小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

風景写真イロハニホヘト その1

2012-08-31 18:05:46 | 日記
風景写真 イロハニホヘト その1

風景を撮るのだと宣言してから、風景の撮り方を勉強しています。題名のイロハニホヘトは、これから勉強なのでイロハと書いたのですが、 写真家の先生たちの言うことがみんな違うので、イロハなぞ存在しないと思って、やけっぱちでイロハニホヘトとなりました。
プロの山の写真の撮り方の本(山岳写真大全、中西俊明)を読んでいると、大体16mmから105mmあたりが中心で、時折、12mmとか150mmとかが入ってきます。 荷物は軽くすること、よってズームを中心にすえろと書いてあります。 三脚は必需品のようです。結構、早朝や夕方、水の流れなど、スローシャッターを使うことが多い。よって三脚を省くことが出来ません。 そのプロのリュックをみると、フルサイズが2台、APS-C一台、レンズが5本くらい入っています。それに、がっちりした三脚。何が軽くしろだ。有に10kgはあります。年寄りにはとうてい無理です。上が重たいと、バランスが悪くて、この前みたいに遭難します。 それに間違いなく腰がいたくなる。どれくらいの装備を持って歩けるのか、目黒自然公園で色々試しているところです。 いつもは、ペンタックス2台にツアイス100mmマクロと18mmツアイスディスタゴンをつけて、リコーGXR+マウントA12にペンタックスMCS 150mmをつけてあとMCS28mmオールドレンズをしのばせます。 三脚をいれると5kgになるでしょうか。 全部単焦点、マニュアルフォーカスです。 9割はマクロレンズを使っています。 これは皆さんが、風景写真をとるスタイルとはずいぶんとかけ離れているようです。結構なやんでいます。 山では天候が悪くなりやすいので、レンズ交換が出来なくなる可能性が高い。その分、カメラ3台に分散しているわけで、でも5kgは当方にとって重たい。 山はどうしてもシグマ8-16mmを持ってゆきたい。 これも加わると、だめだ、重たすぎる。ズームは★16-50mmと★50-135mmを持っている。これを2台のペンタックスにふりわけると、取り回しが重たくて、そのわりにちっともいい写真が撮れない。中欧旅行でこの組み合わせをやって、うんざりした。135mmというのは中途半端で、プロが最も推薦している★50-135mmが当方にとって最も使わないレンズになってしまっている。
レンズは色気だと思っている。ズームはどうやっても色気が無い。 ★ズームはさすがにどんな状況でも破綻しないのだが、ちっとも色気が無い。 ペンタックス高倍率ズーム18-135mmは合焦が全くだめだったのを修理に出して、合焦は回復したけれど、こいつと付き合っているとどんどん堕落すると感じて、お蔵入りになっています。 つまり、なんとかそこそこのレベルはあり、極めて便利で、これ一本に頼るようになる。言わば、ファミリーレストランでばかり食べていると、そこそこおいしいが、本物の味を忘れてしまうという感覚なのです。
  けっこう真剣になやんでいます。どうしたら軽い装備で、色気のある写真が撮れるか?
そのために、リコーGXR+マウントA12を買ったのだが、色調がいまひとつ信頼できない。しかし、GXRからはとってもいろいろなことを学びました。 結論として、ミラーレスは装備を軽く出来て、画質を落とすことはない、レンズの自由度が上がるだけ、色気のある写真が撮れるチャンスが広がる。 そのためにはAFにこだわる必要は無い。 そこで、ライブビュー+EVFがとても力を発揮する。 しかし、リコーGXRでは気合をいれた写真は撮れない。 なにか画質が不安定だ。
ふと考えました、富士フィルムのミラーレス(FUJIFILM X-Pro 1)が全てを解決するのではないか!! FUJIFILM X-Pro 1は画質を絶賛するコメントばかりが書いてある。 それが本当ならば、EVFも付いている、アダプターがそろっているので、殆どのレンズが使える。ほぼ理想的カメラではないか!! 問題は値段が高いことだ。 10万円超える。使わないペンタックスズームを全部売り払って、FUJIFILM X-Pro 1を買おうか?こう考え始めたら、眠れなくなってしまいました。 FUJIFILM X-Pro 1は450gでペンタックスK5より300g軽い。ツアイスのズームがつかえる唯一のソニー以外のカメラだ。 ツアイスのズームならなんとか色気が出るかもしれない。 デジカメで最初に買った、ソニーのサイバーショットには小さなソニーのズームレンズが付いていた。 ツアイスだとは知らずに、使っていたのですが、時折見せる色気にびくっとしたものだ。なんとコンデジの色気が、ペンタックス一眼レフでなかなか出ない、そのためにいろいろ苦労して来たわけです。知らずにツアイスを相手にしていたのだ。 
ツアイスのズームはソニーが共同開発したもので、ソニーのαマウントしかない。  原則αマウントはソニーのカメラでしか使えない。例外的に、FUJIFILM X-Pro 1用のαマウントのアダプターが唯一あるだけ。ユーザーの要求でアダプターが作られるわけで、FUJIFILM X-Pro 1にいろいろなレンズを付けたいというユーザーの要求が大きいということ、つまりカメラとしてFUJIFILM X-Pro 1の人気があるということ。
  本気でFUJIFILM X-Pro 1を買うのか? またまたカメラをふやすのかというお叱りの声がきこえます。これで、ペンタックスから645Dミラーレスが発売になったらどうするのだ。 本当に★ズームを売っちゃうのか? もう使うことがないのか、売ってもいいのか?  

少し写真をのせましょう。地味公園(目黒自然教育園)にその後3回行って、計5回のチャレンジをしています。 以下の4枚の写真を見てください。結局当方は、こういう写真が撮りたいのです。 写真をみて、これはどこどこの場所を撮った写真だとわかる写真は撮りたくないのです。 皆さんは、例えば、これは早春の上高地を良く表しているいい写真だとかいいますが、当方の目的は、全く違う、上高地であることがわかってはいけないのです。 なぜなら目的が報道写真(説明写真)で無いから。 地味公園でも何回も通えばこんな写真が取れるのです。<自然の素顔>がタイトルです。<となりの自然>の方がいいかな。 普通の自然の中に美しさを見つけ出すことが楽しいのです。なるべくどこにでもある自然のなかから美しさを見つけ出したいのです。 特別なショットは生臭くてきらいだ。 <自然の素顔の美しさ> を求めて行きたい。それが当方の風景写真です。 
  お金をかけないで、軽くて、色気のある写真はとれないか。 まだまだ、寝ないで考えています。 


ペンタックスK5 ツアイス100mm macro


ペンタックスK5 ペンタックス55-300mm


ペンタックスK5 ペンタックス55-300mm


ペンタックスK5 ペンタックス 100mm macro

地味公園の写真はまたあとで載せます。




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新幹線途中下車の旅 瀬戸 その7 (最終回)

2012-08-13 20:29:49 | 旅行
新幹線途中下車の旅 瀬戸 その7 (最終回)

尾張瀬戸駅を出て直ぐの、瀬戸川に沿って何軒かの瀬戸物屋さんがあります。









昼を食べる暇も無かったので、尾張瀬戸駅のそばで、4時というのに、瀬戸やきそばというやつと生中を一杯で一息つきます。



酔ぱらって、店をでると、カメラ、リコーGXR、ホクトレンダーカラスコパー35mmのキャップが行方不明。 瀬戸焼そばの兄さんに、一生懸命探していただいたのですが発見できす(不思議なことに、後で帽子の中からポロっと出てきました)。あきらめて、最後のお店にたちよりました。駅を出てすぐのお店、森本陶苑さんです。 ここのご主人は話好き、いろいろ陶磁器のイロハを教えていただきました。 瀬戸の美術館で2回も裏切られて、ちょうど多治見にいったときのように、町が陶磁器を愛しているのかいないのかわからない、レベルの低いセンスが支配している町としてダメレッテルをはって帰ろうとしたときに、このご主人とのお話で、やっと瀬戸らしい気分となりました。 尾張瀬戸にきたら、まずこのお店に立ち寄ってください。 しかし、ご主人につかまって、ずっと話を聞いているうちに、時間となって、瀬戸の町も見ずに帰ったという方がいるということもあったそうな。その点はくれぐれも気を付けてください。




これは染付ですが、磁器ではなく、陶器と磁器の中間くらいの焼き物に手書きの染付です。
多治見で似たようなお店がありました。といったら、ご主人が、いろいろ真似するところがあるから、と言っていました。当方の言っているのは、多治見の<幸輔窯>という窯です。








一番右は春夏用の湯飲み、一番左は冬用の湯飲み、真ん中は極寒のときの湯飲みだそうです。使い分けるところが<もてなしの心>だそうです。


<森本陶苑のご主人>

以下が、今回の旅の戦利品。


1000円 とっても愛用しています。森本さんで購入。


1200円(?) いい感じで、愛用しています。森本さんで購入。


100円  100円の焼き物がいっぱい売っているお店で買いました。とっても使いやすくて大ヒットです。


100円 まあ、珍しいから買ったということ。


1500円 瀬戸倉ミュージアムで購入。ぐい飲みとして時々使っています。まあ、まずまずといったところですかね。本当は、ぐい飲みも森本さんで買えばよかったと後悔しています。


尾張瀬戸は十分な時間が取れなくて、その本当の姿を見なかったのかもしれません。森本陶苑のご主人は、本物がわかる人と解らない人がいるのですよ、解る人だけ相手にしていますとおっしゃっていました。多治見も瀬戸もなにか当方の感覚からズレていますね。解らない人を無理やり呼び込むための施設ばかり目立って、解る人のための施設はどこにあるのか分からない。これだけいっぱい人間国宝級の作家を輩出しておきながら、その歴史的流れが解らなかった。先にも書いたように、結局ネットを丹念に調べて、やっとこ瀬戸焼の全貌を知ったのです。
結局、瀬戸は日常品の大量生産の町であり、それから次の展開を見つけられていないのではないだろうか?  やっぱり、土地の人が、本物を、本物と言って、しっかりとみんなに紹介してゆかねば、本物が解る人が増えるわけはない。大衆に媚びて、薄っぺらなものばかり扱っているのは、自分たちの首をしめるだけだと思うのです。日常品は日常品でいいのです。日常品という軸と、いい物と言う軸は決して反対方向を向いているわけではありません。  新しいものは新しいもの、守るべきものは守るべきもの、本物は本物、いい加減なものは、どうやってもいい加減です。瀬戸も美濃も頑張ってほしい。きっと、瀬戸も、美濃も再生するでしょうけれど、当方が瀬戸、美濃に感覚のズレを感じていることは大事なことと思うのです。



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新幹線途中下車の旅 瀬戸 その6

2012-08-12 16:37:17 | 旅行
新幹線途中下車の旅 瀬戸 その6 <瀬戸の歴史>

瀬戸焼の説明をネットで探すが、歴史学者の書く物は自然科学者の書く物と極めて違う。なんとも書き方がグチャグチャでなにをいっているかよくわからない。歴史というのは実験で証明出来ないから、当然書き方が違ってくるのだろう。 行間を読んで、ズバッと書いてみよう。これを書くのに数時間かかっているのです。 長くて、面倒でしょうが、数分で瀬戸焼がわかりますよ。ネットの説明を読んだって、主観的又は部分的な話ばかりで、全体像はつかめません。ちょっと長く書くと、みんな読んでくれません。まあ、自分の勉強のために書いているのですから読んでくれなくてもいいのですが。
100円ショップの中国産セトモノしか使わない人とか、ウエッジウッドやマイセンのセトモノしか興味ない人も、瀬戸物(セトモノ)という言葉がどうして生まれたかはちゃんと理解してください。

瀬戸の焼物の歴史は大きく分けて3つの時代がある。
瀬戸1300年の歴史というように、縄文時代に焼物は始まり、瀬戸地域でも縄文早期の焼物が見つかっている。この土器の時代から、古墳時代(三世紀中~7世紀、朝鮮では高句麗、百済、新羅、日本ではヤマト王朝が始まり、朝鮮との行き来も活発であり、渡来人の活躍の時代である) に須恵器(すえき)と呼ばれる新たなやきものが渡来人によってもたらされます。須恵器はこれまでの土器とは異なりロクロによって仕上げられた硬質のやきもので、「窖窯(あながま)」という丘陵斜面に構築された燃焼室・焼成室・煙道部(えんどうぶ)からなる窯炉(ようろ)によって焼成されています。瀬戸地域では猿投窯(さなげよう)において5世紀の中頃に生産が確立した。このころの須恵器生産の中心は瀬戸ではなく、大阪府南部の丘陵地帯(堺市、和泉市、岸和田市、大阪狭山市)に多数の窯があり、陶邑窯(すえむらよう)と言われていた。ヤマト王朝と連動していたらしい。仁徳天皇稜がある、当方が以前、会社から派遣されて研究生活をしていた所である。そのころは焼物などちっとも興味なかった。平安時代になって焼物の中心は京都周辺に移動してゆく。この間に瀬戸地域の猿投窯はシコシコと独自の製法を作りだした。と言っても大陸から見れば1500年くらい遅れている(ただし、焼物の歴史として日本は世界最古と思われる焼物が見つかっていることはお忘れなく、なにも中国、朝鮮伝来がすべてではない)。

さて、どうも、猿投窯で次第に形成された、灰釉陶器の確立が瀬戸焼物の盛隆の原点らしい。 灰釉陶器というのは、窯を焚く時の生まれる灰が釉薬の代わりになることを作陶家が気づいて、灰がかかるように工夫し、さらに積極的に植物灰を釉薬として使うようになったである。 中世(平安・鎌倉・室町時代)には東北から九州まで50ヵ所におよぶ地方窯があったそうですが、良質の器が焼けない窯や、歩どまりの悪い窯は次第に淘汰され、良品を焼くことができた窯が選ばれました。こうして生き残ったのが「六古窯」(瀬戸、常滑、備前、丹波、信楽、越前)だったというわけだ。 ずいぶんと名古屋周辺に集まっている。 でもずっと、盛隆を極めていたわけではない。栄枯盛衰が激しいのが焼物のせかいである。

中世(12~16世紀)に入り、13世紀前半に加藤四郎左衛門景正(かげまさ)という伝説の陶祖が猿投窯(さなげよう)の基盤をもとに俗に古瀬戸(こせと)と呼ばれる室町時代末までの瀬戸の隆盛第一期の始まりを見るのである。鎌倉時代には猿投窯以来の築窯技術と施釉(せゆう、釉薬をかけること)法を用いて施釉陶を焼く唯一の窯として発展し、とくに中国から輸入された宋・元代の青磁・白磁・黄釉陶を倣製して日本の焼物の中心となる。製品はおもに飲食器、貯蔵用器、宗教用具などであった。14世紀初頭になると、茶の風習に従って人気を集めた茶具を写し、それまでの灰釉に加えて鉄呈色(積極的に金属を含む素材を使った釉薬、その日本での始まりは奈良時代に唐三彩が入ってきた)加わりその作域は一挙に拡大した。安土桃山時代(16世紀後半)に入り茶の湯の流行に相応して、日本のやきものは黄金期を迎える。この時代のもので現在まで残っている名品のほとんどが織部、志野、黄瀬戸、唐津などの茶器である。しかし、瀬戸にとって安土桃山時代は衰退の始まりであった。室町後期にはそれまでの窖窯(あながま)にかわる大窯が登場し、中国明代の陶器を倣製したが、この新形式の窯はむしろ美濃焼を活性化させる結果を生み、本家の瀬戸焼は衰微して俗に瀬戸山離散とよばれる衰退期を迎えるのである。このころ灰釉(かいゆう)から黄瀬戸釉が、また飴(あめ)釉から茶褐色の古瀬戸釉が生まれ、唐物(からもの)茶入れを写した瀬戸茶入れも現れるなど、実際には茶壺(ちゃつぼ)や茶入れを中心にした伝統的製陶の権威が守られ、この状態が17世紀まで貫かれたとの見方もできる。鎌倉・室町時代の古瀬戸の陶技が「本業」とよばれるのに対し、江戸後期(19世紀)迎えて復活した磁器づくりを「新製」という。

江戸時代になると肥前の有田を中心にはじまった伊万里焼と総称される磁器により次第に市場を奪われ、衰退する。日本での磁器の登場は、秀吉の朝鮮出兵、いわゆる「やきもの戦争」を契機として陶工が朝鮮半島から招聘され、日本での磁器が登場する。渡来人の李参平らが有田に白磁鉱石を見つけて日本で初めて磁器を焼き、これが染付を中心とする初期伊万里が誕生する。磁器の登場とともに、茶陶の世界でも染付や色絵への関心が高まる中で、美濃や伊賀など、徹底した「個性の主張」で桃山陶をリードした茶陶窯は、時代の流れについて行けず、あっという間に衰退してしまいます。この経緯は、なにか手に取るように解りますね。新技術はあっというまに、それまでの頂点のビジネスを奈落の底に落とし込むのです。これは現代でも同じ。
さて、没落の瀬戸、美濃地域の、起死回生の一打となったのは磁祖とされる加藤民吉(1772―1824)が磁器の製法を九州肥前(ひぜん)の諸窯で学び、帰郷して新生染付磁器製法をもたらしたことである。加えて藩の保護を得た瀬戸焼は急速に蘇生し、染付が瀬戸の主流となって川本治兵衛(じひようえ)(ソ仙堂(そせんどう))、加藤春岱(しゆんたい)(1802―77)らの名工を生んだ。以降、瀬戸の焼物は、旧来の陶器を「本業焼」、磁器を「新製焼」と呼び、区別するようになります。「新製焼」は時代の潮流をうまく捉え、生産を拡大させていきます。これが瀬戸繁栄の第二期。以後、明治維新による藩の庇護により喪失の混乱を乗り切った瀬戸窯は、1872年(明治5)のウィーン万国博覧会への出品を機に海外市場を開拓し、石炭窯や倒炎式丸窯などを開発して機械化を図り、量産体制を確立して、いわゆる「せともの」の語源となるほど、名実ともに製陶業の中心地となって現在に至っている。昭和に入り、大戦後、日本経済の復興とともに瀬戸の陶磁器も立ち直り国内外で隆盛を迎えます。しかし、高度経済成長が終わり、バブルがはじけ、中国など海外の安い製品が出回るようになると、量産日用食器の産地である瀬戸は大きなダメージを受けました。大量生産に偏った瀬戸の行き方を変えようとする瀬戸作陶会の話は前述のとおりです。現在では、組合に登録している窯元も最盛期の1/4ほどとも言われるほど厳しい状況です。これは多治見(美濃)も同じこと。以前の多治見のブログをご参照ください。
いやいや、美をもとめる心と現実の厳しさの狭間に揺れ動く焼物の栄枯盛衰の物語は心に響きます。しかし、また瀬戸、美濃は立ち上がるのでしょう。

これだけ調べて、瀬戸がわからず、モヤモヤしていたのが、やっとこ吹っ切れた感じです。
註:窯の説明(ネット情報より)
昇炎式・横炎式・倒炎式に分かれます。下から炎が立ち上る形式、炎が横に流れる形式、炎がぐるっとまわって上からかぶさってくる形式の3つに大別されます。

古代の窯は、窯の概念がなく、野焼きというもっとも原始的な方法で焼かれていましたが、これでは温度もあがらず、炎も一定しないため、安定した焼成を望むのが困難でした。


古代昇炎式の窯 穴窯(横炎式) 登り窯(倒炎・横炎式)
次に昇炎式の窯が登場することによって、初めて、窯という形式が認められるようになりました。この形式では、炉内ガスや炎の調節をする事が困難でした。これが、次の穴窯に進化すると、煙道のダンパーによる炉圧調整が可能になり、焼成温度の上昇によって、従来より高温での焼成が可能になり、同時に傾斜地に作られた事によって、天然の煙突効果を持ち合わせ、窯としての機能を複合的に発揮出来るようになったわけです。そして、それがさらに機能的進化を遂げたのが登り窯です。ここでは予熱という考え方が登場します。そして倒炎式の炎は、炉内の雰囲気をより安定させ、熱効率を高めています。登り窯は各個室で倒炎式、全体で横炎式という、両方の特徴を兼ね備えています。倒炎式の顕著な例としては他に下図の角窯(和窯)があります。


現代の窯も、炎の形式は大体この3方式に分類が出来ます。(電気炉除く)大きく違うのは、さまざまな熱エネルギーを得たこと、炉圧調整(ダンパー)や燃料・空気量の調整によって、細かな設定が出来るようになった事です。最近ではコンピューター電子計測機器の導入によって、一定の雰囲気になるようにコントロールされています。連続式焼成(例えばホフマン型リングキルン)の様に、大量生産型の窯も近代になって登場し、単独炉(シャトル)・連続炉と区別をされています
大まかに現在の燃料を検証しますと、
固体 石炭・コークス・木材(薪)・木炭
液体 ガソリン・灯油・軽油・重油・アルコール・クレオソート
気体 石炭ガス・水素・天然ガス・プロパンガス・ブタン
その他 電気
燃焼形式をどれにするかというのは重要なポイントになるでしょう。特に、燃料の違いによる、燃焼時の現象・特色をつかんでおきませんと、目的によっては障害になる場合もあります。固体燃料より、液体燃料の方が燃焼効率が良く、燃焼温度・熱効率の点でも勝っています。気体燃料はさらに熱効率が良く、燃焼空気との混合が楽だが、多少理論火炎温度が低い。
電気炉は炉の雰囲気という点では、もっとも安定していますが、例えば、陶芸のように炎が生み出す独特の味という楽しみ方は出来ません。

きれいな完全燃焼の状態を酸化、燃焼に必要な空気量が不足気味で、ややくすぶって燃焼している状態を還元と呼びます。つまり逆に言えば、燃焼に必要な空気量が足りている状態が酸化、不足状態が還元となります。この焼き方の違いで製品の全く様子が異なるからです。日本が世界に誇る磁器は、その生地の白さ・美しさにあるといえますが、これは生地の中に含まれる酸化物が還元状態で白く焼成する為で、還元雰囲気の焼成が不可欠なのです。


ここからは、陶磁器の歴史をつづった、展示場です。説明は面倒なのでやめときます。 前述の瀬戸焼の歴史をじっくり読めば、この後の写真の意味がわかるでしょう。 

















これが、さっき言った丹波焼です。素朴で、力強い。




<黄瀬戸>



呉須染付 瀬戸の得意とする焼き物です。呉須(ゴス)とは磁器の染付に用いる鉱物質の顔料。酸化コバルトを主成分として、鉄、マンガン、ニッケルなどを含み、還元炎により藍青色ないし紫青色に発色する。天然にとれた中国の地名から生まれた日本名。瀬戸でも呉須が産したので、呉須染付 瀬戸の得意となったのです。 現在は合成品の呉須が使われるそうです。 まずは、この呉須と染付が磁器の中心にあるのです。











こういう大きな焼き物は瀬戸の重要な輸出品となっていました。



<瀬戸の歴史>を読んでいただいて、ご苦労さまでした。

さて、瀬戸蔵ミューアムを出て、すこし焼物のお店を訪ねます。

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新幹線途中下車の旅 瀬戸 その5

2012-08-10 17:27:35 | 旅行
新幹線途中下車の旅 瀬戸 その5

この本の地図をみてもぜんぜん行き着きません。うろうろ暑いなかを歩いてやっと工芸館をみつけました。入館無料はよかったのですが、ここも今の作家の展示会で埋め尽くされて、常設展示はありません。どうやら、常設展示では生きて行けないので、現役作家の個展や団体展示で食べる場所に変貌しているようです。 いずれの作家さんも面白くないとはいいませんが、そのつもりで来たのではないので、そうとう頭にきました。そのくせしっかりと撮影禁止だけはうるさく主張します。


<瀬戸市新世紀工芸館>

また本にしたがって瀬戸倉ミュージアムへはいります。一階の売店でふらふらと織部風ぐい飲みを購入。2階のニュージアムに入って、ここは撮影できるところもありそうです。説明員の引き連れた集団にまじって、陶磁器の基本の講義を受けました。とっても参考になりました。すこし、書いてみましょう。


<瀬戸倉ミュージアム、売店>


エンドの名古屋新幹線の時間がきまっているので、いそいで、展示をみます。 一つ、丹波焼きに惹かれました。 以前の新幹線グリーン車においてある、WEDGEだったかひと時だったかで丹波焼きの紹介を呼んでから、記憶に残っていたのですが、丹波焼きの力強さには打たれました。いつか訪ねてみたい。丹波焼はその後、日本民芸館のブログで少し紹介しました。











昔の瀬戸物のお店はこういう具合だったそうです。



昔のお店は、こんな風に瀬戸物が積んであるのです。



これも、昔のお店の飾りです。



焼き物のイロハを勉強します。



陶器と磁器の違い、これは重要です。



焼物は、早くいっぱい作るためにいろいろ工夫するわけです。これは粘土をいれて成形する型。



これは丸いのが模様となっていて、下の機械で焼き物に絵を転写する機械です。

いわゆる、大量生産の為に開発された、もろもろの製法です。




御茶碗にクルクル模様を張り付けるのです。



これは、登り窯の模型。








タイルも型でどんどん作ります。当方みたいに手でシコシコ彫っていたのでは商売にならないのです。
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新幹線途中下車の旅 瀬戸 その4

2012-08-09 22:33:02 | 旅行
新幹線途中下車の旅 瀬戸 その4

てくてく、坂道を15分あるいて、瀬戸市美術館に入ります。 と、ここで愕然、なにやら、イタリアの陶芸作家の展示会が全館を埋め尽くして、常設展示がありません。 イタリアの陶芸作家がいやだというわけではありませんが、その気で来たわけでないので、ショックはかくせません。仕方なく<瀬戸作陶会の陶芸>という本を買って、瀬戸の作家を勉強することにしました。


<瀬戸市美術館>

どうも<瀬戸作陶会の陶芸>を読んだからと言って瀬戸がわかったわけでもないらしい。とにかく瀬戸作陶会とは昭和7年に<土の風景社>が発展して出来た。さらに昭和11年に瀬戸陶芸協会へ受け継がれる。立役者は日野厚→加藤土師萌(はじめ)(人間国宝)→加藤箐山→長江明治、加藤寿朗→藤井達吉→河本礫亭、加藤春二、→大江文象、加藤唐九郎(かとう-とうくろう ) (人間国宝)、加藤華仙、小森忍→加藤英一、栗木伎茶夫(くりきぎさお)、水野双鶴→鈴木八郎
19世紀末以降、瀬戸の焼き物は大量生産型に変貌する。手書きより銅板転写、ロクロより型ものの商業主義となる。20世紀初頭に商業主義に対抗して陶磁器の芸術性を高めようという動きが始まる。その流れの中に瀬戸作陶会がある。と言っても、実は何がなんだか分からない。名前が挙がっていなくても怒らないでください。偉い、偉くないは関係ない、どの作品が気に入ったかが重要。

以下の写真はネットから拝借したものと、<瀬戸作陶会の陶芸>からのコピーです。瀬戸の宣伝と思ってご容赦を。


加藤唐九郎 「志野茶盌 銘 埋み火」


加藤唐九郎「鼠志野茶碗」


加藤土師萌 「黄地紅彩雲龍文壺」


加藤土師萌


加藤土師萌


加藤土師萌


藤井達吉  


加藤箐山(カトセイザン)1895-1966  染付蝶文花瓶


加藤箐山(カトセイザン)天目釉花文三耳壺


加藤箐山(カトセイザン)笹文壺 


加藤箐山(カトセイザン)染付葡萄文花瓶

この方、なかなかいいですね。


加藤春ニ(シュンジ) 志野茶盌

茶道をやったことがある家内は、茶道の茶碗だと興味を示して、それ以外の焼物はあまり興味を示さないという性癖があります。これがなんとも不思議ですが、結構こういう人は少なくないようです。まあ、当方が焼物の中で、酒器が一番興味あるというのと同じことですね。


河本礫亭(レキテイ)青華花鳥文花瓶 


大江文象(オオエブンショウ)釉彩花鳥文大皿 


加藤英一 青磁掻落花紋壺


加藤鏡一(キョウイチ)青織部魚文鉢


栗木伎茶夫(くりきぎさお)100歳を超えても焼物を作り続けた。


栗木伎茶夫(くりきぎさお)


栗木伎茶夫(くりきぎさお)


栗木伎茶夫(くりきぎさお)


栗木伎茶夫(くりきぎさお)


愛知陶磁器資料館で載せた焼物、おそらく水野双鶴、まちがっていたらごめんなさい。

また、<やきもの小さな旅>にしたがいます。瀬戸市新世紀工芸館を訪ねろと書いてあります。

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