サーファー院長の骨休め

“ビッグマッサータハラ”のライフスタイル

養生館

2020-04-04 | Weblog
「養生館」

1988年頃から6年半の間、修行していた場所だ。


ここに弟子入りする前、大井町の「西湘アスレチッククラブ」というスポーツクラブの中のサウナでマッサージ師として働いていた。

まだ、専門学校の1年生で、最初は、サウナの接客業のアルバイトとして入り、サウナ内のタオルの取り換えやカウンターでビールや食事を出す係として働いていた。

その仕事の合間にマッサージ室に出入りし、先輩にマッサージを教えてもらった。



2年生になるとマッサージ室で働かせてもらえるようになった。

そこへ養生館館長がお客さんとしてマッサージを受けに来ていて、スカウトされたのである。



最初の一年間は、小田原栢山の治療院だった。

資格は、取ったものの技術は、まだアマチュアで、サウナでの経験は、全く通用せず、治療となるとまるで勝手が違った。

新人は、洗濯、掃除、受付業務、先生や先輩たちの食事の用意などしかやらせてもらえなかった。

治療中は、隅に立って治療技術を見学し、治療時間が終わると夜、練習をする。そんな毎日だった。



その後、栢山の治療院が手狭になり、南足柄塚原に引っ越し、写真のような広い治療院になった。

スタッフも10名以上になり、弟子同士切磋琢磨した。

先輩たちは、次々と卒業し、国に帰り、日本全国で独立していった。

ここにいる人は、皆将来独立を目指して仕事に励んでいた。



診療時間が終わるとベッドを片付け、空手道場になり、近所の子供たちに空手を教えた。

弟子も空手に参加した。



そんな体育会系武闘派治療院だったから、恐ろしいくらいの活気がある。

入口を開けた瞬間、そのエネルギッシュな治療風景にそのまま後ずさりして帰ってしまう患者さんもいたほどだ。



写真は、同じTシャツを着て、スタッフ同士技術を磨いている風景だが、矯正をしているのが、私だ。

ここに写っている人は、皆どこかで開業している。


「サーファー院長の骨休め」2013年バックナンバー:「修行」(興味のある方は、読んでください。)→こちら




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