小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

最近のカメラ事情 その1

2013-10-26 21:44:18 | 日記
最近のカメラ事情  その1

10月20日には雨の中ソニービルまで新発売フルサイズミラーレス、ソニーα7/α7Rを見に行きました。カメラに触れるだけでなく、プロカメラマンさんの試写の話が聞けることが嬉しい。α7Rは約3640万画素で、ニコンD800E とほぼ同じ画素数です。作品をソニーの壁一面の巨大液晶パネルに映して、やはり高画素は魅力であると主張していました。驚異的です。高画素の作る絵の違いは当方もD800Eで感じています。密度の作る立体感にアグリーです。 α7Rは重さがD800Eの約半分465g(電池、メモリー込)。これだけで、当方は買いなのです。ニコンD800Eを持ち出すときのあの、なんともしんどい気分から解放されるに違いない、これが全てです。それ以外の性能とか、見た目とかはもう上の空で、壊れさえしなければどうでもいい。ミラーレスは軽くて、ライブビューがしっかりしていさいすればいいのです。
   三宅島にはAPS-Cミラーレス、富士フィルムX-E1を買い足して2台とし、さらにフジノン55-200mmとフジノン18-55mmを加えて、富士フィルムX-E1の布陣を固めたのです。新たに15万円くらい投資しました。 動物写真家、小原玲プロさんの勧めに従って富士フィルムX系のミラーレスに資源を集中することにしたのです。Xマウントのツアイスtouit 32mmとシグマ超広角、8-16mmを加えて、超広角から望遠200mmまでを2台のX-E1に振り分けました。付属部品と共にカメラバックに入れて、これに小型の三脚を加えると、実質全重量5.2Kg。これでほとんどのケースに対応できます。レンズ4本、カメラ2台ですから、当然レンズ交換はしますが、あるシチュエーションにおいて2組を選んでセットして、自由に、2組のセットを使ってゆく。これはとっても爽快です。望遠ズームの組み合わせが880gで軽くはありませんが、これで200mmまで撮れれば御の字です。フジノン55-200mmはとてもよいレンズでした。フジノン18-55mmにはきちんとした広角領域を受け持たせるつもりでしたが、フジノンの18mmは広角という使い方においては、シグマ8-16mmの超広角に比べると迫力に欠けて、ほとんど出番が有りませんでした。標準領域ではほとんどツアイスtouit 32mmですんでしまいます。なにしろこちらの組み合わせは510gで、スナップにはちょうどいい重さと取り回しなのです。フジノン18-55mmの組み合わせは610g、わずかしか違わないのですが、ツアイスに比べるとなにか、かさばって面倒くさい。Touit12mmを買い足して、望遠ズームと単焦点2本で事が足りる気がします。当方には標準ズームはいらないようです。
三宅島での撮影の結果はすでにプログにアップしました。3枚選んで、三宅島フォトコンに応募しました。生まれて初めてのフォトコン応募が三宅島とは面白いことになりました。とにかく先方の規格に合わせて、いろいろ準備して応募するというのは面倒なことで、それ故にこれまで応募しないで来たのですが、ひょんなことから応募することになって、これで面倒がらずにフォトコンに応募できそうです。今回の結果は全然期待していませんけれど。何回か応募すればそのうちどうにかなるでしょう。
さて、ソニーα7Rに話をもどしましょう。ボディーだけで最安値20万円弱ですから、いかにお金を工面するか。何かを売って、大半の資金をたたきださないと、ここのところ買い続けていますから、家庭争議になります。ニコンD800Eの代わりにソニーα7Rを買うのですから、D800Eを売れば楽勝なのですが、それが出来ません。なんで、でしょうか? 当方もまだデカくて、重たいメカに一抹の未練をもっているのでしょうか?当方ですらそうなのだから、世の中はそう簡単に一眼レフからミラーレスに移ることが出来ないに違いない。ソニーα7/7Rの一人勝ちにはならないでしょう。同じ防寒性能を持ちながら、重たいコートから軽いコートに変えると何か不安な気持ちになるのと同じです。ソニーα7/7Rはビジネス的によく考えられています。ソニーEレンズにさらに新設計ツアイスレンズを配し、ツアイスといえども値段を抑えています。その分レンズのスペックを下げでいますから、プロはD800Eの代替とはならないと小原玲プロさんはケチをつけています。小原玲プロさんの富士フィルムXマウント至上主義にはソニーα7/7Rは目の上のたんこぶですからね。しかし、新開発のマウントアダプターをつければ、これまでのAマウントを同じAF速度で使えますし、APS-CのEマウントレンズをつけると自動的にAPS-C様式なったり、デジタルズームが組みこまれていて、焦点距離が2倍になったり、ソニーさんらしい、気のまわしようです。ソニーさんはα7Rを完璧なD800Eの代替物としようとせずに、ボディー、レンズ共に軽さを追求して、価格を買いやすい程度に抑え込んでいます。それでこそソニーさんです。ニコンスタンダードなぞ気にすることはないのです。
世の中が付いて行くにはタイムラグがあるでしょうが、一眼レフは遠からずミラーレスに移行してゆくでしょう。EVFがいやだの、シャッタータイムラグだのあれこれ言う方は、どうぞ一眼レフをお使いください。ミラーレスのメリットは軽量だけではないのです。レンズ選択の自由度が各段に上がって、それ故に無数のレンズの個性を楽しめる点にあるのです。お仕着せのズームレンズ2,3本をAFだけで使っている方に、その範囲のなかでAFだのファインダーだのの優劣を議論したって意味ないことです。ソニーα7Rは明らかにそのもう一つのミラーレスのメリットをしっかりと包含しつつ、一眼レフしか使ってこなかったユーザーにも使ってみようと思わせる仕掛けをしているのです。
ニコンやキャノンは一眼レフの軽量路線と更なる高級路線で対抗しつつミラーレスも追わねばならないことになります。当方はしばらく、D800Eとソニーα7Rを並行して使ってみましょう。予想としてはD800E及びニコンズームレンズは売りに出すことになるでしょう。そのときにあまりに下取り値段が下がっていないように、すなわち、皆さんがまだ当分一眼レフにこだわっているように願っているのです。D800Eに付随している、色々な仕掛けやレンズ群は本当のカメラ好きに役立つような、奥深い仕掛けになっていると感じます。しかし、当方のようなアマにとって、高画素フルサイズは中途半端な気がします。その重さと値段に相応した、APS-Cとの違いが出せない。違いを出すには中判以上が必要だ。フルサイズとAPS-Cの差に相応するにはソニーα7/7Rの重さ、性能、価格が妥当なのではないかと思うのです。そのうち、世間が答えをだすでしょう。ということで、明日はソニーα7Rの先行予約にいきましょう。発売は11月15日発売ですから。当面のレンズの布陣もよく考えなくては。泣く泣くペンタックスのデジタル専用レンズを売って資金をつくりましょう。単焦点レンズは苦楽を共にした相棒みたいなもので、手放すのがとってもつらい。遠からず、D800E及びニコンズームレンズは売りに出して、ソニーα7R用のツアイスレンズを買い込むでしょう。新しい単焦点を出さないなら、重たくてもかまわないから、Aマウント、ツアイス135mmと24mmの2本に全てを賭けることになるかもしれません。重たくてもかまわないとは話が矛盾しているではないかとおっしゃいますが、ごついレンズに小さいカメラがへばりついている感じは当方好きなのですよ。カメラ+レンズで1.5kg以下だったらOKです。ごついD800Eにごつい大三元ズームが付いた、2~2.5Kgというその肥満的雰囲気が耐えられない。
  富士フィルムX-E1の布陣はどうなるのだ。X-E1を買い足した途端に、X-E2が発売されるとはいかに。AFと画像処理が進歩したようで、そりゃ魅力的ですが、当面そんなことかまっていられない。まずはソニーα7Rの布陣を固めなければ。現在の富士フィルムX-E1の布陣はいい出来だ。ツアイスtouit 12mmを追加すれば完璧だ。ソニーα7Rの布陣を固めつつ、X-E1の処遇を考えよう。
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三宅島復興ボランティアの旅 その3 (最終回)

2013-10-25 19:47:23 | 旅行
三宅島復興ボランティアの旅 その3 (最終回)

10月14日月曜日
次の日は午前中釣です。宿の前の船着き場で釣です。これまで写真を載せてきましたが、どれも場所と時間の大きな制限の中で、あきらめずにこつこつ撮った写真です。今回の旅は伊豆七島写真の旅の最初の1ページという位置付で、今日の釣の時がやっと時間をかけて撮れるチャンスと期待していました。ところが釣り場はすでに訪ねている宿前の港ということで、三宅島らしい海を撮る最大のチャンスが消滅してしまったのです。今回の旅は自由行動が禁止されているので、これで万事休すです。











それでもがんばって1時間撮ってみました。上の写真は、断崖絶壁の上で釣をしている人の写真です。200mm望遠レンズを使ってさらにトリミングで拡大しています。これ以上拡大すると画像がこわれるので、ここまでです。どうやっても写真が撮れません。残りの1時間で釣をしました。当方、底釣は小さい頃から、一の宮川でやっているから、大いに得意で、釣り大会で優勝したこともあるのですが、うきを使ったこの手の海釣はこれまで全くいいところがありません。案の定、うきはピクリともしない内に1時間がすぎ、タイムアウトとなりました。他の方もみなボウスで、一人だけニザダイ(三の字)を釣った方がいました。全員ボウズでなくてよかった。三の字はこのあたりの磯にはどこにでもいる餌取りの名人で、釣人には嫌われますが、新鮮なやつはけっこう美味しいのです。



さて、いよいよ三宅島ともお別れです。風の関係で阿古漁港に着くのではなく、伊ケ谷漁港に船が付くということで、そちらまで移動、14時20分出港で竹芝桟橋に向かいます。



伊ケ谷漁港から大原野島を見る。





このようなボランティア活動は現地の方の協力がないと成立しません。三宅島役場、三宅村森林組合、㈱伊豆緑産の方々有難うございました。



地球緑化センターの方々もありがとうございました。





帰りの船からやっと雄山の全貌が見えました。



去りゆく三宅島。



三宅島と御蔵島が並んで見えます。



三宅島から東京よりの伊豆七島の隊列です。神津島、式根島、新島、利島。







大島から伊豆半島に差し掛かるころに日没近くなりました。夕暮れの富士山は残念ながら、一部しか見えません。でもダイナミックな雲の夕暮れもいいものです。











こうやって、通り過ぎた大島が、この数日後に大変な災害に見舞われるとは考えもしませんでした。当方も三宅島で、地震津波と噴火は気にしていたが、山が雨で崩れることはまったく予測していませんでした。大島の人もそうだったのでしょう、大型台風が来るとあれほど騒いでいたのに、残念です。当方は三宅島の件がなければ伊豆七島撮影の旅の1ページ目は大島に行こうと思っていたのです。三原山の溶岩砂漠の撮影が魅力でした。 三宅島だって、まかり間違えば、大島と同じことになっていたかもしれません。まだまだこれから台風27,28号が来ます。三宅島で我々が植えた椿が皆流されることだってありえるし、我々がいる時に台風が来ていれば、泊まったホテル海楽が土砂に埋まっていたかもしれません。



東京湾に入ると船は条令によって、超スロースピードになります。再びベイブリッジの下をくぐって竹芝桟橋に着いたのは20時過ぎでした。



地球緑化センターの増田さんが、当方の写真を三宅島のフォトコンに出してくれというので、出してみましょう。プロが撮ると上のような写真になります。当方だって、場所と時間をもらえればこれくらいの写真は撮れるでしょう。今回は場所も時間も得ることが出来ませんでした。撮影にとってはとっても心残りです。もっとも、当方はフォトコン用にはこういう写真も撮るでしょうが、私流の写真というのはこういう典型的絶景写真ではないですよ。
そうそう、それぞれの写真でどのレンズを使ったか調べるのが面倒で、書いていません。カメラは富士フィルムX-E1が2台。 望遠はフジノン55-200mm, 超広角シグマ8-16mmはすぐわかるでしょう。あとは殆どツアイスtouit 32mmです。後半の船の上から少しフジノン18-55mで広角側の感触を試してみました。結局、軽いツアイスtouit 32mm があると、結構かさばる上に、あまり広角感のでないフジノン18-55mの出番がほとんど無かったということになりました。 今回のカメラの布陣の話と、ソニーα7/α7Rの話はまた明日しましょう。

ブログにもろに人物の写真を載せてしまいました、親愛の情を込めてと言うことなのですが、不都合な方はブログのコメント欄にその旨を書いてください。すぐ引っ込めます。

明日は、最近のカメラ事情のお話をしましょう。

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三宅島復興ボランティアの旅 その2

2013-10-24 22:12:33 | 旅行
三宅島復興ボランティアの旅 その2

10月13日 日曜日
宿、ホテル海楽は、三宅島のメイン港、阿古漁港のすぐそばで、歩いて桟橋までいって大野原島を撮影。このあたりはよい漁場で、漁師さんの漁と、釣客の漁に盛んに船が出入りします。





今日は昨日とは違った場所で作業です。



通常の観光客は入り込めない場所で作業することが、このボランティア活動のメリットの一つです。 途中から車が入れずにテクテク歩きます。となりの御蔵島がよく見えます。御蔵島は船が接岸するのが難しくて、定期船は接岸できないこともあるという条件付きの乗船になりますが、イルカと泳げるということで人気の観光地になっています。以前は三宅島が御蔵島のお父さん格で観光拠点となっていましたが、噴火で、観光客は三宅島ぬきで御蔵島に行くようになって、三宅島の観光は激減した状態が続いているようです。確かに山は丸坊主になって、いまでも風向きによっては火山ガスの警報が出る状態です。この時も途中、かなりのガスのきつい匂いに出くわしました。



この立ち枯れの木々が三宅島の象徴になっています。







今日は、観光スポットの巨木がある地点までの山道の整備です。この地域は噴火を免れて、それまでの森が残ったわずかな地域で、巨木が残っています。ほっておくと、観光スポットまでの山道が消滅してしまうので、我々が通れるように整備します。



これも大変なもので、30人かかると、通れそうにもなかった道があっというまに蘇ります。



巨木も周りの邪魔な木々やつる草を取り払って元気にしてあげます。





野生の紫陽花林を切り開いて一休み。





島は巨木が多く、となりの御蔵島も巨木の撮影でカメラマンの間では有名です。



全作業が終わって、今日帰る人を阿古港から見送ります。この港は噴火で破壊された後に再建され、とてもきれいで立派な港です。この島は、噴火の破壊の後と、再建の新しい立派な施設や道路とがミックスしており、不思議な雰囲気をかもしています。



残り組は、後は午後の島内一周の観光と明日の午前中の遊びがまっています。



まずはクサヤ工場見学。当方は昔からクサヤを食べていましたから、どうということはないですが、写真の様にクサヤの匂いに耐えられない人も少なくありません。



これが本当のクサヤの匂いだとかがせているクサヤ作りの名人。このクサヤを付けるタレは噴火の時にダメになってしまい、新島のタレを分けてもらって再開したそうです。今度噴火があっても、このタレと心中すると名人はいっていました。



夕暮れ近くなって、大路池(タイロイケ)に到着しました。池の周遊道路を歩きながら撮影。皆さんにどんどん遅れます。この地点で休んでいた筋金入りボランティアの清水さんに追いついて、ここで気を入れて撮影します。



池のさざ波がきれいだったので、何とかそれを表わそうといろいろ試みたのですが、思ったようにはいきませんでした。









先にいった連中がもどってきました。巨木専門家の大野さんが、この先の巨木までいってきた、何で来なかったのだ、せっかく撮影してもらおうと思っていたのにと言われました。彼の携帯の写真をみると確かに立派な巨木です。巨木があるなんて話は聞いていませんよ、またしても撮影のチャンスを逃してしまいました。さざ波と巨木とどちらかを取るしかしょうがなかったのです。
宿にもどって、再度日没に挑戦です。昨日は適当なところで切り上げて、温泉につかっていると、太陽が水平線に沈む光景が見えるではありませんか。もっと粘って撮るべきだったと、とても後悔したのです。大野さんと温泉をたずねて、当方だけ残って撮影していたので、先に温泉に入っている大野さんにわるいとおもって、いい加減に切り上げたのが敗因でした。明日もあるからいいや、再度トライしよう。と思ったのです。今日は、大原野島にもっと夕日を近づけようと昨日とは反対の方角に歩いて場所を探します。



とても島影に沈む夕日という地点まで歩くことができません。もう日が沈んでしまいます。



見てください、今日は水平線に日が沈む光景が撮れなかったのです。水平線に雲がかかっていたのです。昨日のように水平線に完全に日が沈むまで見える時はいつもあるわけではなかったのです。一度逃したシャッターチャンスはそうやすやすと取り戻せないというのが、この世界の常です。



夕食後は星を見に行くというので、ついて行きました。星は撮影してもつまらないので、行く気はなかったのですが、ずっと撮影チャンスをのがしっぱなしで、もしかすると海の夜景が撮れるかもしれない、努力だ、努力だといってついて行きました。



ありました、ありました、御蔵島の夜景です。本当は写真と違って真っ暗です。懐中電灯を持っていないので完全に手探りの撮影です。三脚立てて、初めて暗闇の撮影をしました。意外に夜の海が撮れる。これは新発見です。これから海の撮影に夜の撮影を加えよう。とにかく発見です。
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三宅島復興ボランティアの旅 その1

2013-10-23 19:11:11 | 旅行
三宅島復興ボランティアの旅 その1

とうとうソニーα7/α7Rが発売されるということで、現在、当方は大混乱状態になっています。三宅島には、出発前日に富士フィルムX-E1の中古を買い足して、X-E1を2台もって、レンズもXマウントのフジノン55-200mm, フジノン18-55mm、ツアイスtouit 32mmとKマウントのシグマ8-12mm(マウントアダプターを介して)という布陣で出かけたのです。なかなかいい布陣だったと満足して帰って見たら、フルサイズミラーレス、ソニーα7/α7Rが出るは、富士フィルムX-E2が出るはで、とんでもなく大混乱です。半値の中古だからいいようなものの、X-E1を買ったとたんにX-E2がでるとはなんてこった。なにを売っとばして、ソニーα7/α7Rのどちらを買おうか、レンズはどうするのだ。α7のEマウントに対応するオールドレンズのアダプターは存在するのか?????  
  
三宅島の話にしましょう。色々な人に三宅島のブログを書くと言ってしまったので、ソニーα7/α7Rの大混乱の話をしている場合じゃありません。
この旅は地球緑化センターの主催する三宅島復興ボランティアプログラムというものです。地球緑化センターは山と緑の協力隊という森林ボランティア活動など全国規模(+世界)の緑化活動を行っています。当方はちょうど伊豆七島撮影の旅を開始しようとしていた矢先に職場の方から三宅島の話を聞いて、まずはこれに乗ってしまおうと思ったのです。三宅島の役場や森林組合の協力がありますから、通常ではいけないような自然の中に入り込んで、面白い写真が撮れるかもしれないと思ったのです。それに、三宅島というと一人で行くには何か恐ろしい島という印象で、今回をのがすと行きそびれると思ったのです。およそボランティアと縁がなかった当方ですから、このようなよこしまな動機で参加しました。
結果は撮影の方は期待に反して全くさんざんでしたが、ボランティア活動はなかなか面白いものですね。山と緑の協力隊というのは結構魅力があります。巨木の専門家と知り合ったり、筋金入りボランティアさんと知り合ったり、なかなか面白い方もいましたし。



10月11日金曜日
竹芝桟橋から夜10時20分出港です。船は約5000tonのさるびあ丸でとっても大きい、それに多くの方が乗船しているので驚きました。当方は大学時代、同じ時期、台風の季節に、東大海洋研の白鳳丸、約4000tonの船に乗って、竹芝桟橋から出港して、東経145度の線に沿って南下し、北回帰線、北緯23度あたりまで往復する10日くらいの航海をしたことがあります。海洋調査の手伝いのアルバイトと大学授業の単位がもらえる旅でした。当時は海洋研に進むことも考えていたのです。この時はいくつもの台風に挟まれて、ものすごい嵐の中の航海でした。大波に持ち上げられて、船底が海面にたたきつけられるドスンという音を聞きながら過ごしたのです。10日の半分は船酔いで吐いていました。この時にどうやったら船酔いをしないかを必死に考え、船の中心部で空を見て寝ているのが一番いいと言う結論に達したのです。その後かなりの間は船酔いしなくなりました。それから40年以上たちます。その時考えていた人生と実際の人生は表向き随分と違っています。そのまま海洋研に進んでいたら、当方の人生はどうなっていたのだろうかなどと、ふと考えて、あの時の航海がよみがえるのです。

10月12日土曜日
リクライニングの座席で夜を過ごして暗い早朝に三宅島につきました。いよいよ、三宅島緑化プロジェクトの始まりです。三宅島は2000年に噴火して、全島民が本土に避難して、4年半戻れなかった。現在は3500人ほどの住民がいますが、長い避難生活で、本土に残った人も多く、島に戻ったのは以前の2/3程度だそうです。中心の雄山周辺はまだ立ち入り禁止で、ご覧の様に樹木がほとんどなくなってしまっています。





このように火山ガスで立ち枯れた木々が三宅島の特徴的景観になっています。次第に緑が戻ってきてはいますが、大半は木ではなく、ススキが原で、木と言えば、オオバヤシャブシという木がまず火山灰地で繁殖しています。我々は、火山灰地の斜面に植林するのかと思っていたのですが、下の写真のようなススキが原を刈り取って、植林の平地をつくることから始めるのでした。





参加者は32名の過去最大の参加者ということで、これだけ一斉にかかると、数時間でススキが原が平地になります。写真は皆さん休んでいるように見えますが、それまで汗だくで半日働いているのです。この開拓地にツバキの苗を植えてゆきます。火山灰地は酸性で、オオバヤシャブシは育ちますが、いわゆる森を作っていたスダジイ、オオバエゴノキ、タブノキがすぐに戻るということは無理なのです。ツバキは大島でもそうですが、比較的酸性土に強いので、ススキが原の次に育つことができるそうです。ツバキの後に森が戻るはずです。



大学生さんも沢山参加しています。



ボランティア活動のベテラン増田さん。
作業が終わって宿にもどり、当方は近くの温泉に向かいました。15分の道のりの間に、海には日没の風景が展開されました。



沖合の大野原島(三本岳)に夕日が沈みます。









温泉、ふるさとの湯に向かう途中の錆が浜



今回の旅は波を撮ることが目的です。





夕食は結構、御馳走です。キンメダイ煮付け、カジキのフライ、明日葉に特別追加料理
アカハタ(と宿の人は言っていたと聞いたのですが、ほんまにアカハタでしょうか?とにかく美味しいことは間違いない)を蒸して(おそらく)薬味をのせたものが付きました。この後、島の方の話を聞いたり、ようするに酒盛りで、アカハタの残りと島の焼酎を飲みまくったということです。

では、また明日。

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