空色野原

空の下 野原にねころんで つぶやく

聖徳太子

2007-11-25 22:10:06 | プロフィール
今晩は聖徳太子のTVをやっていて
別の局でも聖徳太子という文字を発見し
思い出しました。

あれはたしか2001年の2月あたり。
3月にメキシコへ行くかどうか決める旅で、奈良へ行きました。
そこで出会った聖徳太子はいまだに強く印象に残っています。
行く前に五重の塔の夢を見ましたが
法隆寺にその頃さほど関心はなく、あまり情報もなく行ったところ
あまりにも素晴らしい場なのにオドロキました。
日本で最初の世界遺産というのもうなずける。

法隆寺で洗礼を受け、その後立ち寄ったのが橘寺です。
ここは聖徳太子誕生の地で
推古天皇の命により、三日間太子がお経を上げられたとき
いろいろと奇跡がおき
[庭に蓮の花が降り積もり、南の山に仏頭が現れ光明を放ち
太子の冠から日月星の光が輝いた]
天皇が驚いてこの地に寺を建てよと命じたと逸話が残っています。

何が祀ってあるのかわからないままに
本堂の右端から木像を拝んでいったのですが
その右の3体の木像の真ん中の像がどういうわけか存在感が大きく
前に立っていると“私”がなくなってゆくというか
頭から言葉や考えが消えてゆき
しーんとしてなおかつ大きなエネルギーの最中(さなか)に
自分が存在するというか。
言葉にはしにくいけれど強く圧倒されたのでした。

ぐるっと本堂を回り
ご本尊も拝んでもう一度間近にさっきの木像の前まできたときに
「あっ!」と思ったのです。
それはたしか鎌倉時代に作られた太子16歳のときの木像で
間近に来るとさらに圧倒的な存在感をはなっています。
寺の壁もなく、まるで宇宙にいるようでした。
ひとことで表現する言葉がすぐに内側から湧いてきました。

それは、“和”そのものだったのです。

太子の有名な十七条憲法の「和をもって貴しとなす」のまさに
“権化”とでもいっていいような波動だったのです。

それは意外にも予想に反して圧倒的な“強さ”であり
宇宙的な大きさでした。
“和”というものがこんなにも強大なエネルギーであることに
心底驚き、打たれました。

この木像を彫ったとき
もちろん彫師は聖徳太子を想いながら彫ったことでしょう。
聖徳太子を想うということは
このエネルギーの“よりしろ”になるということであり
この木像はひと彫りひと彫り息吹きを吹き込まれ
いのちを持ったのかもしれません。
また、聖徳太子にゆかりの深いこの地に
この木像をよりしろとして今もその発信元から燦々と
エネルギーが降り注いでいるのかもしれません。

3年後
聖徳太子の御廟がある叡福寺を訪れたとき
1400年のときを超え
今もありありと圧倒的に存在するそのエネルギーに打たれました。

弘法大師の御廟の前で頭がぶっとんだように
言葉も吹き飛ぶ大きさです。

まさに、21世紀型の、21世紀にふさわしいような“つきぬけた”人が
日本には1400年前にすでに出現していた。
法隆寺が日本最古の木造寺の遺産でありながらあんなに宇宙的なのは
“未来”の寺だからなのかもしれません。

*写真は国宝 天寿国繍帳(部分) 飛鳥時代・7世紀 奈良・中宮寺蔵