小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

南イタリア物語ー1

2010-12-23 20:56:48 | 旅行
南イタリア物語ー1  2010-11-23~11-30

年一回の海外旅行をすることにしています。値段が安いので、いつも冬場に出かけます。社長業をやりながらの、海外遊び旅行を実施するのは、毎回、とっても大変です。いつ死ぬかわからんのに、仕事だけしていてはバカだという考えで、頑張って実行しているのです。今回は、さらに大変なことになりました。<京都の紅葉>で書いたように、谷川岳で遭難しそうになって以来、首に腫瘤ができて、ありとあらゆる検査をしたのに原因不明、ネズミを拘束してストレスを与える実験をしているので、そのタタリではないかという説もあれば、山でライム病(ダニから移る、特殊な病原菌による) に感染したのではないかという説もあるし、悪性腫瘍という説も当然あります。悪性腫瘍を否定する意味で行ったPET検査の診断が出るのが11月22日、海外旅行の出発日が23日。PET検査の結果は悪性腫瘍を否定できませんでした。先生は特に海外旅行をやめろとはいいませんでしたので、思い切って出かけることにしました。キャンセルしたら2名で30万円の損害。旅行に出かけて、腫瘍が悪化したら、30万円と私の命を引き換えにしたことになる、私の命はそんなに安いのか。周りの人は、冥途の土産に、遊んで来いというし。
 結果的には、まだとりあえず生きているのですが、この旅行で、せっかく退縮しはじめた腫瘤が、また拡大して、加えて痛い。先生に痛いというと、痛い方が悪性腫瘍じゃない可能性が高まるから、痛い方がいいのだといって特にあわてた様子もない。結局、予定を一週間、早めてもらって、組織検査として、腫瘤からサンプルを取る手術の為に1月3日から一週間入院というスケジュールとなりました。酒をのむと痛くなるので、ここのところ1か月以上禁酒。先生は酒を飲んで悪いという理由はないとおっしゃいますが、痛いのはいやだから、徹底して飲んでません。旅行中に、一回ビールを飲んだら、たちまち痛くなって、その後、腫れてきてまったくいやな状態でした。現在の仕事は、ある先生の体内時計が狂うと、癌が発生するという<ネズミ>実験のメカニズムを解くことを手伝っているところです。海外旅行で昼夜が逆転し(つまり体内時計が狂って)、腫瘤が腫れて痛くなったということで、なんのことはない、今、解析している仕事を自ら<人間>で証明してしまったことになります。旅行から帰って、一週間もすると、ケロッと痛くなくなって、また退縮方向に向かっています。この腫瘤はなんやようわからん。切るしかないと腹をくくって、ブログを書きましょう。
この旅行は、ただ旅行して写真を撮るということ以外に2つの隠れた目的があります。
その1)
実は、一人のツアー添乗員さんの話が、私のスペインの旅、フランスの旅、中欧の旅、そして今回の南イタリアの旅、全てを結びつける原動力となっているのです。大変に影響力のある添乗員さんだったのです。彼はフランスの旅の添乗員さんで、かつて、建築家を目指していたそうです。 本来はツアーの企画をするえらい人なのですが、ピンチヒッターで、フロントに出てきたそうです。
建築様式からヨーロッパの民族や文化の流れをダイナミックに語ってくれました。

フランスの旅はノルマンディー地方を動くことが多く、ノルマン文化の話が、私の心を捉えました。モンサンミッシェルはロマネスク様式からゴシック様式へ変化するのですが、一部ノルマン様式が残っています。食堂の舟形の天井で、木製です。何もかもが石つくりの館にある木製の天井は印象に強く残ったのです。



<モンサンミッシェル、フランス、ノルマンディー地方>



<モンサンミッシェルのゴシック様式、フランス>



<モンサンミッシェルルのノルマン様式、フランス>

彼の説明でもっともショックをうけたのは、この地方を荒らしていたバイキング(ノルマン人)を防御するために、フランス王が最も強いバイキングの一族にノルマンディー地方を与えて、他のバイキングの侵入を防いだこと、それがノルマンディー公として現在も継続しているのです。さらに驚いたことには、ノルマンディーの一族は突如として大移動して、地中海のシシリー島に現れここを占拠したのです。さらにイタリア本土の南部を制圧して、大きな繁栄をイタリアにもたらしました。この繁栄の時代に、シシリー島にあったギリシャ、ローマ文化そして、ビザンチン文化にさらにイスラム文化、ノルマン文化の三者が融合して、華麗なる文化が生まれたのです。フランスで大騒ぎしたルネッサンス(刷新)とは、仰々しく恰好をつけているが、いってみれば、フランスがこの文化をまねして取り入れる過程にすぎず、もっといえば単にフランスにイスラム様式が混じり込む過程に過ぎない、どこが刷新だと言っている人がいます。この南イタリアのイスラム、ノルマンが混じった文化の創生こそがルネッサンスというべきでしょう。いつも日本人はキリスト教側から見ています。これは小さい頃からの教育でそうなってしまったのですが、イスラム側からみると、見方は全く違ってくるのです。
その後、このノルマン文化の混じった華麗な文化は結局南イタリアを占拠したスペイン人によりほとんど破壊されてしまったのです。インカ文明も壊すし、まったく、スペイン人は極悪人だ!! 今回の旅の一つの目的は、わずかに残った南イタリアのノルマン文化を見つけ出すことにあります。
その2)
ガラッと変わって、今回の旅は、<ペンタックス、limitedレンズの旅>と名付けてもいいのです。ペンタックス2台(K20D, K7)に、レンズは全てlimited単焦点レンズのみ。Limitedは長焦点側が77mmまでなので、例外的にペンタックス100mm マクロを加えました。limitedレンズというのは、数値性能の極限を追いかけるのではなく、撮影して出来た絵が魅力的であるとか、軽くて使った感じそのものが魅力的であるとか、そういう目標を掲げて作ったレンズです。私が多用している15mm limitedを最近買った雑誌で、あるカメラマンが絶賛していました。私が感じていることとまさに同じことをいっていました。このレンズ一本の為に、ペンタックスを買う価値がある。撮ろうと思った場面を、その時の思ったことをそのまま表現しくれるレンズだ。まさにそう思っていました。場面を正確に写すと言っているのではありません。感じたことをそのまま表現すると言っているのです。しかも小さくて軽いレンズなのです。
ペンタックス15mm limited, 35mm limited macro, 43mm limited, 77mm limited, 100mm macroです。ズームレンズは一本も持ってゆきませんでした。ずいぶん悩みましたが、結局、全部単焦点レンズで勝負しようと思い立ったのです。ズームレンズ全盛時代に、こんな人はいないでしょう。そうとうひねくれています。しかも、せわしない、ツアー旅行で。いくらカメラ2台使っても、最適な焦点距離を選択できません。たまたま、カメラに付いているレンズのこちらの頭を合わせて、絵を作ってゆくしかないのです。
なんで、そんなことを。理由の第一は、これまで撮ってきて、面白いなと思った写真のほとんどが単焦点レンズをつかったものであるという理屈抜きの実績。第二に★印ズーム2本に2台のカメラでは、中欧旅行はそれをやったのですが、重くてやってられません。
高倍率ズーム一本、フランス旅行でやったのですが、どうしても写真の質が満足できません。軽量ズーム2本でもいいのですが、結局2台のカメラを持つなら、単焦点の方がずっと面白い。とにかく、ズームは面白くないのです。単焦点レンズは一本一本個性があります。それが面白い。ズームレンズはどの焦点でも破綻しないようにつくるので、各焦点距離で個性を生むなどということは到底ありえないのです。レンズに個性なぞいらない、性能さえあればいい、被写体で個性をつくればいいとみなさん言うわけです。でもね、一回、単焦点一本一本にドキッとされられると、そいつを置いて旅に出るなどということは考えられないのです。
   今回は5本のレンズをランダムに使っています。均等な使用を心がけるなどということはしていません。その時その時で選んで、場合によるとレンズを変える余裕が無くて、無理やり使って、撮っています。数百枚の写真からブログ用に選択するときも、レンズを均等に選ぶなどということをしていません。単純に気に入った写真をのせています。最後に集計すると、どのレンズがどれくらい選ばれたか、これは面白い試みです。



K20D 43mm limited

アリタリア航空で12時間飛んで、ローマのレオナルドダビンチ空港につきました。グラディエーター(ローマ時代、将軍マキシマス、コロッセオ/剣闘士が沢山登場する)が面白かった。ローマは気温7℃と寒い。ここからまたアリタリアの飛行機でシシリー島のパレルモへむかいました。パレルモはさすが南イタリア、気温はローマよりかなり暖かい。

パレルモのホテルに夜中に着く。もう遅いのでバールで菓子パンしか売っていない。結構安くて、おいしいパンをかじりながら寝る。

11月24日
パレルモ、パラティーナ礼拝堂へ



K20D 15mm limited



K20D 15mm limited



K20D 15mm limited



K20D 15mm limited

現地ガイドさんがビザンチン文化、ノルマン文化、イスラム文化が融合したと説明する。私はしつこく、どこにノルマン文化が残っているのでしょうかと聞く。ガイドさんは同じことを繰り返す、融合した文化です。とうとう、ノルマンの痕跡はわからない。私はこの天井部分にバイキングの船の構造を感じて、ノルマンの痕跡と勝手に思う。ガイドさんは納得しない当方をうるさいやつと思ったにちがいありません。

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