場所っプ

トリオフォー&素人の乱シランプリそして場所っプ山下陽光の日記bashop77@yahoo.co.jp

電車女とフランス文学

2005年02月14日 23時51分52秒 | 場所っプ
今日食った昼飯レストランのおばあちゃんが良かった。R75位の年令でもちろん制服なんて着ちゃいない。俺がハンバーグ&カキフライ定食を食っていたら、俺よりも先にいた客が「水下さい」と言った。おかわりではなく水が来てないようだ。それに対しておばあちゃんは謝るでもなく「はーいどうぞ」とサービスしてやった感じ。悪気もなければ悪い気もしない。ただナンセンスなだけ。運ぶのが疲れるのか、すぐ空いてる席に座る。だらしない店だと店奥が店員の席として生活感と私物であふれるが、このばーちゃんshopのばーちゃんの場合はとにかく席があいていたらどこにでも座る電車ばーちゃんと同じである。それでも一応レストランだから客がハンバーグエビフライセットをたのむと厨房にむかって「はいエビバァー」と略す。
スパゲティ-を注文した客がいた。それで電車女は「スパゲペー」と言いやがったよ。
「ティー」がレストラン厨房語と無関係に「ペー」になってんですよ年のせいで。
メシを喰いながら電車女と妄想で話す。

「あんた、そんな事言ってけど、昔はあたしだってオリーブモデルだったんだからね」
「マジっすか?オリーブが創刊したころすでに40代って感じしますけどホントなんすかソレ?」
「何言ってんだい、あたしゃYOUと同期なんだから、あー懐かしいわね、シティーボーイズの連中とはほとんど寝たわよ。大竹が一番良かったわ」
「それ本当だとしてもおしゃれ自慢じゃないすよね」
そんな話を頭の中でくりひろげながら、ぼーっと電車女を眺めている。また違う席に座っていた。

さて、昨日宣言した、傾倒しまくったハンズフリーフランス文学です。
澁澤あたりから入ったかどうかは思い出せませんが、とにかく若い頃はフランス文学を読みあさったものです。目黒のゴミ捨て場で拾った1冊の本との出逢いが僕をあっち側に連れていってくれたと言っても過言です。
その本は仏文の王道と言われるフランス書院から出版されている本で、タイトルは「僕のママ、友達のお姉さん」という本で谷川俊太郎じゃない人が訳を書いています。
主人公の母が芸能人で友達の姉がレースクイーンという一見どこにでもよくある、いわゆる「あるあるそのシュチュエーション」というリアリズムな話なんですが、やはり普通の文学はどこかに「だったらいいなぁ」という作者や読者の意図が入り込みますが、やっぱりそこがフランス文学の凄い所で、親が芸能人という誰にでもあるような七ノ助っぽい設定で、「信じるしかない」という読ませ方とか、息子に恋してる芸能人の親という設定とかで、とにかく読みやすく。男なら授業中に誰もがやったエロ言葉国語辞典調べで身につけたボキャブラリーをあっさりとひっくり返すような、難解エロ言葉の連続で、おかげで「クロッチ」という言葉でギンギンに反応する身体になってしまいました。やはり小説を読みながら、いわゆる行為をするのは簡単で、「文字じゃ説明しづらい」という言い訳で恥ずかしさから逃走したいと思います。

我が家の毛玉パソコンがコメントが書けなくなっていて、コメントを見るだけでもエラーの連続で困っております。MOPPさん結果報告お待ちしております。最悪のらねろshopで購入してもいいんじゃない?

学芸大のタンクガールとTFS様へそれぞれいつもの場所にブツをぶち込みましたが、タウンページがリニューアルされているので、今回からいままで954だったページをヒックリかえした459ページにぶっ込んであります。

実写版パックマンをやってあの娘を再生

2005年02月14日 02時26分40秒 | 場所っプ
最近は日記らしい事を書いてないのでここ最近のことちらりと、、
友人が映画を作るという事で手伝い&ミーティングをする。映画なんてよくわからないけれど台本をもらって、いろんな用意とかが物凄く大変そうで、この人とこの人のスケジュールを調整してそれに必要な小道具やロケ地を探したりとか手間がかかって大変そうです。いい作品が出来るといいなぁ。週末は3回もフリマに行ったけれどまともな収穫がなかった。しかしフリマでよく逢う人達に逢っていろんな事が聞けてよかった。福岡のエジソンから電話があってスワンキーズのチケットを送るので住所を聞かれる。チケット代×枚数と手数料300いくらと送料がなぜか1000円かかるとの事。俺がしってるチケットは紙で出来ててぺらぺらで送るのに80円位しかかからないと思うんだけどなぜか1000円かかるらしい。もちろん文句とかないんですが、「なんだかなぁ」という気分にはなった。と書いておこう。

さてみなさんは実写版のパックマンというゲームをやった事があるでしょうか?
例えば、これはもう例えばと書くしかないんですが、これからやたらと「例えば」と書きますが「例えば」でもなんでもなく、実際の話です。ただ立場とか恥ずかしさをどうにか保つ為だけに儀礼的に「例えば」と書かせてもらいます。

例えば、友人(女性)が働いているビデオ屋でビデオを借りる場合に「トレインスポッティング」を借りるのであれば、店に入って借りてくればいいんですが、ちょいと恥ずかしい感じのビデオというか、大事なキーワードすべてに斜がかかってるというか、大事な部分が隠れて見れなくなって
いるビデオを借りる場合はやはり、その友人にバレないように入店し、ばれないようにそのコーナーに忍び込み、こっそりコーナーで会計を済ませて店を出てこないといけません。
どうしてもその日は本質意外の部分を見ていろんな想像と行為をくり返したかったので、その友人が働いているだろうなぁという予想は的中するのはわかっていたんですが、案の定その人は働いていて、忙しそうに返却されたビデオを棚に戻したりしてたんですが、バレないように入店。そのビデオ屋のこっそりコーナーは店奥の階段をのぼった2階にあるんですが、その楽園に行くにはあまりにもハードルが高くて、1階のビデオ棚で足止めをされながら、相手の出方を伺いつつ、隙を見つけてどうにか2階に行こうとするのですが、パックマンの意識としてはこっちの存在にまるで気がついていなくて、物凄くわがままな動きにハラハラドキドキで、ビデオを手にとって、棚と棚の間から盗み見ながら用心深く偵察。しかも自分が手にとったビデオが2本組の「ベンハ-」だったりして筋肉痛になりそうな程重い。
何十回もの遠回りをしてどうにか楽園へ進む。「今週は忙しいけど、来週ならあんたに借りられてもいいわよ」という口約束をしていた年上の女を店員に小銭を支払ってどうにか店の外に連れ出すが、店の外に連れ出しただけだとまだ年上の女は粘着力のないビニールテープのような状態で、そのビニールテープみたいなのを我が家のビックリマン憧れの機械のヘッドにこすりつけてスクラッチさせて火花のような画像を管直人とチャーリ-ブラウンとのあいだに出来た子供「ブラウン管」に写しだしてどうにか再会する。年上の女をハーフの子供で見るのにパックマンと戦った苦労は何の関係もないはずなんだけど、苦労して手に入れた感がよりいっそう感激の涙の量を増やしてくれる。 シゲキとスリルはいいもんですね。
明日は俺が傾倒しまくったハンズフリーのフランス文学について書いてみます。