Ryo徒然なるままに

日々の暮らしを徒然なるままにつづる。
何でもありの日記のようなもの・・・

相変わらずコナクリ

2006年08月28日 | ギニア
2006年8月28日(月)

朝食は昨日と同じく、Rocher(ロシェ)の4Fで。

朝食時、JICA(ジャイカ)の人に会った。
このホテルではよくJICA関係の人と会う。
ODAなどが結構行われている結果である。
外務省のHPなどで在留邦人数は十数名と書かれていたような気がするけれど、ほとんどこのホテルにいるんじゃないかと思ってしまうくらいである。

さて、今日は月曜日ということでお役所も動く。
例によってギニア科学技術庁か何だかに行くことになった。
8時半にランクルが来るというので8時20分頃にロビーに下りた。
外を見るとランクルが来ている。素晴らしい

でも、先に一人で出て行っても仕方がないのでたばこを吹かして待つことにした。

8時40分頃になると山越さんが下りてきて出発。
9時には科学技術庁(だったと思う)に到着し、副長官と話す。
主目的はOrder de Mission(調査指令書)をもらうことと、11月のシンポジウムのことだ。
シンポジウムについては彼らは何もできないので山越さんから経過報告があるだけで、パンフレットなどの細かい部分の修正などに終始する。

前回、牛田先生が来たときと比べると明らかに顔を出す人は少ない。
こちらの人はステータスで人を判断するのだろうか・・・。
教授と助教授の差。
これが大きく出ているんだろうなぁ、と思ってしまう。

で、肝心の調査指令書がなかなかできてこない
印刷が終わっているので、サインするだけなのだろうが、10時頃からひたすら待つことになる。

その間にサコ(長身の留学組で、前回のチューブ設置にも訪れ、1本設置していった人である)が来て、
「お、また来たのか
みたいなことを言っている。
ほっていてくれ・・・
特別、来たくて来ているわけではないのだから・・・。

13時20分、ようやく調査指令書ができあがってきた。
仕事が遅いのはいつものことだと思うのだけれど、牛田先生が待っていると言って待っていたらここまで遅くなったのだろうか・・・
ま、牛田先生の場合は、
「また来るから」
と言って昼食を食べに出たりすると思うから、結局遅くなるとは思うけれど・・・(下手をすると次の日になりかねない)。

その後、昼食に出かける。
前回、一度牛田先生達と夕食を食べに行ったレバノン料理の店。
前回、ボーイがメモも書かずに注文をとり、後から何度も聞きに来たというあの店だ。
ボーイのいい加減さは相変わらずだった
鶏のカレーを2つと牛のカレーを1つ頼んだのに、牛カレーが2つ来た
それも相当時間が経ってから・・・
「これ牛だけど・・・」
と山越さんが言うと
「いや、これは鶏だ」
とボーイ。
が、どう見ても鶏ではない・・・。
食べてみるが、牛以外の何者でもない。
いい加減なやつだ
間違えたのなら間違えたと言えばいいのに・・・
ま、どっちでも良かったから牛を食べるとことにした。

その昼食時には日本大使館の人と会った。
日本人が行動する範囲というのはこのコナクリでは限られているらしい。
(十数人しかいないという滞在邦人の何人に出会うことになるのか・・・この狭い範囲で・・・)
後で訪問することを伝えて別れた。

昼食後に、薬局に行き、清野さんのマラリア予防薬を買う。
アフリカに行っているのにマラリア予防をしていなかったなんて恐ろしい
いくら乾季だからといっても(マハレは今、乾季らしい)、ボクは前回ボッソウ訪問したときにはばっちりメファキン漬けになっていたのに・・・。

その後、日本大使館を訪れる。
大使、書記官とも前回と同じ顔ぶれだった。
どうやら大統領の体調が思わしくないらしく(随分前かららしいけれど)、万が一彼が死んだ場合クーデターが起こることも否定できないとのことで、短い滞在にもかかわらず滞在記録を書くことになった。
コナクリに帰ってくるときには、情報を仕入れてから帰ってきた方がいいかもしれないとも言われた。
恐ろしいことだ・・・

その後、医務官がもし時間があれば話をしたいといっているらしいので、話をすることにした。
どっちにしても今日はこれで全ての用事が済んだのだから・・・

彼は6月からコナクリに来ているらしいのだけれど、大使館内の日本人以外の人とコンタクトをとりたいのだろう。
ボッソウでの活動の概略を山越さんが話し、コリドー計画についての概略をボクが話した。
とても人なつっこい人らしく、必要なものがあれば遠慮無く言ってくださいと言いながら、
「これは持って行くと役に立つと思いますから」
と、うがい薬(イソジン)や塗り薬をくれる。
日本人と話ができてうれしかったのだろうと思う。
お礼を言って大使館を後にして、スーパーに買い物に出かけた。

ちなみに現在の所、為替は1USD=6000FG。前回は1USD=4400FG程度だったと思うから、結構物価上昇が激しいのだ。
その分心配は心配だと山越さんが言っている。
たしかに、こんな勢いでインフレが進んでいては、国民はたまったものじゃぁない・・・
でも、心配しても仕方のないことなので、スーパーで好きなものを買っていく。
瓶詰めのピクルスとオリーブを買い、ギニア版なまはげの絵はがきを買った(前回、ボッソウで正月に写真を撮ろうしてトラブルになったあのなまはげだ)。

買うものを買ったら給油して、ホテルに向かう。
ちなみに1リットル=5500FG。
この前、1リットル=3800FGだったことを考えると、少し高い。
レートが変わっていることを考えても少し高い。
その分、人々の収入も増えていれば問題はないのだけれど、決してそんなことはないので、危険度が上がっているのは間違いないかも知れない・・・

ホテルに戻ってゆっくりする。
Guinnessビールを呑みながら(ホテルの冷蔵庫で8000FG、他のビールSkol(ギニアビール)、ハイネケン、Amstelなども全て8000FG。コーラは7000FGだから安いものだ)日記を書く

この生活も今夜が最後かと思うと少し心細いけれど、仕事だから仕方がない。うん。

この後、ホテルで夕食。
久々に1Fのレストランでの食事だ。
みんなそんなにお腹が減っていないので、サラダを1品、メインを2品頼んでシェアすることにした。
食事時にこの前のコナクリ空港での出来事(フライトするまでが大変だったこと)を話したら、
「それは大変だったね~」
なんて山越先生は言っていた。
あれは前回だけの混乱だったのか???そうだったらうれしいけれど

ただ、アフリカの中でも(山越さんは仕事柄アフリカのあちらこちらに行っている)ギニアは特に大変な国で変わっていると言っていた。
ここはやはり地の果てなのか・・・


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