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トリオフォー&素人の乱シランプリそして場所っプ山下陽光の日記bashop77@yahoo.co.jp

佐藤修悦その8

2007年07月23日 15時25分34秒 | 佐藤修悦
土曜日に佐藤さんに逢ってインタビューしてきました。
現在佐藤さんの事が話題になっているので
佐藤さん自身も修悦体という言葉の一人歩きにビックリ
していました。
こっちが何度も「修悦体」と言っても
佐藤さんはなぜかチョロ変えで
「修悦モジって言われても」とか
なぜか「修悦モジ」を連呼してました。

インタビュー動画を観ていただくのが一番はやいんですが
もう少し時間がかかりそうなので、
今現在佐藤さんについての事を少し。

日暮里駅では駅員さんからも歓迎されていて
楽しく仕事ができているようです。
佐藤さんの動画やインターネットでの話題で
僕らトリオフォーへの取材や佐藤さんへの
取材などが来てなんだか本当に盛り上ってきていて、

新宿のガムテープ案内から始まって
いろんな話を聞いていたんですが
「最初逢ったときはなんて図々しい奴だと思ってた」
と笑顔で言われて、よく考えてみたら、
駅構内でガムテープ文字を作ってる警備員さんに
「今度僕ら公演やるんで、その時に是非ガムテープで
文字を作って下さい」
という必死を超えたすがり方も今となっては
本当にわけがわからずすいませんという感じです。


でっ!
本来は佐藤さんの本を作ってホッチキスで製本して
佐藤さんを呼んで実演をやろう!
と思っているんですが、
他にどんな事があったら面白いでしょうか?
みんさんのご意見お待ちしております。

ガムテープで修悦体を作ろうワークショップ
佐藤さんと文字ストの対談
ホッチキス本
修悦体のTシャツ(もう作りましたASAちゃんありがとう)
佐藤修悦体現在地展覧会


佐藤さんはシンメトリーな文字が好きだそうで
シンメトリーな文字を観ていると
作る時にどうなるのかなぁ?
と自分でもドキドキするそうです。
そのシンメトリーな文字がまさに

日暮里

という言葉なので勝手に運命を感じつつ、
前に書いたガリ版の神様佐川義高の
ペンネームが草間京平なのは
鏡で観ても草間京平と読めるから
というエピソードを思い出して
ジンマリしました。

本日22時からインターネットラジオやってるんで
よかったら聴いてガッカリして下さい。
http://trio4.nobody.jp/keita/ あと、このページにある
素人の乱シランプリという古着屋は
僕が経営してて、そろそろ儲からないし
別の事やりたいなぁーと思いはじめて
るので、チョロチョロっと
佐藤さんに昔作っていただいた
作品を飾るんでニンマリしに来て観て下さい。
こっちもがんばってシランプリをきめこむんで
ダンマリしてみます。

佐藤修悦その6

2007年07月19日 03時47分38秒 | 場所っプ
もうそろそろ書く事がなくなって
きたと思いきや、
本当はまだまだやりたいことがある。

現在、佐藤さんへの取材&計画&編集とか
いろんな事がありすぎて、
今ココで書くに書けない事が多すぎて
おそらく来週中には佐藤修悦日暮里バージョンの
動画をあげる事が出来ると思うので

もうしばらくお待ち下さい。

それにしてもなぜこんなに佐藤さんが切る文字に
執着しているんだろう?

と自分で考えたんですがまったく思いつかず

たいがい自分が好きになって来た物事には
その名前があって、好きになった物事の名前を
ノートにやたらと書きまくるというのが日常に
なってて、
それこそ大学ノートの裏表紙に今まで何度
SeX PiSTOLsと書いたかわからない。
とにかく書きまくってて、今も
佐藤修悦とか現在地とか駅前ローターリーとか
をノートに写真を見ながら同じように模写してるんですが

書きまくりながら身体が思い出した事が一つありました。


宮崎勤の脅迫状で書かれた今田勇子という名前での手紙。
その文字の強烈さに小学生だった僕は意味もわからず
うちのめされた。
しかもその宮崎勤事件と同時に北海道かどこかで遭難した
人のカセットテープがニュースで永遠と再生されて

い わ の う え で み う ご き と れ ず
こ こ か ら つ り あ げ て く れ

と凄くゆっくりと必死で求める声が忘れられず
その日に眠れなかった記憶がよみがえってきた。


それから、小学校のノートに書く文字はすべて
勇子体になって、すべての文字を今田勇子の文字で
書いて行くうちにドンドン下手な文字になっていった



佐藤さんの文字を何度も模写してる時にふと
今田勇子の字体を真似て書いていた子供時代を
思い出してゾッとした。







とにかく
まだまだやりたいことがある
来週中には更新できると思うので
お待ち下さい
http://trio4.at.infoseek.co.jp/

佐藤修悦その5

2007年07月17日 03時39分16秒 | 場所っプ
http://blog.goo.ne.jp/bashop/m/200503

ココに飛んでスクロールすると↑
止まれの文字が立体に見えてくるはずです。
テクニックがなさすぎて
写真を連続で貼る方法がわからないので
MIXIの日記にはうまく貼れたのでどうぞ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=500244937&owner_id=552684

さぁ、立体&彫刻。
文字がギャンと生まれる瞬間の喜びと厚み。
止まれの文字ができる瞬間をバシッ!
と写真におさめる事ができました。
この文字は佐藤さんの作品ではなく、
道路にべタリとある。どこにでもある
「止まれ」なんですが、
場所によってひらがな「とまれ」
だったり漢字の「止まれ」だったりするのは
何かルールがあるのでしょうか?

文字の乾きを待つ為か、やっつけ仕事を
やっつけられなかったのか?そこんとこは
よくわかりませんが、とにかく
「止まれ」が浮き上がる瞬間です




それが、こうなる




どがちゃかっと完成!

そんで、コチラは佐藤さんの
止まれ



文字が立体&喜びに見えてくる。

そろそろ爆弾発言をしたいんですが
まだ未定な事もあるんで、しばらく
お待ち下さい。

日暮里駅は先週末に何作か新しい
修悦体の文字が切られたようですよ







佐藤修悦その4

2007年07月13日 14時33分51秒 | 佐藤修悦
佐藤さんについて書きたい事がたくさんあるんだけど
まとまらないので、ドンドンいろんな接点を見つけていく。

カナモジカイ
というグループがあって、1920年結成
日本語をカタカナにしようと運動しているグループで
創立者は山下ヨシタローという人で、この人は
住友の偉い人で、住友本店副支配人にまでなったのに
突然退職して、カナモジカイを作る。
ワープロもパソコンも無い当時は漢字というものが
非常に不便で、読めない人も多かった。

なんだかんだと色々あって、カナモジカイは独自のカタカナフォントを
作っています。
そのフォントとはヨコのラインを統一した目に優しいフォントで
佐藤さんが作るゴシック体に似ている。

数年前に市ヶ谷で
カナモジカイ(カタカナグループ)

Nippon-no-Ro^mazi-Sya (日本のローマ字社)(モチロンローマ字グループ)

ひらがなたんかかい(ひらがなグループ)

という3大グループが
集まって話をするという貴重な場に行った事があって、
しかもその3つのグループは戦前から仲が悪いとか日本のローマ字社の
人達は恐いとかいろんな噂があって、3つのグループが同じ場所で
話しあいをやるのは、これが始めての事らしく。
はじめは緊張した雰囲気があったんだけど、
話す内容はトコトン漢字の悪口というわかりやすい敵がいて
盛り上る。
盛り上ってる最中に客席から、
「なんでこんな貴重な場所に我々日本エスペラント学会が呼ばれてないんだ!」
とエスペラントの重鎮も入ってきて言語のプロレスみたいになる。

しかも会場に来ていたのは、20代の僕の次に若いのは50代のおじさん達で
話しあいが終わっ瞬間に「若い世代がきた!」
というあからさまな喜びモードで
3大文字(もじ)(MOJI)(モジ)グループのボスが僕めがけて
風変わりな名刺(MEISI)(メイシ)(めいし)をもってくる。
文字が一番カッコイイ(メイシ)のカナモジカイの方といろんな話を
する。

カナモジカイが発行している小冊子「カナノヒカリ」は現在も
発行されている。

しかも、創始者の山下ヨシタローは当時アメリカに行って
カナモジカイのフォントでタイプライターを特注したりしている。
その山下ヨシタローのお墓はカタカナでしかもカナモジカイの
フォントで名前が刻んである。

佐藤修悦とカナモジカイ
文字のカタチ以外にも何かの接点がみえてくる

日暮里駄菓子ムーブメント

2007年07月12日 04時48分31秒 | 場所っプ
さて佐藤修悦の新作を観ようと思って
今日も日暮里に行ってきました。
そのレポートは下のほうにあるんでどうぞ

そんで、飛んだらわかるんですが今日も佐藤さんの
新作文字がないかなぁと思って日暮里にいってきたんですが
日暮里と言えばトマトなんですが、服や布への興味は
ほとんどないので、コマッタナァf8ヨッシャーと思ってたら
思いだす思い出す。
日暮里=駄菓子の問屋だ!
と思ったんですが、因果因果で佐藤さんがガムテープで
日暮里駅を案内しているという事は
日暮里駅が立派になる準備をしているということで、
以前にあった日暮里の駄菓子問屋通りは再開発で
無くなってビルが勃起してる。
問屋なくなったのかなぁ?と思って聞いてみたら、
近所のビルの1階と2階に3軒だけ残ってるというから
行ってみる。
まったくもって味気なく駄菓子問屋があった。
しかし、売ってるものはなかなか面白く。
やたらとギャンブル性の高いくじ(1回20円)のブツ2つ
とみんな大好き梅ミンツと大阪のJACKという駄菓子問屋の
時代錯誤ハンパ無いモンタージュミンツという意味も
ジャケットも佐藤修悦マジリスペクトだろ!このゴシック体!
でも本当は社員が惰性&妥協で作ったっしょ?
といわんばかりの当たりくじ付きの
10円おかし(しかもモンタージュシール付き)を購入
しめて2700円なり。

これで中学生の頃までの夢だった駄菓子やさんを開こう
と思ってかなり高めのテンションで店をあけて
モンタージュミンツの説明書きとかやって完全に駄菓子屋の
店主気取りだったんだけど、雨のせいなのか店を開けて3時間
たっても1人もお客さんがこない。
今日は20時くらいまで売り上げがモンタージュミンツを1つ
うれしそうに買った松本さんの10円だけが売り上げで
死んでもきがつかない自殺をしようかなぁと思ってたら
MOEっ娘テルちゃんがやってきて駄菓子にギンギンに反応して
30円ぶんのくじを引く。

おおっ!こんな感じで駄菓子屋は儲かるのかぁ!
と関心してたら
「あっ!50円当たりました」
なんじゃこりゃ!
今日はマイナス10円でした

上野そうめんクイズわかんねぇYO

佐藤修悦その3

2007年07月12日 02時59分56秒 | 佐藤修悦
本日日暮里行ってきました。
新作は発見できませんでしたが、
前回は写真を撮る事に夢中になりすぎて
細部を観てなかったので、じっくりと観る。

前回佐藤さんに逢った時に製作途中だった
「一旦停止」が出来上がっている。

昨日の予告通り、佐藤修悦と草間京平を
どうにか結びつけよと思い草間京平の
文献を読み漁る斜め読み。

何かが似てると思ったんだから仕方ない。
それで無理やり佐藤さんと草間京平を結び付けよう
としたんだけど、わからなくなってくる、。
でも何かあるはずだ。
草間京平はガリ版の神様と言われた人で、今生きていたら
100歳を超えている。

草間京平(くさま・きょうへい)
1902-1971(明治35年-昭和46年)、茨城県生まれ、
本名佐川義高。大正中期に上京、 郵便配達、人夫、
出版社の校正係などをしながら、文学を志す。
1920年(大正9年)に短歌の同人誌『孔雀草』を謄写印刷で創刊。
1923年、作家有島武郎から資金を得て、
芸術倶楽部アパートの一室で「黒船社」を設立、
謄写印刷技術の研究と出版に取り組む。
謄写印刷の技法開発、機材開発、研究誌の発行、教育・普及活動に尽くし、
謄写印刷技術の第一人者といわれた。
創作を多く残した若山八十氏と対比して、「複製派」と呼ばれることがある。

ガリ版http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%84%E5%86%99%E7%89%88
でとんでもない程の綺麗な美術印刷をしていたのが
草間京平です。
地図とか浮世絵とか物凄く綺麗すぎてどこからみても
ガリ版で刷ったとは信じ難い作品ばかりで、最後の頃は
どうやって刷ったのかまったくわからないような
油絵のようなガリ版作品もあるんですが、本人は
単なる紙屑みたいなものだ。と言って何一つ保管していなかったようです。

なんとか拾い集めた草間京平と佐藤さんがつながるような文献

ガリ版は草間京平によって孔版(ガリ版のこと)に技術革命
された。それは人間技とは思えない精微な製版だった。
孔版につながる人で陰に陽に草間京平の影響をうけない人は
いないはず (昭和堂月報の時代より)

謄写文字についても草間京平が従来の楷書体の他、新しくゴシック体を考案しました。
草間は当時の無声映画の独得なタイトル文字からヒントを得て
これを謄写印刷のゴシック書体に取り入れた
と聞いております。彼は毎日この書体の研究に熱中して
1文字でも疑問があると直ぐに近くの映画館に行ってその文字
をタイトルの中にさがしてメモして来たというエピソードがあります。
(軽印刷のルーツ --- 東軽工千代田支部25周年史)

謄写印刷は磨かれざる宝石である。われわれはその研磨師である
  (草間京平伝 --- 里美村教育委員会)

ガリ版は印象すらなくなるほど遠くのモノになってますが
でも、あえて無理やり知ってる事を言えば、
手描きの文字がそのまま印刷されたぶっきらぼうな
プリントごっこの兄貴みたいな存在でしかなかったんだけど

草間京平の浮世絵や地図の色の豊かさや
ソレを作る為に作った版が40版もあるという
気が遠くなっておそろしくなるような作業を思い浮かべると
本当にすごいなぁと思う。

おそらく草間京平の時代もとっくに浮世絵なんて言う文化は
なくて、ガリ版に対してそんなに高度な事はだれも求めて
なかったんだけど、やる

それ以外に答えがなかったんだと思う。

今も、佐藤さんの文字は凄いし、そこまでは誰も
求めてはいないんだけどやる。

文字の中味や意味ではなくカタチが大切だ
というような事を佐藤さんはインタビューの
中で答えている。

おそらく
今日僕がみた「一旦停止」も「一時停止」
では伝わらない何かがあるのだろうなぁと思う。


最後にちょっとした朗報です。
今週末に日暮里駅構内の改装工事が
あるらしく、1つか2つくらい何か新しい文字を
切る予定とのことです。

それでは、また明日


佐藤修悦その2

2007年07月11日 02時18分45秒 | 佐藤修悦
たどりつくまでに、佐藤修悦とは何者か?
という事を書かないといけない。
2003年から始まった新宿駅の改装工事
がとんでもなくいりくんでて、通路がメチャクチャに
なってた。

そこにわかりやすくガムテープで文字&数字で
案内を作ったのが佐藤さん。

その佐藤さんが作った文字&数字がとても
ガムテープで作ったものだとは思えなくて
感動しまくりで佐藤さんにインタビューして
出来上がった動画&詳細がコチラでやんす
http://trio4.at.infoseek.co.jp/life/index.html

トリオフォーの初めての公演に佐藤修悦さんを
よんで実演でガムテープ文字作品を作っていただいたりして

その後、古着とは名ばかりの古着屋トリオフォーSHOPを開店
して、ぬくぬくLIFEを送ってたら案の定
約束の閉店が決定した頃にこれから先どうやって
生きていこうかなぁと思っていた時に、
そうだ!と思い行動&アクション(意味同じ)
した事が 大竹 伸朗著「既にそこにあるもの」
という本でつき動かされたので
どうにかこの本を文庫化しよう!
という事になって、その話を1000素人の俺と
友人らで勝手に話を進めて、大竹氏が東京に居るスケジュール
を押さえて、佐藤修悦作品を持ってUK77の会場にて
大竹氏を待った
http://trio4.at.infoseek.co.jp/yomimono/yomimono_back200407.html そんなこんながあって、夢やぶれて何の因果か素人の乱が
始まって、いろんな事を忘れたり、思い出さないように
しおてたんだけど、つい最近佐藤修悦日暮里駅に現る
情報を入手した翌日に日暮里に行った瞬間
頭をカチ割られるような衝撃で
「コレは何かやらんとマズイ」
と思わされ、無理やり過去に追いかけてた
文字スト達との関係性を無理やりつなげてみよう!
そして、その人達(文字スト)と佐藤さんの作る文字に
何かしらの関係が作れれば、紙の力と文字の輝き
が本当に光だすんじゃないだろうか?
と思い、筆よりも先にカーソルをぶっ叩く行為に着地。

というわけで、明日はガリ版の神様と言われた
草間京平と佐藤修悦の関係を勝手に
ズームイン!


佐藤修悦

2007年07月10日 15時06分33秒 | 佐藤修悦
日暮里駅のガムテープ文字現象
佐藤修悦さんについて

行って見て触ってこい

が一番わかりやすいんだけど、
どうにかがんばってその凄さを伝える
レポートを今夜から書いてみます。
関連資料を本日は雨なのでお店で
ギャンギャンと読み直してまとめて
今夜あたりにチョロチョロと書いてみます。

うまい棒はあたりまえだけど、
コレを観ればうまい棒が立体的に
見えてくる。
解剖&解説がんばります

うまい棒ができるまで
http://jp.youtube.com/watch?v=Qf54ZNqWGFY


ひなたのNIWACOYA戦国日記

2007年07月09日 14時12分41秒 | 場所っプ
さぁ、新宿駅のガムテープ天国から時をへて、
現在冥土IN日暮里がクッキーシーン片手に
老人PUNKSが大暴れしてるとかしてないとか
ですが、ちょいとTシャツ展の話を

えっと、現在NIWACOYA(仙川)http://www.niwa-coya.com/
で開催中のTシャツエブリデーのオープニングレセプション
で数字を数えたり、ローラーブレードの助手を
やったり、ポケモン大百科のクイズの相手などをする、
現代をかまして美術に収めてきたんですが、

その時の別れ際に今度いつ来るの?明日来てね
と言われ、どう考えても無理だったので
土曜日に行くという約束をしました。
「じゃぁ土曜に来なかったら今度はお泊まりだからね」
と針&釘(本物)を背中に刺されたのでウナコーワを塗って
防いでおきましたが、土曜になると約束というかゆみ
がだんだんひどくなって来たので新しいTシャツを持って
NIWACOYAにのりこみます。


「おぅおう!ちょいとごめんよ」って入っていくと
たくさんの人がTシャツを眺めたり、ご飯を食べたり
しています。やたら旨いランチをたのんで、
ほっとしてたら、
ドンドコドンドコやってきました戦国(本当の名前は白山)&ひなた(1000%ツンデレ)
約束をはたした&とんでもないウェルカムだと思い込んでたら
「あれ?なんで今日来たの?明日が良かった、
明日は暇なのにぃ」ひなた(ツンデレでしょ?)
とはいいつつも、飯を頼んだ俺をお構いなしに外に連れて
いかれ、じゃぁポーズからやろうか?
という復習も予習も関係なく昔から言ってたでしょ?
というテンションだけでまずはレベル1のポーズの練習を
して次に2、そんでレベル3になったあたりで口には出さないけど飽きてるご様子でDJひなた(ゴリ押し娘)が次の曲を
かける。次の曲は
棒状のガードレールで鉄棒遊びをやる
といういたってシンプルな奴ですぐに飽きる。
次の曲はかくれんぼ
もういいかい
で目を開けたら目の前にいるという隠れ方で
またしても怒られる。

家に連れていかれてリカチャン人形で遊ぶ。
その時戦国(HAKUSAN)はアヒルのアフラック!
アフラック!アフラァ~ーーークッ!という
押したら3回目で相当絶叫するぬいぐるみを
デラシネ岸本よろしくテンションで押しまくり、
飯を喰いにNIWACOYAに戻る。
旨い。
飯を喰いながらTシャツを作った方のアニメを
見る。
風船で飛んで行くアニメ

「あっ、風船ってとべるんだぁ、俺今日風船で帰ろうかなぁ」

ソレに対して戦国(真面目)が
「どこに行くかわかんないから、帰りたい場所に帰れないよ」
と言われかぶせるように姉ひなた(MAJI)が
「TVだよTV。TVウソつくよ」

といわれ無言で飯を食べる。

そのあとスイカを食べたりスイカの種をとばしたり、
レモンスカッシュをおいしく飲んだりして
帰る前にレベル3の写真を撮って逃げ帰ってきました。



写真の使い方がわかってきたので、
ちょろちょろと佐藤さんの作品をUPしていきます。


今日は22時からラジオだよ
http://trio4.nobody.jp/keita/