*写真は千葉県から望遠で撮った元旦の夕暮れ。
よく見ると建設中の新東京タワーが写っています。
去年末はクリスマス(25日)から帰省しましてごぶさたをいたしました。
初春のお慶びをもうしあげます。
いよいよ(?)2010年です。
10年代の大台に乗るキリのいい年です。
今までの9年とは違えてみる、スタートにいい年かもしれませんね。
干支は寅ですが、亀のようにいっぽいっぽ着実な歩みを渇望するような・・。
そんな“時代の気分”と、自分もそんな歩みの予感を感じる年明けです。
まだ先だと思っていた2012年の声もまたぞろ聞こえてきた今日この頃。
マヤの暦が2012年で終わっているから世界も終わりだと以前からささやかれ
ささやくどころか派手に映画もやっていました。『2012』
(観ました。思ってたよりナカナカある意味いい映画でチョットおどろき)
ですが、ようやくなにかその『暦』の意味がなんとなく腑に落ちるような・・
そんな昨年末のふとした日があったのです。
暦がなくなる、というのは
過去と未来と今を分ける必要がなくなるということで・・
2000年から感じ始めた『過去と未来と今が同時に存在する空』の頻度が
年々増えて来ていたことに先月気づきました。
果てしなくひろく、あかるく清潔で深く、やすらかで澄んだ空です。
それは未来が明るいからそうだと思うのですが
未来と今を隔てる壁はあるようで実はなく
その未来を感じるとき、今のどんな状況も汚くも暗くもなく
ある環境のシフトで、そうであると実感させられるひとびとが
『百匹目の猿』のように一挙に増えるラインが2012(2011という説もありますが)
なのだろうかと。
なんのことやらわかりませんね。
かんたんにいえば
今をただスナオに生きるひとが増えるんじゃないかと。
過去にも未来にも縛られず
明日滅ぼうが今日死のうが
過去も未来も同時に存在する今をせいいっぱいただいきるだけ。
元々そうであったのを思い出すだけ。
過去と未来と今を分けてそれぞれに執着してきた時代の終わり。
だけど、実が熟れるように環境(時代)が整っても
分けることに執着が強ければ、変化はゆるやかな時差があるのかもしれませんね。
わたしが2010年キリがいい、なんて区切っているように
進化の煮詰まりを仕切り直すために、ひとは新年を創り、世紀末を創り、時間を区切ったんでしょうか。
でも鍵はすでに開かれていて
西部の酒場の扉状態。
タイムマシンはなくても
どこへでもゆけます。