小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その5 九谷焼―2

2020-04-04 17:04:13 | 旅行
Newアート考察3 伝統工芸に<革新>はあるか? 必要か? その5 九谷焼―2

2020-2-6
九谷焼2日目です。能登島ガラス美術館をたずねてから、金沢にもどり、再び九谷焼探検に挑戦しました。能登島ガラス美術館の話は次回です。
まずは、金沢百番街にある九谷焼諸江屋さんをたずねました。創業文久二年、金沢の老舗。





店のご主人(大旦那かな?)と話しているうちに、だんだん調子に乗ってきて、店の隣にある特別なショールーム、ご主人の自慢のお宝を置いてある部屋に案内してくれました。わざわざカギを開けて案内してくれました。

以下は、ご主人のお気に入りの大家の作と新人の作です。いろいろ説明していただいたうえに、お願いして、作家さんの名前までメモしてもらいました。ご主人は、九谷焼は過去に真実があり、最近の作はやたら派手、きらびやかになって受け入れられない。過去の九谷焼の真実を知ったところから、新しい九谷焼が始まるのだ、そういう新人が生まれているとおしゃっていました。


硲 伊之助 1895年~1977年 東京生まれ。アンリ・マテスに師事し、本格的に油絵を描くが、晩年、古九谷と出会い、日本の色彩絵画の系譜に連なる九谷色絵磁器を制作する。


硲 伊之助


米田和1949年~ 岡山県生まれ

数々の賞を受賞している現役陶芸家。今年の第8回菊池ビエンナーレでも入選しています。身近な自然を温かな眼差しでとらえて描く九谷作家さん。この絵はクレーみたいだから撮影したのだけれど、最近は黒釉で象徴的に表現し、九谷焼に新しい"白と黒の世界″を拓く。とっても人気の高い女流作家さん。娘さんも陶芸家。

考えてみたら、古典的九谷上絵具には黒は無いのです。よく見てください、他の九谷焼には黒っぽい色はあっても黒は無いのです。当方も九谷上絵具の黒を持っていません。通常、黒は黒呉須といって、下絵具に相当する黒を下塗りとして使うのです。現在は無論、黒上絵具は存在しています。硲 伊之助さんは別で、もと画家さんですから、黒を大胆に使っています。米田和さんは九谷焼で黒を全面に出してきたということは、冒険しているということです。


米田和 黒描鳥花文鉢 ネット情報


松本佐吉(1884~1942)能美郡寺井町に生れ。五彩の色絵を駆使して世にいう「青九谷」の美しさを追求。九谷焼の名窯、松雲堂4代を継ぐ。色絵九谷の本流を貫く。


松本佐吉

こういうモダンな雰囲気の青九谷は好きだな。これはそう高いものではありません。こんなのを部屋において、ばさっと造花を放り込んだら面白い、そうだ自分で作ってしまおう。


北出塔次郎(きたで とうじろう): 1898年~1968年 兵庫県有馬郡三輪村生まれ。現代九谷を確立した巨匠。「模様から模様を作らない」という写生を重んじる富本憲吉氏(人間国宝)の製作態度に、大きく影響を受け、富本氏に師事する。


富本憲吉の影響大ですから北出塔次郎の作と思います。富本憲吉より魅力的といったら怒られるかな?


宮本忠夫(みやもとただお)
1928年~、京都生まれ。石川県無形文化財保持者、独自の図柄を精緻な線描と美しい色絵で見事に描き出す。細密画の極致ともいえる業ゆえ、制作にも相当の日数を要し、一年間でできる作品は十数個で目にする機会は極めて少なく、「幻の九谷」と称される。


? これ魅力的だけれど、誰の作かわかりません。よく見るとこの蝶の描き方はすごいですよ。2枚の羽根の形、羽の裏と表、筋のいれかた、5色くらい使ってグラデーションをかける。このグラデーションはとてもショックなのです。ここに載せた他の九谷焼をみてください。九谷上絵具は盛り上げてのせてゆくもので、水彩絵の具のようにさっと濃淡が付けられないのです(これが、絵画のように描けないネックで悔しい思いをするのです)。よって囲われた領域に一色をのせてゆき、アクセントに一色の濃淡をつけることは多用しますが、複数の色のグラデーションを積極的に使うことははなから頭になかったのです。出来るかどうかわかりませんがやってみましょう。





中荒江 道子


中荒江 道子 1989年~ 福井県あわら市生まれ。京都伝統工芸大学校陶芸科卒。パリパリの新人。 古典的な絵柄と若い感性が同居した、印象的なデザイン。アンティーク品と思われる方も多いほど高い技術に若い感性が宿る。
ご主人は古典を理解するところから本当の九谷焼が始まるのだと言って、この新人に期待を込めていました。 せっかく九谷を買うのだから、一つは古典的な器もいいだろうと思ってこの器を買いました。この器はお酒に合わないのか、何故か手に取る頻度が高くありません。中荒江 道子さんはまだ、心が遊んでいないのかな?


中荒江 道子


中荒江 道子 ネット情報




橋本薫(はしもとかおる)1949年~  九谷の古典的な要素を踏襲しつつも、現代の生活に馴染む優しいタッチの絵付け。ベテランですが、自然の優しさを感じる、繊細な女性らしい感性が魅了的。 ご主人はこのような古典的要素を持つ作家さんが好きなようです。当方はこの器を買おうか、中荒江 道子さんの器を買おうか迷ったのですが、1万円は出せませんでした。しかし、この作家さんは買うべきでした。


橋本薫  ネット情報  自然の捉え方がとてもいいです。


ご主人はこの他、新しい方で河島万璃(かわしままり)さんを推薦していましたが、作品の写真が見当たりません。

諸江屋さんは楽しいひと時でした。

次に、香林坊商店街の九谷焼 長寿堂に向かいました。ネット情報ではなにか新しい動きが発見できるお店とみえたのです。しかし、写真撮影禁止、お店の方に九谷焼の新しい動きを教えてくださいというと、店の女性はなにかめんどくさいお客だなという感じで、あしらわれたので、何も買わずに早々に退散。

これまでか、と九谷焼探検はこれで打ち切り。

炙りノドクロ握りに魅かれて金沢駅ビルのお寿司屋さんに入りました。カウンターに座ると、隣の方は中国語で次から次へと注文しています。いまさら逃げることもできません。帰り際にお店の方が、どこから来たのかと問うたところ、台湾ですという返事でした。本当か否かは不明。そりゃ武漢とはいいませんよね。この時からすでに1か月以上たっていますから、この時のコロナ感染は無かったようですが、コロナ感染はロシアン・ルーレットであることを強く実感したのです。

金沢は新幹線ができてとても大きく変貌しています。陶芸案内の本に出ていた九谷焼のお店のいくつかは発見できず、その場所には大きなショッピングセンターが出来ています。グッチだルビトンだというブランド店が並んでいます。当方には九谷焼は思ったより苦戦しているような印象を受けました。伝統的工芸品という意味で、インバウンドの需要があり伸びていると思ったのですが、どうも海外に受ける状態になっていない。国内の観光客も理解する人が少ない。九谷焼は必死の転換を図る方向と、あくまで伝統を守らないと九谷焼そのものが消えてしまうという方向が拮抗しています。圧倒的な京焼のブランド力に対抗するために九谷焼は長い長い必死の努力をして今日があるのです、と諸江屋さんのご主人は言います。この確立した世界が再び窮地に立っているでしょうか? 
九谷焼というのは焼き物の中でとても特殊な存在なのです。当方がなぜ上絵を使っているかというと、陶芸の中で、最も絵画的だからです。陶芸にたずさわるプロもアマも上絵を使う人は決して多くない。陶芸の本質から見ると九谷焼は異端なのです。九谷焼はこのレポートの最初に設定した課題の<伝統工芸とアート>の対比の狭間にあるのです。
金沢の九谷焼のお店を5軒訪ねました。内2軒は撮影禁止、あいそない対応。3軒は撮影ウェルカム、楽しい会話とはっきりと2分されました。これが、上記2方向の分断とほぼ一致します。さて、九谷焼はこれからどうなるのでしょうか? また最後に議論しましょう。

次回から2回、ガラス工芸の展示会に関してのレポートです。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Newアート考察3 伝統工芸に... | トップ | コロナ対策 2020-4-6 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事