空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

9歳の哲学

2006-12-15 14:25:28 | こころに残るはなし
朝日新聞の『ひととき』欄に載っていた投稿です。

 ―*―*―*―*―*―*―

 ある朝のことです。フルタイムで働く我が家のシングルマザーの娘に代わり、小学校3年生の孫息子の朝の支度は、私がしていました。
 朝食のデザートに、山形から届いたラ・フランスを出してやると、「おいしい、おいしい」を連発。「朝ごはんをおいしく食べて学校に行けるなんてしあわせねえ」と言うと、しばらく間を置いて孫が言いました。
 「しあわせっていうのはもっと違うことなの!ぼくの考えでは、いのちがあることをしあわせっていうの」と。「まあ、すばらしい。校長先生が朝の会でそういうお話なさったの?」と聞けば、「2年生のとき、本を読んでいて、世界で一番大事なことは何かなって自分で考えたんだ。ぼくにいのちがあることがしあわせって考えた。」「そうね、だからお友達のいのちも、みんなのいのちも大事だね」
 すると、また少し黙ってから言いました。「それも少しだけ違うの。自分のいのちをみんなが自分で大事にすればいいんだよ」
 9歳なりに精いっぱい考えているんだ。子ども扱いしちゃいけない。私はしばし言葉を失いました。
 父親と離れて、アメリカからやってきたこの子の育ちゆく先に平穏あれ。そう祈りながら、小学校に向かうランドセル姿を見送りました。
            
     (東京都練馬区 杵渕 智子 市民団体役員 73歳)

 ―*―*―*―*―*―*―

今子どもである子どもたちはわたしたちよりもさらに
進化した子どもたちだと思うことが多々あります。
その直感の素晴らしさは
ますますオープンになってきている感触がします。
ほんとうの意味の強さとやさしさを兼ね備えた
新しい人類の予感がします。
この子が自分の中でたしかめておばあちゃんに
「もっと違うことなの!」という感覚がわかります。
少し黙って「それも少し違うの」と
言いたくなったわけもわかります。
一番の本質にまっすぐです。
それがあって、おばあちゃんのいうことが現われてくる。
・・・(^-^)子ども扱いどころではありません。
それはお釈迦さまに説法するようなものかもしれません。
そして、子どもや孫に平穏あれと願うのは世の常ですが、
ほんとうのしあわせからするとそれはどうでしょうか。
成長するための試練ならそれはあることを願う方が
厳しくもほんとうの親心かもしれません。
この方はとてもよきふつうの市民の方です。
けれども時代はさらに本質へと向かわざるを得なくて、
そして、子どもたちはそれを教えに来てくれているようです。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
(|||ノ`□´)ノオオオォォォー!! (Suiren)
2006-12-15 16:02:39
激しく同意!!!!!!

私のブログでブックマークしている、イオンさんの所とか、ぽこりさんち、その他もろもろ、子供たちの感覚が私たちが育った時代とは雲泥の差になりつつあるの。

過渡期

そんな感じ。
私たちが生きている間に、この変化を目の当たりにできる幸せに震えがきます。

これらの変化が、一体どういう未来を示唆しているのか・・・問題は深いですよね。

ああ、うれしいなあ~~ヽ(  ´  ∇  `  )ノ ワーイ
返信する
過渡期 (ben-chicchan)
2006-12-18 00:26:25
という感じはホントひしひしと感じます。
だから一見ヒリヒリするようなことも起きます。
でも、そこを超えないと新しい地平も見えないのでしょうね。

いろんな意味で震えもきます。ハイ。

ダケド、子どもたちの真ん中のいのちの輝きに励まされ、
明るい未来も感じさせられる今日この頃でもあります。
返信する

コメントを投稿