える権限は議員にはない
予算提案権は首長にあって、議員はその案を議決できるに過ぎない
(議員提案という方法やら、議会委員会要求?があるらしい)

議員は一般人が見ることのできない細かな情報が与えられて
それをもとに適切な判断(議決)をするように求められる
ところが、今回のことでわかったことは議員は本当に細かな情報を読み込んでいるのか
また求めようとしているのか?という点への疑問だ
不動産鑑定が豊川市の土地を基準に行われた、、という事実を知って
違和感を感じた数名の議員以外は、何とも感じなかったのだろうか

と不平不満をこぼしても仕方ない
現実問題として、議員の仕事はどの程度真面目に行われているかが
おそらくどこの自治体でも問題なのだろうと思われる
(真面目な)議員だからといって、何から何までわかるわけじゃない
得意とする分野やら気にかけている分野は、何とかこなしていけるが
それ以外の分野はもしかしたら素人と変わりないかもしれない
その上で、議決という行為を要求される時、人は何を根拠に自分の判断を行うか
多数派の雰囲気に流されるか、、自己の生活体験に基づく判断に任せるか

だがこれも観念的すぎる捉え方のような気もする
現実は、もう少しいい加減なところで回っているような気もする
多数決はある前提のもとでは、より正しい結論を導くとされている
(「多数決を疑う」の本のなかにあった)
この前提の確保が難しいので、多数決自体が暴走になっているというのは
昨今の国会等でも見られる様になっている

ただそうは言っても、現実的に自分らができることは、選挙は自分たちのために
よく考えて投票しないとマズイと思うこと
そしてよく考えるということは、自分の支持する政策が誰に近いかだけでなく
その選択によって彼が行使する議決権がどのうよな結果をもたらすかということ
自分の選択が多数決の暴走に繋がりそうならば、意図的にブレーキ役を選ぶというのも
人としての知恵となると思うが、これは観念的すぎるか、、

それにしても、ほとんどの市民が知らないこの案件は、、、なんか不思議だな

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例外が多い場合はなにか怪しい

2021年05月17日 10時50分07秒 | 養鶏所騒動

世の中には例外がある

一つ一つの場合を考えていちいち対応するのは手間がかかるので
普通は一定の決まりを設けて自動的にそれに従うようにする
その方が合理的で人には、納得感も得られやすい
しかし、それをすり抜けるような例外がいつも出てくる
その例外は心もとない言い訳(説明)によって仕方ないものとか
合法的に許されているものとされるが「例外は裏に何かある」
と想像される(想像されても仕方ないような)ことが多い

国の例では、森友学園騒動がそうだ
そもそも当初あの土地は一般的には例のない借地として契約が進んでいた
それだけでなく、あのびっくりするような割引価格とその鑑定の曖昧さ
他にも、桜を見る会のホテルのパーティは一人5000円で、金額が常識外れだし
見積書(明細)がないというのも考えられない
検察のトップ人事もこれまた例外を利用しようとした
(黒川氏は定年とされていたのに、解釈変更で一般公務員扱いにしようとして伸ばそうとした)
現政権の例外案件は呆れるほど多いが、「例外の裏には何かある」と考えたほうが
一般人は賢く対処できるかもしれない

このように例外的に進められた例は、地方自治体の我が市でもいろいろ見られる
まずは庁舎についてだ
現在庁舎の南側の空き地は何の利用もできずに、防災空地としてほったらかしになっている
誰もが思いつく駐車場にすればいいのに、、との考えは、実は法的にそれができない
というのは、そもそもあの場所に当初の計画通りの高さの建物は法的には不可能だったからで
そこでひねり出したのが例外の方法による手段で、土地が2つの異なる区分から成り立ち
2つの異なった高さ規定がある場合は、2つの区分のうち面積の大きい方の規定に従う、、
という苦し紛れの方法を選択したことに端を発する

その後いろいろあったが、例外を利用して進めたので、それ以上の例外は国も許さないから
現在のあの場所は、にっちもさっちもいかなくなっている

今、個人的に我が市の気になる例外は、ある土地の購入についてだ
そこは鶏舎経営者が市に購入を求めた
近隣からは臭い等の苦情が長年続いていたので、それは検討に値すると考えたらしい
ここまでは、少し違和感を感じながらも納得したとしても、納得できない大きなことがあった
それは買取価格の正当性で、こうした買取価格は普通は不動産鑑定士の評価に基づいて行われる
この不動産鑑定の数字がとても奇妙なのだ
それは不動産鑑定をする場所は新城市に存在するのに、不動産鑑定に用いた参考の場所は
新城市内ではなく豊川市になっていた(4箇所の参考のうち3箇所が豊川市)
なんで?
この事実を知れば大概の人は疑問に思うだろう
(それが大ごとにならずにいるのは、その事実が知られていないからだと思う)
例外は、もう少しある
この不動産鑑定の報告書は結構な厚みがある
つまり、ちょっとやそっとではできない仕事なのだ
それがものすごい段取りで市に届けられている
この年は新年号の開始の年で、GWは10連休となっていた
不動産鑑定の契約が4月末、連休があったにも関わららず分厚い報告書が完成している
このようにスピーディーに進んだのは、同時並行的に物事が進んでいたからと想像される
その段取りが現実的に良いか悪いかわからない(行政の知恵としてあるかもしれない)
だが、そうだしても例外的な行動をしていることは間違いないと想像される

決まりごとは、誰でも公平に素早く対処するために作られているが
例外を使うのはいつも特別な人たちになってる場合が多い
「例外は裏に何かがある」と考えることは、少しばかり残念な考え方だが
自分たちを守るためには現実的な考え方かもしれない


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