4月1日からスタートしたこの制度について、いろいろ意見が出ている。
名前が悪いとか、後期とは何だとか、改名しろだとか…。
本質は、老人医療費の抑制に目的があるということは、明白だ。
日本の高齢者社会の到来はずっと前からわかっていたことだ。なにしろ、若年人口が増えないのだから、当然の帰結だ。
しかし政府は前もって何もやってこなかった。少子高齢化の動きを止める根本的な戦略を立てなかったからだ。場当たり的なことはいくらかやっているが、長い時間のかかる施策は打ってきていない。
フランスなんかでは、手をうったおかげで、出生率が増加し、人口の増加傾向にある。
日本の、老人を取り巻く環境は目に見えて悪くなっている。
介護保険の運用が厳しく制限されて、介護の実際的行為は、何のことはない、昔の家族での介護に戻りつつある。しかも、金が足りなくて、介護保険料も上がりそうだという。
療養病床の30万床の削減も、病気の老人の居場所をなくしていく。毎日、点滴を打っている人たちに、自宅療養しろといって、本当に可能だとお役人は思っているのか。政治家は?
年金問題も、不払いが増加傾向で、将来が見えない。年金支給額が上がって行く心配〔?〕はまったくない。
そこに今度の後期高齢者医療制度だ。
多くの世帯で、この新しい制度と、従来の国民健康保険に配偶者が残るという制度的欠陥が見えてきた。
所帯主の年金で暮らしている老夫婦で、夫が後期高齢者医療制度に入った場合、妻は、国民健康保険に残る。そこには、実質的な保険料の二重取りが発生する。つまり妻に収入がない場合、妻の保険料を夫が負担せざるをえない。一家の唯一の収入から、今までと違い、二つの制度から、別々に、二重に保険料を徴収されることになる。
まあ姨捨山政策だといえばしょうがない。
老老介護などの悲惨な現実を見ると、国の社会保障制度はまったく機能していない。
一方、いままで国は、平均寿命が世界一だと鼻高々だった。なにが誇りなのか不明だ。
介護に疲れ果てた奥さんを見ながら、介護を受ける寝たきり老人は本当に幸せなのかとの疑問がわく。
また、悲惨な一家心中の原因が介護にある出来事もいっぱい報道されている。
こうなったら、希望する老人たちが、気楽に安楽死できる制度を作ってはどうかと思う。
死後にいろんな社会的、家族的迷惑を残すこと考えると、すっとあの世にいけるほうが、よほど人間の尊厳に配慮していると思う。
他人には効かないで、本人だけに効く、「尊厳死ピル」でも発明して、65歳以上ぐらいの希望者に配るようなことがあってもいいのではないかと思う。結構、それを希望する人がいると思う。
私が、そうゆう状況になったら、希望すると思う。