高山建築学校
岐阜の飛騨高山の山奥にある高山建築学校に行ってきました。
ここは夏の10日間、建築家を志す学生のサマーキャンプなんですが、それだけに限らず、色んな人が来ては話し、プレゼンして手と頭とコミニケーション使いまくって共同生活をして、それぞれが何かを作り上げる。
蟻鱒鳶ルの岡啓輔さんからお誘いして頂いて、気になって仕方なかったので行けて嬉しかった。
去年、東京三田の建設中の蟻鱒鳶ルで、途中でやめるの直売をやらせてもらった時に、一階入り口左側にかけられたカゴなのか、何なのかわからない山葡萄の皮で編まれた謎の物体がカッコよすぎて、岡さんに「コレなんすか?」と聞いたら「毎年、高山建築学校に来てる、ゴウヘイ君ってのが作ったんだよ。ゴウヘイ君は面白くて」と他にも、このカゴを作った方のエピソードを教えてくれた。
気になって、その日の打ち上げで、高山建築学校行きますよ!と言ったんだけど、その年は行けなくて、そしたら、今年来ない?と連絡があって即答で、行きますと返信。
着いたよ着いたよ飛騨の古川。
高山建築学校
山の奥のトンデモナイ場所にあって朝からバスタ新宿から乗り込んだ高速バスで罰ゲームみたいな電撃イライラ棒みたいな崖道をぐるんぐるんとカーブ蛇行しまくりで、こりゃあ死ぬかも。と思ったのでシートベルトを強化。
飛騨古川に着いて、そば屋に行ったらやってない、温泉に行ったら団体20人が貸切で入れない。このヤローでバスに乗り込み、山奥で降りる。
こんな山奥で降りる人なんているわけないのに、俺も含めて3人降りてる。
降りるなり、「高山建築学校?」と3人で話して映画の始まりの予感ありながら歩いていたら、民家とコンクリートが喧嘩したような高山建築学校が見えてくる。作業をしてる方々に挨拶をしながら荷物を布団部屋に置かせてもらう。
舞踏をやってた時のような空気とまろやかな狂気ギュインギュインの室内と人から発されるとてもよい、おエネ(よいエネルギーの事を我が家ではおエネと呼んでおります)が充満している。
何なんすかこの場所は。
酒を呑んだり自己紹介したりしながら20人を超える人達との共同生活。
高山建築学校はいかにして始まったのか?
高山建築学校(たかやまけんちくがっこう、英称:Takayama Architecture Seminar School[1])とは、1972年7月20日開校の、夏季開講の建築学の学校である。岐阜県飛騨市の数河峠の校地にて、毎年8月に完全合宿制のセミナーの開催を活動の中心としている[2]。
高山建築学校
概要
編集
校主の倉田康男は、建築家。セルフビルドによる建築哲学の建築家への普及を提唱し、法政大学で教鞭を執っていた1968年に、東京都小金井市にセミナーハウスのピンクハウスを設立した。この施設が、高山[3]建築学校へとつながることとなる[4]。
主として対象は、建築学を専攻する学生であったが、後述の岡啓輔のように大学に所属しないある意味異色な参加者が容認されるばかりか、活動の中心を担うようになるのを見ても分かるとおり、自由な雰囲気が重視された。
建築を学びたい学生がメインだったけれど、岡さんのような人が入って中心的な動きになることで、さらに自由な場所になっていったみたい。
とにかく、ものづくりや表現を志す人と、それで生計を立ててる人は一度行って頭を撃ち抜かれるといいと思った。
何が素晴らしいのかというと、高山建築学校初日、朝ごはん食べ終えたミーティングの時に、敷地内にある作品は素晴らしいのもあるけれど、クソダサいのもたくさんあります。と岡さん。その後で敷地内にある作品を岡さんが解説しながら歩く。
でもね、ダサくていいんです。とにかく作るってこと。体を動かして手を動かして作るということをやってほしい。何かをやらないといけないってことはないから、わかんなかったら寝てていい。と。
それで観に行きながら岡さんが解説してくれるんだけど、「観て下さい、コレ。全然よくないでしょ。意味がわかんないしキレイじゃない。でも、コレを作った奴はこの場所が大好きで、一生懸命作ったんですよ、ココから見える景色が良くて」とか、他にも素晴らしい作品たくさんあるんだけど、同列に素晴らしくない作品もたくさんあって、それを肯定したり否定したり作り直したりしなが進化を続けていて、何かを作り上げるということや作品の精度を上げる事に重きをおいてないから、ほぼ全ての作品が途中でやめる状態で、壁だけ作られてやめてしまったり、完成しないまま、来なくなったりしてる。
しかし、10年かけて作っていたり、生えてる木が腐ってるのかと思ったら、木を植えただけの作品であったりしている。
シュバルの理想郷を思い出した。
郵便局員だったシュバルはつまづいた石を見て自分の理想郷を作ろうと決意したと言われてるけれど、高山建築学校の敷地内はシュバルホイホイで歩いてたらつまづく事が多くて謎のコンクリート作りで、なんじゃこりゃ?と思ったら何年か前の学生が作ったと教えてくれる。
路上っぽい感じと、高山建築学校で作った物は持ち帰らないという暗黙のルールがあるみたいなので、高山建築学校の中に先人達の作りかけのヒントが充満していて、それを読み解くのが楽しい。
美術においてやらなきゃいけないことは、みんながやってない手法でいかに悪目立ちするか?というのをバレないように見せるインテリ隠れキリシタン痴女みたいなことをやらなきゃいかんし、服も流行ってると見せかけて誰も着てないけれどめちゃ安いというような作品や商品の質をクリアさせなきゃいけなくて、そのことばっかり考えてものづくりをしている。
自分が作りたいことと社会の需要のバランスしか考えていない。だから成立してるんだけど、ふと我に返って、それは面白いのか?と問うことはよくある。
その時に面白いと思えればいい。
面白くないと思った時は、どうやったら面白くなるかを考えて軌道修正して面白い方向にもっていくんだけど、高山建築学校は、その過程の中で面白くなくていいから作るって事を続けろ。
作る行為を作家やアーティスト達だけのものにさせるな。と。
これ素晴らしすぎますよ、本当に。作る行為は誰しもが行う事であって質なんてなくていいよ。ってこんなに肯定されたことねぇーよ。
初心以前の気持ちに立たされました。
超根源的に作られたものがたくさんあります。竹を割ってバラして和紙を貼ると内輪になるなんて、このイビツな内輪を見るまで気がつかなかった。
新しい骨董の下道君も呼んだら一日だけ参加してくれて、濃厚な日になった。
やっぱり何がどうなるかわかんないけど、呼んだらすぐに来てくれるノリのいい友達は大事にしたい。
ノリは大事ですね。
今回、岡さんに呼んでもらって即答で行くことにしたけれど、やはりうまく言葉に出来ない感じのことは、まだまだ世の中にはたくさんあることを知れてよかったです。
誰とも連絡先交換しなかったけど、福島と浅草は必ず行くので遊んで下さい。たまらんかったです。
今回のブログのタイトルは、高山建築学校の開校式の後で、高山建築学校の下に住んでるタモツさんという方が言った言葉。
新井英樹が蟻鱒鳶ルの岡さんを漫画化した時に、マイアミ君がギンギンにブチギレるシーンで毎回涙を流してたんだけど、それは、曖昧にしか覚えてないんだけど、マイアミ君が「バカヤロー、夢ってのはな、お前が死んでもそのせかいを引き継いでいくやつがいるってことなんだよ」というような言葉で、まさに、高山建築学校にあるクソダサいかもしれない作品を誰かが怖そうとしたり守ろうとしたりすることや、1年で10日しかやってこない連中の為に豪雪地帯の雪かきをやってくれてるタモツさんが、言う、俺が死んでも高山建築学校を続けてくれ。と言ってしまえる美しすぎる場所。
何かやりたいけど何やればいいのかわからん。何かやってて、なんとなく暮らせてるけど充実してない奴は来年、高山建築学校で平らな皿に生卵を混ぜるだけの強烈な朝ごはんと強烈な場所に出会いに行くことをオススメします。
新刊「バイトやめる学校」刊行記念!
山下陽光トークライブ&直売イベント!
2017年8月19日(土)
16時開演/18時終了
※イベント終了後は20時まで直売&交流会。
【料金】0円(1D別)
【場所】
INFO SHOP 大都会門司港
〒801-0864 北九州市門司区老松町2-11
門司中央市場 (旧松本食料品店)
【交 通】
JR鹿児島本線門司港駅より徒歩約15分
【お問い合わせ】
080-5646-7650(担当 米澤)
メッセンジャーでもOK です!
【出演者プロフィール】
山下陽光(やました・ひかる)
ハンドメイドファッションブランド「途中でやめる」主宰。1977年長崎県生まれ。18歳で上京、18年間東京で過ごし、高円寺の貧乏人反乱集団「素人の乱」に参画後、2013年に長崎県大村市に転居、2017年より福岡市在住。「バイトやめる学校」を日本全国各地で開催中。最先端の過去をガン見する「新しい骨董」のメンバー。
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岐阜の飛騨高山の山奥にある高山建築学校に行ってきました。
ここは夏の10日間、建築家を志す学生のサマーキャンプなんですが、それだけに限らず、色んな人が来ては話し、プレゼンして手と頭とコミニケーション使いまくって共同生活をして、それぞれが何かを作り上げる。
蟻鱒鳶ルの岡啓輔さんからお誘いして頂いて、気になって仕方なかったので行けて嬉しかった。
去年、東京三田の建設中の蟻鱒鳶ルで、途中でやめるの直売をやらせてもらった時に、一階入り口左側にかけられたカゴなのか、何なのかわからない山葡萄の皮で編まれた謎の物体がカッコよすぎて、岡さんに「コレなんすか?」と聞いたら「毎年、高山建築学校に来てる、ゴウヘイ君ってのが作ったんだよ。ゴウヘイ君は面白くて」と他にも、このカゴを作った方のエピソードを教えてくれた。
気になって、その日の打ち上げで、高山建築学校行きますよ!と言ったんだけど、その年は行けなくて、そしたら、今年来ない?と連絡があって即答で、行きますと返信。
着いたよ着いたよ飛騨の古川。
高山建築学校
山の奥のトンデモナイ場所にあって朝からバスタ新宿から乗り込んだ高速バスで罰ゲームみたいな電撃イライラ棒みたいな崖道をぐるんぐるんとカーブ蛇行しまくりで、こりゃあ死ぬかも。と思ったのでシートベルトを強化。
飛騨古川に着いて、そば屋に行ったらやってない、温泉に行ったら団体20人が貸切で入れない。このヤローでバスに乗り込み、山奥で降りる。
こんな山奥で降りる人なんているわけないのに、俺も含めて3人降りてる。
降りるなり、「高山建築学校?」と3人で話して映画の始まりの予感ありながら歩いていたら、民家とコンクリートが喧嘩したような高山建築学校が見えてくる。作業をしてる方々に挨拶をしながら荷物を布団部屋に置かせてもらう。
舞踏をやってた時のような空気とまろやかな狂気ギュインギュインの室内と人から発されるとてもよい、おエネ(よいエネルギーの事を我が家ではおエネと呼んでおります)が充満している。
何なんすかこの場所は。
酒を呑んだり自己紹介したりしながら20人を超える人達との共同生活。
高山建築学校はいかにして始まったのか?
高山建築学校(たかやまけんちくがっこう、英称:Takayama Architecture Seminar School[1])とは、1972年7月20日開校の、夏季開講の建築学の学校である。岐阜県飛騨市の数河峠の校地にて、毎年8月に完全合宿制のセミナーの開催を活動の中心としている[2]。
高山建築学校
概要
編集
校主の倉田康男は、建築家。セルフビルドによる建築哲学の建築家への普及を提唱し、法政大学で教鞭を執っていた1968年に、東京都小金井市にセミナーハウスのピンクハウスを設立した。この施設が、高山[3]建築学校へとつながることとなる[4]。
主として対象は、建築学を専攻する学生であったが、後述の岡啓輔のように大学に所属しないある意味異色な参加者が容認されるばかりか、活動の中心を担うようになるのを見ても分かるとおり、自由な雰囲気が重視された。
建築を学びたい学生がメインだったけれど、岡さんのような人が入って中心的な動きになることで、さらに自由な場所になっていったみたい。
とにかく、ものづくりや表現を志す人と、それで生計を立ててる人は一度行って頭を撃ち抜かれるといいと思った。
何が素晴らしいのかというと、高山建築学校初日、朝ごはん食べ終えたミーティングの時に、敷地内にある作品は素晴らしいのもあるけれど、クソダサいのもたくさんあります。と岡さん。その後で敷地内にある作品を岡さんが解説しながら歩く。
でもね、ダサくていいんです。とにかく作るってこと。体を動かして手を動かして作るということをやってほしい。何かをやらないといけないってことはないから、わかんなかったら寝てていい。と。
それで観に行きながら岡さんが解説してくれるんだけど、「観て下さい、コレ。全然よくないでしょ。意味がわかんないしキレイじゃない。でも、コレを作った奴はこの場所が大好きで、一生懸命作ったんですよ、ココから見える景色が良くて」とか、他にも素晴らしい作品たくさんあるんだけど、同列に素晴らしくない作品もたくさんあって、それを肯定したり否定したり作り直したりしなが進化を続けていて、何かを作り上げるということや作品の精度を上げる事に重きをおいてないから、ほぼ全ての作品が途中でやめる状態で、壁だけ作られてやめてしまったり、完成しないまま、来なくなったりしてる。
しかし、10年かけて作っていたり、生えてる木が腐ってるのかと思ったら、木を植えただけの作品であったりしている。
シュバルの理想郷を思い出した。
郵便局員だったシュバルはつまづいた石を見て自分の理想郷を作ろうと決意したと言われてるけれど、高山建築学校の敷地内はシュバルホイホイで歩いてたらつまづく事が多くて謎のコンクリート作りで、なんじゃこりゃ?と思ったら何年か前の学生が作ったと教えてくれる。
路上っぽい感じと、高山建築学校で作った物は持ち帰らないという暗黙のルールがあるみたいなので、高山建築学校の中に先人達の作りかけのヒントが充満していて、それを読み解くのが楽しい。
美術においてやらなきゃいけないことは、みんながやってない手法でいかに悪目立ちするか?というのをバレないように見せるインテリ隠れキリシタン痴女みたいなことをやらなきゃいかんし、服も流行ってると見せかけて誰も着てないけれどめちゃ安いというような作品や商品の質をクリアさせなきゃいけなくて、そのことばっかり考えてものづくりをしている。
自分が作りたいことと社会の需要のバランスしか考えていない。だから成立してるんだけど、ふと我に返って、それは面白いのか?と問うことはよくある。
その時に面白いと思えればいい。
面白くないと思った時は、どうやったら面白くなるかを考えて軌道修正して面白い方向にもっていくんだけど、高山建築学校は、その過程の中で面白くなくていいから作るって事を続けろ。
作る行為を作家やアーティスト達だけのものにさせるな。と。
これ素晴らしすぎますよ、本当に。作る行為は誰しもが行う事であって質なんてなくていいよ。ってこんなに肯定されたことねぇーよ。
初心以前の気持ちに立たされました。
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やっぱり何がどうなるかわかんないけど、呼んだらすぐに来てくれるノリのいい友達は大事にしたい。
ノリは大事ですね。
今回、岡さんに呼んでもらって即答で行くことにしたけれど、やはりうまく言葉に出来ない感じのことは、まだまだ世の中にはたくさんあることを知れてよかったです。
誰とも連絡先交換しなかったけど、福島と浅草は必ず行くので遊んで下さい。たまらんかったです。
今回のブログのタイトルは、高山建築学校の開校式の後で、高山建築学校の下に住んでるタモツさんという方が言った言葉。
新井英樹が蟻鱒鳶ルの岡さんを漫画化した時に、マイアミ君がギンギンにブチギレるシーンで毎回涙を流してたんだけど、それは、曖昧にしか覚えてないんだけど、マイアミ君が「バカヤロー、夢ってのはな、お前が死んでもそのせかいを引き継いでいくやつがいるってことなんだよ」というような言葉で、まさに、高山建築学校にあるクソダサいかもしれない作品を誰かが怖そうとしたり守ろうとしたりすることや、1年で10日しかやってこない連中の為に豪雪地帯の雪かきをやってくれてるタモツさんが、言う、俺が死んでも高山建築学校を続けてくれ。と言ってしまえる美しすぎる場所。
何かやりたいけど何やればいいのかわからん。何かやってて、なんとなく暮らせてるけど充実してない奴は来年、高山建築学校で平らな皿に生卵を混ぜるだけの強烈な朝ごはんと強烈な場所に出会いに行くことをオススメします。
新刊「バイトやめる学校」刊行記念!
山下陽光トークライブ&直売イベント!
2017年8月19日(土)
16時開演/18時終了
※イベント終了後は20時まで直売&交流会。
【料金】0円(1D別)
【場所】
INFO SHOP 大都会門司港
〒801-0864 北九州市門司区老松町2-11
門司中央市場 (旧松本食料品店)
【交 通】
JR鹿児島本線門司港駅より徒歩約15分
【お問い合わせ】
080-5646-7650(担当 米澤)
メッセンジャーでもOK です!
【出演者プロフィール】
山下陽光(やました・ひかる)
ハンドメイドファッションブランド「途中でやめる」主宰。1977年長崎県生まれ。18歳で上京、18年間東京で過ごし、高円寺の貧乏人反乱集団「素人の乱」に参画後、2013年に長崎県大村市に転居、2017年より福岡市在住。「バイトやめる学校」を日本全国各地で開催中。最先端の過去をガン見する「新しい骨董」のメンバー。
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