小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

東北被災地復興支援ツアー その2

2012-12-13 22:57:54 | 旅行
東北被災地復興支援ツアー その2

本日もカメラは富士フィルムX-E1+ソニー・ツアイス・バリオゾナー16-80mmです。
そういえば、ソニーの方がソニーRX1が色々賞をとったといっていました。写りの評判もいいようです。これもツアイスレンズのおかげと思います。

さて、毛越寺の続きです。



大泉ケ池、左に荒磯の風情を表す出島と池中立石が見えます。





嘉祥寺跡



常行堂、ここで<毛越寺の延年>の舞いが行われるのです。



常行堂



中学3年の修学旅行で、ここに来たことを覚えています。 当時は何かカメラをもっていて、ここを撮った写真を覚えています。この後、旅にはカメラを持たないという主義に変更して、長い間、写真を撮りませんでした。子供の写真を撮るようになって、ミノルタ一眼レフを2代くらい使っていました。その後またカメラが面倒になってデジカメ、これがツアイスレンズの付いたソニーサイバーショット。そして今は結構一生懸命に写真を撮るようになりました。当時の大泉ケ池の方がきれいだった記憶があります。 今は冬で芝生が枯れているし、池を部分的に修理していたり、冬場はどこも一年分の修理をする時ですからしょうがないですね。
毛越寺から、バスでちょっと走ると中尊寺です。



中尊寺の参道の入り口にある弁慶のお墓といわれる場所。



この表参道を月見坂といい、樹齢300~400年の杉並木があります。これは江戸時代に平泉を治めていた伊達藩主により、植えられたそうです。戦国時代は秀吉が、中尊寺の秘宝である、金銀字一切経、金字一切経などを京都に持ち帰り<中尊寺経>として高野山や観心寺にあるそうだ。それに比べて、伊達家は中尊寺を厚く保護し、色々な御堂や能舞台をつくったそうな。ぼろぼろの中尊寺を立て直したのは伊達家であり、今、金色堂が残って、平泉が世界文化遺産に登録されたのも伊達家のおかげといえます。





月見坂の途中にある弁慶堂です。 この屋根、中央にベロッと平板の流れがあって、サイドとつながるところが毛越寺の本堂に似ているでしょ。



結構、立派な彫刻がほどこされています。



弁慶堂の裏にある地蔵院の入り口に黄色い紅葉が残っていました。



坂の途中にある望古台からみる北上川。その昔、安倍氏時代には桜がいっぱいあった束稲山(タバシネヤマ)が見えるはずのですが、全く見えません。



これが中尊寺、本堂。明治42年再建。雪つりがきれいです。 高野山から分灯された、<不滅の法灯>が守られているそうだ。







阿弥陀如来が安置され、お堂の彫刻や天井がかなり凝っています。



本堂隣には峯薬師堂があり、薬師如来座像が安置されている。
当方は其の前の小さな池の落葉のパターンに魅かれる。








さて、いよいよ金色堂です。

金色堂のくわしいことはまた明日。
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