日盛りの道の上で

日々の日記と家族のこと、仕事と趣味、雑感少々

働くということ

2009-10-28 20:27:42 | インポート
 日も一日お疲れ様でした、まだ残業で会社に残っている方もいっぱいいると思いますが、とりあえず私の今日はいつもの一日で終わりそうです。

 校を卒業して以来30年以上働いて来ましたが、その行為について突き詰めて考えたことはありません、両親も当然働いていましたし、何より働かなければお金がもらえないし、食べ物や衣料をはじめ家族や自分が必要とするものを買うことができません、つまり生きることができない。

 日私の82歳になる母を病院へ連れて行きました、2日ほど前から胸のむかつきと、頭のふらつきを訴えていて、1日目は、町の医院で簡単な診療と点滴をしてもらい特に心配なことはないということで帰って来たのですが、まだ頭のふたつきが取れないということで、精密な検査を受けたほうが良いのではないかと思ったからです、とりあえず今日の検査では異常はなかったので少し安心したのですが。

 は第2次世界大戦中に青春を送り、60年以上農業をやってきた働くことの強者です、ボロと言えるような粗末な作業着をいつも着て、手の皮膚はなめした皮のように厚く強く、日差しを浴び続けた顔は深い憂いを含んだ皺が刻まれ、老いたライオンのように畑に伏して作物の世話をしています。

 は働くということのあいまいな意味をこの母の生き方に重ねて見ています、それは幾千万の言葉より現実の重さがあるように思うからです。