小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

ベルリン・フリー旅行 その8 ベルリンの壁博物館

2015-05-31 18:39:52 | 旅行
ベルリン・フリー旅行 その8 ベルリンの壁博物館

2015-5-31

第3日目(2015-5-10)の続き


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

オリエンタル料理というレストランでお寿司と中華料理を食べて、元気を回復。
ダーク・ツアーの上乗せで、これでもかと、<ベルリンの壁博物館>に向かいます。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

ベルリンの壁の名残に当時の写真がずらりと飾られています。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

この写真が今回の旅で一番ショックな絵です。みんながハイルヒットラーと敬礼しないと、ゲシュタポに捕まるのです。この一番右のヒトはきっと捕まっています。ユダヤ人を600万人も虐殺しながら、だれもハイルヒットラーという敬礼を拒否できないのです。
 こんな状態になったら当方はどうするのだろうか? おそらく家族を安全なところに亡命させて、当方はレジスタンス運動に加わり、あっというまに殺されるでしょう。


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

近所のトリッキーなディスプレイ。


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

東ドイツで生産されていたトラバントが、やけっぱちのような派手な塗装で、この近所に集まっています。珍しがって記念撮影する人もいます。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

どうやら、トラバントがこの周辺に集まっているのは、トラバントを集めて商売している
トラバントミュージアムが存在しているからと思われます。


トラバントによるレンタカー屋さんもやっています。

アンペルマンといい、トラバントといい、東ドイツの名残をかえって商売とするセンスは、逆転発想ビジネスとしてアッパレです。

さて、今晩はベルリン・ドイツ・オペラへの再挑戦の日で、Deutsche Operへ向かいます。
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ベルリン・フリー旅行 その7 オライエンブルグ・ユダヤ人強制収容所記念館

2015-05-30 18:22:55 | 旅行
ベルリン・フリー旅行 その7 オライエンブルグ・ユダヤ人強制収容所記念館

2015-5-30

今週の日曜、24日でしたか、意を決して1.5年は御無沙汰していたテニスクラブへ顔を出しました。 自然教育園を3周して1日10000歩歩くというやり方では、どうしてもこれ以上は体重が減りません。79kgが72kgに減ったのですから大成功なのですが、目標は70kgを切ることで、72kgから先がちっとも進みません。足の筋肉がついて、基礎代謝量がふえたのが、体重減少の理由ですが、そのかわり筋肉の重量増になりますから、減少増加の双方向が拮抗してしまうのでしょう。食べる/飲むことは一切減らしてないので、1日10000歩ではこれが限界です。自然教育園6周/日などというのはあまりにばからしいので、週一のテニスを加えるとどうなるかを試してみようと思ったのです。本当言うとスポーツは嫌いです。テニスもやるたびに、もうやりたくないと思うのです。1.5年ぶりに訪ねてみると、やっているオジサン、オバサンの顔ぶれは1.5年前とちっとも変らず、陽気な方は相変わらず陽気、負けると機嫌が悪い方は相変わらず機嫌が悪い。このクラブはなにか永遠に時が止まっているかのようです。今日は首をひねって、2ゲームでリタイア。ああいやだ、いやだ、テニスはいやだと当方は1.5年前とちっとも変らない。それでも、汗をかいた後の体重は71kgということで、この試みは望みがないわけではない。
  なにをくだらにことをいっているのでしょう、旅行記をつづけましょう。


第3日目、今日(2015-5-10)はベルリン・フリー旅行の真骨頂です。家内は以前から、ポーランド・アウシュビッツ・ユダヤ人強制収容所に行きたいといっていました。ベルリンを調べているうちに、近くのオライエンブルグにユダヤ人強制収容所記念館があることに気が付きました。こんなところには旅行社ツアーはまず行くまい、もしかしたら、ポーランドへ行かなくて済むかもしれない。当方はどうせ、光のポルトガルから影のベルリンに変更したのだから、徹底的に<ダーク・ツアー>をやろうといってオライエンブルグ行に乗ったのです。

オライエンブルグはベルリンから北へSバーンで40分、有名なポーランド・アウシュビッツ・ユダヤ人強制収容所と同じような収容所跡が記念館として保存されています。日本人でわざわざ訪れる人はすくないでしょうが、ドイツ人やヨーロッパの方は、教育の一環としても、一般の人も数多くの方がおとずれていました。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

入口までの道には当時の写真がずらっと並んでいます。


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM



Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

上は当時、下は現在の入口です。ここに掲げられる言葉<労働は自由をもたらす>はアウシュビッツと全く同じです。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

広陵とした敷地は、その曇り空が似合う殺伐とした雰囲気です。昨日は25℃を超して、暑いくらいだったのに、今日は一転して10℃前後、風が冷たく、防寒キルティングをホテルにおいてきてしまった当方には心身ともに寒い旅でした。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

このような小屋が数多く並んでいました。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

ユダヤ人の収容所、病人の収容所、人体実験の疑いがある診療室。ガス室


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm ガス室


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

死体の焼却所


Sony alpha7R + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

焼却前には金歯を全て回収していました。


結局600万人のユダヤ人が虐殺されました。収容所は最初からユダヤ人抹殺所ではなく、危険分子の隔離所だったのです。戦争が進んで、いつのまにかユダヤ人を完全抹殺する場所となりました。この一方通行の後戻りできない、負の行進が現実に起きる。人間の性から予想できることではありますが、本当に起きるのです。おそらく、これが唯一の例ではないのでしょう、人の歴史において、大量虐殺は何度も起きているのでしょう。その結果が当然分かっているのに投下された原子爆弾とこのユダヤ人虐殺と何をもって異なるというのでしょうか。虐殺にかかった時間と方法が違っただけでしょう。ユダヤ人は戦後もこの虐殺にたいして、リベンジを叫ばず、原子爆弾に対して日本人はリベンジを叫びません。あまりの人間の性の悲しさに声も出ない。

このあと、ある方から聞きました。実は第二次世界大戦が終わったあとに、ポーランドや国外にいたドイツ民間人200万人が色々な状況でリベンジ虐殺を受けたといわれているそうです。この数字が信じるにたるかどうかわかりませんが。しかし、ドイツはそのことを一切口にしません。それはこのとんでもない非人間的、ユダヤ人虐殺を全てヒットラーに押し付けて、戦後を切り抜けることに徹しているからであるということなのです。これを、戦争に明け暮れたヨーロッパ人の知恵といったらいいのか、ドイツ人の局所的かしこさといったらいいのか。70年たってもあいかわらず、もめている、韓国、中国との関係と日本の戦後処理の良し悪しはまた後程議論してみましょう。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

ベルリン中央駅にもどります。
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ベルリン・フリー旅行 その6  ポツダム/新宮殿、ベルリン/イーストサイドギャラリー

2015-05-29 17:54:15 | 旅行
ベルリン・フリー旅行 その6  ポツダム/新宮殿、ベルリン/イーストサイドギャラリー

2015-5-29

今日は白金自然写真クラブの展示会セティングの日で、本日より展示会は7月2日まで、自然教育園の展示場で開催されています。ご興味あるかたは見に来てください。
なにやら、縦位置はスペースをとるから無理とかで、当方の写真は半分以上カット、結局横位置の3枚を貼ったままで入れ替え無し、と言うことになってしまいました。よって、当方の展示は先日の展示会ご案内の通りには行きませんで、3枚だけです。万一、来られる方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。 まあ,どうせ、何度も来られる方はいないでしょうから、大勢に影響はないでしょう。

2015-5-9の続き
オランジェリー城の写真は飽きたのでカット。もうヨーロッパ宮殿や城はカット、カットです。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

なにやら広いサンスーシ公園を新宮殿に向かって歩いているのですが、道案内は無いは休憩所やレストランは無いや、森ばかりというのも困ったもんだ。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

オランジェリー城から迷って、40分ほど森の中を歩いてやっと、新宮殿が見えてきました。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

さすがに外見は立派です。


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM



これはネットからの転用写真です。この貝の間の斬新なデザインを見て新宮殿におおいに興味をもったのですが、貝の間は床が抜けそうと言うことで改修中。当分(2,3年?)見られないようです、訪ねる方は気を付けてください。貝の間以外の新宮殿の室内は期待に反して、大して面白くもない地味っぽい宮殿でした。サンスーシ宮殿の人気におんぶして、新宮殿の見せ場をつくる努力をはしょっていたところに貝の間の没落で、いいとこない宮殿になってしまったと思うのです。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm 新宮殿の正面


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

ここでポツダムの行動を地図で示そうして、地図をネットで探して1時間。まともな地図が無い。Googleでとりあえず地図を示せるからそれですませてしまう。だけど観光地図としては見にくいし、コピーできない。しかし、誰もまともな観光地図を作らない。地図がない観光案内なんて、まったくどうしようもない。自分がどこにいるかわからないけど観光を楽しんでいる人もいっぱいいるようですけれど、当方には理解不可能です。


しかたないので、また自分で地図をつくります。こんな感じでしたかね。結構歩いています。今回の旅は大体、毎日25000歩は歩いています。まだまだ見るところは一杯あるようでしたが、新宮殿まででもう疲れて歩くのがいやだし、雨が降ってきたので帰ることにしました。ポツダム大学のイベントが行われていて、学生さんがウロウロしているのですが、このサンスーシ公園はちゃんとした休むところもないし、レストランもない。たよりのバスが全く来ない。バス停に集まった人達はみなイライラ。スマホで一生懸命情報を得ようとしています。ストライキでバスは来ないのじゃないかと待っている人に聞きまわるけれど誰もわからないと言う返事。といってもう歩く気もしないし、だいたい、今いる自分の位置がわからない。間違って歩きはじめたらえらいことになる。こういう時がフリー旅で一番嫌な時。時刻表から30分くらい遅れてやっと来たバスでポツダム駅へ、またもやSバーン、40分でベルリンにまいもどります。
まだ時間があるので、ベルリンの壁を見ようということになりました。ベルリンの壁が見られそうなところは、まずは<イーストサイドギャラリー>だろうと見当をつけて、ポツダムからのSバーンの続きでベルリンの南東地区シュプレー川のほとりWarschauer Str駅へ。ストライキですからSバーンでそのまま行けたのかわすれました。とにかく午後4時頃には到着。ここは結構面白かった。残った壁にアーティストが勝手な絵を描きまくっている所です。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

ベルリン壁のかけらで作ったグッズを売っている露天商でベルリンの壁マグネットを買う。本当に壁のかけらは定かでない。


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm


Canon IXY


Sony alpha7S + Sony/Zeiss 16-35mm

この日は疲れ切ってホテル近くのスーパーマーケットでお寿司とスパークリングワインを買って、ホテルで食べて、そのまま気絶する。

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ベルリン・フリー旅行 その5 ポツダム/サン・スーシ-宮殿/フリードリヒ2世

2015-05-28 20:40:18 | 旅行
ベルリン・フリー旅行 その5 ポツダム/サン・スーシ-宮殿/フリードリヒ2世

2015-5-28

ベルリン2日目(2015-5-9)はベルリンからSバーンで40分南に下ったポツダムを訪ねます。
ベルリンからポツダムはいってみれば、東京から鎌倉に行くという感じですか。

ホテル最寄のSバーン駅周辺で聞くと、ストライキでSバーンは動いてないと言われて、絶望的になります。それでもフリー旅の鉄則、何人にも聞けということで、インフォメーションセンターがあるであろう大きめの駅Bf Zoologisher GartenまでUバーンでいって、情報を得ました。要するに市内のSバーンは止まっているけれど、郊外へのSバーンは20分おきに動いている、その接点のRathaus SteglitzまでUバーンで行ってからSバーンにのりかえれば行けることがわかりました。これで1時間は無駄にしました。やっとこポツダムにたどり着き、有名なサン・スーシ-宮殿に向かいます。

当方はここをベルリン旅行の3つのポイント、①ヒットラーのユダヤ人虐殺、②東西ドイツとベルリンの壁崩壊、③プロイセン王国のフリードリッヒ大王の尊敬すべき統治能力というポイントの一つと位置付けていました。

<フリードリヒ2世(Friedrich II., 1712年1月24日 - 1786年8月17日)は、第3代プロイセン王。優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。また、フルート演奏をはじめとする芸術的才能の持ち主でもあり、ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した。学問と芸術に明るく、哲学者のヴォルテールと親密に交際し、自ら書を著し哲人王とも呼ばれ、功績を称えてフリードリヒ大王(Friedrich der Große)と尊称されている。ドイツにジャガイモ栽培を広めたことでも知られる。>
フリードリヒ2世に関するネット情報はみな興味あるものですが、長くなるので
サンスーシ宮殿に関する情報と新宮殿に関する情報だけ書きます。

<「サンスーシ(Sans Souci)」とは、もともとフランス語で「憂いなし」を意味し、1990年に、宮殿の建物および庭園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。>

<フリードリヒ2世の言葉として有名なのが「朕は国家第一の僕(しもべ)である」です。フリードリヒ2世は二度の戦争でプロイセンをヨーロッパの一流国に押し上げることに成功しました。フリードリヒ2世ははじめから戦争が好きだったのではなく、徹底した戦争バカの父フリードリヒ1世と馬が合わずに、家出をしたり、むしろ芸術へのめり込んでいったのです。しかし、即位してからは、プロイセンの発展に大いに寄与しました。その一つがオーストリア継承戦争(1740~48)です。フリードリッヒ2世はオーストリアで女性、マリア・テレジアが即位しようとしたことにケチをつけて、オーストリアに戦争を吹っかけました。ところが、オーストリアのハプスブルク家、マリア・テレジアは有能な人物で、即位したばかりなのに多民族国家のオーストリアをよくまとめて戦いました。最終的にはシュレジエン地方をプロイセンに割譲というということで決着しましたが、フリードリッヒ2世とマリア・テレジアは犬猿の仲としてずっといがみ合うことになるのです。シュレジエン地方は当時、工業の発達した地域で、人口も100万人いました。それまでのプロイセンの人口が200万をこえる程度ですから、プロイセンの国力は一気に1.5倍になったわけで、大儲けだったのです。当然気に入らない、マリア=テレジアはフランスとロシアと同盟をむすんで、シュレジエン地方奪回にのりだし、再び七年戦争がはじまります。マリア・テレジアの連合軍にプロイセンは大苦戦。ロシア軍がベルリン近くまで攻め込んで、プロイセン絶体絶命となった時に、ロシア皇帝エリザヴェータが突然死んだのです。あとを継いで即位したピョートル3世はプロイセンと争う気は全くなく、ロシア軍を撤退させてしまいました。この偶然で、プロイセンは逆転勝ちとなり、シュレジエン地方はプロイセンの領土として確定し、プロイセンの発展に大いに寄与するのです。>

サンスーシ宮殿はシュレジエン地方取り合いの戦争中に作られ、フリードリヒ2世の「夏の離宮」として建てられましたが、フリードリヒ2世はサンスーシ宮殿に入り浸ることになります。フリードリヒ2世自ら設計に口出しをおおいにやったようで、ロココ調ではあるが、ずんぐりとこじんまりした外見と異様に立派な音楽演奏室とかいろいろアンバランスではありますが、観光地としては絶大な人気を保っています。シュレジエン地方を手に入れ、富がコンスタントに流入するようになって、フリードリッヒ2世はメイン宮殿として新宮殿を建てます。いろいろな一流の職人を集め、その人たちの街まで作って、新宮殿プロジェクトを立ち上げるのです。その目的は、この国家プロジェクトを土台として、色々な産業を興そうとしたのです。自分は結局この新宮殿に住まわずに、サンスーシ宮殿に引き込もって、フルートを吹いたり、芸術家や哲学者をあつめて、この宮殿内では、政治をわすれて<憂いなし>の生活を送ったのです。その芸術を愛しながら、一方で戦い抜き、産業も発展させる、人間味あるふれる人柄が今も人気No1の王様としてあがめられているのです。ヒットラーもフリードリヒ2世を尊敬し、自分の執務室にフリードリヒ2世の肖像画をかかげて、七年戦争の奇跡をもう一度、と願っていたそうです。実際にアメリカ大統領フランクリン・ローズヴェルトが死ぬのですが、ヒトラーには残念ながら、ドイツは負けてヒトラーは自殺することになりました。

さて、この辺で、サンスーシ宮殿にむかいましょう。



ネットで見るサンスーシ宮殿の全景


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

途中にあった、藤に囲まれた館で撮影。


Sony alpha7S + coBORG


Sony alpha7S + coBORG


Sony alpha7S + coBORG


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

対面にサンスーシ宮殿が見えます。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

サンスーシ宮殿の前の段々は葡萄棚になっています。


Sony alpha7S + coBORG


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

こちらでは民族衣装を着ることは、日本の着物姿と同じようで、平気でやる人がいるようです。皆が撮影するものですから、この方は手をふって、大いに満足な様子でした。変身好きな家内もきっとやりたがっているにちがいありません。この後のベルリン・ドイツ・オペラでもいい歳のオバサンが、派手な民族衣装でオペラ会場に現れていました。


Canon IXY

日本人観光客集団に囲まれた当方。内観は時間当たりの人数制限があるので、旅行社ツアーではサンスーシ宮殿の内部に入ることはまずありません。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7S + coBORG

もはや、キティーちゃんは世界的キャラクターのようです。


前もって予約して、指定された時間に内部にはいります。ここも内部撮影許可に3ユーロ、450円くらいはらいます。


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

天井を撮るのは飽きたので、置いてある調度品を撮ります、そのデザインを参考にしようという魂胆です。


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

これはフリードリッヒ2世のフルート。ちなみに、当方もフルートを吹きます。べつにフリードリッヒ2世を真似しているわけでは全くありません。ここ一年、フルートは御無沙汰ですが、また再開しようと思っています。<バッハの無伴奏フルートソナタが吹けるようになったら、お墓に入いります>とブログのどこかで書いた記憶があるのですが、このままではお墓に入ることができないので、再開です。


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

この辺で、サンスーシ宮殿を出て、近くのオレランジェリー城を経て、新宮殿に向かいます。

また明日
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ベルリン・フリー旅行 その4 ベルガモン博物館からベルリン・ドイツ・オペラへ

2015-05-27 16:11:25 | 旅行
ベルリン・フリー旅行 その4 ベルガモン博物館からベルリン・ドイツ・オペラへ

本日(2015-5-27)はベルリン市内観光の初日(2015-5-8)後半の話です。


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

このシュプレー川のほとりは、なかなかいい景色で、気持ちのいいところです。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

家内はベルリンでブレークしている<カリーヴルスト>を盛んに探しまわっていたのですが、やっとそれを見つけてシュプレー川のほとりで食すことになりました。

ネットの説明は結構おもしろいので、そのままのせましょう。
<焼いたソーセージ(ブリューヴルストまたはブラートヴルスト)の上にケチャップとカレー粉をまぶしただけの単純な料理だが、根強い人気のあるメニューである。レストランよりは街中の軽食スタンドなどで売られていることが多く、注文するとほとんどの場合ブレートヒェン(小さなパン)が1つ(ブレートヒェンに挟む店も多い)か、フライドポテトが付いてくる。一時期は庶民の味、ファストフードとして圧倒的な人気を博した。近年はピザやケバブの人気に押されているものの、ドイツのどこでも食べることのできる大衆食としての地位は不変である。カリーヴルストは第二次世界大戦後のドイツで普及したが、いつどこで発明されたかについては異論が多く定かでない。ベルリンでの定説では、カリーヴルストのソースはヘルタ・ホイヴァー(Herta Heuwer、1913年6月30日ケーニヒスベルク生まれ、1999年7月3日ベルリンで没)という女性が発明したとされている。彼女は西ベルリンのシャルロッテンブルクでソーセージ屋台を経営しており、ケチャップ、ウスターシャーソース、カレー粉といった材料をイギリス軍兵士から仕入れていた。1949年9月4日、雨で客が来ないため退屈しのぎに材料を混ぜた結果、カリーヴルストができたという。以後、ベルリン市街を再建する建設労働者の間で人気を博するようになった。全盛期には週に1万本を売ったという屋台をもとに彼女はレストランを開き1974年まで経営したという。ベルリンには2009年に、カリーヴルストの発売60周年を記念してカリーヴルスト博物館(カレーソーセージ博物館)が開館している[2]。ルール地方の言い伝えでは、エッセンのソーセージ屋台で、店主がカレー粉の入った缶をケチャップの中に落とした偶然から発明されたとされている。>

2回たべましたが、柔らか目のソーセージでカレーの味はそれほど強くありません。正直、何度でも食べられる、わるくない食べ物です。ソニービル広場で家内がカリーヴルストを探して、若い学生風の一団にありかを尋ねたら、<この辺では知らない>と答えた若者が、ゲタゲタ笑った、その笑いの意味は何であろうかと、その後2人で議論したのです。その解答は、なんで日本からきた観光客が、よりにもよってこんなB級グルメを探し回っているのだろうという、あきれた笑いだろうということになりました。


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm カリーヴルスト


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

カリーヴルストを購入したお店です。ここのお兄さんは東欧(アルメニア)から出稼ぎに来ている若者で、日本にとっても興味をもっていました。東ヨーロッパの人がドイツに流れ込んで一生懸命働いている様が、ベルリンの壁崩壊の及ぼしたドイツへの影響を想像させます。ベルリンにはいまだ東西分断とその後の融合の影が満ち溢れている気がします。南北の韓国の壁が崩壊したらいったいどうなるのだろうか?

シュプレー川の中州には博物館が集合していて、博物館の島といわれています。このなかでもベルガモン博物館は膨大な内容を持っており、これ自体が世界遺産、全部みると何日もかかると言われています。



Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

我々は時間もないので、ベルガモン博物館で記念撮影しただけ。博物館はその土地を理解するにとっても役立つことは分かっているのですが、なぜかフリー旅では毎回パス状態になっています。


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM

ベルガモン博物館の庭の一部と思われる、ベルガモン博物館とベルリン大聖堂の中間にある、なにやら意味ありげな石作りの回廊。


Sony alpha7S + フォクトレンダーVintage line 50mm F1.5 Aspherical VM


Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm

    
Sony alpha7R + Sony/Zeiss 16-35mm     

世界遺産ベルガモン博物館もいっぱい工事中

ベルガモン博物館から一番近いUバーン駅FriedrichStr.から今夜のベルリン・ドイツ・オペラを見る為にDeutsche Operへ向かいます。


今日の出し物は、<ベルリオーズ、ファウストの劫罰>です。マイナーなオペラで、実をいうと、いままでコンサートに行った経験のなかで、最もチンプンカンプンの音楽でした。字幕を読んでも、舞台を見ても、音楽を聞いても、ストーリーがまったく想像できません。なにやらくだらないことをグダグダやっていると思っていました。だいたいオペラの題名を良く聞いていなかったのが間違いのもとで、さらに家内は通常前もってオペラのストーリーを説明してくれるのですが、なぜか今回はそれをはしょってしまったのでした。ベルリオーズは無論名前もしっているし、音楽も聞いているはずなのですが、あまり記憶にありません。ましてやオペラとなるとまったく想像できません。リヒャルトシュトラウスとかシェーンベルクとかのちょっと手前、ロマン派後期で現代音楽に走りのような音楽であろうと思い込んでいたのです。現代音楽だったら、題名だのストーリーだの聞いてもほとんど役に立たない、新しい世界へ向かう息吹を感じれば十分とたかをくくっていたのですが、とんでもなく間違いでした。ベルリオーズは現代音楽の走りではなく、むしろロマン派の走りで、宗教色の強い職人芸音楽をぶち壊して、新しい自由な音楽を作りだしたとして、通のあいだでは高く評価されているそうなのです。 フランス人が自分達の生んだベルリオーズを評価しなかったという大きな間違いが、フランス音楽の劣勢を生んだといわれています。 <ファウストの劫罰>という題名を知っていれば、原作ゲーテのファウストからある程度その内容(初老の男が悪魔に魂を売って、若返るが、色々な悲劇がおきる)はわかりますし、さらにオペラの内容の詳細を家内から聞いて、やっと全てがつながりました。そうであるなら、マイナーなオペラでありながら、歌い手、オーケストラ、舞台演出ともにとても力をいれており、なかなかいい演奏だったと思うのです。家内も評価していました。なんと、ドジなことだ、もう一度聞きましょうといいだして、明後日に再びベルリン・ドイツ・オペラに挑戦することになったのです。出し物は当然違います。今度は前もってストーリーを聞いておくことは必須であります。

<ベルリオーズ、ファウストの劫罰>
指揮 ジャック・ラコンブ
舞台監督、演出 クリスチャン・シュプック
舞台デザイン、衣装デザイン Emma Ryott
舞台照明 Reinhard Traub
舞台照明 Ulrich Niepel
合唱指導 William Spaulding
劇団顧問 Dorothea Hartmann
マルグリート: Clémentine Margaine
ファウスト: ヨセフ・カン
メフィストフェレス: Samuel Youn
ブランデル: Marko Mimica
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団、合唱団&バレエ団






突然、軍隊が乱入し、兵隊人形歩きで舞台を一周する。これが有名なベルリオーズのラコッティー行進曲なのですが、この軍隊の乱入自体、このオペラの本筋とはあんまり関係ないのですから、曲は聞きなれていてもストーリーを想像する手がかりとはならないのです。
だいたい、<初老の男が悪魔に魂を売って、若返るが、色々な悲劇がおきる>などという突拍子もない話をまったくの予備知識なしで想像せよといっても無理ですよ。

ネットに現在ベルリン在住の東京芸術大学声楽科卒業ソプラノリストNishiguchi Akikoさんのコメントが出ていましたで、転用させていただきます。そういわれてみればそうかもしれません。
<ファウストの劫罰なんて、めったに演奏されないので、初めてきちんと全幕を観ました。
ベルリオーズの音楽は美しく壮大でしたが、オーケストラがいまいち表現しきれていない感もありました。ちょっと流れてしまっているような。演出は奇妙なもので、舞台は円形で斜めになったもの。それが回転しながらストーリーが展開していきます。始め、幕が開くと、オーケストラが演奏する前に、バレリーナ2人よるダンスが。無音の中、5分位は踊ってたと思います。セットはほとんどなく、バレエダンサーたちの身体表現や、合唱の群衆も動きによって場面が表現されていく。ファウストの劫罰にはフランスオペラらしく、多くのバレエ場面があるのですが、その振付が変わっていて、細かな動きがとても多く、少し眠くなりそうになったのが残念でした。途中、ファウストが馬でマルガリータのところへ向かうシーンで、なぜか舞台にスクリーンが二つ出て、そこに馬の映像が映るという。ちょっと興ざめな演出もありました。チープな映像を見せられるくらいなら、何もない方がよっぽど良いと思うのですよね。歌手ですが、韓国出身のバリトン、Samuel Younは存在感のある張りのある声で素晴らしかったですね。演技力もあり、奇妙な演出の中、自分の役割、自分が何をしなければならないのか、一番理解していた歌手のように思います。
ファウスト役のKlaus Florian Vogtは、なぜこの劇場の歌っているのだろうと思わせてしまう演奏内容でした。フランス的と言えばフランス的な甘い声を持っているのですが、声に存在感がなく、ふわふわとした声で、とにかくパンチが弱いのです。肝心な高音も頭声に逃げるような歌い方。(若干ポップ歌手のような歌い回し。) やっぱり私は、オペラに来るからには、体としっかりつながった、存在感のあるテノールの声を聴きたいですね。
ファウストの劫罰は、なかなか満足のいく内容ではありませんでしたが、曲としては美しい作品だと思いました。>

当方はクリスチャン・シュプックの演出は面白い演出と思います。歌手に対する評価はその通りだと思います。ただし、我々の公演はたまたま前述のようにテノールがヨセフ・カンという東洋人で、上記コメントのKlaus Florian Vogtではありません。Klaus Florian Vogtは結構有名な人ですが、家内もあまり評価していません。ヨセフ・カンさんは悪くなかったですよ。

この晩は、ホテルのバーで、なんと、またもやカリーヴルストとビールで夕食としました。この旅から帰っても、家でカリーヴルストが何度も再現されていますから、結構、癖になる食べ物ということです。
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