真珠湾とワイキキとバックトゥザフューチャー
日本が奇襲攻撃した真珠湾から75年。
10月に妻の兄の結婚式でハワイに行った。
家族親戚旅行も兼ねていたのに、真珠湾にあるアリゾナ記念館に1人で行ってきた。
長崎の原爆や広島のアトム書房を調べるにあたって、色んな資料や当事者に会って話を聞いたり検証したりしたけど、そもそもなんで日本とアメリカが戦争したのかを考えたら、1941年12月8日の真珠湾攻撃になる。
日本で生まれ育って、原爆ふざけんな戦争ふざけんな。アメリカ冗談じゃねぇと思っていたけれど、真珠湾に来ると考え方が少し変わった。
今までは日本の被害しか観てなかったし、教わってないんだけど、日本の加害と勝戦者視点での展示。
突然奇襲されるのは、今住んでる長崎県の大村市に爆弾落とされるようなもので、これはとんでもない。怒るにきまってる。
その怒りから勝利までをハワイの空の下でスコーンと明るく展示してあって、長崎や広島の暗さは全くない。
とにかく明るい。
沈没している軍艦の上に追悼の建物を建ててそこから溢れ出る重油を観る為に船で行く。という展示に何もかもが日本と違う事を認識した。
船でこの白い横長の建物に乗り付けて、そこから溢れ出る重油を見る。
斬新すぎる展示に驚いた。
その後、ワイキキビーチに行くと75年前にそんな事があったなんて信じられない平和がある。これは長崎も広島も日本にある戦後を感じられない幸せな良い事。
ワイキキはもともとビーチではなく、砂を運んでビーチが作られて、世界有数というよりも主に、日本人にとってのリゾート地になったし、
アロハシャツも日本の着物から作られたと言われている。
アロハシャツの歴史とハワイのリゾート地の歴史的背景のリサーチをして、真珠湾攻撃があったのに何故ハワイは日本を受け入れたのか?を調べたい。
真珠湾攻撃以前のハワイと日本。真珠湾攻撃以降のリゾート地になっていく過程で、なんで日本人がハワイをリゾート地にしていくんだ?という反発の感情もあったと思うので調べてみたい。
ハワイのアロハシャツの始まりと進化についても調べたい。
日系人の着てた着物をリメイクしてアロハシャツが、出来てハワイの服として定着していった。
その後、日本人が、アロハシャツを作っていく内に、ハワイでは本物を作れないと気がついて、それでもメイドインハワイのタグを付ける為にやった事は、机上の空論をそのままアートにしたような事だと思う。
このリンクに最先端の机上の空論の実践が書いてある。
中国や、韓国、日本で作れば、、、
輸送費もかからず、低賃金で(日本除く)、関税もかからず、、、
もう少し上のレベルが狙えたかもしれませんが、「全てハワイでの生産」にこだわってみました。
http://www.waku2.com/shop/page/size/size-paradisestyle.htm
アロハシャツはハワイで作るよりもアジアで作る方が高性能で安く作れる。
今、ニッポンの手仕事とか言われてる感じの更に先を行く感覚で、ハワイは南国だから仕事が適当すぎて、すぐに手を抜くって書いてある。それがハワイらしさなんだけど、どうにかメイドインハワイのタグを付けたいので、ほどほどにサボってもらえませんかね〜と命令しながら作ってもらう感覚って、これ何?
どこに着地していいのか、わからない最先端感覚。
まだまだリサーチしないといけませんが、この感覚にとても近いのがバックトゥザフューチャーと日本の関係で、バックトゥザフューチャーが公開された80年代はソニーやトヨタなどの日本製が台頭していて、アメリカ製の家電や車が、追いやられてきていて、映画の中でも日本製を腐すようなシーンが何度か出てくるけど、バックトゥザフューチャーは日本に愛されまくっている。
日本が真珠湾攻撃をしたハワイは英語が必要ない程に日本人だらけで、日本の観光地になり、日本製否定しまくった映画バックトゥザフューチャーを愛しまくる日本人。
この辺りに今の日本と中国のモゾモゾする関係のヒントがあるような気がしていて、日本製の炊飯器を買いまくる、爆買いという言葉の否定的なイメージがあるけど、中国からは友好に見えていたりとか、ハワイとバックトゥザフューチャーと日本の関係を思い出しながらリサーチしなおして、日本と中国の超いい感じをリサーチしたい。
日本大好きをこえて、一度その技術を流してまた逆輸入で返ってきたら面白い。
炊飯器を瀑買いしてると思ったら、日本製よりも安価で超美味い炊飯器を16000円で作ってるシャミオ
開発してるのは元サンヨーの日本人技術者。
そんな事もあって日本の銀シャリ界の定食屋のヤバいおっちゃんが中国で美味い銀シャリ作りてぇーと中国行きを決意する2つのニュースを読んだら、アロハシャツと日本人の関係や真珠湾とハワイと日本の感じが重なって見えてくる。
【上海余話】「日本製よりうまい」小米科技(シャオミ)の炊飯器 「爆買い」にブレーキ? 開発者は旧三洋電機部長
https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/column/amp/160419/clm1604190006-a.html?client=safari
日本の「飯炊き仙人」が中国に来るぞ!中国で電気炊飯器をめぐる動きが加速-サーチナ
http://news.searchina.net/id/1608676?page=1
銀座にある
一冊の本を売る店
森岡書店の森岡さんの著作
荒野の古本屋
https://www.amazon.co.jp/荒野の古本屋-就職しないで生きるには21-森岡-督行/dp/4794968450
の68ページにも真珠湾攻撃について書いてあります。
森岡さん独自の方法で戦争に触れていくスリリングな体験記です。
なぜ戦争を、したのかを調べる為に、当時の気持ちになる。現代のメディアを遮断し、1941年以前の建物に住み、古本を買い漁り、中野クラッシックに通い1941年12月8日から1週間遡って、12月1日から8日までの新聞をその日に合わせて読んでいく体験記が、その時の事に重なって行ってる感じが行為のコスプレと勝手に呼んでいるのですが、たまらなく、当時になって、当時の気持ちになれていく過程が読めるので是非。
真珠湾とワイキキとアロハシャツとバックトゥザフューチャーを調べまくりたい。
日本が奇襲攻撃した真珠湾から75年。
10月に妻の兄の結婚式でハワイに行った。
家族親戚旅行も兼ねていたのに、真珠湾にあるアリゾナ記念館に1人で行ってきた。
長崎の原爆や広島のアトム書房を調べるにあたって、色んな資料や当事者に会って話を聞いたり検証したりしたけど、そもそもなんで日本とアメリカが戦争したのかを考えたら、1941年12月8日の真珠湾攻撃になる。
日本で生まれ育って、原爆ふざけんな戦争ふざけんな。アメリカ冗談じゃねぇと思っていたけれど、真珠湾に来ると考え方が少し変わった。
今までは日本の被害しか観てなかったし、教わってないんだけど、日本の加害と勝戦者視点での展示。
突然奇襲されるのは、今住んでる長崎県の大村市に爆弾落とされるようなもので、これはとんでもない。怒るにきまってる。
その怒りから勝利までをハワイの空の下でスコーンと明るく展示してあって、長崎や広島の暗さは全くない。
とにかく明るい。
沈没している軍艦の上に追悼の建物を建ててそこから溢れ出る重油を観る為に船で行く。という展示に何もかもが日本と違う事を認識した。
船でこの白い横長の建物に乗り付けて、そこから溢れ出る重油を見る。
斬新すぎる展示に驚いた。
その後、ワイキキビーチに行くと75年前にそんな事があったなんて信じられない平和がある。これは長崎も広島も日本にある戦後を感じられない幸せな良い事。
ワイキキはもともとビーチではなく、砂を運んでビーチが作られて、世界有数というよりも主に、日本人にとってのリゾート地になったし、
アロハシャツも日本の着物から作られたと言われている。
アロハシャツの歴史とハワイのリゾート地の歴史的背景のリサーチをして、真珠湾攻撃があったのに何故ハワイは日本を受け入れたのか?を調べたい。
真珠湾攻撃以前のハワイと日本。真珠湾攻撃以降のリゾート地になっていく過程で、なんで日本人がハワイをリゾート地にしていくんだ?という反発の感情もあったと思うので調べてみたい。
ハワイのアロハシャツの始まりと進化についても調べたい。
日系人の着てた着物をリメイクしてアロハシャツが、出来てハワイの服として定着していった。
その後、日本人が、アロハシャツを作っていく内に、ハワイでは本物を作れないと気がついて、それでもメイドインハワイのタグを付ける為にやった事は、机上の空論をそのままアートにしたような事だと思う。
このリンクに最先端の机上の空論の実践が書いてある。
中国や、韓国、日本で作れば、、、
輸送費もかからず、低賃金で(日本除く)、関税もかからず、、、
もう少し上のレベルが狙えたかもしれませんが、「全てハワイでの生産」にこだわってみました。
http://www.waku2.com/shop/page/size/size-paradisestyle.htm
アロハシャツはハワイで作るよりもアジアで作る方が高性能で安く作れる。
今、ニッポンの手仕事とか言われてる感じの更に先を行く感覚で、ハワイは南国だから仕事が適当すぎて、すぐに手を抜くって書いてある。それがハワイらしさなんだけど、どうにかメイドインハワイのタグを付けたいので、ほどほどにサボってもらえませんかね〜と命令しながら作ってもらう感覚って、これ何?
どこに着地していいのか、わからない最先端感覚。
まだまだリサーチしないといけませんが、この感覚にとても近いのがバックトゥザフューチャーと日本の関係で、バックトゥザフューチャーが公開された80年代はソニーやトヨタなどの日本製が台頭していて、アメリカ製の家電や車が、追いやられてきていて、映画の中でも日本製を腐すようなシーンが何度か出てくるけど、バックトゥザフューチャーは日本に愛されまくっている。
日本が真珠湾攻撃をしたハワイは英語が必要ない程に日本人だらけで、日本の観光地になり、日本製否定しまくった映画バックトゥザフューチャーを愛しまくる日本人。
この辺りに今の日本と中国のモゾモゾする関係のヒントがあるような気がしていて、日本製の炊飯器を買いまくる、爆買いという言葉の否定的なイメージがあるけど、中国からは友好に見えていたりとか、ハワイとバックトゥザフューチャーと日本の関係を思い出しながらリサーチしなおして、日本と中国の超いい感じをリサーチしたい。
日本大好きをこえて、一度その技術を流してまた逆輸入で返ってきたら面白い。
炊飯器を瀑買いしてると思ったら、日本製よりも安価で超美味い炊飯器を16000円で作ってるシャミオ
開発してるのは元サンヨーの日本人技術者。
そんな事もあって日本の銀シャリ界の定食屋のヤバいおっちゃんが中国で美味い銀シャリ作りてぇーと中国行きを決意する2つのニュースを読んだら、アロハシャツと日本人の関係や真珠湾とハワイと日本の感じが重なって見えてくる。
【上海余話】「日本製よりうまい」小米科技(シャオミ)の炊飯器 「爆買い」にブレーキ? 開発者は旧三洋電機部長
https://www.google.co.jp/amp/www.sankei.com/column/amp/160419/clm1604190006-a.html?client=safari
日本の「飯炊き仙人」が中国に来るぞ!中国で電気炊飯器をめぐる動きが加速-サーチナ
http://news.searchina.net/id/1608676?page=1
銀座にある
一冊の本を売る店
森岡書店の森岡さんの著作
荒野の古本屋
https://www.amazon.co.jp/荒野の古本屋-就職しないで生きるには21-森岡-督行/dp/4794968450
の68ページにも真珠湾攻撃について書いてあります。
森岡さん独自の方法で戦争に触れていくスリリングな体験記です。
なぜ戦争を、したのかを調べる為に、当時の気持ちになる。現代のメディアを遮断し、1941年以前の建物に住み、古本を買い漁り、中野クラッシックに通い1941年12月8日から1週間遡って、12月1日から8日までの新聞をその日に合わせて読んでいく体験記が、その時の事に重なって行ってる感じが行為のコスプレと勝手に呼んでいるのですが、たまらなく、当時になって、当時の気持ちになれていく過程が読めるので是非。
真珠湾とワイキキとアロハシャツとバックトゥザフューチャーを調べまくりたい。